学位論文要旨



No 213830
著者(漢字) 吉村,恵理子
著者(英字)
著者(カナ) ヨシムラ,エリコ
標題(和) NICUにおける新生児・乳児の難聴スクリーニングとしての誘発耳音響放射に関する研究 : 聴性行動反応および聴性脳幹反応との比較
標題(洋)
報告番号 213830
報告番号 乙13830
学位授与日 1998.04.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13830号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 柳澤,正義
 東京大学 教授 桐野,高明
 東京大学 教授 加倉井,周一
 東京大学 教授 新美,成二
 東京大学 助教授 水野,正浩
内容要旨 [研究の背景]

 聴覚障害児の早期発見は、言語や情緒の発達など心理学的見地からもその意義は高く、難聴児教育の現場からは、高次神経系の可塑性の高い2歳以前の発見が求められている。1960年代、乳幼児難聴スクリーニング法としては母親などによる聞き取り調査や音を聴かせて得られる行動反応を見る方法が主であったが、質問紙法による調査では30〜40%の偽陽性が出たり、驚愕反射を利用する聴性行動反応(Bchavioral Observation Audiometry;BOA)でも高率の偽陽性・偽陰性を記録している。また条件詮索反応聴力検査(Conditioned orientation response audiometry;COR)や遊戯聴力検査(Play audiometry;PA)では初回の条件付けで成功するとは限らず信頼性に欠けるきらいがあった。一方、わが国では1937年に保健所が地域組織と医療機関との連携を保ちつつ独自の発展をとげてきた。平成2年10月より3歳児検診に聴覚検査が加わり、ここでは中等度難聴や滲出性中耳炎のスクリーニングをおこなうことが主な目的となった.さらに政令指定都市では乳幼児健診が保健所で行われるようになったため質問紙やBOAなどを通してある程度,高度難聴についてはスクリーニングが可能となってきた.しかし、難聴児の発見および教育は遅くとも2歳以前にはなされるべきであり、精度の悪い質問紙法やBOAによるスクリーニングで難聴児教育上最も大切な時期をカバーしようとするには少々無理があるようで、手軽でできるだけ精度の高い他覚的検査法の出現が待たれていた。このような中、1970年の聴性脳幹反応(Auditory brainstem responses;ABR)の発見は大変画期的な出来事であったが、電極を装着し体動をおさえる必要があるため乳幼児では睡眠導入剤の服用が不可欠であり測定にもかなりの時間を要するためハイリスク児を抽出して検査している.より簡便な他覚的検査法として最近注目を集めているのが、耳音響放射(Oto acoustic emission;OAE)である。

 OAEは1978年イギリスのKcmpによって発見されて以来、多くの研究者によって聴覚のスクリーニングにはかなりの成果が期待できるとの報告が相次いだ。外耳道にイヤホーンとマイクロホーンの内臓されたイヤーチップを挿入しクリック音などの音刺激を加えることにより反応する内耳基底板の振動共鳴を測定するもので、非侵襲的で測定時間が数分と短くてすむことに加えて、反応を得るためには30〜40dBの聴力を必要とすることから中等度難聴のスクリーニングも可能となるからである。OAEでは、クリック音または狭帯域の短音による刺激後5〜15ms遅れて観察される音響反応を誘発耳音響放射(Evoked Oto Acoustic Emission:EOAE),可聴域のf1,f2の周波数および音圧の異なる2音を同時に外耳道に重複して与えることによって得られる音響反応を結合音あるいは歪成分耳音響放射(Distortion Product Oto Acoustic Emission:DPOAE),音刺激を与えなくても外耳道で記録される自発発振現象を自発耳音響放射(Spontancous Oto Acoustic Emission:SOAE)という.さらに、OAEの発見者であるKempとOtodynamic社が共同開発したILO測定システムにより簡単にOAEの測定が可能となり、さらに研究が進んでいった。EOAEの特性が1kHz近辺に限られた狭帯域であるのに対し,DPOAEは4〜6kHzまでの比較的高音域まで測定でき,f2を横軸にとったDPグラムはヒトでは純音聴力図とよく相関するという特徴がある。OAEのこのような性格に着目し新生児における難聴スクリーニングとしてのEOAEの有用性を探る目的で,従来の古典的指標である聴性行動反応(BOA)とEOAE,さらには電気生理学的検査法である聴性脳幹反応(ABR)とを症例に応じて比較検討し,DPOAEについてもスクリーニングへの可能性を検討することにした.

[対象]

 平成6年3月から平成8年5月までに日赤医療センターNICUに入院中の乳児140例で,約2000g程度に成長した乳児を無作為に抽出した.NICU入院児は低出生体重や高ビリルビン血症、頭頚部奇形、出生時にまつわる感染症など難聴のリスクファクターを多く持っている。このようなNICU児でのスクリーニングにおいてこそOAEの真価が問われるべきと考え,対象をNICU児に限定した.男女比は72:68とほぼ同数で出生体重622〜4128g(平均1798g)、在胎週数25.4〜43.4週(平均34.0週)であった。

[方法・装置]

 測定はNICUの観察室など比較的静かな場所を選んで行われた。哺乳後の自然睡眠下の乳児に対してILO92の測定システムを用いてEOAE,続いてDPOAEを測定した。自然睡眠下という条件のもとに行われたため、原則として片側のみの測定となった。その後、鈴・太鼓など玩具を用いた聴性行動反応、さらにはInfant audiometer(リオン社;TB-03)を用いた聴性行動反応を観察した。またABRは睡眠導入剤服用後の強制睡眠下にABRシステムER-22(Biologic System社;U.S.A)を用いて施行された。

[結果]

 58例測定した段階で玩具、Infant audiometer,EOAE,ABRについて各々の反応の有無によって分けて見ると、ABRの正常率が95%得られているところ、鈴・太鼓の玩具によるとわずか36.2%の反応陽性率しか得られず、この段階で玩具によるBOAはスクリーニングには不向きであると結論した。同様に140例全例でInfant audiometer,EOAE,ABRの関係を見てみるとEOAEの反応陽性率は思いのほか低く64.2%で、ABRの正常率89.6%にはるかにおよばない値となってしまった。ここで注目すべきはEOAE陽性でABR異常であった3例で、これらの内2例は水頭症の症例で特殊なケースであり検討を要するものであった。その他のケースでは他覚的聴覚評価上問題となるものはなかった。またEOAEに反応がなくDPOAEには反応があった例は24例であった。EOAEの反応陽性率が64.2%であるのに対しDPOAEの反応陽性率は80.9%と良好な値を示した.EOAEには反応しないがDPOAEには反応するものが24例も存在し,逆にEOAEに反応しDPOAEに反応しないものはわずかに9例のみであった.DPOAEもスクリーニングに十分応用可能であると思われた。

 また,OAEのスクリーニング検査としての評価はDPOAEまで含めると敏感度77.8%,特異度85.4%,偽陽性率14.6%,偽陰性率2.6%と信頼に足るものであった.

[考察]

 EOAE反応陰性群でEOAE反応陽性群と比較して有意に多かったファクターは統計的にはなかったが,染色体異常例が3例ともEOAE反応陰性群にみられた。しかし染色体異常例もわずか3例であるためはっきりしたことはいえず、遺伝とOAEとの関係は今のところ不明である。そのほかにも有意差をもたらすファクターは見あたらなかった.出生体重,聴器毒性を有するAminoglycosideの新生児期の使用歴の有無、高ビリルビン血症など従来ABRでの難聴リスクファクターといわれていた要因は本研究では数例〜数十例という段階であるが,今の所,新生児期EOAE,DPOAEに関してはあてはまらず,諸家のいうように測定時の雑音の有無や体動など測定上の誤差や個体差によってEOAEの反応が決まるものと思われる.特にAminoglycosideによる障害は形成されるのに時間を要するとみえ、EOAEの反応の有無によらず引き続きFollow upをする必要がある。前出のInfant Audiometer,EOAEともに反応陽性でありながらABRが異常であった3例は,これらの症例の内2例は水頭症の例であり中枢神経症状によってABRの所見が変化しているのである.聴覚としてABRの所見が正しいと仮定するとEOAEが正常であることから内耳までの聴覚系には異常がないことが予想され,障害の責任部位の判定にもEOAEが利用できることがわかった.

[提案]

 以上のことを踏まえOAEを用いた難聴スクリーニングへの著者なりの提案をしてみたい。(1)難聴のスクリーニング検査は新生児期に行われるべきであり,OAEによって生後7日頃一般産院を退院する前に施行されるのが最も良い.この時期は児への親の関心は高く、親の難聴の早期発見への重要性についての意識を高揚・維持させるには良いの時期である。(2)また図らずもOAEの反応自体が生後7日前後で最も良好であり,生後1〜2日では羊水の中耳腔貯留のためその反応はやや劣るようである.それ以後になると体動が増し自力でプローブをはずしてしまうため強制的に眠らせる必要がでてくる.さらに遅くなると滲出性中耳炎など別のファクターが加わってくることもある.(3)一旦各家庭に散らばってしまった後,集団健診でOAEを施行するには技術員の養成などManpower Economyの問題がでてくる.また検査の環境によって精度にばらつきがでて画一的なスクリーニング検査も難しくなる.産院入院期間中に聴力スクリーニングも義務付けることが望まれる。わずか数分の検査であるため可能であると思われる.(4)方法はまずEOAEを施行後反応のないものは続いてDPOAEを施行し、どちらにも反応しない場合、後日EOAE再検査あるいはABR検査を施行する。ただし中枢神経系疾患を合併している場合はEOAEで反応が得られても必ずABRを施行する。またAminoglycoside使用例は新生児期にOAEに反応してもその後も定期的にFollow upを要する。

審査要旨

 本研究は聴覚障害児早期発見のためのスクリーニング法の画期的一手法としての誘発耳音響放射に関するものである.誘発耳音響放射とは刺激音に対して内耳基底板で発生する音響信号を外耳道に挿入したプローブによって測定する他覚的検査法であり次のような特徴がある.

 1.数分で測定が可能で非侵襲的かつ簡便である.

 2.新生児期に最も良好な反応を得ることができる.

 3.中耳,外耳の影響を受けやすいが反応を得るためには30〜40dBの聴力を必要とするため中等度難聴のスクリーニングも可能である.

 4.外耳から内耳までの末梢神経系の検査である.

 以上の特徴を踏まえ,140例のNICU児を対象に従来のスクリーニング法である聴性行動反応や聴性脳幹反応と比較検討し次の結論が得られた.

 1.)低出生体重や高ビリルビン血症など難聴のリスクファクターをいくつか併せ持つNICU入院児において耳音響放射反応陽性率は80.9%であり,スクリーニング検査としての敏感度は77.8%,特異度は85.4%と信頼に足るものであった.また偽陽性率14.6%,偽陰性率は2.6%と低率であった.これらの値は正常新生児ではさらに良好な値が得られることが知られている.耳音響放射は難聴のスクリーニング検査として十分有用であることが示された.

 2.)水頭症など中枢神経系疾患をもつ症例では耳音響放射では反応がありながら,聴性脳幹反応には反応の得られなかったものもあった.すなわち内耳までは良好であることがこれによって裏付けられ,耳音響放射は難聴の責任部位の診断にも役立つことがわかった.

 3.)聴器毒性をもつ薬剤の使用は障害が完成するまでにある期間を要するとみられ,新生児期の耳音響放射検査には影響を及ぼさなかった.また,その他のリスクファクターについても耳音響放射検査上有意の差をもたらすものではなかった.逆にいうとこれらの症例では,その後も聴覚を追跡する必要があるといえる.

 4.)かつて難聴児の聴覚スクリーニングは他覚的検査としてはやや信頼性にかける聴性行動反応や母親による聞き取り調査,測定手技が繁雑なため高精度ではあるがハイリスク児にしか施行できなかった聴性脳幹反応に依っていたが,取りこぼしも多かった.外耳道にプローブを装着するだけでわずか数分で測定可能な耳音響放射検査は生まれてくる全出生児に対して施行できる悉皆の検査と成りうるものである.著者の勧めるスクリーニングプロトコールは次のようである.

 1.耳音響放射検査によるスクリーニング検査は生後7日ごろ一般産院を退院する前に行う.集団検診の場で行うには無理がある.

 2.耳音響放射検査に反応のなかった例は聴性脳幹反応や聴性行動反応などを組み合わせ,経時的かつ多面的に評価する必要がある.

 3.中枢神経系の疾患をもつ児に対しては必ず聴性脳幹反応を施行する.

 4.聴器毒性薬剤を使用した例では経時的検査が必要である.

 5.これらの検査で高度難聴児と診断された場合,遅くとも2歳以前に難聴児教育に進ませることが望ましい.

 以上,本論文は耳音響放射という現象に着目し,これを用いて新生児・乳児を対象に難聴スクリーニングをわが国で初めて施行し,まとめたものである.これまで抽出法によるスクリーニングしか行えなかったが,本研究により悉皆の検査によるスクリーニングが可能となる.難聴児早期発見に多大な貢献を成すものとおもわれ,学位の授与に値するものと考えられる.

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