学位論文要旨



No 213854
著者(漢字) 関沢,良之
著者(英字)
著者(カナ) セキザワ,ヨシユキ
標題(和) シマミミズEisenia foetida体腔液中の生理活性蛋白質ライセニン(lysenin)に関する研究
標題(洋)
報告番号 213854
報告番号 乙13854
学位授与日 1998.05.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第13854号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 名取,俊二
 東京大学 教授 井上,圭三
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 武藤,誠
 東京大学 教授 長尾,拓
内容要旨 1.序論

 近年,様々な無脊椎動物由来の生理活性物質,たとえばアフリカツメガエル皮膚の抗菌ペプチドmagainin,スズメバチ毒のmastoparan,センチニクバエのSapecinなどが見出され,それらの生理機能のみならず,応用的な側面が注目されるようになった.

 環形動物ではこれまでに,脊椎動物で見出された生理活性ペプチドの抗体を用いた免疫組織化学的手法によって,enkephalin,endorphin,substance P,vasoactive intestinal peptide,adrenocorticotropic hormone,endothelin-1,vasopressinなど,多数の生理活性ペプチドやその同族物質の存在が立証されている.著者も,ミミズが多様な脊椎動物の生理活性物質をもつことに興味を抱き,シマミミズの神経系にFMRFamideやangiotensin-IIが存在することを明らかにした.一方,ミミズの体腔液には,溶血作用,赤血球凝集作用,細菌増殖抑制作用,細菌凝集作用,溶菌作用,リンパ球幼若化作用,細胞毒性などが存在することが報告されている.

 著者は,新たに生理活性物質を検索している過程で,シマミミズ体腔液の微量をマウス,ラットやウズラに静脈注射した際に致死作用が認められることや,ラットの胸部大動脈より作製した血管標本において収縮作用があることを見出した.そこで著者は,シマミミズ体腔液より,この作用物質の単離を行ない,その物質の構造と性質を解析した.以下,得られた知見を述べる.

2.活性物質の精製と構造

 ミミズの体壁を圧迫したり,体表を傷つけると,体腔につながる背孔から体腔液を滲出する.シマミミズの体腔液は,静脈内投与によってマウスやラットを短時間に死亡させ,また,ラット摘出大動脈標本の収縮を引き起こした.そこで著者は,ラット摘出大動脈標本に対する収縮反応を指標にして活性成分の単離を試みた.精製には,シマミミズを電気刺激して多くの体腔液を集め,次いで遠心分離して細胞等を除いて得た可溶性画分を出発材料とした.体腔液は,60℃,15分間の加熱や,メタノール,アセトニトリルなどの有機溶媒と混合するとその収縮活性が顕著に失活した.体腔液に硫酸アンモニウムを最終80%飽和濃度になるよう加えると,活性成分は沈殿中に回収された.次に,この沈殿を溶解し,陰イオン交換カラムDEAE-2SWを用いた高速液体クロマトグラフィーにより分離した結果,3つの活性画分が得られた.最も活性総量の高い画分を,さらにG2000SWカラムを用いたゲル濾過クロマトグラフィーにかけたところ,2つのピークに分かれ,SDS電気泳動分析では,各々の画分はそれぞれ単一のバンドを示した.各々の蛋白質のゲル濾過クロマトグラフィーによる推定分子量は,40kDa(G1)及び33kDa(G2)であった.血管収縮活性は,主にG2に認められたので,この蛋白質をlyseninと命名した.G1の血管収縮活性はG2に比べ低いが,2つの蛋白質の部分アミノ酸配列及びペプチドマップを比較したところ,両者は構造が類似することが示唆された.

 Lyseninの構造を解明するために,シマミミズcDNAライブラリーを構築し,先に得られたlyseninの部分アミノ酸配列をもとにPCR法で作製したcDNAプローブを用いてスクリーニングを行った,その結果,1.6kbpのインサートを含む陽性クローン(efL1)を単離し,全塩基配列を解明した.このクローンは,アミノ酸297個からなる蛋白質をコードしており,lyseninのペプチドフラグメントより決定した6つの部分アミノ酸配列をすべて含んでいた.cDNAから推定される分子量は33kDaであるが,このcDNAの翻訳部分を大腸菌によって発現させて得られたリコンビナント蛋白質は,SDS電気泳動において,シマミミズ体腔液から単離したlyseninとまったく同一の泳動度(41kDa)を示した.また,ラット摘出大動脈標本に対する収縮作用の比活性も同じであった.よって,このcDNAは確かにlyseninをコードするcDNAであると判断した.

 さらに,同じcDNAプローブを用いたスクリーニングで,いくつかのハイブリダイゼーション陽性のcDNAクローンを得て,全塩基配列を解明した.その結果,lyseninのアミノ酸配列と全長にわたり相互に類似した300個のアミノ酸からなる蛋白質をコードする2つのcDNAクローン(efL2,efL3)が存在することがわかり,それらのクローンがコードする蛋白質をlysenin-2,-3と呼ぶことにした.Lyseninとそれらの蛋白質のアミノ酸配列は,それぞれ76%,90%一致した.ホモロジーの高いlysenin-3は,lysenin同様に体腔液から単離した蛋白質G1の部分アミノ酸配列とすべて一致した.Lyseninのアミノ酸配列をもとにホモロジー検索を行なったところ,有意なホモロジーを持つ蛋白質はなく,lyseninが新しい蛋白質であることが判明した.また,配列中に機能的なドメインは無かった.Lysenin-2は体腔液から単離されなかったが,おそらく微量に存在し,体腔液中でlyseninファミリーを形成している可能性がある.

3.シマミミズにおけるlyseninの産生部位

 シマミミズ組織におけるlysenin mRNAの発現部位をlysenin cDNAを用いたノザンブロット分析により調べた結果,体腔液中に存在する体腔細胞に約1.6kbのハイブリダイゼーション陽性のmRNAが検出され,体壁組織や腸管及びその他の組織には検出されなかった.このことは,lyseninが体腔細胞によって産生されていることを示す.抗lysenin抗体を用いてシマミミズ組織の免疫組織化学を行なった結果,体腔中の大型の体腔細胞に陽性反応が認められた.異なる科に属すミミズであるフツウミミズの組織は,抗lysenin抗体に対して陽性反応を示さなかった.フツウミミズの体腔液粗蛋白質のウェスタンブロット分析でも同様であった.また,フツウミミズの体腔液は,ラット摘出大動脈標本に対しても収縮作用を示さなかった.従って,フツウミミズでは,lyseninが存在しないか或いは抗原性が異なると考えられる.Lyseninは,哺乳類の組織や細胞には作用するが,ミミズ自体においてどのような役割を持つかは現在のところ明らかではない.また,脊椎動物における存在も明らかではない.

4.Lyseninの諸種生理作用と標的分子

 Lyseninのラット摘出大動脈標本に対する収縮作用は,0.1g/mlから濃度依存的に発現し,その収縮反応は持続的であった.Lyseninによる収縮作用は,受容体遮断薬やH1受容体遮断薬によって阻害されなかった.このことから,lyseninによる収縮は受容体やH1受容体を介しないで発現すると考えられた.また,モルモット摘出心筋標本を用いた実験では,10ng/ml以上の濃度で,陽性変力作用と陽性変時作用が濃度依存的に発現した.これらの作用は100ng/ml(変力)および30ng/ml(変時)でその最大作用に達し,変力はイソプロパノールによる最大作用の約70%に相当した.これらの変力・変時作用は,プロプラノロール前処理ではまったく影響されなかったので,受容体を介して発現したものではなく,また,心筋に存在する交感神経系終末からのノルアドレナリンの放出により発現したものでもないと考えられる.また,ラットやヒツジの赤血球に対して,強い溶血をひき起した.

 次に,lyseninの薬理作用の機序を解明する目的で,抗lysenin抗体を用いて細胞におけるlyseninの標的分子の検索を行なった.Lyseninは,モルモット摘出右心室乳頭筋より調製した脂質画分に強く結合し,蛋白質画分には結合しなかった.一方,各種動物由来の赤血球を用いてlyseninの溶血作用を検討したところ,スフィンゴミエリン(SM)を中性脂質として多く含むヒツジ赤血球が,他の赤血球に比べて感受性が高かった.これらの結果から,lyseninの標的分子が細胞膜上のSMであることが示唆された.そこで,次に各種精製リン脂質を固相上にコートし,lyseninの結合性をELISA法により検討した.その結果,lyseninはSMにのみ特異的に結合し,ホスファチジルコリンをはじめ他のリン脂質には全く結合しないことが明らかとなった.また,lyseninの溶血作用および心筋への作用は,SM-リポソームによって阻害された.以上の結果から,lyseninは,生体膜中のSMを認識して結合し,その様々な薬理作用を発現していると考えられる.

5.総括

 本研究により,シマミミズ体腔液から,哺乳類の血管や心筋に対し収縮や陽性変力・変時作用を示す新規の蛋白質lyseninを単離,同定した.Lyseninによる収縮や陽性変力・変時は,,H1,受容体を介しない機序で起こると推定される.ラット右心室乳頭筋組織を用いて,lyseninの標的分子を検索した結果,lyseninは脂質画分に結合した.種々のリン脂質との結合性を調べると,SMのみがlyseninと結合することをわかった.Lyseninが細胞膜のSMに結合した後,どのような機構で収縮や陽性変力・変時が起きるのかは不明である.今後の課題は,この蛋白質の薬理作用の機序解明であろう.

 近年,リン脂質は細胞内情報伝達におけるセカンドメッセンジャーとしての役割が注目されつつある.Lyseninは,非常に厳密にSMのみを認識する.生体内におけるスフィンゴ脂質の生理的な役割の解明にツールとしても役立つことが期待される.

審査要旨

 この研究はシマミミズ(Eiseni afoetida)の体腔液にラット胸部大動脈より作製した血管標本を収縮させる活性を見出し、その本体について研究したものである。シマミミズを電気刺激して体腔液を放出させ、それを出発材料として血管収縮活性を指標にこの活性物質の精製を進めたところ、活性はほぼ均一な蛋白として、二つの分画に回収された。これらの蛋白の分子量は40kDaおよび33kDaで、二つの蛋白の部分アミノ酸配列やペプチドマップは類似していた。血管収縮活性は33kDaの蛋白の方が顕著であり、この蛋白をlyseninと命名した。

 次に、lyseninの構造を決めるためにcDNAクロニーングを行った。得られたクローンはアミノ酸297個からなる蛋白をコードしており、lyseninから得られる6個のペプチドの配列をすべて含んでいた。また、このcDNAを大腸菌で発現させたところ、分子量、血管収縮活性ともlyseninと同じ蛋白が得られることが分かり、このcDNAがlyseninのcDNAであると結論した。このcDNAを用いてハイブリダイゼイション陽性のクローンを解析した結果、lyseninと構造のよく似た蛋白をコードするクローンが二つ得られ、その中の一つは上記の40kDa蛋白であることが分かった。従って、lyseninはファミリーを形成する蛋白であると考えられる。また、データベースをサーチした結果、lyseninと似た構造を持つ蛋白の報告はなく、新しい蛋白であることが分かった。免疫染色により、lyseninの産生組織を検索したところ、lyseninは体腔液細胞により産生されることが示された。

 ついで、lyseninの作用機構を検討した。lyseninの血管収縮作用は-受容体やH1受容体の遮断薬では阻害されなかった。従って、lyseninはこれらの受容体を介さずに作用するものと思われる。また、ラットや羊の赤血球の溶血を引き起こすことも明らかになった。そこで、lyseninのターゲットを検索したところ、この蛋白は羊赤血球の膜に強く結合することが判明した。さらに詳しく調べた結果、lyseninは膜の脂質中のスフィンゴミエリンと特異的に結合することが明らかになった。おそらく、スフィンゴミエリンと結合することにより様々な薬理作用を発現しているものと思われる。

 以上この研究は、シマミミズの体腔液の中からlyseninと命名した新しい生理活性蛋白を精製し、構造決定とその作用部位を特定したもので、比較生物学的に興味深い結果を得ており、博士(薬学)の学位に値すると判定した。

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