学位論文要旨



No 213843
著者(漢字) 笠原,宏一
著者(英字) Kasahara,Hirokazu
著者(カナ) カサハラ,ヒロカズ
標題(和) 植物の成長におよぼす疑似微小重力と過重力の影響の解析
標題(洋) Effects of Microgravity and Hypergravity on Plant Growth
報告番号 213843
報告番号 乙13843
学位授与日 1998.04.23
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第13843号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 庄野,邦彦
 東京大学 教授 浅島,誠
 東京大学 教授 大森,正之
 東京大学 教授 近藤,矩朗
 東京大学 助教授 箸本,春樹
内容要旨 1.はじめに

 植物の成長と重力の関係は、昔から多くの研究者の関心を集めてきたが、現在までその作用機構の全容は解明されておらず、植物生理学において非常に研究が難しい分野の一つである。その原因の一つとして、重力の影響を調べる実験には不可欠な「種々の重力条件」を設定することが困難なことが挙げられる。植物の成長に対する重力の影響を調べた従来の研究では、1)植物を横や倒立にし、植物の成長方向などの変化を観察する、2)植物の伸長方向を軸にし、その軸を水平にして回転させる(1軸クリノスタットの使用)、3)遠心機を用いて、短時間に大きい遠心力を作用させ、その後の成長の変化を観察する、などの方法が採られてきた。

 しかし、これらの実験手法に対しては、次のような問題点が考えられる。

 1)成長に十分な期間、植物を一定の重力環境下におく必要がある、2)地球の衛星軌道を周回する衛星上において高精度の微小重力環境が得られるが、スペースシャトル等を利用する実験機会は非常に少ない、3)重力ベクトルの影響を完全に打ち消すためには、クリノスタットの回転軸は1軸だけでは不十分であり、もう1本回転軸を加え植物体を3次元的に回転させることが必要である、4)大きな遠心過重力の影響の他に、1×g近くの過重力環境下での植物の成長を調べることが重力と植物の成長との関係を解明する上で重要である。

2.装置と植物材料

 植物の成長に対する種々の重力条件の影響を解析するため、本研究ではまず、3次元クリノスタットと遠心過重力負荷装置を新たに開発した。3次元クリノスタットは、2つの回転軸の回転方向および回転速度をコンピューターの発生する乱数によりランダムに変化させることにより、植物体を3次元的に回転させる。試料ステージを大きく取ることにより、これまでの装置と比較して多くの試料を一度に処理することを可能とした。また試料ステージ上に100Vの電源を供給し、試料に対し長期間の光照射を可能とした点などが特徴である。遠心過重力装置においては、回転軸を通して試料バケットに電力を供給し、植物に長期間(1週間以上)の連続的な遠心・光照射処理が行えるようにした。回転半径は最大300mmとし、大型の試料を搭載できるようにした。本装置は回転速度の調節により1×gから20×gまでの過重力を植物に作用させることができ、またバケットの取り付け方向を変えることにより、植物に負荷する過重力の方向を変えることができる点が特徴である。

 3次元クリノスタットは大阪市立大学の増田教授らのグループとともに作製し、遠心過重力装置は宇宙科学研究所の山下助教授とともにデザインを考案し、作製した。

 これらの装置を用いて植物の成長に対する重力の影響を調べるために、植物材料としてホウライシダを使用した。ホウライシダの発芽初期の原糸体成長期には、赤色光照射により原糸体は細胞分裂を起こさずに単一の細胞として胞子から光源方向へ線状の細胞として伸長する。この材料は、単一細胞であること、発芽や原糸体伸長、細胞分裂の制御が光照射により可能であり、さらに光学顕微鏡下で観察が容易である点等を考慮し、モデル植物として用いた。また、種々の重力環境の植物の成長に対する影響を生化学的に調べるために、高等植物であるキュウリおよびダイコンの芽ばえを材料とした。

3.ホウライシダ胞子の発芽および原糸体伸長におよぼす疑似微小重力の影響

 ホウライシダ胞子を寒天培地上に播種し、上からの光照射、下からの光照射、3次元クリノスタットにおける疑似微小重力環境下で発芽率を比較したところ、大きな差は見い出されなかった。また赤色光を6日間連続照射し、原糸体伸長速度を測定した。培地を水平に静置し培地面と平行に光照射した対照に対し、垂直に固定した培地の上方から光照射した条件では伸長速度は変化しなかったが、下方から光照射した条件では原糸体伸長が促進された。一方、3次元クリノスタットにおける微小重力環境下では伸長抑制が見られた。原糸体伸長方向および白色光照射により誘導される細胞分裂は重力条件により影響を受けなかった。

4.ホウライシダ原糸体伸長および形態形成におよぼす過重力環境の影響

 新規開発した遠心装置を用い、ホウライシダ原糸体に連続光照射および過重力を作用させながら6〜8日間培養し、原糸体の伸長成長およびその形態について検討した。光源方向に伸長する原糸体に対して求基的に負荷した過重力は、対照(Basi1×g;"Basi"は植物に対してbasipetallyに重力が作用する条件を示す)に比べてBasi20×gまでの範囲で伸長成長を抑制した。その伸長抑制は負荷する過重力が大きいほど、また処理時間が長いほど大きくなった。胞子から原糸体先端方向へ求頂的に負荷する過重力条件では、Acro8×g("Acro"は植物に対してacropetallyに重力が作用する条件を示す)までは伸長が促進されたが、Acro13×gでは対照(Acro1×g)との差が見られなくなった。赤色光を6日間照射した後、白色光を照射し、その後48時間に誘導される細胞分裂率を測定した。Basi1×g、Acro1×g、Acro13×gの各条件に対してBasi20×g条件では細胞分裂が抑制された。さらに過重力環境下では原糸体が二股や三つ股に分岐した通常とは異なる形態を示す個体が見られ、それらの割合は過重力が大きいほど、また処理日数が長いほど増加することが見い出された。

5.キュウリおよびダイコン芽ばえ下胚軸の伸長成長におよぼす過重力の影響

 ダイコン芽ばえ下胚軸の伸長成長は遠心過重力環境下(Basi20×g)で抑制されたが、キュウリ下胚軸はBasi20×gおよびAcro13×gの両条件で抑制された。また下胚軸生重量には顕著な変化は認められなかった。このことは下胚軸の単位長さ当たりの生重量-すなわち太さ-が増加したことを示している。ダイコン下胚軸の太さはBasi20×gで増加したが、キュウリではAcro13×gおよびBasi20×g条件下で増加した。次に、下胚軸の細胞壁組成に対する過重力の影響について検討した。過重力の負荷により細胞壁を構成するペクチン、ヘミセルロースおよびセルロース各成分の単位長さ当たりの量は増加し、細胞壁が厚くなることが明らかになった。しかし、細胞壁多糖類の構成糖の比率は両植物種とも顕著な影響を受けなかった。

6.過重力環境下におけるキュウリ下胚軸からのエチレン生成の増加

 キュウリ芽ばえ成育容器中のエチレン濃度は過重力処理(Basi20×g)により増加した。下胚軸組織中の1-aminocyclopropane-1-carboxylic acid(ACC;エチレンの前駆体)含有量およびACC合成酵素の測定により、過重力環境下においてエチレン生成が促進されることが明らかになった。また、ACC合成阻害剤である2-aminoethoxy-vinylglycine(AVG)で芽ばえを処理したところ、過重力の負荷により芽ばえ下胚軸が太くなる傾向が抑制された。これらの結果より、過重力環境下でのキュウリ芽ばえ下胚軸の太さの増加にはエチレン合成の促進が関与していると結論された。

7.むすび

 本研究では新規に開発した3次元クリノスタットおよび遠心装置を使用し、光照射下における疑似微小重力および20×gまでの過重力環境下における植物の成長を解析した。微小重力環境および過重力環境下ではホウライシダ原糸体の伸長成長が抑制された。さらに過重力環境下では通常とは異なる形態の原糸体が過重力の大きさおよび処理期間に比例して増加した。また高等植物を用いた実験では、過重力環境下でキュウリ芽ばえの下胚軸が太くなる現象がみられ、これは過重力刺激によるエチレン生成の促進によるものであることが明らかになった。

審査要旨

 植物が重力方向に対し一定の関係で屈曲するという重力屈性の問題は、古くから多くの人の関心を呼び重要な研究課題として繰り返し取り上げられてきた。しかし、現在に至るまで、植物の重力に対する応答機構は不明な点が多い。その一つの原因は一定の重力環境にある地球上で、種々の重力条件を設定することが困難であるためと考えられる。近年、宇宙への関心が高まる中で、微小重力や過重力条件下など、地球上の重力環境以外の重力条件下で生物が受ける影響やそれらの重力条件に対する生物の応答機構の解析が求められている。

 本論文提出者は、光条件下で、植物を長時間、種々の重力条件下で育てた時の植物の応答とその応答機構を解析することを目的として研究を行なった。重力条件の設定には、地球の衛星軌道を周回する衛星上において、高い精度の微小重力が得られ望ましいが、スペースシャトルを利用する機会は限られており、可能な実験の種類も限られている。また、それに代わるものとして、従来より使用されてきた疑似微小重力条件を設定するクリノスタットや遠心機は論文提出者が目的とする条件を充たすのには十分でない。そこで、論文提出者はまず目的に合う三次元クリノスタットや遠心過重力負荷装置を開発し、その装置を用いて種々の重力条件の影響を調べ、解析した。その結果は4章にまとめられている。

 第一章では、二つの回転軸の回転方向および回転速度をコンピューターの発生する乱数によりランダムに変化させ、植物体を3次元的に回転させることで疑似微小重力条件下におけ、かつ、長時間、光照射可能な3次元クリノスタットを大阪市立大学の研究者と協同で製作し、それを用いた結果が記されている。植物材料としては、ホウライシダの胞子と発芽初期の原糸体を用いている。ホウライシダの発芽初期では、一定方向からの赤色光照射により、原糸体は細胞分裂をおこさずに光源方向に単一の細胞として伸長する。白色光照射で細胞分裂が誘導され、伸長成長と細胞分裂の制御が可能で、さらに顕微鏡観察も容易であるという理由で材料として選ばれた。実験結果は静置した培地上では赤色光照射の方向によっては伸長の促進が見られるのに対し、3次元クリノスタットによる疑似微小重力下では伸長の抑制が見られた。また、疑似微小重力によって胞子の発芽、赤色光光源方向への伸長方向、白色光による細胞分裂は影響を受けなかった。

 第二章では宇宙科学研究所の研究者の協力で得て、本論文提出者が考案、設計した遠心過重力負荷装置を用いて、ホウライシダの胞子および発芽初期の原糸体に対する影響を調べた結果が書かれている。新しく製作した装置は1週間以上の長時間、連続的な遠心と一定方向からの光照射が可能で、回転速度により1xgから20xgまでの過重力を植物にかけることができる。また、バケットの取り付け方向を変えることで植物に負荷する過重力の方向を変えることができるという特徴もある装置である。この装置を用いてホウライシダの原糸体の伸長成長および形態に対する過重力の影響を調べた結果、光源方向に伸長する原糸体に対し求基的に負荷した過重力は対照(1xg)に比べ20xgまでの範囲で伸長を抑制した。その抑制は負荷する過重力が大きいほど、また処理時間が長いほど大きくなった。それに対し、原糸体先端方向へ求頂的に負荷する過重力は8xgまでは伸長を促進し、13xgで対照と差がなくなった。このように過重力の方向で植物の伸長に対する影響が異なるという新知見を得ている。また、白色光による細胞分裂の誘導に対しては、求基的に負荷した20xgの過重力が抑制的に働くことを見出した。さらに、過重力条件下で原糸体が二股や三股に分岐した、通常とは異なる形態を示す個体が著しく増加した。異常形態の頻度は過重力の負荷が大きいほど、また処理時間が長いほど顕著であった。

 第三章では、第一章と第二章でホウライシダの原糸体を用いて行なわれた、新しく開発した装置の評価をふまえて、本研究の本来の目的である、多細胞の高等植物に対する重力の影響がダイコンとキウリで検討されている。その結果、ダイコンの下胚軸は求基的に負荷した20xgの過重力環境下で、また、キウリの下胚軸は求基的に負荷した20xgの過重力と求頂的に負荷した13xgの過重力で伸長成長が抑制された。しかし、下胚軸の全生重量は変化せず、単位長さ当りの生重量が増加した。すなわち、太さが増加したことを意味しているが、単位長さ当りの細胞壁を構成するペクチン、ヘミセルロースおよびセルロースの量が増加し、細胞壁が厚くなっていることが示された。しかし、細胞壁多糖類の構成糖の比率は顕著な影響を受けていない。

 第四章では、第三章で得られた下胚軸の伸長成長が抑制され、太さが増大するという現象が植物ホルモンであるエチレンの作用と類似しており、過重力の影響がエチレンの生成を介して行なわれている可能性が検討されている。キウリの芽生えを用いて、求基的に負荷を与えた過重力(20xg)処理した場合、キウリ芽生えの成育容器中のエチレン濃度の上昇、下胚軸組織中のエチレン生合成前駆体1-aminocyclopropane-1-carboxylic acid(ACC)含量の増加、ACC合成酵素活性の上昇が見られた。また、エチレン生合成阻害剤である2-aminoethoxyvinylglysineによって、過重力の負荷による芽生え下胚軸の太さの増加が抑制された。これらの結果より、過重力環境下において、キウリ芽生えの伸長成長の抑制、および、下胚軸の太さの増大にはエチレンが関与すると結論した。

 第一章、第二章で得られた知見は、一定方向からの光照射が可能な3次元クリノスタットや遠心過重力装置の開発があって初めて得られたものである。光条件下で成育した植物を長時間疑似微小重力下や過重力条件において影響を見た研究は、今までに成されておらず、ここで得られた新知見もこれら装置の開発に負うところが大きい。装置の開発では特に一定方向からの光照射可能な遠心過重力負荷装置は、宇宙科学研究所研究員の協力は得ているものの、本論文提出者が考案、デザインして製作したもので、その寄与は大きい。このように、本研究は、論文提出者、笠原宏一氏が主体性をもって行なったものであり、笠原宏一氏が提出された本論文は東京大学大学院課程による学位、博士(学術)の授与に相相応しい内容と判定した。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50702