わが国における癌治療は、外科的治療、放射線治療及び化学療法により近年著しい向上をみせている。しかしながら癌は依然として死亡原因の第一位であり、現在も新規作用機序を有する抗癌剤の開発が求められている。 プロテインキナーゼC(PKC)は、Ser/Thr蛋白リン酸化酵素であり、発癌プロモーターであるホルボールエステルの受容体としても知られている。蛋白リン酸化作用は細胞内情報伝達系において不可欠な反応であり、近年PKCと発癌、細胞増殖との関連性を示唆するデータが蓄積されつつある。 本研究では、細胞内情報伝達系における蛋白リン酸化作用が実際に腫瘍の増殖に関係するのかどうか、そして細胞内情報伝達系阻害剤が抗癌剤としての可能性をもつのかどうかを明らかにすることを目的とし、特に癌化との関連が指摘されているcPKCに対して高い選択性を示す4’-benzoyl staurosporine(CGP41251)を用い、各種腫瘍モデルにおける作用について検討し、以下の結果を得ている。 1.マウス同系腫瘍に対する作用 マウス同系腫瘍モデル(B16、colon26、colon38、M5076)において、CGP41251は75mg/kg1日3回9日間投与でB16でのILS(Increased Life Span)値36%を示し延命効果を示したが、25〜225mg/kg1日1回9日間投与ではいずれにおいてもILS値25%以下であった。B16、colon26での薬物投与9日目におけるIR(Inhibition Rate)値はそれぞれ44、31%を示し、腫瘍増殖を抑制する傾向が認められた。 2.ヌードマウス移植ヒト癌に対する作用 ヌードマウス移植ヒト癌(胃癌3株、大腸癌2株、肺癌2株、乳癌1株)に対し、CGP41251は200mg/kg 1日1回4週間経口投与でいずれにおいても有意な抗腫瘍効果を示し、これらのうち胃癌1株、大腸癌1株、乳癌1株、また肺癌は2株ともにIR値58%以上を示した。また、他の抗癌剤に対して耐性を示す肺癌H74に対しても強い抗腫瘍効果が認められた。病理組織学的には、薬物投与群で中心壊死の拡大が認められたものの構築の破壊には至らなかった。PCNA-Labeling Index(PCNA-LI)と抗腫瘍効果の明らかな相関性は認められなかった。 3.ヒト肺癌に対する作用 CGP41251は、組織型の異なる4種のヒト肺癌株(A549;腺癌、NCI-H520;扇平上皮癌、Lu99;大細胞癌、SBC3;小細胞性肺癌)の増殖を0.1Mより高い濃度で抑制し、IC50値は約0.2〜0.8Mであった。また、この効果はG2/M期阻害によるものであり、NCI-H520およびSBC3については薬物処置24〜48時間以降多倍体の形成が認められた。 これら4種の肺癌のヌードマウス移植モデルでは、CGP41251は100、200mg/kgで用量依存的な抗腫瘍効果を示し、200mg/kg投与群ではいずれもIR値58%以上であった。またCGP41251は分割投与でより強力な抗腫瘍効果を示した。病理組織学的には、薬物投与群で中心壊死の拡大あるいは線維化が認められた。PCNA-LIはA549でのみCGP41251による用量依存的な減少が認められた。また、CGP41251によるアポトーシス誘発は認められなかった。癌組織中の細胞膜画分におけるPKC活性は、CGP41251 200mg/kg投与群で有意に減少していた。 以上をまとめると、CGP41251の肺癌細胞増殖に対する抑制作用は、細胞の種類によって多倍体形成の度合いが異なるもののいずれもG2/M期阻害によるものであった。これらの作用は、腫瘍組織の膜画分のPKC活性の減少に起因するものと推察された。また、CGP41251は、ヒト固形癌に対して重篤な副作用を伴うことなく幅広い抗腫瘍スペクトルを示し、特に肺癌に対して優れた有効性を示す可能性が示唆された。また、既存の化学療法剤に対して耐性を示す癌種に対しても抗腫瘍効果を示した。副作用も比較的少なく可逆的な作用を有することから間欠投与よりも頻回投与の方がより効果的であり、さらに長期投与あるいは他剤との併用によってより強力な抗腫瘍効果が得られるものと考えられる。 以上を要約すると、本研究はcPKCを阻害することによって実際に抗腫瘍効果をもたらし得ることを証明し、細胞内情報伝達系、特にcPKCによる蛋白質のリン酸化が腫瘍の増殖に関係していること、そして細胞内情報伝達系阻害剤が実際に抗癌剤となり得ることを解明したもので、学術上寄与するところは少なくない。よって審査員一同は本論文が博士(獣医学)の学位に値するものと判断した。 |