学位論文要旨



No 213840
著者(漢字) 河野,寿夫
著者(英字)
著者(カナ) カワノ,トシオ
標題(和) 重症胎便吸引症候群に対するサーファクタント洗浄療法の効果
標題(洋)
報告番号 213840
報告番号 乙13840
学位授与日 1998.04.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13840号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 花岡,一雄
 東京大学 助教授 上妻,志郎
 東京大学 助教授 岩田,力
 東京大学 助教授 田上,恵
 東京大学 講師 松瀬,健
内容要旨 <目的>

 胎便吸引症候群(MAS)は、胎便の混入した羊水を下気道に吸引することにより生ずる呼吸障害であり主として成熟児に見られる。気胸、気縦隔などのair leakや新生児遷延性肺高血圧症(PPHN)などを併発し、呼吸管理に難渋する。特に、PPHN併発時の予後は悪く、通常の治療法では救命できず体外式膜型人工肺(ECMO)による治療の適応となる症例も多い。周産期治療の進歩にともない胎便吸引症候群の発症は減少していると考えられるが、重症例はまだ多く存在し、予後不良の症例も多い。

 サーファクタント洗浄療法は、動物実験で有効性が認められ、重症なMAS症例でもPPHNの発症を抑え、侵襲の大きいECMO適応とならずに治療できる可能性のある点、さらに、ECMOのように特定の施設や熟練した医師によってのみ施行可能な治療法と異なり、新生児の管理の可能な施設でも容易に行うことが可能である点で優れた治療法と考えられる。また、欧米で行われ始めたMASに対するサーファクタント補充療法に比べても、洗浄効果が良好で物理的な気道の閉塞の解除に効果的であるとともに、高価なサーファクタントの使用量を大幅に節約できる点で経済的にもはるかに有利であると考えられる。しかし、MAS症例に対するサーファクタント補充に関するデータは報告され始めているが、サーファクタント洗浄療法の効果に関してはまとまった評価、報告が見られない。わが国で多施設からなる比較検討試験が進行中ではあるが、まだ結論は出ていない。われわれは、1992年より、サーファクタント洗浄療法を施行しており、有効であるとの印象をもっている。そこで、われわれの経験したMASの症例で、サーファクタント洗浄療法を行った症例と、サーファクタント洗浄療法開始以前の症例につき比較を行ない、サーファクタント洗浄療法の有効性につき検討した。

<対象と方法>

 対象は、国立小児病院新生児科に入院し、MASと診断し人工換気療法を行った症例の中から、在胎週数38週以上、出生体重2000g以上の児で、最大吸気圧が25cmH2O以上を必要とした重症症例のみを検討の対象とした。サーファクタント洗浄療法は1992年より開始しており、この条件に該当する症例は17例であった。これをサーファクタント洗浄施行開始後(II期)とし、それ以前で同じ条件を満たす症例17例をさかのぼって抽出し、サーファクタント洗浄療法開始前(I期)として、I期、II期間でサーファクタント洗浄療法の効果につき比較検討を行った。検討項目は、検査所見、換気条件、治療内容、合併症、予後についてである。サーファクタント洗浄施行例については、洗浄前後の血液ガスの値についても検討した。サーファクタントによる洗浄方法は、板倉ら、Ohamaらによる動物実験の方法を参考にサーファクタント1バイアル(120mg)を生食水20mlに希釈し、サーファクタント40-60mg/kg相当を4-5回に分割し注入、吸引を繰り返し行なった。この間の換気は、100%酸素にて用手換気によった。

<結果>

 I期、II期の平均体重はそれぞれ3.01±0.38kg、3.22±0.47kgで、在胎週数の平均は41.0±0.9週、40.7土1.1週であり両群に差はなかった。また、分娩様式、胎児仮死、APGAR scoreなどにI期、II期間に差は認められなかった。

 合併症:気胸、気縦隔の症例はI期は8例で、II期は6例であった。PPHNの合併はI期12例、II期4例で、II期が有意に少なかった(P<0.01)。

 検査所見:CRP値はI期、II期とも日令2-3にピークが見られ、以後減少した。1週間以内の白血球数はI期、II期とも高値を取ったが、血小板数はあまり変化は見られず、ともに有意差は認められなかった。

 治療に使用した薬剤:I期、II期ともおおむね同じであった。ただし、I期にPPHNの合併症が多かったために血管拡張剤の使用が有意に多かった

 換気条件:I期とII期との間で、生後1週間以内の酸素濃度、人工換気条件(PIPとMAP)には差は認められなかった。I期、II期とも、MAPは日令0から日令2までほとんど同じ13cmH2O前後で管理しており、酸素濃度も80%前後と下げられていない。

 人工換気療法の日数:I期17.6±9.3日、II期群13.8±11.6日とII期で短かったが有意差はなかった。

 酸素投与日数:I期25.4±15.4日、II期13.5±5.9日とII期が有意に短かった。(P<0.01)、

 入院期間:I期45.6±14.4日、II期31.8±15.13日とII期群が有意に短かった(P<0.05)。

図表

 サーファクタント洗浄前後のPO2,PCO2:サーファクタントの効果を判定するためにII期の症例の洗浄前後のPCO2につき検討したところ、サーファクタント前の値に比し有意に後が低下していた。(P<0.05)PO2に関しては症例数が少なく有意差は出なかったが、サーファクタント洗浄後が高い傾向にあった。

 ECMOに関する検討:ECMOの行われた症例は、I期でECMOの施行が始まった1988年以降の症例14例のうち5例に施行され、II期の17例の内1例に行われた。II期が有意に少なかった(P<0.05)。ECMOの適応の理由は、I期5例はPPHNの管理のためで、II期の1例は換気不全のためであった。

 oxygenation index(OI)、AaDO2から、ECMOの適応の可能性のある症例につき検討を加えたところ、該当する症例はI期6例、II期5例であった。I期6例の内、1例はトラゾリンが著効し、改善した。他の5例は、すべてECMOの適応となった。II期5例のうち1例はECMOの適応となったが、2例はHFOによる換気にて改善、1例はサーファクタントの追加投与とHFOによる換気にて、1例はサーファクタントの追加投与とNO吸入により改善している.

 予後:生命予後は良好で、全例呼吸器から離脱し、酸素も中止できた。神経学的予後に関しては退院後フォローアップのできたI期13例中脳性麻痺(CP)、精神発達遅滞(MR)が3例、II期16例中2例認められる。I期のECMOの適応となった症例には、退院時のABRにては正常の反応がでていたにも関わらず、後日ABRに無反応となり、高度の難聴なった症例が4例認められた。

<考案>

 重症MAS症例のサーファクタント希釈液による洗浄療法は、単なる投与と異なり、サーファクタントの使用量も少なくてすみ、気管内の胎便を洗い出す洗浄効果と洗浄によるサーファクタント機能低下の改善の両者が達成できることから有力な治療と考えられている。また、胎便の洗い出しに関しても、従来行われていた生食水による洗浄に比べ、種々の利点があると考えられる。

 今回の検討で、I期、II期間で、人工換気の期間には有意差が認められなかったが、酸素投与日数、入院期間は有意に短縮されており、サーファクタント洗浄療法は、今後期待される治療と考える。また、PPHNの併発を抑え、侵襲の大きなECMOの適応の減少つながることから、今後重症MASの治療の中心となると考えられる。

 問題点として,II期の症例で、サーファクタントによる肺洗浄後に引き続き高い換気圧、酸素濃度での換気が必要であったことは、洗浄後もサーファクタント欠乏、サーファクタントの不活性化によるARDS様の病変が引き続き存在していることが考えられた。この点からも、サーファクタント洗浄後HFOによる換気を行うことは、PPHNの予防のみならず、肺損傷の増悪を防ぐ意味で意義があると考える。HFOによる換気だけでなく、サーファクタントの追加補充もまた病態面から考えても有用である思われる。

 予後に関しては、I期、II期間で差は認められなかったが、I期でECMOを行った症例に難聴の症例が見られており、今後の注意深いフォローアップが必要と思われる。

審査要旨

 本研究は、新生児期の重篤な呼吸障害の一つである胎便吸引症候群(MAS)に対する新しい治療法であるサーファクタント洗浄療法の効果を判定するため、MASと診断し人工換気療法を行った症例の中から重症症例のみを検討の対象とし比較検討を行ったものであり、下記の結果を得ている。

 1.サーファクタント洗浄療法開始前(I期)、サーファクタント洗浄施行開始後(II期)の症例の比較を行ったところ、人工換気の期間にはI期、II期間で、有意差が認められなかったが、酸素投与日数、入院期間はII期で有意に短縮されており、さらにII期においてMASの重篤な合併症である新生児遷延性肺高血圧症(PPHN)の合併が有意に少なく、侵襲の大きな体外式膜型人工肺(ECMO)の適応の減少つながったことが示された。

 2.サーファクタント洗浄の効果を判定するため、II期の症例の洗浄前後のPCO2、PO2を比較したところ、PCO2はサーファクタント前の値に比し有意に後が低下しており、PO2に関してもサーファクタント洗浄後が高い傾向にあった。また洗浄後の胸部X線写真の改善が見られたことが示された。

 3.I期、II期ともに生命予後は良好で、全症例呼吸器から離脱し、酸素も中止でき、神経学的予後に関してもI期、II期間に差異が見られなかったが、I期のECMO施行となった症例に高度の難聴なった症例が認められ、今後の注意深いフォローアップが必要性が示された。

 4.問題点として、II期の症例においても、サーファクタントによる肺洗浄後も高い換気圧、酸素濃度での換気が必要であり、洗浄後もサーファクタント欠乏、サーファクタントの不活性化によるARDS様の病変が引き続き存在することが示された。この点からも、サーファクタント洗浄後肺損傷の少ないHFOによる換気を行うことは、PPHNの予防のみならず、肺損傷の増悪を防ぐ意味で意義があることが示された。また、サーファクタントの追加補充もまた病態面から考えても有用である可能性が示唆された。

 最近、MAS症例に対するサーファクタント補充に関する臨床報告は散見されるが、サーファクタント補充に比べ経済的でより有用と注目され始めたサーファクタント洗浄療法に関する臨床でのまとまった評価、報告は見られない。本研究は多数の重症MAS症例の検討から、サーファクタント洗浄療法の有効性、問題点を見い出しており、重症MASの病態の解明、治療に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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