本論文は、生物活性を指向した光学活性化合物の合成に関するもので四章よりなる。光学活性を持った有用な生物活性物質を合成するにあたり最も重要なポイントの一つは、如何に簡便に効率よく分子の不斉を導入するかにある。特にそれが医薬や農薬などの合成ルートの開発であれば、それは製造コストに直接関わってくる重要な問題となる。筆者はこの点に着目し、抽出や発酵法では得ることが困難な生物活性を有する光学活性化合物を、有機合成および生体触媒の利用で、従来にない方法で得るルートの確立を行った。 まず序論で光学活性化合物を合成することの意義やこれまでに知られている光学活性体合成法について概説した後、第一章では水カビの精子誘引物質、(-)-サイレニン(1)の合成について述べている。サイレニンは、これまでラセミ体合成と光学分割法を用いた光学活性体合成が報告されているのみであった。筆者は安価な光学活性原料からの合成法の開発を試みている。(-)-ペリルアルデヒド2をキラルな出発原料とし、3を経由してエポキシド4へと導いた後、三員環形成を行い、2環性化合物5を得た。5から二度のWittig反応で側鎖の伸長を行い1を10工程で合成する事に成功した。尚、三カ所の合成中間体に於いて再結晶を行っているため、得られた1は非常に高い化学及び光学純度を有していた。 第2章では、ビタミンEの光学活性な中間体の合成研究について述べている。ビタミンE(-トコフェロール、6)が生体内で効果的な抗酸化活性を発現するには、2位の絶対立体配置が重要であることが知られている。そこで、ビタミンEのキラルなクロマン環を、酵素反応を利用して短工程で調製する方法の開発を検討した。まずトリオール7とトリメチルヒドロキノン8とを塩化亜鉛-塩酸を用いて反応させると一段階でクロマン骨格が構築できることを見出した。生成物のフェノール性水酸基をベンジル基で保護して9とした後、リポプロテインリパーゼ(Pseudomonas由来、以下LPLと略)を触媒として有機溶媒中で無水安息香酸との不斉ベンゾイル化を行うと、目的とする(S)-10が、光学純度99%e.e.以上で回収されることを見出した。市販品からわずか3工程での高効率的調製法となった。 第三章では、N-ベンジル-3-ピロリジノールの光学分割を検討した結果について述べている。光学活性な3-ピロリジノール11は、種々の医薬の合成中間体として利用されている汎用性の高い物質である。そこで酵素反応を利用して、既存の方法より効率的に(R)-3-ピロリジノール誘導体を取得する方法の開発を行った。まず、アマノPを触媒としてトルエンまたはイソプロピルエーテル中で酢酸ビニルによるアセチル化を行うと、N-ベンジル-3-ピロリジノール12が効率良く光学分割(E値100以上)できることを見出した。次にこれをカラム反応に応用し、カラム効率625あるいは813mg/g enzyme/hrで光学分割が可能であることを見出し、連続反応の可能性を示した。また反応濃縮物を、混合物のまま(S)-12に対してのみ立体反転反応を行うことで、光学分割であるにも関わらず化学収率83%、光学純度91%e.e.で(R)-13を得ることに成功した。 第四章では-ブロッカーであるネビボロール(14)の光学活性な重要中間体の合成について述べている。ネビボロール(19)は、(RS/SS)と(SR/RR)のラセミ体であるが、両鏡像体で異なる活性プロファイルが確認され、その両鏡像体合成が求められていた。そこで、既にラセミ体でネビボロールへの合成ルートが確立されているエポキシド15の4種類の立体異性体を合成することを目的に研究を行った。まず16を原料として、プロキラルな17、18を合成した。17はアマノPを用いた不斉加水分解で(R)-19に、また18はリポザイム(固定化リパーゼ)を用いた不斉アセチル化で(S)-19に、どちらも光学純度99%e.e.以上で導いた。19のそれぞれの両鏡像体を、クロマン骨格を持つ20に導き、さらに目的のエポキシドへと変換した。エポキシ化の結果生じたジアステレオマーは、シリカゲルカラムクロマトグラフィーで分離し、エポキシド20の4種類の立体異性体を作り分けることに成功した。 以上のように、本論文は光学活性な生物活性物質合成を目的とし、主としてキラリティーの導入に重点を置いて研究を行い、光学活性な天然物を出発物質として利用したり、酵素反応を駆使するなどして非常に効率的な合成法の開発を達成したもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。 |