学位論文要旨



No 213851
著者(漢字) 池上,結理
著者(英字)
著者(カナ) イケガミ,ユリ
標題(和) 選択的PKC阻害剤4’-N-benzoyl staurosporineの抗腫瘍効果に関する研究
標題(洋)
報告番号 213851
報告番号 乙13851
学位授与日 1998.05.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第13851号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 唐木,英明
 東京大学 教授 菅野,茂
 東京大学 助教授 局,博一
 東京大学 助教授 稲葉,睦
 東京大学 助教授 尾崎,博
内容要旨

 わが国における癌治療は、主に外科的治療、放射線治療および化学療法により近年著しい向上をみせている。しかしながら癌は依然として死亡原因の第一位であり、臨床的に高い奏功率をもたらし得る抗癌剤の数はまだまだ少ないのが現状である。癌治療に新しい可能性を開くためにも、新規作用機序を有する抗癌剤の開発が臨床の場において求められている。

 プロテインキナーゼC(PKC)は、セリン/スレオニン蛋白リン酸化酵素であり、発癌プロモーターであるホルボールエステルの受容体としても知られている。蛋白質のリン酸化が細胞の癌化あるいは増殖の情報伝達系において重要な役割を果たしていることはよく知られており、近年PKCと発癌、あるいは細胞増殖との関連性を示唆するデータが蓄積されつつある。

 本研究では、細胞内情報伝達系における蛋白リン酸化作用が実際に腫瘍の増殖に関係するのかどうか、そして細胞内情報伝達系阻害剤が抗癌剤としての可能性をもつのかどうかを明らかにすることを目的とし、特に癌化との関連が指摘されているcPKCに対して高い選択性を示す4’-benzoyl staurosporine(CGP41251)を用い、in vivoでの抗腫瘍スペクトルを検討し病理組織学的な評価を加えた。また、特に高い有効性が示唆された肺癌細胞を用いてこの化合物による増殖抑制機構についての検討を試みた。

1マウス同系腫瘍に対する作用【生存率に及ぼす影響】

 マウス同系腫瘍B16 melanoma(B16),colon26,colon38及びM5076に対するCGP41251の作用について検討した。CGP41251は25〜225mg/kg1日1回9日間経口投与で、いずれの癌種に対してもILS(Increased Life Span)値25%以下で、明らかな有効性を示さなかった。しかしながら225mg/kg 1日3回分割9日間投与(1回あたりの用量は75mg/kg)ではB16に対してILS値36%を示し、延命効果が認められた。

【抗腫瘍効果】

 CGP41251の腫瘍増殖に対する作用を検討するため、M5076を除く3種の腫瘍について薬物投与9日目の腫瘍増殖率を比較した。CGP41251は225mg/kg 1日1回9日間経口投与で、B16及びcolon26に対してそれぞれIR(Inhibition Rate)値44及び31%を示したが、colon38に対しては腫瘍体積に影響を与えなかった。また、B16に対しては225mg/kg 1日3回分割9日間投与でIR値70%を示した。

【小括】

 CGP41251は25〜225mg/kg 1日1回9日間経口投与ではマウス同系腫瘍モデルにおいて明らかな延命効果を示さなかったが、腫瘍増殖を抑制する傾向は認められた。また225mg/kg 1日3回分割9日間投与ではB16移植マウスの生存率の延長が認められ、さらに腫瘍増殖抑制作用も認められた。

2ヌードマウス移植ヒト癌に対する作用【抗腫瘍スペクトル】

 CGP41251は抗癌剤としては新規作用機序を有するものであることから、どのような癌種にどの程度有効性を示すのかを検討する必要がある。CGP41251の抗癌剤としての性質を明らかにする目的で、ヌードマウスに移植したヒト由来癌細胞株(胃癌、大腸癌、肺癌、乳癌)に対する作用について検討した。用量依存性試験において、CGP41251は200mg/kg 1日1回4週間経口投与で最も強い抗腫瘍効果を示し、またこの用量で体重減少等の明らかな副作用も認められなかったことから、抗腫瘍スペクトルは200mg/kgで検討することとした。CGP41251は今回検討を行った全ての癌種(胃癌3株、大腸癌2株、肺癌2株、乳癌1株)に対して統計学的に有意な抗腫瘍効果を示し、これらのうち胃癌1株、大腸癌1株、乳癌1株、また肺癌は2株ともにIR値58%以上を示した。また、CGP41251は、他の抗癌剤に対して耐性を示すことが報告されている肺癌H74に対しても強い抗腫瘍効果を示した。

【病理組織学的評価】

 上記の腫瘍についてHE染色を行い病理組織学的検討を行った結果、CGP41251投与群で中心壊死の拡大が認められたものの構築の破壊には至らなかった。また、CGP41251に感受性を示した4株についてPCNA染色を行った結果、4株中3株でCGP41251による有意なPCNA-Labeling Index(PCNA-LI)の減少が認められたが、最も強力な抗腫瘍効果が認められたLC376でPCNA-LIの変化は認められなかった。

【小括】

 CGP41251はヌードマウス移植ヒト胃癌、大腸癌、乳癌、肺癌に対して200mg/kg 1日1回4週間経口投与で抗腫瘍効果を示し、特に肺癌に対して優れた有効性を示した。また既存の抗癌剤に耐性を示す癌種に対しても抗腫瘍効果を示し得ることが示唆された。

3ヒト肺癌に対する作用【増殖抑制作用】

 CGP41251の抗腫瘍スペクトルより肺癌に対する高い感受性が示唆されたため、次に組織型の異なる4種の肺癌細胞株(A549;腺癌、NCI-H520;扁平上皮癌、Lu99;大細胞癌、SBC3;小細胞性肺癌)に対する作用について検討した。CGP41251は、in vitroで肺癌細胞の増殖を0.1Mより高い濃度で抑制し、IC50値は約0.2〜0.8Mであった。

【細胞周期に及ぼす影響】

 CGP41251の増殖抑制作用についてさらに詳細に検討する目的で、細胞周期に及ぼす作用について検討した。CGP41251は0.1Mでは細胞周期に影響を与えなかったが、0.5および1.0Mでは処置24時間でG2/M期への蓄積、さらにNCI-H520およびSBC3については24〜48時間以降8倍体の形成及びDNAの断片化が認められた。このCGP41251によるG2/M期への蓄積作用は可逆的なものであり、また増殖抑制作用と比較して作用を示す濃度や経時的変化がよく一致していた。さらにearly S期に同調した細胞を用いて検討した結果、CGP41251はS期の進行には全く影響を及ぼさずにG2/M期への蓄積作用を示し、またM期に同調した細胞ではそれ以降の細胞周期の進行を阻害した。

【抗腫瘍効果】

 これら4種の肺癌に対する抗腫瘍効果をin vivoにおいて確認するために、ヌードマウス移植モデルを用いて検討を行った。CGP41251は、100及び200mg/kg 1日1回3週間あるいは4週間経口投与で用量依存的な抗腫瘍効果を示し、200mg/kg投与群ではいずれにおいてもIR値58%以上の有効性を示した。また投与期間中、有意な体重減少は認められなかった。さらに、CGP41251 200mg/kgを1日2回あるいは1日3回に分割して投与することでより強力な抗腫瘍効果が認められた。

【病理組織学的評価】

 上記4種の肺癌についてHE染色を行い病理組織学的検討を行った結果、いずれの腫瘍においてもCGP41251投与群で中心壊死の拡大あるいは線維化が認められた。またLu99を除く3種の肺癌を用いてPCNA染色を行った結果、A549でCGP41251による用量依存的なPCNA-LIの減少が認められたもののNCI-H520及びSBC3では有意な変化は認められなかった。さらにTUNEL染色によってアポトーシス検索を行ったが、いずれの腫瘍においてもCGP41251によるアポトーシス誘発は認められなかった。

【PKC活性に及ぼす影響】

 上記4種の肺癌のうち非小細胞性肺癌2種について、癌組織中のPKC活性の測定を行った。いずれの癌も細胞質画分のPKC活性は膜画分と比較して低く、CGP41251投与による明らかな影響は認められなかった。しかしながら細胞膜画分におけるCGP41251 200mg/kg投与群のPKC活性は、対照群と比較して有意に減少していた。

【小括】

 CGP41251は、ヒト肺癌(腺癌、扁平上皮癌、大細胞癌、小細胞性肺癌)に対して、in vitroおよびin vivoで増殖抑制作用を示し、その作用はDNA合成阻害ではなく、G2/M期からG1期への進行過程における阻害、あるいは8倍体の誘導によることが推察された。また、in vivoにおける抗腫瘍効果は、腫瘍の膜画分におけるPKC活性低下および中心壊死の拡大を伴うことが確認された。

4総括

 CGP41251の肺癌細胞増殖に対する抑制作用は、細胞の種類によって8倍体形成の度合いが異なるもののいずれもG2/M期からG1期への進行過程における阻害によるものであり、腫瘍の中心壊死の拡大が確認された。また、これらの作用は、CGP41251による腫瘍細胞の膜画分のPKC活性の減少に起因するものと推察された。

 また、CGP41251は、ヒト固形癌に対して重篤な副作用を伴うことなく幅広い抗腫瘍スペクトルを示し、特に肺癌に対して優れた有効性を示す可能性が示唆された。また、既存の化学療法剤に対して耐性を示すような癌種に対しても、抗腫瘍効果を示すという特徴が見いだされた。副作用も比較的少なく可逆的な作用を有することから間欠投与よりも頻回投与の方がより効果的であり、さらに長期投与あるいは他剤との併用によってより強力な抗腫瘍効果が得られるものと考えられる。

 これらの結果より、cPKCを阻害することによって実際に抗腫瘍効果をもたらし得ることが証明され、細胞内情報伝達系、特にcPKCによる蛋白質のリン酸化が腫瘍の増殖に関係していること、そして細胞内情報伝達系阻害剤が実際に抗癌剤となり得ることが明らかとなった。

審査要旨

 わが国における癌治療は、外科的治療、放射線治療及び化学療法により近年著しい向上をみせている。しかしながら癌は依然として死亡原因の第一位であり、現在も新規作用機序を有する抗癌剤の開発が求められている。

 プロテインキナーゼC(PKC)は、Ser/Thr蛋白リン酸化酵素であり、発癌プロモーターであるホルボールエステルの受容体としても知られている。蛋白リン酸化作用は細胞内情報伝達系において不可欠な反応であり、近年PKCと発癌、細胞増殖との関連性を示唆するデータが蓄積されつつある。

 本研究では、細胞内情報伝達系における蛋白リン酸化作用が実際に腫瘍の増殖に関係するのかどうか、そして細胞内情報伝達系阻害剤が抗癌剤としての可能性をもつのかどうかを明らかにすることを目的とし、特に癌化との関連が指摘されているcPKCに対して高い選択性を示す4’-benzoyl staurosporine(CGP41251)を用い、各種腫瘍モデルにおける作用について検討し、以下の結果を得ている。

1.マウス同系腫瘍に対する作用

 マウス同系腫瘍モデル(B16、colon26、colon38、M5076)において、CGP41251は75mg/kg1日3回9日間投与でB16でのILS(Increased Life Span)値36%を示し延命効果を示したが、25〜225mg/kg1日1回9日間投与ではいずれにおいてもILS値25%以下であった。B16、colon26での薬物投与9日目におけるIR(Inhibition Rate)値はそれぞれ44、31%を示し、腫瘍増殖を抑制する傾向が認められた。

2.ヌードマウス移植ヒト癌に対する作用

 ヌードマウス移植ヒト癌(胃癌3株、大腸癌2株、肺癌2株、乳癌1株)に対し、CGP41251は200mg/kg 1日1回4週間経口投与でいずれにおいても有意な抗腫瘍効果を示し、これらのうち胃癌1株、大腸癌1株、乳癌1株、また肺癌は2株ともにIR値58%以上を示した。また、他の抗癌剤に対して耐性を示す肺癌H74に対しても強い抗腫瘍効果が認められた。病理組織学的には、薬物投与群で中心壊死の拡大が認められたものの構築の破壊には至らなかった。PCNA-Labeling Index(PCNA-LI)と抗腫瘍効果の明らかな相関性は認められなかった。

3.ヒト肺癌に対する作用

 CGP41251は、組織型の異なる4種のヒト肺癌株(A549;腺癌、NCI-H520;扇平上皮癌、Lu99;大細胞癌、SBC3;小細胞性肺癌)の増殖を0.1Mより高い濃度で抑制し、IC50値は約0.2〜0.8Mであった。また、この効果はG2/M期阻害によるものであり、NCI-H520およびSBC3については薬物処置24〜48時間以降多倍体の形成が認められた。

 これら4種の肺癌のヌードマウス移植モデルでは、CGP41251は100、200mg/kgで用量依存的な抗腫瘍効果を示し、200mg/kg投与群ではいずれもIR値58%以上であった。またCGP41251は分割投与でより強力な抗腫瘍効果を示した。病理組織学的には、薬物投与群で中心壊死の拡大あるいは線維化が認められた。PCNA-LIはA549でのみCGP41251による用量依存的な減少が認められた。また、CGP41251によるアポトーシス誘発は認められなかった。癌組織中の細胞膜画分におけるPKC活性は、CGP41251 200mg/kg投与群で有意に減少していた。

 以上をまとめると、CGP41251の肺癌細胞増殖に対する抑制作用は、細胞の種類によって多倍体形成の度合いが異なるもののいずれもG2/M期阻害によるものであった。これらの作用は、腫瘍組織の膜画分のPKC活性の減少に起因するものと推察された。また、CGP41251は、ヒト固形癌に対して重篤な副作用を伴うことなく幅広い抗腫瘍スペクトルを示し、特に肺癌に対して優れた有効性を示す可能性が示唆された。また、既存の化学療法剤に対して耐性を示す癌種に対しても抗腫瘍効果を示した。副作用も比較的少なく可逆的な作用を有することから間欠投与よりも頻回投与の方がより効果的であり、さらに長期投与あるいは他剤との併用によってより強力な抗腫瘍効果が得られるものと考えられる。

 以上を要約すると、本研究はcPKCを阻害することによって実際に抗腫瘍効果をもたらし得ることを証明し、細胞内情報伝達系、特にcPKCによる蛋白質のリン酸化が腫瘍の増殖に関係していること、そして細胞内情報伝達系阻害剤が実際に抗癌剤となり得ることを解明したもので、学術上寄与するところは少なくない。よって審査員一同は本論文が博士(獣医学)の学位に値するものと判断した。

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