一般的に、電子回路における雑音は、電子回路に接続されている抵抗によって発生する熱雑音と能動素子の雑音があり、さらに、低周波領域では1/f雑音がある。このような雑音が電気通信における伝送品質を劣化させ、電気計測における測定限界の原因になる。 光を用いて情報伝送とか計測を行う場合には、光検波器を用いて光信号を電気信号に変換し、その電気信号を電子回路によって情報の検出または測定を行っている。この時、光検波後の電気信号には、この光が持つ量子雑音がショット雑音に、電子回路の雑音が加わる。コヒーレント状態の光を用いた場合、光の持つ量子雑音は標準量子限界(Standaerd Quantum Limit,SQL)の雑音レベルになり、電子回路の熱雑音に比べて非常に大きいために、光伝送とか光計測ではこの量子雑音が支配的になる。 しかし、通常のレーザの出力光には量子雑音以外に、増幅された自然放出光の雑音、緩和振動による雑音、縦モード間のビート成分雑音、多縦モード発振によるモード分配雑音、反射光の結合によるPM-AM変換雑音などいくつかの過剰な強度(振幅)雑音が含まれる。 本論文で議論する半導体レーザの振幅雑音は、光が量子的であるために、本質的に持っている量子雑音である。したがって、前述の過剰雑音を限りなく抑圧した状態の振幅雑音について議論する。 通常のレーザの出力光は、空間および時間的に位相がそろったコヒーレント光である。この光をゆらぎについて記述すると、古典的な電磁波の平均振幅に、ハイゼンベルグの不確定性原理を満足して2つの直交位相成分に等しく分配された最小不確定積のゆらぎを持つ真空場のゆらぎが重畳したコヒーレント状態になる。ハイゼンベルグの不確定性原理に従いながら、直交関係にある非可換観測量の一方のゆらぎを抑圧して、他方のゆらぎを大きくした状態を一般的にスクィーズド状態と呼ぶ。さらに、この不確定性原理を満たしつつ非可換観測量間のゆらぎの比を人工的に変えることをスクィージングという。光子数と位相の間でスクィージングを行い、光子数のゆらぎを標準量子限界より小さくした状態が振幅スクィーズド状態である。もし、スクィーズド状態を用いて量子雑音を限りなく小さくできれば、測定精度、伝送品質を飛躍的に改善できる。 スクィーズド状態は、コヒーレント状態の単純な重ね合わせでは発生させることは不可能で、非線形光学効果を用いなければならない。直交位相間のスクィーズド状態の発生にはいくつかの方法が提案されているが、振幅スクィーズド状態の発生法については、本研究を開始した時点では有効な方法はなかった。 本論文では、振幅スクィーズド状態の実現、すなわち、定電流動作半導体レーザによる振幅スクィーズド状態発生の提案に対する実験による実証について述べる。 振幅スクィーズド状態発生の3つの原理[1]-[3]から、振幅スクィーズド状態の発生に必要な半導体レーザの構造と動作条件は次のようになる。 1.外部雑音の抑圧 共振器内の増幅媒質が完全に利得飽和の状態では、共振器出力端へ外部から入力する雑音成分は抑圧される。このために少なくともレーザは発振しきい値の3.5倍以上で動作させる。 2.高効率化 半導体レーザを高効率化するための共振器の構造と動作条件を次に示す。 (a)出力結合効率の改善 出力側への結合効率を大きくするために前面を低反射率、裏面を高反射率の非対称反射率をもつ共振器構造にする。 (b)内部損失の低減 半導体レーザの内部損失の原因はレーザの構成材料で決まる。実効的に内部損失を小さくするためには、共振器長を短くして出力結合損失に対する内部損失の効果を相対的に低減する。 (c)発振しきい値電流の低減 半導体レーザでは、全注入電子数に対する出力光子数への変換効率はしきい値電流の分だけ減少する。発振しきい値電流を小さくして高効率化するためには、通常の半導体レーザでは低温で動作させることが効果的である。 3.定電流動作によるポンプゆらぎの抑圧 ポンプ電流を高周波領域まで定電流化するために、電源回路に直列抵抗を接続する。抵抗値はPN接合の微分抵抗の2倍以上でよいが、十分なポンプゆらぎの抑圧のためには100以上の抵抗を用いる。 4.単一縦モード発振によるモード分配雑音の抑圧 半導体レーザが多数の縦モードで発振している場合、測定系の波長特性によってモード分配雑音が支配的となって振幅雑音が増加する。レーザの共振器長を短くすれば、縦モードの波長間隔が広がることによって、単一縦モード発振に近づけることができる。 5.振幅スクィーズド状態の観測周波数帯域 振幅スクィーズド状態を観測する周波数帯域は共振器のカットオフ周波数よりも低周波側にり、少なくとも、10GHz以下の周波数帯域で振幅スクィーズド状態が観測可能になる。 スクィーズド状態の測定には、古典的な光子が持つ量子限界の雑音であるSQLの雑音レベル、すなわち、ショット雑音レベルと精密に比較しなければならない。そこで、本研究では、バランスドミキサを用いてショット雑音レベルの精密測定を可能にした。 DFB半導体レーザを用いて、約400MHzの周波数でSQLレベルに対して最小値で0.33dB(7.3%)のスクィーズド状態を初めて観測した結果を図1(a)に示す。測定系の効率で補正した雑音レベルの平均値の規格化ポンプレベルrに対する依存性を図1(b)に示す。実線は電源抵抗をRS=750とした時のポンプゆらぎを抑圧したレーザに対する理論値、破線は従来のレーザ理論と等価な定電圧動作(RS=0)でにおけるショット雑音限界のポンプゆらぎに基づく理論値である。この図から、定電流動作半導体レーザによる実験結果は従来の光ポンプレーザの理論値と明らかに異なっていることがわかる。 より正確に振幅スクィーズド状態を観測するために、入力光の振幅雑音成分とSQLレベルを同時に測定できる、図2(a)に示すような、遅延バランスドミキサの構成を考案した。2つの光検波信号の間に遅延時間差を与えて、それぞれを差動増幅器に入力する。同軸ケーブルの遅延時間によって生じる2つの信号間の位相差が、同相になる周波数では差動増幅器で引き算が行われるために差の成分すなわちSQLレベルが、逆相の周波数では和の成分すなわち入力光の振幅雑音が、同じ差動増幅器の出力端子で測定できることになる。 図2(b)に遅延バランスドミキサ出力の雑音スペクトルの測定結果を示す。トレースAは発振しきい値の1.03倍における雑音スペクトラムであり、半導体レーザ出力光の振幅雑音は過剰雑音状態になるため、雑音スペクトラムの正弦波状の変調は、和の周波数で極大点となり入力光の過剰雑音レベルを示し、差の周波数で極小点となりSQLレベルを示している。トレースCは規格化ポンプレベルI/Ith=13.6における測定結果で、トレースAに比べて正弦波状の変調の山谷が逆転して、和の周波数の入力光の雑音レベルは差の周波数のSQLレベルよりも小さく、確実に振幅スクィーズド状態であることがわかる。 短共振器の半導体レーザの端面反射率を改良して高効率化し、半導体レーザと光検波器をface-to-faceで結合して、測定系の損失をなくした実験を行なった。バランスドミキサ構成の実験系と振幅雑音のスペクトル特性を図3に示す。トレースa、b、cは光検波電流Id=8.6mAの時の特性で、トレースaはLEDによる雑音レベル、トレースbとcはレーザの規格化ポンプレベルr≡I/Ith-1=39のときの雑音レベルである。これにより、振幅スクイージングレベルはトレースaとb、cの差で、5.6dBになる。トレースdは規格化ポンプレベルr=52におけるレーザの振幅雑音で、光検波電流Id=11.3mA、LEDによるショット雑音レベルは同じ光電流Id=11.3mAでトレースaと同じ特性を示し、飽和している。トレースaとトレースdとの差により、振幅スクィーズドレベルは6.3dBになり、光検波器の量子効率(89%)を補正すると、レーザ出力端面で14dBになり、10dB以上の振幅スクィーズド状態を発生させることができた。 本研究による振幅スクィーズド状態の発生法は、非線形光学効果を用いた他の方法に比べて、構成が簡単であり、非常に広帯域であるとともに、半導体レーザが発振可能な全ての波長域に適応できる。 参考文献[1]O.Nilsson,Y.Yamamoto,and S.Machida: IEEE J.Quantum Electron.QE-22,2043(1986).[2]Y.Yamamoto,S.Machida,and O.Nilsson: Phys.Rev.A34,4025(1986).[3]Y.Yamamoto and S.Machida: Phys.Rev.A35,5114(1987).図1DFB半導体レーザを用いた実験結果。(a)はショット雑音レベルで規格化した振幅雑音の周波数特性で、350〜450MHzの周波数で振幅スクィーズド状態になっている。(b)は規格化ポンプレベルに対する振幅雑音の特性で、実験結果はポンプゆらぎを抑圧したレーザの理論と良く一致している。図2(a)は遅延バランスドミキサの構成図で、差動増幅器の一方の入力信号に遅延時間を与える構成である。(b)は遅延バランスドミキサで測定した振幅雑音の周波数特性で、トレースAとCで山谷が反転し、トレースCが振幅スクィーズド状態であることを示す。図3(a)はバランスドミキサ構成の実験系で、ショット雑音レベルの校正はLEDによって行う。(b)は振幅雑音の周波数特性で、aはショット雑音レベルを、b,c,dはレーザの雑音レベルを示す。 |