炭酸脱水酵素は炭酸ガスと水からの重炭酸イオンの生成を触媒する酵素で亜鉛蛋白質である。生体内では血液中での炭酸ガスと重炭酸イオンの急速な変換、腺組織での水の移動、体液のpHの調節などに重要な役割を担っている。また、毛様体突起には炭酸脱水酵素が豊富に存在し、眼房水分泌調節の一部を担っている。このため、炭酸脱水酵素阻害剤は眼房水産生を抑制することにより眼圧を低下させるため、古くから緑内障や高眼圧症の薬物治療に用いられている。従来の炭酸脱水酵素阻害剤は眼内移行性が悪いことから経口剤として用いられてきた。しかしながら、これらの経口炭酸脱水酵素阻害剤は消化器系障害、知覚異常、電解質異常などの全身性の副作用が発現することが知られている。 ドルゾラミドは、経口炭酸脱水酵素阻害剤でみられた全身性の副作用を軽減するために点眼剤として開発され、初めて製品化に成功した新規炭酸脱水酵素阻害剤である。炭酸脱水酵素阻害薬の薬物動態上の大きな特徴として、投与後、赤血球中に高濃度に取り込まれ蓄積することがあげられる。これは、赤血球中に豊富に存在する炭酸脱水酵素との結合によるものと考えられている。炭酸脱水酵素は、その活性の99%以上が阻害されて始めて薬理作用が発現する。経口炭酸脱水酵素阻害剤は、血液-眼内柵の障壁を乗り越えて作用部位である毛様体上皮に十分な薬物量を移行させるため、赤血球中の炭酸脱水酵素が飽和されるより遥かに高い投与量で用いられてきた。このため、赤血球との結合が薬物動態に及ぼす影響についての研究は少なかった。最近、経口炭酸脱水酵素阻害剤の全身性の副作用を軽減するために、点眼で有用な炭酸脱水酵素阻害剤が開発されたことに伴い、低い投与量での体内動態が明らかとなってきた。すなわち、炭酸脱水酵素を低投与量で投与すると、その体内動態は赤血球中炭酸脱水酵素との結合の飽和により、非線形性を示すことが報告された。しかしながら、これまでの研究はいずれも未変化体のみの検討であり、代謝物が体内動態にどのように影響するかの検討は行われていない。また、いずれも実験動物を用いた検討であり、ヒトへの予測は行われていない。 そこで、本研究では点眼剤として開発されたドルゾラミドの代謝、ラット及びヒト赤血球とドルゾラミド及びその代謝物との結合性、ならびにラット、in vivoにおける赤血球との結合が体内動態に及ぼす影響を明らかにすることを目的とした。 実験としてラット肝ミクロゾームにおけるドルゾラミドの代謝、ラット及びヒト赤血球とのドルゾラミド及び代謝物の結合、ラットin vivoにおけるドルゾラミドの体内動態を行った。 まず、ドルゾラミドのin vitoでの代謝を検討した。ラット肝ミクロゾーム中でドルゾラミドを反応させるとN-脱エチル化され、その反応には、チトクロームP450が関与すること、N-脱エチル体以外の代謝物生成は認められないことが明らかとなった。また、肝以外での代謝はほとんど起こらないことが示された。 次に、ドルゾラミドのN-脱エチル化反応に関与するチトクロームP450分子種の同定を酵素誘導剤、チトクロームP450分子種の特異的阻害剤、P450分子種抗体ならびにtestosteroneの水酸化酵素活性を指標として検討を行った。ドルゾラミドのN-脱エチル化活性はPhenobarbital処理により誘導され、CYP2B1/2に特異的な阻害剤であるorphenadrine及びdiphenhydramineによって阻害された。さらにドルゾラミドはtestosteroneの16水酸化活性を阻害し、抗CYP2B1抗体により阻害されたことからCYP2B1がドルゾラミドのN-脱エチル化反応に関与することが示唆された。 また、ドルゾラミドN-脱エチル化活性は、dexamethasone処理により誘導されること、troleandromycinよってN-脱エチル化活性が阻害されること、抗CYP3A2血清により阻害されること、testosteroneの2-,6-水酸化活性をドルゾラミドが阻害することからCYP3A2の関与が示唆された。さらに、isoniazid、disulfiram、diethyldithiocarbamateによってドルゾラミドのN-脱エチル化反応が阻害されることからCYP2E1の関与が示唆された。 次に、ドルゾラミド及びその代謝物であるN-脱エチル体のラット及びヒト血液中蛋白との結合性について、比較検討した。 14Cドルゾラミドを添加したヒト赤血球をゲル濾過カラムで分画したところ、ヘモグロビンの分画には放射能は存在せず、唯一炭酸脱水酵素の分画に存在したことから、ドルゾラミドは炭酸脱水酵素と結合することが明らかとなった。さらに、炭酸脱水酵素分画をポリアクリルアミド電気泳動にて分析したところ、ドルゾラミドは主にII型と結合し、I型とも僅かに結合することが明らかとなった。ドルゾラミドとヒトII型炭酸脱水酵素との結合は、I型炭酸脱水酵素との結合に比べ約4000倍も強かく、従来の炭酸脱水酵素阻害剤と比べてII型炭酸脱水酵素に対する選択性が極めて強いことが示された。ラットではドルゾラミドのI型炭酸脱水酵素に対する親和性がヒトよりも約100倍強く、種差が認められた。 続いて、ドルゾラミドの体内動態をラットを用いて検討した。14Cドルゾラミドを0.1〜5mg/kgの投与量でラットに静脈内投与したとき、血液中放射能の大部分は赤血球中に存在し、血液中からの放射能の消失半減期は、約10日と極めて遅く、赤血球との強い結合が示唆された。投与量が、1mg/kgを超えると、血液中放射能のAUCはほどんど増加せず、血球移行率の低下も認められた。血中濃度が投与量に比例して増加しないことの原因として吸収過程の飽和が考えられる。しかしながら、14Cドルゾラミド5mg/kgを経口投与した時の尿中放射能排泄率(73.8%)は、5mg/kg静脈内投与した時(74.7%)とほぼ等しいことから、吸収の飽和は原因ではないと考えられる。また、14Cドルゾラミド5mg/kgを静脈内投与した時の尿中への放射能の排泄速度は、0.5mg/kg投与時に比べ著しい増加が認められた。これらのことから、赤血球との結合の飽和による非線形性の体内動態が示唆された。さらに、血液および尿中の代謝物を検索した結果、主代謝物はN-脱エチル代謝物であり、これ以外の代謝物はほとんど存在しないことが明らかとなった。14Cドルゾラミドを経口投与した時の血液中総放射能に占める脱エチル体の割合は0.5mg/kgの投与量では投与後24時間で12%であったが、血液中濃度が非線形となる5mg/kgの投与量ではそれぞれ38%を占め投与量の増加に伴い代謝物の生成が増加した。このことから、ドルゾラミドの体内動態が非線形性には代謝物の関与が示唆された。 そこで、次にラットにドルゾラミドを静脈内投与後の血液中及び血漿中のドルゾラミド及びその代謝物であるN-脱エチル体濃度を測定した。ドルゾラミド5mg/kgを静脈内投与した時の血液中ドルゾラミドのAUCは0.5mg/kg投与時の1/2以下であった。一方、N-脱エチル体のAUCは0.5mg/kg投与時に比べ約5倍高い値を示した。 このように、投与量の増加に反して未変化体の血中濃度が減少する理由として、1)炭酸脱水酵素とドルゾラミドとの結合が飽和することに加えて、2)血液中非結合型薬物濃度の増加によるドルゾラミドの肝への移行の増加の結果、肝で生成したN-脱エチル体がI型およびII型炭酸脱水酵素に対してドルゾラミドとほぼ同様の親和性を示すため赤血球中の炭酸脱水酵素と結合するドルゾラミドと競合的に置換することが考えられた。 In vitroでの結合実験で得られた結合定数を基にラット及びヒト赤血球中におけるドルゾラミド及びN-脱エチル体とI型及びII型炭酸脱水酵素との結合シミュレーションを行った結果、ラットでは主にII型炭酸脱水酵素との結合において未変化体と代謝物が競合することが示された。これに対して、ヒトではII型炭酸脱水酵素との結合における未変化体と代謝物の競合的な置換はほとんど起こらず、N-脱エチル体は主にI型炭酸脱水酵素と結合することが示された。これは、ラットではドルゾラミドのI型炭酸脱水酵素とII型炭酸脱水酵素に対する親和性の差がN-脱エチル体とほぼ同程度であるのに対して、ヒトではドルゾラミドの方が、N-脱エチル体よりもはるかに大きいためと考えられる。 以上まとめると、本研究によって、ラットにおけるドルゾラミドのN-脱エチル化反応にはチトクロームP450のCYP2B、CYP3A及びCYP2E1分子種が関与すること、ドルゾラミド及びその代謝物であるN-脱エチル体がラット及びヒト赤血球中のI型及びII型炭酸脱水酵素と結合するが、ラットとヒトでは種差が認められること、ラットにドルゾラミドを投与すると投与量の増加に反して血中未変化体濃度が減少する極めて特異な体内動態を示し、その原因が赤血球中炭酸脱水酵素との結合の飽和に加えて結合部位からの代謝物による追い出しによることを明らかとした。本研究は特定の蛋白と強く結合する薬物の体内動態を研究する際には、母化合物のみならず代謝物との競合も考慮する必要があることを示したものである。 |