学位論文要旨



No 213831
著者(漢字) 横山,正人
著者(英字)
著者(カナ) ヨコヤマ,マサト
標題(和) X線透視と圧測定の同時記録検査による嚥下動態の解析 : 特に嚥下圧変化と喉頭運動の関連および加齢性変化について
標題(洋)
報告番号 213831
報告番号 乙13831
学位授与日 1998.04.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13831号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高戸,毅
 東京大学 教授 新美,成二
 東京大学 助教授 三木,一正
 東京大学 助教授 水野,正浩
 東京大学 助教授 中塚,貴志
内容要旨

 嚥下運動の口腔期と咽頭期では、舌運動とほぼ同時に喉頭運動・咽頭収縮・食道入口部の弛緩がタイミングよく起こることによって、食塊の円滑な運搬が可能となる。嚥下機能が障害されると食餌の内容が制限されるばかりでなく、誤嚥を引き起こし、重症例では栄養不良や嚥下性肺炎により重篤となる。特に高齢者は、加齢性変化により誤嚥による窒息や嚥下性肺炎を起こしやすく、その死亡率も高い。したがって、口腔期・咽頭期の嚥下機能の生理的機構や加齢性変化を知り、嚥下障害を診断・治療することは臨床上極めて重要である。X線透視と圧測定の同時記録検査(Video-manofluorography,VMF)では、嚥下動態を視覚的に把握しつつ食塊に作用する力や食道入口部の弛緩を定量的に評価することができ、より詳細な嚥下機能の解析が可能である。さらに、VMFにおいて喉頭運動の定量的解析を加えることにより、喉頭運動と嚥下圧変化の関係についても検討することができる。

 本研究は、口腔期・咽頭期の嚥下の生理的機構、特に嚥下圧変化と喉頭運動がどのように結び付いて食塊を運搬しているのかを解析し、若年者と高齢者の嚥下動態を比較して高齢者の嚥下の特徴を明らかにすることを意図したものである。

第I章測定系1.システム

 圧プローブは3個の圧変換器を4cm間隔に内蔵する。圧情報はアンプを介してビデオコンバーターに送られ、X線透視からの画像情報およびビデオタイマーからの時刻表示と合成される。透視画像・圧波形・時刻表示はS-VHSビデオの画像チャンネルに記録され、音声チャンネルには圧値が記録される。

2.測定方法

 経鼻的に圧センサーを中咽頭・下咽頭・食道入口部に配置し、食道入口部の圧センサーを静止圧が最高となる部の0.5cm上に留置して、バリウム(140w/v%)10mlを嚥下した。喉頭運動は、ビデオ記録をパーソナルコンピューターに動画情報として取り込み、静止画情報を画像解析した。各静止画において、第3・第5頸椎前縁下端を結ぶ直線とそれに直交する直線をそれぞれ喉頭上方運動と喉頭前方運動の軸として、舌骨前端の座標を算出し経時的変化を追跡した。

3.検討項目

 1)造影剤の移動時間 中咽頭・下咽頭・食道入口部の各部の通過時間(造影剤の先端が各圧センサーに到達してから、造影剤の後端が各圧センサーを通過するまでの時間)・咽頭全体の通過時間・P-U時間(造影剤の先端が梨状陥凹底に到達してから、造影剤の先端が食道入口部圧センサーに到達するまでの時間) 2)嚥下圧 各部の最高圧・最低圧・陽圧持続時間、他 3)喉頭運動急速相や圧低下相における運動速度 4)造影剤の移動・嚥下圧・喉頭運動の相互の関連食道入口部準備時間・圧低下開始PS時間・前方運動急速相開始PS時間・上方運動急速相開始PS時間(食道入口部圧が最低圧になった時・食道入口部圧が急速な低下を開始した時・喉頭前方運動の急速相開始・喉頭上方運動の急速相開始から、造影剤の先端が梨状陥凹底に到達するまでの時間)

4結果

 図1に代表例の記録図を示す。

図1:代表例(26歳男性)の嚥下動態
5.考察(1)

 嚥下運動による圧センサーのズレ 安静時に食道入口部が陽圧となる部(安静時陽圧帯)は2〜4cmの長さがあるが、圧センサーを最高静止圧を示す部位に留置すると、嚥下運動により圧センサーが安静時陽圧帯から下方に逸脱し、食道入口部括約筋の再収縮による食道入口部圧の上昇開始を捉えることができなくなる可能性がある。食道入口部の圧センサーを静止圧が最高となる部の0.5cm上に留置することにより、喉頭上方運動が最高点に達しても圧センサーは安静時陽圧帯に留まるため、食道入口部の圧変化を確実に認識できる。(2)喉頭運動の指標嚥下時の喉頭運動の時間的に前3分の2はオトガイ舌骨筋を中心とした舌骨上筋群によるものとされ、舌骨が最高位に到達するまでは舌骨と声門はほぼ平行して運動すると報告されていることからも、舌骨運動がプラトーに達する付近までは舌骨と喉頭の位置関係は一定していると考えられる。また、舌骨以外の指標を用いることには限界がある。そこで、舌骨を喉頭運動の指標とし、喉頭運動の定量的解析は舌骨運動がプラトーに達するまでの時間帯に限定した。

第II章若年健常者の嚥下動態1.対象と方法

 嚥下困難の自覚や咽喉頭・頸部領域の病変がなく、インフォームドコンセントの得られた21歳から31歳のボランティアの若年健常者(平均25.3±3.0歳)男女各16例、合計32例を対象とした。統計解析においては、p<0.05をもって有意と判定した。

2.結果

 食道入口部通過時間と食道入口部弛緩時間との間には、相関係数r=0.72(n=32,p<0.0001)と有意な相関関係を認めた。食塊平均圧について中咽頭と下咽頭とを比較した結果、中咽頭では下咽頭より有意に高値となっていた。前方運動急速相開始PS時間と上方運動急速相開始PS時間を比較すると、平均差0.06秒(p=0.0001)と有意な差を認めた(図2)。

3.考察(1)

 咽頭の嚥下圧変化中咽頭で食塊平均圧が下咽頭より有意に高くなっていたことは、下咽頭では造影剤の大半が通過するまで低圧を維持してから急激な圧上昇を示すのに対して、中咽頭では陽圧が開始してから速やかに高圧になることを意味している。中咽頭では咽頭収縮筋の運動の前に舌根運動によって食塊全体に高圧をかけて食塊を駆動しているが、下咽頭では主に中咽頭からの余勢によって食塊が移動し、咽頭収縮筋による高圧はいずれの部位においても食塊を絞り込んで残留を防ぐのに役立っていると考えられる。(2)食道入口部の嚥下圧変化食道入口部準備時間が平均0.02秒であることから、安静時の陽圧は食塊の到達前、もしくはほぼ同時に解除されていると考えられる。その結果としてP-U時間が平均0.03秒と短時間となり、梨状陥凹底に到達した食塊が速やかに食道入口部へ流入できるのである。また、陰圧は食塊が梨状陥凹底に到達する直前に生じており、たとえ喉頭閉鎖が不完全であったとしても食塊が食道へと流れていくように、流入時に引き込み圧として働いているものと考えられる。(3)喉頭前方運動の急速相は、喉頭上方運動の急速相より平均0.06秒遅れて開始し、食道入口部圧の低下する時間帯にほぼ一致している。この結果より、上方運動によって喉頭閉鎖を先行させ、圧低下時に急速な前方運動を得ることによって食道入口部の陰圧を形成しやすくしていると考えられる。前方運動と上方運動の急速相のタイミングをずらすことによって、気道の防御を先行させ、次いで食道へ食塊を引き込む、という誤嚥の可能性を極力減らす機構が成立していると考えられる。

図2:前方運動急速相開始PS時間と上方運動急速相開始PS時間の比較
第III章 高齢者の嚥下動態1.対象と方法

 前章で検討した若年健常者男女各16例、61歳から74歳の健常者(平均66.6±3.7歳)男女各6例、75歳から89歳の健常者(平均81.1±4.6歳)男女各6例の合計56例を対象とした。高齢者は精査を目的に受診した患者で、嚥下困難の自覚や咽喉頭・頸部領域の病変がなく、脳血管障害などの中枢神経疾患や嚥下に影響すると考えられる全身疾患のないものを健常者とした。

2.結果

 年齢群間の比較を表1・図3,4に示す。食道入口部の通過時間と弛緩時間の間には、各高齢群とも有意な相関関係を認めた。前方運動急速相開始PS時間と上方運動急速相開始PS時間との比較では、各高齢群とも有意な差を認めなかった。

表1:年齢群間の比較図3:通過時間の比較図3,4とも平均値+標準偏差を示す*;ANOVA法によりp<0.05かつFisherのPLSD法により2群間の有意差を認めたもの図4:食道入口部の嚥下動態の比較
3.考察(1)

 咽頭における嚥下圧変化 下咽頭の陽圧持続時間は加齢により有意に増大していたが、食塊平均圧には加齢による差が認められないことから、高齢者では咽頭で大きな圧をかけるというよりも、圧を長くかけ続けるというパターンになっていると考えられる。舌による駆動力の低下・唾液分泌低下による粘膜の潤滑性劣化といった加齢性変化を代償するために陽圧を長く維持しているのではないかと考えられる。(2)食道入口部における嚥下圧変化 食道入口部準備時間は加齢により有意に減少しており、平均値では若年者は正の値だが高齢者では負の値となっていた。つまり、若年者では食塊が梨状陥凹底に到達した時点では食道入口部は既に最低圧になっており、しかも陰圧であることから食塊は抵抗なく下咽頭から食道へと流入することができる。一方、高齢者では食塊が梨状陥凹底に到達した時点では未だ食道入口部は最低圧になっておらず、下咽頭から食道への流入抵抗となる。高齢群では流入抵抗が大きくなり、P-U時間が有意に延長すると考えられる。また、最低圧が陰圧にならず陽圧を維持する状態は食道入口部の通過抵抗となる。高齢群では流入抵抗が大きくなるため食塊の通過速度がさらに低下し、通過抵抗も加わって高齢群ほど食道入口部通過時間が有意に延長すると考えられる。(3)食道入口部の嚥下圧変化と喉頭運動の関連 喉頭前方運動の急速相はどの年齢群においても食道入口部の圧低下とほぼ同時に開始し、前方運動急速相開始PS時間は加齢により有意に短縮していた。つまり、高齢者では喉頭前方運動の急速相開始が遅れるために、食道入口部の圧低下開始も遅れてしまうと考えられる。また、高齢者では食道入口部で陰圧が発生しにくい理由としては、喉頭の低位や食道入口部のゆがみ・組織伸縮性の低下などの加齢性変化が関与していることが推察されるが、本研究で示された加齢による喉頭前方運動速度の低下が理由の一つとなっていると考えられる。以上のような嚥下機能の加齢性変化により、高齢者では誤嚥防止のための予備能力が低下していると考えられる。

審査要旨

 本研究は嚥下の口腔期・咽頭期の生理的機構および加齢性変化を明らかにするため、X線透視と消化管内圧測定の同時記録検査(Video-manofluorography,VMF)により、嚥下圧変化と喉頭運動の関連に着目して嚥下動態の解析を試みたものである。21歳から31歳の若年健常者32例(平均25.3±3.0歳、男女各16例)と61歳から74歳の健常者12例(平均66.6±3.7歳、男女各6例)、75歳から89歳の健常者12例(平均81.1±4.6歳、男女各6例)の合計56例を対象としてVMFを施行し、下記の結果を得ている。

 1.若年者において中咽頭と下咽頭の食塊平均圧を比較した結果、中咽頭では下咽頭より有意に高値となっていた。これより、下咽頭では造影剤の大半が通過するまで低圧を維持してから急激な圧上昇を示すのに対して、中咽頭では陽圧が開始してから速やかに高圧になることが示された。中咽頭では咽頭収縮筋の運動の前に舌根運動によって食塊全体に高圧をかけて食塊を駆動しているが、下咽頭では主に中咽頭からの余勢によって食塊が移動し、咽頭収縮筋による高圧はいずれの部位においても食塊を絞り込んで残留を防ぐのに役立っていると考えられた。

 2.若年者の食道入口部準備時間が平均0.02秒であったことから、食道入口部の安静時の陽圧は食塊の到達前、もしくはほぼ同時に解除されていることが示された。その結果としてP-U時間が平均0.03秒と短時間となり、梨状陥凹底に到達した食塊が速やかに食道入口部へ流入できると考えられた。また、食道入口部の陰圧は食塊が梨状陥凹底に到達する直前に生じており、たとえ喉頭閉鎖が不完全であったとしても食塊が食道へと流れていくように、流入時に引き込み圧として働いているものと考えられた。

 3.若年者の喉頭前方運動の急速相は、喉頭上方運動の急速相より有意に(平均0.06秒)遅れて開始し、食道入口部圧の低下する時間帯にほぼ一致していた。これより、上方運動によって喉頭閉鎖を先行させ、圧低下時に急速な前方運動を得ることによって食道入口部の陰圧を形成しやすくしていると考えられた。前方運動と上方運動の急速相のタイミングをずらすことによって気道の防御を先行させ、次いで食道へ食塊を引き込むという誤嚥の可能性を極力減らす機構が成立していると考えられた。

 4.造影剤の移動に伴う陽圧の発生について年齢群間の比較をすると、下咽頭の陽圧開始時間および中咽頭・下咽頭の陽圧終了時間は加齢により有意に遅延していた。したがって、食塊の通過に対応する陽圧のタイミングは加齢によって遅延していくと考えられた。下咽頭の陽圧持続時間は加齢により有意に増大していたが、食塊平均圧には加齢による差が認められなかったことから、高齢者では咽頭で大きな圧をかけるというよりも、圧を長くかけ続けるというパターンになっていると考えられた。舌による駆動力の低下・唾液分泌低下による粘膜の潤滑性劣化といった加齢性変化を代償するために陽圧を長く維持しているのではないかと考えられた。

 5.食道入口部準備時間は加齢により有意に減少しており、平均値では若年者は正の値だが高齢者では負の値となっていた。つまり、高齢者では食塊が梨状陥凹底に到達した時点では未だ食道入口部は最低圧になっておらず、下咽頭から食道への流入抵抗が大きくなり、P-U時間が有意に延長する結果となっているものと考えられた。また、食道入口部最低圧は加齢により有意に増加しており、陰圧を示したのは若年群では32例中22例であったが、61-74歳群では12例中5例、75-89歳群では12例中1例のみであった。高齢群では流入抵抗が大きくなるため食塊の通過速度がさらに低下し、最低圧が陽圧を維持することによって起こる食道入口部の通過抵抗も加わって、高齢群ほど食道入口部通過時間が有意に延長する結果となっていると考えられた。

 6.喉頭前方運動の急速相はどの年齢群においても食道入口部の圧低下とほぼ同時に開始し、前方運動急速相開始PS時間は加齢により有意に短縮していた。つまり、高齢者では喉頭前方運動の急速相開始が遅れるために、食道入口部の圧低下開始も遅れてしまうと考えられた。以上のような嚥下機能の加齢性変化により、高齢者では誤嚥防止のための予備能力が低下していると考えられた。

 以上、本論文は若年と高齢の健常者56例において、X線透視と消化管内圧測定の同時記録検査による嚥下動態の解析から、嚥下圧変化と喉頭運動のタイミングや相互の関連およびそれらの加齢性変化について明らかにした。本研究はこれまで定量的な評価法に乏しく、病態の詳細な把握や治療効果の比較が困難であった嚥下障害の臨床医療の進歩に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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