学位論文要旨



No 213837
著者(漢字) 田中,洋
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,ヒロシ
標題(和) ペントバルビタール投与による破裂脳動脈瘤術前再破裂の予防
標題(洋)
報告番号 213837
報告番号 乙13837
学位授与日 1998.04.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13837号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 金澤,一郎
 東京大学 教授 花岡,一雄
 東京大学 教授 中原,一彦
 東京大学 教授 前川,和彦
 東京大学 教授 伊賀,立二
内容要旨 はじめに

 神経放射線学等の診断技術や、手術用顕微鏡や顕微鏡下手術器械等の治療機器の進歩、神経麻酔学の進展にもかかわらず、くも膜下出血の転帰が飛躍的に改善されないことは以前から指摘されている。1990年に発表された国際共同研究では、破裂脳動脈瘤の転帰を不良にする最も大きな要因は、再破裂と脳血管攣縮であった。脳動脈瘤の再破裂は初回破裂後6時間以内に多く、脳血管攣縮は超急性期にはみられない。したがって、破裂脳動脈瘤超急性期の管理にあたっては、再破裂をいかに防止するかがもっとも重要な問題と考えられる。再破裂防止の方法は現在まで種々試みられてきたが、再破裂を有意に防止し、転帰を有意に改善したとする報告はいまだになされていない。そこで、全身麻酔薬であるペントバルビタールを静脈内に持続投与し、くも膜下出血患者を鎮静・鎮痛し、かつ降圧をはかることで、破裂脳動脈瘤の再破裂予防を試みた。多数例についての結果をまとめることにより、ペントバルビタールの脳動脈瘤再破裂予防効果、転帰に及ぼす影響等について考察する。

対象・方法

 1984年4月から1994年6月までの10年3ヶ月間に公立昭和病院脳神経外科に入院した非外傷性くも膜下出血は681症例であった。外来初診時に破裂脳動脈瘤が疑われた場合、ただちに鎮静薬、鎮痛薬を投与し、必要に応じて降圧薬も投与した。不穏状態が強い、意識障害が重度、降圧が不十分など再破裂の可能性が高いと初診医が判断した場合には、年齢・全身状態を考慮のうえ、鎮静鎮痛薬を十分に投与後、筋弛緩薬を投与し気管内挿管を行い、ペントバルビタールの持続静注を開始した。呼吸循環器系が抑制されるので、全例に人工呼吸を行い、血圧の低下した症例には必要に応じて輸液、昇圧薬を用い脳潅流圧を維持した。なお初診時にはペントバルビタールを投与しなかったが、その後再破裂を起こした症例に対しても、適応があると判断した場合にはペントバルビタール投与を開始した。681症例の内、手術適応有りと判断された584症例に対して脳血管造影を行い、562症例に破裂脳動脈瘤が確認された。このうち、来院時心肺停止の14症例、比較的再破裂が少ない発症後第2病日以降に来院した62症例をそれぞれ除外し、また6か月後の転帰が不明であった6症例を除外し480症例を選択した。さらに副作用等の危惧からペントバルビタールの投与率が低い70歳以上の67症例を除外した。このようにして、来院時心肺停止ではなく、70歳未満で、第0または第1病日に入院し、脳血管造影で破裂脳動脈瘤が確認され、6か月後の転帰が判明しているくも膜下出血413症例を最終的に解析の対象とした。

 この対象症例を、初診時よりペントバルビタールを投与した群(以下、投与群)と、投与しなかった群(再破裂後ペントバルビタール投与を開始した症例を含む、以下、非投与群)とに分けた。各群について、初診時の年齢、既往歴、発症当日を第0病日とした初診日及び手術日の病日、初診時の神経学的重症度、初診時収縮期血圧、破裂脳動脈瘤の部位、入院後の合併症、病院到着後の脳動脈瘤再破裂の有無と観察期間、発症6か月後の転帰について調査した。これら各項目について検討し、初診時よりペントバルビタールを静脈内に持続投与することで破裂脳動脈瘤の術前再破裂の予防が可能かどうか、それにより転帰が改善されるか否か、どのような症例に有効か、合併症は何か、を解析した。また、当初非投与で再破裂した症例について、再破裂後ペントバルビタール投与を開始するべきか否かについても検討した。初診時の神経学的重症度はWFNS(World Federation of Neurosurgical Societies)の分類により5段階で評価した。また転帰はGlasgow Outcome Scaleによった。各々の有意差の検定には、ノンパラメトリック検定を用いた。

結果1.ペントバルビタール投与群および非投与群の患者背景

 413症例のうち、投与群は116症例、非投与群は297症例(再破裂後ペントバルビタール投与を開始した35症例を含む)であった。両群を比較すると年齢、初診日(病日)、脳動脈瘤の部位、直達手術の有無及び直達手術日(病日)、観察期間については有意差がなかった。一方投与群は非投与群に比較して、初診時に神経学的に有意に重症であり、高血圧症の既往が有意に多く、初診時収縮期血圧が有意に高かった。神経学的に重症なもの、血圧の高いものは再破裂を起こしやすいとされており、投与群は非投与群よりも再破裂の危険性がより高いと考えられる。

2.ペントバルビタール投与群および非投与群における再破裂の有無と再破裂症例の特徴

 投与群では非投与群に比較して有意に(p<0.01)再破裂が防止された(投与群116症例中10症例(8.6%)、非投与群297症例中58症例(19.5%))。

 投与群116症例の内、再破裂した10症例と再破裂しなかった106症例とを比較した。年齢、性別、初診時の神経学的重症度、脳動脈瘤の部位は再破裂と関連がなかった。再破裂例は非再破裂例に比較して、有意に初診時収縮期血圧が高値であった。

 同様に、非投与群297症例の内、再破裂した58症例と再破裂しなかった239症例とを比較した。年齢、脳動脈瘤の部位は再破裂と関連がなかった。再破裂例は非再破裂例に比較して、初診時に神経学的に有意に重症であり、初診時収縮期血圧が有意に高値であった。

3.再破裂防止、転帰改善に対するペントバルビタール投与の効果(初診時の神経学的重症度、初診時収縮期血圧による検討)

 投与群は非投与群に比較して有意に再破裂が少いが、神経学的に重症なほど再破裂しやすいので、初診時WFNS grade別に、再破裂の有無、転帰について検討した。再破裂の有無については、WFNS grade I,II,IIIでは投与群と非投与群とで有意差がなかった。WFNS grade IVでは、投与群38症例中4症例(11%)、非投与群42症例中12症例(29%)に再破裂を認め、ペントバルビタール投与は再破裂を抑制する傾向を示した(p=0.0537)。WFNS grade Vでは、再破裂を投与群44症例中5症例(11%)、非投与群39症例中13症例(33%)に認め、ペントバルビタール投与は再破裂を有意に(p<0.05)防止した。なお、WFNS grade I症例は、鎮静鎮痛、血圧管理等を厳重に行うことにより、最近4年間は術前再破裂を認めていない。転帰については、WFNS grade I,II,III,IVでは投与群と非投与群とで有意差がなかった。WFNS grade Vでは、投与群44症例の転帰はGood Recovery(以下GR)1(2%)、Moderate Disability(以下MD)6(14%)、Severe Disability(以下SD)14(32%)、Vegetative State(以下VS)6(14%)、Dead(以下D)17(38%)であり、非投与群39症例ではGR2(5%)、MD1(3%)、SD8(21%)、VS4(10%)、D24(61%)であり、投与群の転帰は非投与群に比べて有意に(p<0.05)良好であった。

 非投与群297症例の内、58症例で脳動脈瘤が再破裂した。再破裂後にペントバルビタール投与を開始した35症例と、再破裂後もペントバルビタールを投与しなかった23症例とを比較したが、再々破裂の有無、転帰ともに両者間で有意差がなかった。

 初診時収縮期血圧についても同様に、再破裂の有無、転帰に及ぼす影響について検討したが、いかなるサブグループをつくっても有意な結果は得られなかった。

4.ペントバルビタール療法の合併症

 投与群では非投与群に比較して血圧低下、心筋梗塞、肝機能障害が有意に多かった。中枢神経系、呼吸器系、中毒疹、顆粒球減少症等の合併症については有意差がなかった。

結論

 発症第0または1病日に初診した70歳未満の破裂脳動脈瘤の再破裂を防止し、転帰を改善するために、以下の方針で臨むことを提言したい。

 1.WFNS grade I症例では、鎮静薬・鎮痛薬および必要に応じて降圧薬を投与し再破裂を防止するべきであり、ペントバルビタール投与の適応はない。

 2.WFNS grade II,III症例では、鎮静薬・鎮痛薬および必要に応じて降圧薬を投与する。投与後も血圧が高い、不穏状態が強い等再破裂の可能性が強いと判断される場合には、ペントバルビタールの持続静注を考慮する。

 3.WFNS grade IV,V症例(来院時心肺停止症例を除く)では、初診時よりペントバルビタールを持続静注する。

 ペントバルビタール投与は、上記のように適切な症例を選択することによって、現時点では有用な方法であると考えられる。しかし、投与群は非投与群に比較して有意に血圧低下、心筋梗塞、肝機能障害の合併症が多い。また、早期手術を前提にしているとはいえ、ペントバルビタール導入時より気管内挿管・人工呼吸が必要であり、侵襲的でもある。今後、破裂脳動脈瘤の再破裂を防止し、予後を改善するための、より効果的で、より侵襲の少ない安全な方法が開発されることが望まれる。

審査要旨

 本研究は破裂脳動脈瘤の予後を改善するために重要であるとされている脳動脈瘤再破裂の予防方法を明らかにするため、ペントバルビタールを初診時より静脈内に持続投与した群と非投与群とを比較し解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1.解析の対象は、70歳未満で、来院時心肺停止でなく、第0または第1病日に入院し、脳血管造影で破裂脳動脈瘤が確認され、6か月後の転帰が判明しているくも膜下出血413症例である。この対象症例を、初診時よりペントバルビタールを投与した群116症例(以下、投与群)と、投与しなかった群297症例(再破裂後ペントバルビタール投与を開始した35症例を含む、以下、非投与群)とに分けた。両群を比較すると年齢、初診日(病日)、脳動脈瘤の部位、直達手術の有無及び直達手術日(病日)、観察期間については有意差がなかった。一方投与群は非投与群に比較して、初診時に神経学的に有意に重症であり、高血圧症の既往が有意に多く、初診時収縮期血圧が有意に高かった。神経学的に重症なもの、血圧の高いものは再破裂を起こしやすいとされており、本研究の投与群は非投与群よりも再破裂の危険性がより高い事が示された。

 2.再破裂は投与群116症例中10症例(8.6%)、非投与群297症例中58症例(19.5%)であった。投与群は非投与群に比較して有意に(p<0.01)再破裂が防止される事が示された。

 3.投与群116症例の内、再破裂した10症例と再破裂しなかった106症例とを比較した。年齢、性別、初診時の神経学的重症度、脳動脈瘤の部位は再破裂と関連がなかった。再破裂例は非再破裂例に比較して、有意に初診時収縮期血圧が高値である事が示された。

 4.非投与群297症例の内、再破裂した58症例と再破裂しなかった239症例とを比較した。年齢、脳動脈瘤の部位は再破裂と関連がなかった。再破裂例は非再破裂例に比較して、初診時に神経学的に有意に重症であり、初診時収縮期血圧が有意に高値である事が示された。

 5.そこでまず、初診時収縮期血圧と、再破裂の有無、転帰との関係について検討したが、いかなるサブグループをつくっても有意な結果は得られなかった。

 6.次に、初診時WFNS gradeと、再破裂の有無との関係について検討した。再破裂の有無については、WFNS(World Federation of Neurosurgical Societies) grade I,II,IIIでは投与群と非投与群とで有意差がなかった。WFNS grade IVでは、投与群38症例中4症例(11%)、非投与群42症例中12症例(29%)に再破裂を認め、ペントバルビタール投与は再破裂を抑制する傾向を示した(p=0.0537)。WFNS grade Vでは、投与群44症例中5症例(11%)、非投与群39症例中13症例(33%)に再破裂を認め、ペントバルビタール投与は再破裂を有意に(p<0.05)防止する事が示された。

 7.さらに初診時WFNS gradeと、転帰との関係について検討した。転帰については、WFNS grade I,II,III,IVでは投与群と非投与群とで有意差がなかった。WFNS grade Vでは、投与群44症例の転帰はGood Recovery(以下GR)1(2%)、Moderate Disability(以下MD)6(14%)、Severe Disability(以下SD)14(32%)、Vegetative State(以下VS)6(14%)、Dead(以下D)17(38%)であり、非投与群39症例ではGR2(5%)、MD1(3%)、SD8(21%)、VS4(10%)、D24(61%)であり、投与群の転帰は非投与群に比べて有意に(p<0.05)良好である事が示された。

 8.非投与群297症例の内、58症例で脳動脈瘤が再破裂した。再破裂後にペントバルビタール投与を開始した35症例と、再破裂後もペントバルビタールを投与しなかった23症例とを比較したが、再々破裂の有無、転帰ともに両者間で有意差がなかった。

 9.ペントバルビタール療法の合併症についても検討した。投与群では非投与群に比較して血圧低下、心筋梗塞、肝機能障害が有意に多かった。中枢神経系、呼吸器系、中毒疹、顆粒球減少症等の合併症については有意差がなかった。

 以上、本論文は破裂脳動脈瘤症例において、ペントバルビタール投与による再破裂防止効果、転帰改善効果および合併症について解析し、その有用性と適応について明らかにした。本研究は、これまで確立された方法がなかった破裂脳動脈瘤の再破裂予防に重要な貢献をなし、また予後の改善に貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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