学位論文要旨



No 213844
著者(漢字) 春名,宏昭
著者(英字)
著者(カナ) ハルナ,ヒロアキ
標題(和) 律令国家官制の研究
標題(洋)
報告番号 213844
報告番号 乙13844
学位授与日 1998.05.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第13844号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 大津,透
 東京大学 教授 佐藤,信
 東京大学 教授 石上,英一
 東京大学 助教授 新田,一郎
 お茶の水女子大学 教授 窪添,慶文
内容要旨

 日本がどのような国家を構築しようとしたかという問題は,日本古代史を理解する糸口の一つである。律令国家を運営する主体は「天皇」(=天皇・太上天皇と令制中宮)と官僚機構であり,官僚機構がどのようなシステムの下に編成されているかということを具体的に検証することにより,律令国家の具体像が多面的に理解できるものと思う。

 第I論文「律令官制の内部構造-八省体制の成立-」では,現在ではほぼ尽くされた感のある官僚機構もしくは個々の官司に関する研究に新たな展開をもたらすため,それぞれの官が有する位(くらい)に注目した。官の位の本質は,その官に付与された職務権限の大きさの指標であり,律令国家の官制システムは,政治的判断を行う「議政官」と称された三位以上官の下に,四位官たる八省卿が様々な政務を総括し,五位官がこれを補佐して,六位官と七位以下官が各官司の実務を遂行するものであり,職・寮・司という被管官司の規模の格差は,各官司に付与された職掌の重要度に対応していた。

 また,大化改新から平安時代までを大きく官制の発展過程ととらえて,大化の段階で律令官制の基本構造がすでにある程度成立しており,職掌内容の充実がはかられていく中で八省体制が成立し,その一方,大化前代の職掌を引き継ぐかたちで次々に成立した原初的官司は,前代の性格を一部に残しながらも,令制官司としての条件を整備していき,官僚機構の中で重要な地位を獲得した官司が職・寮となったことを明らかにした。

 以上のごとき基本的な内部構造に対して,律令官制には例外的に,特異な構造を有する官司があったり,また,四等官には組織されない品官が見られ,さらに品官が被管とは異なる別局構造を取る場合もあった。第II論文「神祇少副について」では,神祇官が中宮職と同じ官制構造を取りながらも,正六位上官として少副を置いた例外的事実に注目した。神祇官が祭官から神官を経て,広く国家祭祀を掌る官司になる中で,前代からの太陽神祭祀をも管掌するために,祭主に就く中臣氏のために少副が置かれたのである。

 第VI論文「内薬侍医について」では,内薬侍医が所属する内薬司もしくは典薬寮に干渉されることなく職務を遂行しており,そのような自由な職務遂行を保証する地位こそが品官であったことを指摘した。また,平安時代に行われた官司の統廃合は,奈良時代に充実した官制システムのさらなる発展的政策であったこと,官司間の関係は所管・被管関係だけでなく様々な関係が随事設定されていたことを併せて明らかにした。

 第V論文「監物小考」では,監物が典鑰・主鑰と相互監視的な関係を保ちつつ天皇=国家が保有する調庸物の出納業務に重要な役割を果たしたこと,そのような重要な職掌を担う監物に権力が集中し国家機構の権力バランスが偏重をきたす危険性を回避するために,監物は中務省の品官・別局として配置されたことを明らかにした。

 官制の発展過程という側面では,第III論文「知太政官事一考」において,国家は大臣になりうるような高級官僚の養成に力を入れながらも拙速な人材養成は避け,大臣職代行の機能を親王・孫王に期待して知太政官事を創設し,新大臣の任命後は太政官の一員として機能する柔軟性を付与して円滑な国家運営を実現したことを明らかにした。

 また第IV論文「草創期の内覧について」では,内覧は天皇への奏上を独占する役職・権限で,摂政・関白は内覧の権限を強化して成立した役職であり,これらはあくまでも官僚の突出した一形態であって,このようにほとんど官僚機構だけで実質的に国家運営が行えるようになった状況は,官僚機構の発展過程の最終形態であることを指摘した。

 一方,地方に目を転ずると,大宰府の特異な位置づけが注目される。第VII論文「鎮西府について」では,鎮西府の置廃を糸口に,大宰府は外交・軍事を掌った筑紫大宰を継承すると同時に,筑紫嶋(=九州島)の民政を掌った筑紫総領の性格をも併せ持ったこと,大宰府が筑前国を管したことは筑紫大宰の経済的基盤に由来するもので,摂津職・和泉監・河内職および鋳銭使と同じく一国の全調庸物を経済的基盤として消費するシステムであったこと,さらに,このような独自の経済的基盤を放棄し,西海道諸国の調庸貢納の上に存立する体制を取った時,はじめて大宰府が「遠の朝廷」(=小中央政府)たりえたことを明らかにした。

 第VIII論文「仗小考」では,従来の通説的理解に疑問を挟むことから,仗は軍政面をも担当することが期待された一種の員外史生であり,その性格づけには補任手続きにおける天皇の役割が極めて大きかったことを明らかにした。

 第IX論文「内侍考-宣伝機能をめぐって-」では,女性官僚の代表例として内侍を取り上げた。国家官僚機構は男性官僚と女性官僚とが共同して運営したが,従来の研究は男性官僚機構のみに限定されがちで,何ら根拠もなく女性官僚の役割を軽視していたのは,女性官僚に関する理解が不十分だったことに起因する。そこで,詔勅発給過程で内侍と男性官僚とがどのように機能していたかを具体的に検証し,次のような結論を得た。

 内記は中務省の監督下にはなく,内侍〔掌宣伝〕の指示を受けて詔勅を起草し,(詔書の場合は御画日を得た上で)それを中務省に伝えた。中務省〔掌宣旨〕は,天皇の意思を国家意思に昇華させる機能を果たし,起草案を写して太政官に送った(第1次施行)。太政官はそれをさらに写して諸司・諸国に施行した(第2次施行)が,詔書の場合は,大納言〔掌宣旨〕が宣命の場を設定し全官人に天皇の意思を宣告した。

 国家官僚機構は有機的結合を強化すべく,太政官に権力集中をはかる傾向にあり,中務省は大宝令で底(省の留案)と宣(太政官送付案)を作成したが,養老令では底作成が省かれた。また,天皇と男性官僚機構とが直接結びつくシステムに変更される中で,内侍の機能も蔵人に取って代わられ,内侍の役割は極めて縮小したものとなった。

 第X論文「勅符小考」では,勅符も内記が起草し,起草案を受けた太政官(正確には弁官)が施行案を作成したこと,大宝令施行後に詔勅に内印が押捺されるシステムに変更になり,少納言によって(太政官の不干渉下に)起草案が押印されることにより,この手続きが天皇の意思を国家意思に昇華させる機能を果たすにいたったことを明らかにした。

 以上,律令国家の建設に際してはかなり明確なイメージがあり,官僚機構もそれに則したものが構想された。そこでは,システムの根本は先進の中国に学び,極めて合理的かつ組織的な官制が構築された一方で,前代から引き継いだ日本独自の制度も多く盛り込まれていた。これを前代の遺制を払拭できなかったとマイナス評価するのは正しくなく,律令国家が先進的なシステムと日本独自のシステムとを融合させたことこそ高く評価すべきで,奈良・平安時代を通じてしばしば行われたシステムの変更も,漸次生じた不都合に対処するものではなく,継続した発展過程における段階的発展であったと理解すべきである。

審査要旨

 春名宏昭氏の論文『律令国家官制の研究』は、日本律令国家の官僚機構全体の構造を解明したものである。従来の個別の官司研究の限界をこえ、独自の視点で、官制全体に一応の説明をつけた点で出色の研究成果である。

 中核となる第I論文では、官の位という概念を導入し、従来の各官司のタテ割りの考え方でなく、四位官の八省卿のもとに次席官の五位官が補佐し、六位官の実務官と七位以下の雑務官が実務を遂行するという、八省卿に統括される八省体制という構造を明らかにした。大化改新で基本となるプランが成立していて、大化前代の職掌をひきつぐ原初的官司が、その地位に応じて職・寮・司のランクを与えられていったことを述べている。官の位という視点は斬新であり、また唐の有機的な四等官制のあり方を解明したことは、日本の八省卿が統括する体制との類似性を示す一方、分曹制をとらず職寮司など官司を設置したことや、四等官制の内実など、日本の異質性も示そう。

 上述の官制構造の例外を扱ったのが第II・V・VI・IX論文で、神祇官の少副が六位官である例外的構造から、中臣氏と伊勢神宮を管掌する祭主のあり方を鮮やかに抽出する。四等官と別組織である品官については、内薬侍医や内記をとりあげ、所属する内薬司や中務省に干渉されずに自由に職務を遂行したことを説明し、さらに品官のうち別局構造をとる例として監物をとりあげ、調庸物出納という重要な役割を担い、もとは下物職という独立官司だったことを示し、品官や別局は本来重要な官であるが、権力バランスが偏るのを防ぐため官司内官司の形をとったことを解明している。また官司間の関係について、併・被管・管隷などの様々な関係を明らかにしたことは有益であり、平安時代の官制改革を官僚制システムの浸透であると評価している。地方官制については、第VII論文で鎮西府の位置づけを論ずる中で、大宰府は中央八省と同一構造で長官のみを三位官の枢機官として、「遠の朝廷」として位置づけられたことを述べる。

 従来官僚制研究の中心にあった太政官制は検討の対象から外しているが、第III論文では、知太政官事を官僚制の発展という視点から捉え、大臣固有の職掌を解明して、奈良時代には大臣に堪える人材が少なく任命が少なかったことを述べ、第IV論文では、平安時代に成熟する官僚機構の掌握という視点から、天皇への奏上の独占という内覧の機能を中心にすえて、摂政・関白の機能を位置づけている。ともに政争史的視点を排し、制度史として明快な結論を導いている。また第IX・X論文は、国家意志である詔勅の発給プロセスを扱い、特に第IX論文では、女性官僚の内侍の働きを解明し、内記・中務省・大納言の役割の関係、大宝令制と養老令制の差異、平安時代との違いを論ずる。

 論証されず見通しだけが述べられる部分もあり、また職員令順に論文が並べられただけなど不親切さもあるが、日本古代史研究の新鮮味がなく行き詰まった現状の中で、唐制の独自な検討もふまえ、律令官制全体を多角的かつ意欲的に検討し、随所に新たな論点を提供している事は、特筆すべき成果と評価でき、官位令・職員令の律令研究としても出色である。春名氏には別に天皇制に関する一連の優れた論考があり、本論文を得たことにより、新たな古代国家像が示されることが期待できる。

 よって本論文は博士(文学)学位授与に十分値する論文であると判断する。

 試験においては、本論文を中心として質疑応答を重ね、学力検定を行って、論文について判定されたものと等しい学力があると評価することができた。

 以上述べた審査の結果を総合して、博士(文学)の学位を授与するに値するものと認める。

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