学位論文要旨



No 213857
著者(漢字) 松崎,浩憲
著者(英字)
著者(カナ) マツザキ,ヒロノリ
標題(和) 自然回復型河川整備の計画・評価に関する研究
標題(洋)
報告番号 213857
報告番号 乙13857
学位授与日 1998.05.21
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第13857号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 玉井,信行
 東京大学 教授 虫明,功臣
 東京大学 教授 篠原,修
 東京大学 教授 吉田,恒昭
 東京大学 助教授 河原,能久
内容要旨

 1990年に建設省の通達「多自然型川づくり」によって,生態系に配慮した河川整備が全国的に進んでいる。しかし,これら事業には,やや流行に堕したものも散見され,一般にまだ試験段階と見なすべきであろう。すなわち,河川における環境,自然といった抽象的な概念や景観,生態系といった従来工法ではあまり顧みられなかった事柄に対する配慮など新しい局面が展開してきている。にもかかわらず,基準となる理念,具体的な行動方針および技術が未確立であるため,施工事例の中には失敗に帰したものもしばしば見受けられる。

 たとえば,河川景観を重視するあまり,水理現象を無視して巨石護岸を設置することは,場合によっては治水機能を損なうことになる。また,対象河川の魚相を把握することなしに,魚巣ブロックを配置しても,必ずしも好適な生息場所を提供していることにはならない。相反するこれら河川の諸機能を適切に評価し,景観や生態系など河川環境に対する経済評価をも含めた体系的で正鵠を得た方法論の構築が必要である。

 自然回復型河川整備の体系化とは,一言でいえば,どのような哲学をよりどころにして掉尾の目標を掲げ,その達成のためにどのような行動原理,つまり,検討技術・手法を用い,どのような評価基準に則って意思決定を下すかということを,理路整然と系統だって顕示することである。

 その機軸となる具体的な研究課題として,1)河川生態系の上位に位置する魚類の生息環境の評価手法に関する検討,2)そのために必要となる水理解析手法の検討,3)河川空間の景観設計手法に関する検討,4)生態系や景観といったこれまで顧みられなかった河川環境の便益と費用の経済評価,7)以上を包括した河川整備の計画論の樹立である。

 以下に得られた結論を列挙する。

1.自然回復型河川工事の変遷と課題

 わが国おける自然回復型河川工事の変遷を,社会背景と河川行政施策の関係,事業費の推移などに着目しながら概観した。そして,自然回復型河川整備の問題点を抽出した。問題点は,(1)一面的,画一的な発想,(2)客観的な評価手法・基準の必要性,(3)治水計画手法の必要性,(4)自然回復型河川工事の工法の確立,(5)環境経済・政策の確立,に集約された。本章の検討によって,具体的な検討すべき課題が明確になった。

2.魚類生息環境評価

 多摩川の魚類調査のデータから,IFIMの中心をなすPHABSIMの基礎資料となる生息域適性曲線を作成し,それが,河川の相違,成長年齢,魚相などの条件によって変化することを示した。そして,実際にPHABSIMの解析実例を示し,この手法のデメリットについて明らかにし,新しい評価モデルへの展望を示した。

 新しい評価モデルには現地観測結果を用いて魚類の生息環境を主成分分析によって解析した。そして,この分析結果を用いて,単なる生息量予測ではなく生物群集の多様性,曖昧さ,不確かさを反映した総合的な生息環境評価方法を,ファジィ理論を用いて提案した。

 これらの評価法は,PHABSIMの最大の問題点であったすべての因子を等価に扱うという欠点を克服した。つまり,それぞれの因子に重み付けをすることにより,重要なものや,そうでないものなど多くの因子を全く統計的に扱うことができる。したがって,生態に重要な因子,そうでない因子の区別が,魚類の専門家でなくても容易に理解できる。

 しかし,これらの評価モデルには共通する大きな問題として,一魚種についてのみの評価であり全体的な評価ができない。このため,複数魚種に対応した評価手法を提案した。

 これは,河川形態ごとの生息域適性曲線を用いて,魚種の成長度,生存率,行動範囲などの生活サイクルを考慮して調整のための係数を採用した生息域適性曲線を重ね合わせる方法である。この方法を用いれば,多くの魚種にとって評価値が高い河川を設計する目安とすることができる。

3.水理解析

 第4章では,河川整備計画において,最も基本的な情報となる水理量の算出方法について,生態評価との視点から多摩川での適用事例をとうして比較検討した。

 河川生態系の生息環境を評価するときには,1次元計算では不十分な場合が多い。すなわち,1次元,2次元計算とも実測結果を良好に再現することはできるが,生息環境評価手法に水理量を用いるには,横断断面ごとの1代表平均流速しか表現できない1次元計算よりも,詳細な平面流速分布が対象区間にわたって再現できる2次元計算による情報がより適切に生息環境を評価できる。3次元計算では,河川構造物周辺の特徴的な水理現象を定性的に表現できる。しかし,定量的には,実河川の生息環境評価のためのツールとしては,十分な機能を発揮できていないのが現状である。これは3次元的な強い非線形性に起因するものであり,今後の数値モデルの改良が待たれる。したがって,3次元的な流況が必要な場合には,実測結果を援用しつつ評価することが望ましいといえる。

4.河川空間の景観設計

 河川景観設計のための基準となる考え方をまとめた,つまり,河川空間を防災,生息,景色,利用の場として包括的にとらえ,景観設計ではこのすべてに配慮しなければならないことを述べた。この4つの機能には,優先順位があり,第一義に防災機能,次に動植物の生息機能を優先させなければならなちいうことを述べた。

 以上の観点から,河川の景観設計アルゴリズムを考案した。すなわち,景観防災機能評価サブモデル,生息機能評価サブモデルおよび利用・景色機能評価サブモデルを,水理量を媒介にフィードバック検討し,経過を3次元CGによる景観シミュレータで表示するシステムである。そして,開発したプロトタイプシステムを多摩川での定点写真撮影をもとにしたデータベースによって,事例紹介した。

5.自然回復型河川事工事の環境経済評価

 河川工事の経済評価について,既往の手法には,河川環境に対する経済評価がまったく顧みられていないことを指摘した。

 治水,利水機能は従来型河川工事と同様で,工事費が割高である多自然型川づくりにおいては,治水経済調査要綱の定める費用便益分析では,過大投資になりかねない河川工事が存在することを示し,河川環境の向上にかかる割り増し費用に見合った便益の評価の必要性を論じた。そこで,環境経済学の導入とその意義について述べ,環境の価値の特性とその評価方法について既往の手法を検討し,河川環境の評価への適用性を分析した。

 環境経済評価の目的は,河川事業の意思決定過程において,論理的な判断材料を提供することである。これまでの河川事業の便益と同様に河川環境についても,費用と便益を適正に算出し,とかく対立が生じる環境問題において利害関係者の間に共通の認識を形成することに貢献できる手法が存在することを示した。

6.自然回復型の河川工事の理念と計画策定

 以上の検討成果をもとに自然回復型の河川工事の理念と具体的な計画立案,評価手法について体系的にまとめた。

 まだ,緒についたばかりのわが国の自然回復型河川工事の哲学と行動原理を「潜在自然」という用語を定義することで論説した。実際の設計や施工にはさらなる知見の蓄積が必要だと思われるが,河川技術者にとって統一的な規範になればと考えている。

 自然回復型河川整備事業は,これからの河川事業の主流である。それには,環境便益の計測も含めた費用便益分析が必要であることを論じ,その大まかなフレームワークを「治水経済調査要綱」に準じて提示した。河川環境の便益評価項目は数え上げていけば際限がなく,利子率と同様に便益評価額も時代や地域によって変動する。したがって,対象とする河川の特性を考慮して,便益評価項目を限定し,地域特性や社会背景を鑑みて,適切な便益評価額を算出する必要があることを述べた。

 また,多目的ダムにおいて,環境用水放流を考慮に入れた再アロケーションが行われるべきだといえる。そこで,利根川上流域のダム群を取り上げ,具体的な再アロケーション事例を示した。

 これからの河川整備には利害関係者間の合意形成が必要で,これには住民意識,環境政策のパラダイム転換が必要である。とくに河川環境に配慮したことによるトレードオフとして発生するリスクに対して,適切な評価と管理,法規上,経済上の裏付けが急務であることを述べた。

審査要旨

 本論文は「自然回復型河川整備の計画・評価に関する研究」と題し、魚類生息環境の評価法および自然回復型河川工事の経済的評価法を中心に考察し、河川環境の保全と整備に関する河川計画の在り方、および、計画技術を大きく進展させたものである。

 本論文は8章から構成され、第1章では全地球的な環境問題への関心の高まりや最近の「多自然型川づくり」などの進展が取りまとめられた。しかし、自然回復型河川計画は、基本となる理念、具体的な行動方針や技術が未熟であるために、未だ試行錯誤の域を出ていない段階であり、生物にとっての生息域適性度を定量的に評価する体系的な方法が求められている。このような視点に立ち、従来の問題点を抽出し、それを解決するための体系を示しつつ本論文の構成を取りまとめている。

 第2章は「河川整備の歴史的変遷とその課題」と題し、先ず明治以来の河川整備の力点、技術的な変遷を概観した。更に近年の約40年間に亘っては、治水・利水目的の改修・開発により人工化が進んできた河川において、河川環境の重視、および、地域住民の意見の整備計画への反映がどのように進展してきたかを、建設省河川審議会の答申、通達、河川事業、ダム審議会の設置などの経緯に基づき検証した。これに基づき、自然回復型河川整備計画の体系化における重要な課題を抽出した。

 第3章は「魚類生息環境評価手法に関する検討」と題し、水中の生態系の食物連鎖の上位に位置する魚類を対象として生息域適性度を評価する新しい手法を提案している。従来の流量増分式生息域適性評価法は生息環境因子として局所的な流速、水深、底質の大きさの三つを考慮しているが、これで十分であるか、これらの因子の寄与率はどのように異なるかは未解明である。この点については主成分分析を行い、累積寄与率と主成分負荷量と環境因子との関係を考慮することで解決しているた。一方、環境因子は自然現象としての揺ぎを持ち、また、これに反応する魚類も生物としての気まぐれを持っていると考えられるので、生息域適性度の総合評価値は曖昧さを含んでいる。本論文ではファジイ測度を用いて、こうした特性を表現できる手法を構築した。

 続いて、生物多様性、特に種の多様性について多摩川永田地区の観測結果を基に考察を行い、日本の河川生態の特徴を考慮した場合には複数の魚種を対象とした評価法が重要であり、また自然回復型の河川計画では生態系の安定性を論ずる必要があることを明らかにした。本論文では複雑適応系の理論に倣って、魚の生活年齢ごとの生息域適性曲線を捕獲した魚の体長分布から3年魚まで作成し、更に生残率を考慮して生息域適性度を算出することとした。淵や瀬という代表的な河川区間に対する適性度の予測値と、観測された生息数とは広い範囲に対して良好な一致を示している。本論文での成果は、日本の河川計画で要求される多くの魚が共生する場での評価法であり、河川形態ごとに他の環境因子を媒介変数とする評価曲線を算出することが出来るので、環境因子相互の寄与を総合的に判断できる優れた成果となっている。

 第4章は「河川生息域の水理解析に関する検討」と題し、生息域適性評価法の中で流れの情報を算定する水理的評価法の取り纏めを行っている。そして2次元計算を多摩川永田地区の集中観測区域に対して行うと共に、石積没水型の水制周りの流れには3次元解析を試みた。2次元の数値計算結果は、約100個の浮子の軌跡を気球によって空中観測で追跡した現地観測結果と良好に一致した。3次元計算では未だ実河川の河川構造物の周辺の流れを定量的には十分には再現できなかった。これは流れの強い非線形性が数値計算では十分には表現できていないためであり、数学モデルの改善が必要である。生息域適性評価において3次元的な流況が必要なときは、当面は流れの実測結果を援用しつつ判断することが必要である。

 第5章は「河川空間の景観設計に関する検討」と題し、自然回復型河川計画の設計支援と合意形成支援の道具としての役割を重視した景観シミュレータのアルゴリズムを構築した。基本構成としては、防災機能、生息機能、景観機能、水辺利用機能という順番で階級付けした体系であり、途中の経過を随時画面表示して関係者の納得を得ながら設計を進めることを可能にした。ここで得られた成果は、今後の河川整備に対して求められている治水・利水・環境保全の総合的検討と、関係者との合意形成に対して有力な技術的方策を提供している。

 第6章は「自然回復型河川工事の環境経済評価に関する検討」と題して、従来は定量化されてこなかった河川環境の向上に関する費用と便益とを定量化する手法を定式化した。本論文では費用に関しては、平成6年度の多自然型川づくりの全国の事例を分析し、従来工法に対する割増し率を求めた。また、水力発電所からの維持用水の放流事例を関東地方全域で調査し、環境用水を生み出すための費用の推定を行った。費用の計算は、発電量の損失から推定する方法、電力料金に転換する場合を考えた産業連関分析を行っている。また、水質改善のための費用としては、水質浄化のために要する費用により推定する方法を提案した。環境向上の便益としては仮想市場法を適用し、アンケート結果から支払意志額を算出した。

 本論文で定式化した河川環境の経済評価法を利根川流域に適用した。考慮した項目は、多自然型川づくり、維持流量の増強、水質浄化の三つであり、利根川流域への適用に依れば、環境の向上の便益はこれらの三つの施策を実施する費用よりも大きいことが分かった。よって、自然回復型の河川整備は費用対効果の点でも今後増進して行く意義があることが分かった。

 第7章「今後の河川整備の理念と計画策定への適用」では、今後具体化が期待されている自然回復型河川整備の基本として、その哲学と行動計画を潜在自然概念から導いている。経済評価についても、この章では前章より更に歩を進め、環境用水を洪水防御、灌漑用水開発、水道用水開発などと並ぶ、独立の用途と考える場合の定式化の手法についてまとめている。

 第8章「結論」においては得られた成果を取りまとめると共に、今後の課題を整理している。

 以上要するに、本論文は自然回復型河川計画の基本構想を構築し、生息域評価法、合意形成支援システム、河川環境の経済評価法を中心とする技術的な課題を解決したものである。本論文で得られた成果は、今後の河川計画に求められている基本課題に有力な解決手法を与えるものであり、河川工学に寄与するところが大である。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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