学位論文要旨



No 213838
著者(漢字) 高橋,義彦
著者(英字)
著者(カナ) タカハシ,ヨシヒコ
標題(和) ヒト培養皮膚線維芽細胞におけるinsulin-like growth factor-I受容体、EGF受容体情報伝達とPI3-キナーゼとの関連に関する研究
標題(洋)
報告番号 213838
報告番号 乙13838
学位授与日 1998.04.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13838号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤田,敏郎
 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 教授 脊山,洋右
 東京大学 教授 中原,一彦
 東京大学 助教授 鳥羽,研二
内容要旨

 ヒトの皮膚片の初代培養より得られる線維芽細胞は代謝や増殖に影響を与えるヒトの遺伝疾患の臨床像を解析する上で有用である。この系で代表的なチロシンキナーゼであるIGF-I、EGF受容体の情報伝達を検討したところ、細胞の増殖や分化にきわめて重要であるめMAPキナーゼについて、IGF-I依存性のMAPキナーゼ最大活性がEGF依存性のMAPキナーゼ最大活性に比べて有意に小さいにも関わらずDNA合成はIGF-Iの方が効率がよいことが判明した。このことに基づいて、本論文ではMAPキナーゼカスケード以外にDNA合成に関わる可能性のあるものとしてPI3-キナーゼの活性化の問題を取り上げた。

 まずPI3-キナーゼの特異的阻害物質と考えられているwortmannninで前処理した後DNA合成を測定した。p42 MAPキナーゼのゲルシフトに影響を与えない濃度のwortmannin処理においてIGF-I,EGFいずれの刺激においてもDNA合成は部分的ではあるが阻害されたことから、PI3-キナーゼがMAPキナーゼカスケードとは独立してIGF-I・EGF受容体チロシンキナーゼの増殖作用に関わる可能性が示唆された。

 次にこの知見に基づいて、ヒト培養皮膚線維芽細胞の系ではこの二つの増殖因子受容体情報伝達におけるPI3-キナーゼの活性がどのようなアダプター分子と結合してるのかを検討した。その結果、IGF-I情報伝達においては、抗リン酸化チロシン抗体により免疫沈降されるPI3-キナーゼ活性と抗GRB2抗体で免疫沈降される活性は高いが抗SHPTP2抗体で免疫沈降される活性は非常に弱い。ウエスタンブロットでは抗p85PI3-キナーゼ抗体、抗GRB2抗体免疫沈降分画には主として185kDaのチロシンリン酸化蛋白が同定され、IGF-I刺激によりIRS-1とp85あるいはGRB2が効率よく結合することが明らかであった。しかしIGF-Iで刺激しても抗SHPTP2抗体免疫沈降分画にはチロシンリン酸化蛋白は同定されなかった。

 これに対し、EGF情報伝達において、活性化されるPI3-キナーゼは抗リン酸化チロシン抗体、抗GRB2抗体で共沈するものはIGF-I刺激におけるそれよりも有意に小さいにも関わらず、抗SHPTP2抗体で共沈する活性はむしろIGF-I刺激で得られたSHPTP2結合活性を上回った。このことから、IGF-I受容体と違って、EGF受容体ではSHPTP2を主体とする複合体にPI3-キナーゼ活性が結合することが示唆された。実際ウエスタンブロットで検討すると、EGF刺激では分子量約115kDa,105kDaの二つのチロシンリン酸化蛋白がSHPTP2とp85PI3-キナーゼに結合した。この二つの蛋白は、Yamauchiらによりすでに報告されているEGFによりチロシンリン酸化されてSHPTP2と結合する蛋白pp115/pp105と同一である可能性が高い。しかしながら彼らの報告と異なる点は1)p115/p105はEGF刺激によりGRB2とも複合体を形成する、2)PI3-キナーゼp85サブユニットを結合することの二点である。またこの二つのチロシンリン酸化蛋白は活性化EGF受容体やチロシンリン酸化されたShcとは共沈されず、安定した複合体を形成しているEGF受容体-GRB2、Shc-GRB2複合体とは独立した複合体を形成することが示唆された。

 以上から、ヒト培養皮膚線維芽細胞におけるPI3-キナーゼ活性化のメカニズムとして、IGF-I受容体情報伝達ではIRS-1が受容体の直接的基質となりIRS-1-[p85 and/or GRB2]複合体を主として形成する。これに対しEGF受容体情報伝達ではこれまで報告のなかったSHPTP2-[p115 and/or p105]-p85-GRB2複合体を介すると考えられた。

審査要旨

 本研究は、ヒトの遺伝疾患の解析にしばしば用いられるヒト培養皮膚線維芽細胞の系を用いて、insulin-like growth factor-I(IGF-I)、epidermal growth factor(EGF)という二つの代表的な増殖因子の情報伝達におけるphosphatidylinositol(PI)3-kinaseの役割について検討したものであり、以下の結果を得ている。

 1 PI 3-kinaseに比較的特異的な阻害剤であるwortmanninで細胞を前処理したのちにIGF-IまたはEGFで細胞を刺激すると、MAP kinaseの活性が抑制されないにも関わらず細胞のDNA合成が部分的に抑制された。このことから、ヒト培養皮膚線維芽細胞ではIGF-I、EGFいずれに関してもPI3-kinase活性がMAP kinase活性とは独立して細胞増殖作用に必要であることが示された。

 2 細胞をIGF-Iで刺激したのち可溶化成分を抗リン酸化チロシン抗体、抗GRB2抗体、あるいは抗SHPTP2抗体で免疫沈降した分画においてPI3-kinase活性を測定し比較したところ、抗リン酸化チロシン抗体および抗GRB2抗体分画においては非刺激時と比べて5倍から10倍の高いPI3-kinase活性が共沈された。ところが抗SHPTP2抗体分画においては非刺激時の2倍程度、抗リン酸化チロシン抗体分画や抗GRB2抗体分画で得られた最大活性の10分の1程度の低い活性しか得られなかった。これらから、IGF-Iで刺激した場合にはチロシンリン酸化蛋白にPI3-kinase活性が結合し、そのかなりの部分がGRB2と結合していること、一方SHPTP2にはごく一部しか結合していないことが示された。

 3 一方、細胞をEGFで刺激して同様にPI3-kinase活性を免疫沈降した場合には、抗リン酸化チロシン抗体分画、抗GRB2分画、抗SHPTP2抗体分画の三者においてほぼ等しいPI3-kinase活性が共沈された。IGF-I刺激で得られた活性と比較して、SHPTP2抗体分画中の活性はEGF刺激の場合の方が高かった。このことから、EGF刺激によるPI3-キナーゼ活性化についてはIGF-Iと異なって、むしろSHPTP2を主体とする蛋白複合体にPI3-kinase活性が結合することが示唆された。

 4 上記の結果から、特にSHPTP2結合性チロシンリン酸化蛋白がIGF-I情報伝達とEGF情報伝達とで異なっている可能性を考え、ウエスタンブロット法を用いてその違いを検討した。その結果、IGF-I刺激によりinsulin receptor substrate-1(IRS-1)が主としてチロシンリン酸化されるが、これは抗SHPTP2抗体では免疫沈降されず、IRS-1とSHPTP2はほとんど結合していない、またそれ以外にSHPTP2に結合する蛋白も同定されなかった。一方EGFで刺激した場合には、抗リン酸化チロシン抗体分画中にEGF受容体をはじめとした複数のチロシンリン酸化蛋白が同定されるが、そのうち分子量115kDa,105kDaの二つのチロシンリン酸化蛋白(p115、p105)がSHPTP2と結合していた。なおEGF受容体自身はSHPTP2とはほとんど結合しておらず、またSHPTP2自身はチロシンリン酸化を受けていない。以上からIGF-Iによってチロシンリン酸化される蛋白とSHPTP2とはほとんど関連がなく、p115・p105は結合しないと考えられるのに対して、EGFではp115・p105の二つのチロシンリン酸化蛋白がSHPTP2と結合することが示された。

 5 さらに、細胞をIGF-IまたはEGFで刺激し、抗PI3-kinase p85 subunit抗体で免疫沈降した分画と抗GRB2抗体で免疫沈降した分画とで共沈されるチロシンリン酸化蛋白を比較した。IGF-Iで刺激した場合にはp85と結合する蛋白は主としてIRS-1であるが、p115・p105に相当する蛋白は同定されなかった。これに対してEGFで刺激した場合にp85と結合するのは分子量115kDa、105kDaの二つの蛋白であった。これは実際EGF刺激によりSHPTP2と結合するp115・p105と全く同じ易動度を示した。さらにEGF刺激でGRB2と結合するチロシンリン酸化蛋白の中にもp115・p105と同じ易動度の蛋白が存在した。以上、IGF-I刺激によりp85と結合するのはIRS-1でありp115・p105との結合は同定できない。それに対してEGFで刺激した場合にはp85とp115・p105が結合し、このp85-p115・p105-SHPTP2からなる複合体が同時にGRB2にも結合することが示された。このp115・p105はEGF刺激によりチロシンリン酸化されてPI3-kinaseを結合することが知られている120kDaの蛋白c-Cblとは異なる蛋白であることがウエスタンブロットにより示された。

 以上本論文は、初代培養から得た、比較的生理的に近いヒト培養皮膚線維芽細胞においてPI3-kinaseがIGF-I・EGFいずれの増殖作用にも必要であることをはじめて示した。またIGF-I・EGFそれぞれによるPI3-kinase活性化の機構が異なっていることを同じ細胞の上で明らかにし、そのなかでもEGFによるPI3-kinase活性化をもたらす分子複合体としてSHPTP2結合蛋白p115、p105を同定した点は、ほかの細胞系でも報告のなかった新しい知見である。本研究はヒトの細胞内情報伝達の機序の解明、あるいは遺伝疾患における成長障害・早老などと増殖因子作用との関連を解析する上で重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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