学位論文要旨



No 213850
著者(漢字) 堀口,晃
著者(英字)
著者(カナ) ホリグチ,アキラ
標題(和) 生物活性を指向した光学活性化合物の合成研究
標題(洋)
報告番号 213850
報告番号 乙13850
学位授与日 1998.05.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第13850号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北原,武
 東京大学 教授 瀬戸,治男
 東京大学 教授 長澤,寛道
 東京大学 助教授 山口,五十麿
 東京大学 助教授 渡邉,秀典
内容要旨

 光学活性化合物の重要性は増大しつつあり、その生物活性を調べるためや、医薬品製造のためには、高い光学純度で目的の化合物を得ることがますます求められている。

 このような背景の下、発酵法で得ることが困難な、または自然界からは微量にしか得られない生物活性に関連した光学活性化合物を有機合成および生体触媒反応により、従来にない方法で得るルートの確立を行った。

1.(-)-サイレニンの合成研究

 (-)-サイレニン(sirenin)1は、水カビ(Allomyces macrogynus)の精子を強力に誘引し、その生活環における必須物質である。過去、その合成に関しては、数例のラセミ体合成と、光学分割法を用いた光学活性体合成が報告されているのみであった。そこで、(-)-ペリルアルデヒド2から高光学純度の(-)-サイレニンを合成することを目的に本研究を行った。

三員環形成

 (-)-ペリルアルデヒド2をカルボン酸3に酸化し、再結晶により精製を行い、高光学純度の3を得た。これをメチルエステルとした後、エポキシド4へと導いた。4を水素化ナトリウムを塩基とし、ジメトキシエタン中で加熱還流することにより5を得た。この時、反応時間の制御により高い選択性で望む立体化学を持つ5を得ることができたが、対応する3,5-ジニトロ安息香酸エステルとして、再結晶によりさらに精製を行うことで、ジアステレオマー純度100%とすることができた。

 

側鎖伸長

 5をアルデヒド6とし、Aを用いてWittig反応を行い7を得た。この際、Aに対しn-BuLiを1当量用いることと、ジメトキシエタシ中で低温で反応を行うことが重要である。n-BuLiを2当量用いると、反応中間体のベタインからオキサホスフェタンへ移行する段階で二通りの方向があり7の他に9が得られ、収率も低下した。次に7の側鎖部分の二重結合のみを選択的に還元し、得られたアルコールをアルデヒドとした。このものに対して再びHorner-Wittig反応を行い8を得た。この8を還元し粗1に導き、さらにビス3,5-ジニトロ安息香酸エステルとした後、再結晶による精製、加水分解を行い、1を得た。比旋光度は[]D24-44.6°(c=1.0,CHCl3)を示し、天然物のそれ([]D22-45°(c=1.0,CHCl3))および光学分割によって得られたもののそれ([]D24-43°(c=1.42,CHCl3))と良い一致を示した。

 

2.光学活性ビタミンE中間体の合成研究

 抗酸化剤として広く用いられているビタミンE(-トコフェロール)10には、3箇所に不斉炭素が存在するが、生体内での効果的な抗酸化活性発現には2位の絶対立体配置が天然型であることが重要である。また、ビタミンEのクロマン骨格を有する化合物の中から有用化合物も見出されている。従って、2位が天然型の絶対立体配置を持つビタミンEのクロマン骨格の合成法がますます重要になると思われる。一方、2位に天然型の絶対立体配置を導入する方法は、いくつか報告されていたが、複雑な工程を要していた。また、光学分割により光学活性体を得る方法もクロマン環の構築に多段階反応を必要としていた。そこで、短工程でクロマン骨格を構築し、酵素反応を利用して2位に天然型の絶対立体配置を有するビタミンEのクロマン環を得ることを目的に本研究を行った。

 

クロマン骨格合成

 検討の結果、共に市販の3-メチル-1,3,5-ペンタントリオール11とトリメチルヒドロキノン12とを塩化亜鉛-塩酸を用いて反応させることで、一段階でクロマン骨格13を構築できることを見出した。この13の誘導体を基質として微生物、酵素反応の検討を行った。

 

リパーゼのスクリーニング

 初期検討の結果、フェノール性水酸基が遊離の状態では、基質の安定性が良くないことが判明した。そこでフェノール性水酸基を、還元的条件で除去できるベンジル基で保護した14を得ることを目的とした。

 まず、15および16を酵素反応の基質とした立体選択的加水分解の検討を行った。その結果、16を基質として、リポプロテインリパーゼ(Pseudomonas由来、以下LPLと略)を触媒として加水分解を行うと、2位の絶対立体配置が天然型を有する(S)-16が光学純度90%e.e.以上で残存することが判明した。そこで、14を酵素反応基質として用いて、やはりLPLを触媒として有機溶媒中でベンゾイル化を行えば、望む絶対立体配置を持つ(S)-14がより短工程で得られると考え検討を行った。その結果、予想通り(S)-14を光学純度99%e.e.以上、回収率30%で得ることができた。

 さらに簡便な合成方法を検討した結果(S)-14を得るルートとして次に示す3段階、通算収率14%のルートを構築することができた。

 

3.N-ベンジル-3-ピロリジノールの光学分割研究

 光学活性3-ピロリジノール17は、光学活性物質の合成ビルディングブロックとして汎用性の高い物質であり、現在まで、多数の合成方法が報告されている。しかし、いずれの方法においても高価な原料を用いたり、手間のかかる工程を経る等して合成しなければならなかった。このような背景の下、光学活性3-ピロリジノール誘導体を酵素反応を用いて既存の方法より効率的に合成する方法の開発を目的に本研究を行った。特に、R配置の3-ピロリジノール誘導体の取得を目指した。

 

バッチ反応の検討

 N-ベンジル-3-ピロリジノール18を基質とし、リパーゼを用いて有機溶媒中での立体選択的アセチル化を検討した。その結果、アマノPを触媒として用い、トルエンまたはイソプロピルエーテル中でアセチル供与体として酢酸ビニルを用いると効率の良い光学分割(E値100以上)が可能なことを見出した。

 

カラム反応の検討

 バッチ反応と比較して、より効率的なカラムを用いた連続反応の検討を行った。その結果、カラム効率625あるいは813mg/g enzyme/hrで運転できる事を見出し、カラムを用いた連続反応の可能性を示すことができた。

(S)-18の立体反転の検討

 光学分割の結果(R)-19とともに得られた(S)-18に対して、立体反転の検討を行った。その結果、カラム反応の反応液を、混合物のまま(S)-18にのみメシル化、酢酸ナトリウムでの立体反転、加水分解を行うことで、光学分割であるにも関わらず化学収率83%、光学純度91%e.e.で(R)-18が得られた。光学純度に関しては、反転反応の際に若干のラセミ化が生じた。また18から17へは、接触還元で容易に導くことができる。

 

4.ネビボロール中間体の合成研究

 ネビボロール(nebivolol)20は、-adrenergic receptorのうち1サブタイプのレセプターに選択的な拮抗剤であり、(RS/SS)と(SR/RR)のラセミ体を用いて血圧降下剤としての各種薬理試験が行われている。しかし、このネビボロールでは、両鏡像体でそれぞれ異なる活性プロファイルが確認され、両鏡像体を合成することが求められた。そこで、ラセミ体合成において既にネビボロールへの合成ルートが確立されているエポキシド21に着目した。すなわち、エポキシド21の異性体を作り分けられれば、目的の立体配置を持つネビボロールを合成することが可能となる。従って、エポキシド21の4種類の立体異性体を作り分けることを目的に本研究を行った。

 

光学活性出発原料25の合成

 3-ヒドロキシグルタール酸ジエチルエステル22を原料として、プロキラルな23、24を合成した。これらを基質とした酵素反応で、25の両鏡像体を得る検討を行った。その結果、23はリパーゼアマノPを用いた不斉加水分解で(R)-25に、また24はリポザイム(固定化リパーゼ)を用いた不斉アセチル化で(S)-25に、どちらも光学純度99%e.e.以上で変換できた。

 

エポキシド21の合成

 25のそれぞれの両鏡像体を、カルボン酸へ酸化し、ポリリン酸中で環化しクロマン骨格を持つ26に導いた。26は、カルボニル基の還元、脱離反応による側鎖のオレフィン化を経て、目的のエポキシドへと変換した。エポキシ化の結果生じた新たな不斉点に由来するジアステレオマーは、シリカゲルカラムクロマトグラフィーで容易に分離可能であった。以上、22から13工程または14工程、25から9工程で目的とするエポキシド21の4種類の立体異性体を作り分けることに成功した。

 

まとめ

 (1)高純度の天然型(-)-サイレニン1を(-)-ペリルアルデヒド2から10段階で合成することに成功した。

 (2)ビタミンEのクロマン骨格を有し、2位の絶対立体配置が天然型の(S)-14を3段階、通算収率14%で得るルートを確立した。

 (3)ラセミ体の18を、有機溶媒中リパーゼを用いるアセチル化により、効率よく光学分割し、高光学純度の(R)-19、(S)-18を容易に得ることを可能とした。また、本光学分割でのカラムを用いた連続反応の可能性も示すことができた。さらに、立体反転を組み合わせ、若干のラセミ化が観察されたものの83%の化学収率で(R)-18を得ることができた。

 (4)酵素反応により合成した光学活性モノアセタート25の両鏡像体を用いて、-ブロッカーであるネビボロールの合成重要中間体エポキシド21の4種類の立体異性体を作り分けることに成功した。

審査要旨

 本論文は、生物活性を指向した光学活性化合物の合成に関するもので四章よりなる。光学活性を持った有用な生物活性物質を合成するにあたり最も重要なポイントの一つは、如何に簡便に効率よく分子の不斉を導入するかにある。特にそれが医薬や農薬などの合成ルートの開発であれば、それは製造コストに直接関わってくる重要な問題となる。筆者はこの点に着目し、抽出や発酵法では得ることが困難な生物活性を有する光学活性化合物を、有機合成および生体触媒の利用で、従来にない方法で得るルートの確立を行った。

 まず序論で光学活性化合物を合成することの意義やこれまでに知られている光学活性体合成法について概説した後、第一章では水カビの精子誘引物質、(-)-サイレニン(1)の合成について述べている。サイレニンは、これまでラセミ体合成と光学分割法を用いた光学活性体合成が報告されているのみであった。筆者は安価な光学活性原料からの合成法の開発を試みている。(-)-ペリルアルデヒド2をキラルな出発原料とし、3を経由してエポキシド4へと導いた後、三員環形成を行い、2環性化合物5を得た。5から二度のWittig反応で側鎖の伸長を行い1を10工程で合成する事に成功した。尚、三カ所の合成中間体に於いて再結晶を行っているため、得られた1は非常に高い化学及び光学純度を有していた。

 213850f12.gif

 第2章では、ビタミンEの光学活性な中間体の合成研究について述べている。ビタミンE(-トコフェロール、6)が生体内で効果的な抗酸化活性を発現するには、2位の絶対立体配置が重要であることが知られている。そこで、ビタミンEのキラルなクロマン環を、酵素反応を利用して短工程で調製する方法の開発を検討した。まずトリオール7とトリメチルヒドロキノン8とを塩化亜鉛-塩酸を用いて反応させると一段階でクロマン骨格が構築できることを見出した。生成物のフェノール性水酸基をベンジル基で保護して9とした後、リポプロテインリパーゼ(Pseudomonas由来、以下LPLと略)を触媒として有機溶媒中で無水安息香酸との不斉ベンゾイル化を行うと、目的とする(S)-10が、光学純度99%e.e.以上で回収されることを見出した。市販品からわずか3工程での高効率的調製法となった。

 213850f13.gif

 第三章では、N-ベンジル-3-ピロリジノールの光学分割を検討した結果について述べている。光学活性な3-ピロリジノール11は、種々の医薬の合成中間体として利用されている汎用性の高い物質である。そこで酵素反応を利用して、既存の方法より効率的に(R)-3-ピロリジノール誘導体を取得する方法の開発を行った。まず、アマノPを触媒としてトルエンまたはイソプロピルエーテル中で酢酸ビニルによるアセチル化を行うと、N-ベンジル-3-ピロリジノール12が効率良く光学分割(E値100以上)できることを見出した。次にこれをカラム反応に応用し、カラム効率625あるいは813mg/g enzyme/hrで光学分割が可能であることを見出し、連続反応の可能性を示した。また反応濃縮物を、混合物のまま(S)-12に対してのみ立体反転反応を行うことで、光学分割であるにも関わらず化学収率83%、光学純度91%e.e.で(R)-13を得ることに成功した。

 213850f14.gif

 第四章では-ブロッカーであるネビボロール(14)の光学活性な重要中間体の合成について述べている。ネビボロール(19)は、(RS/SS)と(SR/RR)のラセミ体であるが、両鏡像体で異なる活性プロファイルが確認され、その両鏡像体合成が求められていた。そこで、既にラセミ体でネビボロールへの合成ルートが確立されているエポキシド15の4種類の立体異性体を合成することを目的に研究を行った。まず16を原料として、プロキラルな17、18を合成した。17はアマノPを用いた不斉加水分解で(R)-19に、また18はリポザイム(固定化リパーゼ)を用いた不斉アセチル化で(S)-19に、どちらも光学純度99%e.e.以上で導いた。19のそれぞれの両鏡像体を、クロマン骨格を持つ20に導き、さらに目的のエポキシドへと変換した。エポキシ化の結果生じたジアステレオマーは、シリカゲルカラムクロマトグラフィーで分離し、エポキシド20の4種類の立体異性体を作り分けることに成功した。

 213850f15.gif

 以上のように、本論文は光学活性な生物活性物質合成を目的とし、主としてキラリティーの導入に重点を置いて研究を行い、光学活性な天然物を出発物質として利用したり、酵素反応を駆使するなどして非常に効率的な合成法の開発を達成したもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク