内容要旨 | | 1990年に建設省の通達「多自然型川づくり」によって,生態系に配慮した河川整備が全国的に進んでいる。しかし,これら事業には,やや流行に堕したものも散見され,一般にまだ試験段階と見なすべきであろう。すなわち,河川における環境,自然といった抽象的な概念や景観,生態系といった従来工法ではあまり顧みられなかった事柄に対する配慮など新しい局面が展開してきている。にもかかわらず,基準となる理念,具体的な行動方針および技術が未確立であるため,施工事例の中には失敗に帰したものもしばしば見受けられる。 たとえば,河川景観を重視するあまり,水理現象を無視して巨石護岸を設置することは,場合によっては治水機能を損なうことになる。また,対象河川の魚相を把握することなしに,魚巣ブロックを配置しても,必ずしも好適な生息場所を提供していることにはならない。相反するこれら河川の諸機能を適切に評価し,景観や生態系など河川環境に対する経済評価をも含めた体系的で正鵠を得た方法論の構築が必要である。 自然回復型河川整備の体系化とは,一言でいえば,どのような哲学をよりどころにして掉尾の目標を掲げ,その達成のためにどのような行動原理,つまり,検討技術・手法を用い,どのような評価基準に則って意思決定を下すかということを,理路整然と系統だって顕示することである。 その機軸となる具体的な研究課題として,1)河川生態系の上位に位置する魚類の生息環境の評価手法に関する検討,2)そのために必要となる水理解析手法の検討,3)河川空間の景観設計手法に関する検討,4)生態系や景観といったこれまで顧みられなかった河川環境の便益と費用の経済評価,7)以上を包括した河川整備の計画論の樹立である。 以下に得られた結論を列挙する。 1.自然回復型河川工事の変遷と課題 わが国おける自然回復型河川工事の変遷を,社会背景と河川行政施策の関係,事業費の推移などに着目しながら概観した。そして,自然回復型河川整備の問題点を抽出した。問題点は,(1)一面的,画一的な発想,(2)客観的な評価手法・基準の必要性,(3)治水計画手法の必要性,(4)自然回復型河川工事の工法の確立,(5)環境経済・政策の確立,に集約された。本章の検討によって,具体的な検討すべき課題が明確になった。 2.魚類生息環境評価 多摩川の魚類調査のデータから,IFIMの中心をなすPHABSIMの基礎資料となる生息域適性曲線を作成し,それが,河川の相違,成長年齢,魚相などの条件によって変化することを示した。そして,実際にPHABSIMの解析実例を示し,この手法のデメリットについて明らかにし,新しい評価モデルへの展望を示した。 新しい評価モデルには現地観測結果を用いて魚類の生息環境を主成分分析によって解析した。そして,この分析結果を用いて,単なる生息量予測ではなく生物群集の多様性,曖昧さ,不確かさを反映した総合的な生息環境評価方法を,ファジィ理論を用いて提案した。 これらの評価法は,PHABSIMの最大の問題点であったすべての因子を等価に扱うという欠点を克服した。つまり,それぞれの因子に重み付けをすることにより,重要なものや,そうでないものなど多くの因子を全く統計的に扱うことができる。したがって,生態に重要な因子,そうでない因子の区別が,魚類の専門家でなくても容易に理解できる。 しかし,これらの評価モデルには共通する大きな問題として,一魚種についてのみの評価であり全体的な評価ができない。このため,複数魚種に対応した評価手法を提案した。 これは,河川形態ごとの生息域適性曲線を用いて,魚種の成長度,生存率,行動範囲などの生活サイクルを考慮して調整のための係数を採用した生息域適性曲線を重ね合わせる方法である。この方法を用いれば,多くの魚種にとって評価値が高い河川を設計する目安とすることができる。 3.水理解析 第4章では,河川整備計画において,最も基本的な情報となる水理量の算出方法について,生態評価との視点から多摩川での適用事例をとうして比較検討した。 河川生態系の生息環境を評価するときには,1次元計算では不十分な場合が多い。すなわち,1次元,2次元計算とも実測結果を良好に再現することはできるが,生息環境評価手法に水理量を用いるには,横断断面ごとの1代表平均流速しか表現できない1次元計算よりも,詳細な平面流速分布が対象区間にわたって再現できる2次元計算による情報がより適切に生息環境を評価できる。3次元計算では,河川構造物周辺の特徴的な水理現象を定性的に表現できる。しかし,定量的には,実河川の生息環境評価のためのツールとしては,十分な機能を発揮できていないのが現状である。これは3次元的な強い非線形性に起因するものであり,今後の数値モデルの改良が待たれる。したがって,3次元的な流況が必要な場合には,実測結果を援用しつつ評価することが望ましいといえる。 4.河川空間の景観設計 河川景観設計のための基準となる考え方をまとめた,つまり,河川空間を防災,生息,景色,利用の場として包括的にとらえ,景観設計ではこのすべてに配慮しなければならないことを述べた。この4つの機能には,優先順位があり,第一義に防災機能,次に動植物の生息機能を優先させなければならなちいうことを述べた。 以上の観点から,河川の景観設計アルゴリズムを考案した。すなわち,景観防災機能評価サブモデル,生息機能評価サブモデルおよび利用・景色機能評価サブモデルを,水理量を媒介にフィードバック検討し,経過を3次元CGによる景観シミュレータで表示するシステムである。そして,開発したプロトタイプシステムを多摩川での定点写真撮影をもとにしたデータベースによって,事例紹介した。 5.自然回復型河川事工事の環境経済評価 河川工事の経済評価について,既往の手法には,河川環境に対する経済評価がまったく顧みられていないことを指摘した。 治水,利水機能は従来型河川工事と同様で,工事費が割高である多自然型川づくりにおいては,治水経済調査要綱の定める費用便益分析では,過大投資になりかねない河川工事が存在することを示し,河川環境の向上にかかる割り増し費用に見合った便益の評価の必要性を論じた。そこで,環境経済学の導入とその意義について述べ,環境の価値の特性とその評価方法について既往の手法を検討し,河川環境の評価への適用性を分析した。 環境経済評価の目的は,河川事業の意思決定過程において,論理的な判断材料を提供することである。これまでの河川事業の便益と同様に河川環境についても,費用と便益を適正に算出し,とかく対立が生じる環境問題において利害関係者の間に共通の認識を形成することに貢献できる手法が存在することを示した。 6.自然回復型の河川工事の理念と計画策定 以上の検討成果をもとに自然回復型の河川工事の理念と具体的な計画立案,評価手法について体系的にまとめた。 まだ,緒についたばかりのわが国の自然回復型河川工事の哲学と行動原理を「潜在自然」という用語を定義することで論説した。実際の設計や施工にはさらなる知見の蓄積が必要だと思われるが,河川技術者にとって統一的な規範になればと考えている。 自然回復型河川整備事業は,これからの河川事業の主流である。それには,環境便益の計測も含めた費用便益分析が必要であることを論じ,その大まかなフレームワークを「治水経済調査要綱」に準じて提示した。河川環境の便益評価項目は数え上げていけば際限がなく,利子率と同様に便益評価額も時代や地域によって変動する。したがって,対象とする河川の特性を考慮して,便益評価項目を限定し,地域特性や社会背景を鑑みて,適切な便益評価額を算出する必要があることを述べた。 また,多目的ダムにおいて,環境用水放流を考慮に入れた再アロケーションが行われるべきだといえる。そこで,利根川上流域のダム群を取り上げ,具体的な再アロケーション事例を示した。 これからの河川整備には利害関係者間の合意形成が必要で,これには住民意識,環境政策のパラダイム転換が必要である。とくに河川環境に配慮したことによるトレードオフとして発生するリスクに対して,適切な評価と管理,法規上,経済上の裏付けが急務であることを述べた。 |