学位論文要旨



No 213836
著者(漢字) 広田,桂子
著者(英字)
著者(カナ) ヒロタ,ケイコ
標題(和) コリン含有脂質と反応するモノクローナル抗体を用いた細胞膜リン脂質と肺表面活性リン脂質の動態に関する研究
標題(洋)
報告番号 213836
報告番号 乙13836
学位授与日 1998.04.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13836号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 橋都,浩平
 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 助教授 水野,正浩
 東京大学 助教授 山川,満
 東京大学 助教授 田上,恵
内容要旨

 細胞膜は脂質とタンパク質で構成されているが、その基本構造は脂質二重層から成る膜構造である。膜構成分子種の特徴としては、コレステロールがほぼ単一のステロール成分であるのに対し、高等動物ではリン脂質として、ホスファチジルコリン(PC)が特に多く、ついでホスファチジルエタノールアミン(PE)、スフィンゴミエリン(Sm)、ホスファチジルセリン(PS)、ホスファチジルイノシトール(PI)の順に含量が減少する傾向にあり、量的な違いはあるがこれらのリン脂質はほとんどの組織に共通に含まれ、脂質二重層の基本構成成分となっている。一方リン脂質のなかには肺表面活性リン脂質のように細胞外に分泌され、単分子膜の重層構造を形成することにより表面張力を低下させ肺胞構造の維持に重要な役割を演じている分子もある。今回、細胞膜成分の増殖に伴う動態を検出するためにモノクローナル抗体を作成したところ、リン脂質を認識する抗体が得られた。本抗体はSmと飽和脂肪酸を含むPCとに特異的に反応する性質を持っており、細胞膜脂質二重層のSmの動きや役割、肺表面活性リン脂質の代謝を解析するために応用した。

[方法]モノクローナル抗体VJ-41の作成

 B10.A(5R)マウスリンパ球をでB10.A(3R)マウスに同種免疫した。抗体のモニターはコンカナバリンA(ConA)刺激ヒトTリンパ球を用いて行い、ConA刺激リンパ球と反応し、非刺激リンパ球と反応しない抗体VJ-41を得た。VJ-41のアイソタイプはIgMであった。

フローサイトメトリー法による分析

 リンパ球、又は赤血球にモノクローナル抗体を反応させ、FITC標識ヤギ抗マウスIgM+G抗体を反応させ、その蛍光強度をFACScanで分析した。

脂質の抽出とTLC免疫染色

 凍結乾燥したリンパ球、または赤血球から脂質を抽出し、TLCプレート上に展開した。酢酸銅-リン酸試薬を噴霧し、加熱してを発色させた。また、TLC-免疫染色はVJ-41を反応させ、パーオキシダーゼ標識抗マウスIgM+G抗体を反応させ、酵素基質(H2O2と4-chloro-l-naph-thol)で発色させた。

ELISA法

 各種リン脂質を、ポリスチレンマイクロタイタープレートの各ウェルにコートし、VJ-41の反応をパーオキシダーゼ標識抗マウスIgM+G抗体を用いて調べた。

赤血球膜の調整とSDS-PAGEによるタンパク質の分析

 各種動物の保存血を遠心分離し、溶血させ、膜画分を調整した。膜タンパク質をSDS-PAGEで分離し、クマシブルー染色によりタンパク質のバンドを染色した。又、Western blotting法でニトロセルロース膜又は、PVDF膜に転写した後、VJ-41で免疫染色した。

[結果と考察]第一章モノクローナル抗体VJ-41とその抗原の解析

 正常ヒトリンパ球とConA刺激ヒトTリンパ球をVJ-41で染色した後、フローサイトメトリー法にて分析した。非ConA刺激ヒトTリンパ球にはVJ-41は反応せず、ConA激リンパ球では約20%のリンパ球が反応していた。従ってVJ-41は、マイトジェン刺激により幼若化したTリンパ球と特異的に反応する性質を持っていることを示す。ConA処理と非処理リンパ球より脂質を抽出し、TLC免疫染色により抗原を調べた。VJ-41はSmと非常に強く反応するが、PE,PSとは反応せず、また、卵黄由来、リンパ球由来の大部分のPCとは反応していなかった。また、ConA処理した細胞と、しない細胞とでは、VJ-41に反応した抗原の濃度に有意差はなく、リン脂質、特にSmの細胞膜上の配位が増殖刺激により変化すると予想された。次に、各種化学合成PCを用いて、ELISA法とTLC免疫染色法でVJ-41との反応性を調べた。PCに含まれる2個の脂肪酸のいずれもが飽和の脂肪酸で14個以上の長さを持つPCのみが反応陽性であり、その反応性は、脂肪酸が長くなる程強くなることが分った。不飽和の脂肪酸を含むPCは全く反応しなかった。さらにVJ-41と各種スフィンゴリン脂質との反応性を調べると、セラミド-2-アミノエチルフォスフォネート、セラミドフォスフォリルエタノールアミンは全く反応しないことが分った。また、SmをホスホリパーゼC処理すると抗原性が消失するため、Smが主要抗原であることが明らかになった。従ってコリン残基が抗原決定基になっているが、その抗原性は疎水性側鎖の性質によって大きく変化することが示された。以上、モノクロナール抗体VJ-41の抗原は、セラミドと飽和の脂肪酸のみからなるジグリセリドを疎水性側鎖とするリン脂質であることが分った。

第二章赤血球膜スフィンゴミエリンの反応性と結合蛋白質

 細胞膜のモデルとして単一細胞であり構造が極めて単純な赤血球を用いた。ブタ、ウマ、ヒツジの赤血球膜から脂質を抽出し、抽出液をTLCプレート上に展開し、酢酸銅-リン酸試薬とVJ-41で染色した。コレステロール、PE,PSの相対的含有量は各動物間で同じであるが、PCとSmの含有量に違いがあり、ヒツジではSmのみでPCは含まれておらず、ウマではPCが特に多く、Smは少なく、ブタではPCとSmがほぼ同量であった。VJ-41の染色では、いずれの動物の赤血球にもSmのみが検出されることから、赤血球膜リン脂質に飽和の脂肪酸のみを持つPCは含まれておらず、VJ-41と反応する分子はSmのみであることが分った。各種動物の赤血球膜上のSmの反応性を比較するために、VJ-41を用いた間接免疫蛍光法により染色した後、フローサイトメトリー法により解析した。ブタとウマ赤血球のSmは全く反応せずヒツジ赤血球のみが反応していることが分った。膜上のSmの密度がある閾値以上高くないと抗体は作用しないことが予想され、同時にSmの抗原性を高めるような細胞膜タンパク質の存在も考えられることから、Western blotting法によるSm結合タンパク質の解析を試みた。各種動物赤血球のゴーストを作り、その膜タンパク分画をSDS-PAGEにて分離し、Western blotting法によりニトロセルロース膜に転写し、VJ-41を用いて免疫染色した。この結果、ヒツジ赤血球膜の72kDa付近のタンパク質がVJ-41で特異的に染色され、この分子がFACSでヒツジ赤血球だけがVJ-41に反応していることに関連していると考えられた。また、VJ-41と反応する赤血球膜タンパク質はトリトンX-100で抽出されることが確認され、この性質を持つ膜タンパク質はバンド4.2であると思われた。次に、VJ-41はヒツジ赤血球のSmとのみ反応することから、VJ-41で染色されるバンド4.2はSmを結合しているか、またはタンパク質上の共有結合された構造であるのかを調べるために、転写後の膜を有機溶媒で処理しVJ-41で染色すると、処理したPVDF膜はVJ-41に対する反応性が失われており、さらに、抽出液をTLC上に展開しVJ-41で免疫染色したところ、Smが検出された。これよりバンド4.2にSmが特異的に結合しており、有機溶媒処理により抽出されることが分った。赤血球膜の骨格タンパク質の中でバンド4.2の機能のみが不明であるが、今回得られた結果はバンド4.2が脂質二重層のSmに結合して骨格タンパク質を脂質二重層に固定する役割を演じている可能性を示唆している。

第三章モノクローナル抗体VJ-41による肺表面活性物質リン脂質の選択的測定

 肺サーファクタントリン脂質の産生量は肺の機能的成熟度を知る指標として有用であるが、ジパルミトイルPC(DSPC)のみを測定する方法はないのが現状である。羊水中のリン脂質を測定して胎児肺の成熟度を知る方法は特発性呼吸窮迫症候群(idiopathic respiratory distress synd-rom:IRDS)の出生前診断にとりわけ有効であり、DSPCとSmとに選択的に反応するモノクローナル抗体VJ-41を使うことでIRDS診断を目的とした羊水中の肺サーファクタントPC/Sm比を非常に高感度に測定できると予想した。肺サーファクタントPCであるDSPCと精製Smの0.1〜1.5gを同一プレート上にスポットし、免疫染色を行ったところ、濃度依存的に染色量が変化し、少なくとも1gまでは直線的に両脂質を定量できた。検出限界は0.05gであった。5人の妊婦より採取された羊水からリン脂質を抽出しTLC免疫染色を行い、肺サーファクタントDSPCとSmとの濃度を測定した。羊水中のDSPCとSmはVJ-41による免疫染色で選択的に検出することができ、検出感度は酢酸銅-リン酸試薬の約10倍であり、羊水100lを用いて測定できた。また、IRDSを起こした新生児の羊水中のDSPC濃度は明らかに低下しており、TLC免疫染色で測定したDSPC/Sm比の正常児(5.75±1.29)、IRDS児(0.97±0.53)間の違いは、容易に判断でき、肺の発達度の指標として、簡便でかつ充分に高い感度を持っているということができる。さらに全身麻酔導入直後、1、2、3時間後に肺洗浄液を採取し、洗浄液中のDSPC量をVJ-41を用いて測定した。麻酔下の肺洗浄液中においてもサーファクタントリン脂質が検出され、その濃度は麻酔直後は低く、1〜2時間後には直後の2〜3倍になり、その後次第に低下することが分った。おそらく麻酔という物理的侵襲によりサーファクタントの分泌刺激が加わっても洗浄操作で遊離するためには、ラメラ封入体からの補充が必要であると予想され、その違いが今回の結果として表われていると思われる。

 以上、スフィンゴミエリンと飽和脂肪酸含有PCとを抗原とするモノクローナル抗体VJ-41の特性を利用して、細胞膜スフィンゴミエリンと肺表面活性物質の動態について研究した。

審査要旨

 本研究は脂質二重層から成る膜構造の増殖に伴う動態を検出するために増殖刺激を加えた細胞に対するモノクローナル抗体を作成し、スフィンゴミエリン(Sm)と飽和脂肪酸を含むホスファチジルコリン(PC)とに特異的に反応する性質を持っていることを明かにした。このユニークな性質を利用して細胞膜脂質二重層のSmの動きや役割、肺表面活性リン脂質の代謝を解析するために応用したものであり、下記の結果を得ている。

 1.正常ヒトリンパ球とは反応しないが、コンカナバリンA(ConA)刺激ヒトリンパ球と反応するモノクローナル抗体VJ-41を作成した。本抗体の抗原を明かにするためにConA処理と非処理リンパ球より脂質を抽出しTLC免疫染色を行いによりSmが抗原であることを結定した。また同時に飽和の脂肪酸で14以上の長さを持つPCも反応することを明かにした。結果的に、モノクローナル抗体VJ-41の抗原はセラミドと飽和の脂肪酸のみからなるジグリセリドを疎水性側鎖とするコリン含有リン脂質であることが分かった。

 2.細胞膜のモデルとして単一細胞であり構造が極めて単純な赤血球を用いモノクローナル抗体VJ-41の反応を調べた。PCとSmの含有量に違いのあるブタ、ウマ、ヒツジの赤血球膜には飽和の脂肪酸のみを持つPCは含まれておらず、VJ-41と反応する分子はSmのみである事が分かった。次に各種動物の赤血球膜上のSmの反応性を比較するために、VJ-41で染色した後、フローサイトメトリー法により解析したところ、ブタとウマ赤血球のSmは全く反応せず、ヒツジ赤血球のみが反応した事より、Smの抗原性を高めるような細胞膜タンパク質の存在が考えられた。Western blotting法で解析したところ、ヒツジ赤血球膜にのみ含まれる72KDa付近のタンパク質がVJ-41で特異的に染色された。このタンパク質はトリトンX-100で抽出される事より、バンド4.2であると予想した。赤血球膜タンパク質の中でバンド4.2の機能のみが不明であるがこの結果はバンド4.2が脂質二重層のSmに結合して骨格タンパク質を脂質二重層に固定する役割を演じている可能性を示唆している。

 3.羊水中のリン脂質を測定して胎児肺の成熟度を知る方法は特発性呼吸窮迫症候群(IRDS)の出生前診断にとりわけ有効であり、飽和脂肪酸を含むPC(肺サーファクタントPC)とSmとに選択的に反応するモノクローナル抗体VJ-41を使うことでIRDS診断を目的とした羊水中の肺サーファクタントPC/Sm比を非常に高感度に測定できると予想した。5人の妊婦より採取された羊水よりリン脂質を抽出し、VJ-41により肺サーファクタントPCとSmの濃度を測定すると、IRDSを起こした新生児の羊水中の肺サーファクタントPC濃度は明かに低下しており、肺の発達の指標として簡便でつ充分に高い感度を持った方法を樹立した。本法の応用として、全身麻酔導入直後、1、2、3時間後に肺洗浄液を採取し洗浄液中の肺サーファクタントPC量をVJ-41を用いて測定すると、その濃度は麻酔直後には低く、1〜2時間後には直後の2〜3倍になり、その後次第に低下することが分かり、麻酔という物理的サーファクタント分泌刺激後、洗浄操作で遊離してくるのにはラメラ封入体からの補充が必要であると思われた。

 以上、本論文は、スフィンゴミエリンと飽和脂肪酸含有PCとを抗原とするモノクローナルVJ-41の特性を利用して細胞膜スフィンゴミエリンと肺表面活性物質の動態について研究したものであり、赤血球膜タンパク質バンド4.2の未知な役割を解く鍵を握っており、また、肺表面活性物質の動態を高感度に探るにあたり、重要な貢献をなすと考えられ、学位授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク