固体の表面同士が接触してすべると摩擦が現れる。摩擦力は、固体のすべり運動の抵抗力として発生する。古くから、摩擦発生の起源を説明しようとして多くの研究がなされいくつかのモデルが提案されてきた。最初のモデルでは、二つの表面がすべるときに表面の凸凹同士が引っ掛かり、系の重力位置エネルギーの変化から摩擦が発生すると考えられた。しかし、このモデルでは重力は保存力のためエネルギ散逸を説明できなかった。もう一つのモデルでは、二つの表面がすべるときに表面間の原子間相互作用によって表面の接触部が凝着し、その凝着部をせん断するのに必要な力が摩擦力と考えられた。このモデルでは、観測される摩擦力の大小を現象論の立場から説明することに主眼が置かれ、摩擦の存在は予め仮定された。従来から摩擦発生の原子論的起源の解明が切望されてきた。 一方、最近になって摩擦研究は一新されつつある。従来、摩擦の多要因を明確化した理想系の構成は実験技術上困難であったが、近年の走査型トンネル顕微鏡(Scanning Tunneling Microscopy)や原子間力顕微鏡(Atomic Force Microscopy)などの測定技術や表面の制御技術の進展によって、モデルと実験との直接対比が可能となった。最新の測定技術によれば、原子スケール分解能で摩擦力を測定することも可能となっている。応用上でも、摩擦はミクロンサイズの微小機械であるマイクロマシンなどの将来技術にとって克服すべき重要課題である。 本論文は、摩擦発生の原子論的機構を実験、理論の両面から明らかにする。 本論文は、以下のように構成されている。 第一章は本論文の序論であり、本研究の背景、目的、概要を述べる。 第二章では、清浄表面の摩擦と接触面の格子整合性との関係を実験的に明らかにし、先に提案した摩擦発生の理論の妥当性を示す。白雲母のへき開面同士の摩擦力測定によって、理論予測と一致する摩擦力の接触面の格子整合性に対する異方性を観測する。すなわち、接触面に格子ミスフィットが存在して、表面同士が格子不整合の条件で互いにすべるときに摩擦力は減少し、逆に接触面に格子ミスフィットが存在しないで表面同士が格子整合の条件で互いにすべるときに摩擦力は増大する。 第三章では、原子レベルの清浄表面を用いて、第二章で調べた摩擦と接触面の格子整合性との関係をより厳密に測定し、摩擦の格子整合性に対する異方性を観測する。実験では,タングステンの針先の(011)面とシリコンの(001)面の、表面清浄度、弾性接触、および格子整合性を超高真空下で厳密に特定し、摩擦力を高精度に測定する。表面間の弾性接触を保証し接触面で塑性変形が起こらないように、走査型トンネル顕微鏡を用いて表面間のトンネルギャップを制御する。測定により、理論予測と一致する摩擦力の格子整合性に対する異方性を示す。すなわち、接触面に格子ミスフィットが存在しないで表面同士が格子整合の条件で互いにすべるときに理論値と同等の摩擦力:8×10-8Nが現れ、一方、接触面に格子ミスフィットが存在して、表面同士が格子不整合の条件で互いにすべるときに摩擦は測定分解能:3×10-9N以下になる。 第四章では、清浄表面の原子論モデルに基づいて、摩擦と超潤滑の発生機構を理論的に明らかにする。原子論モデルの解析によって二つの摩擦発生の機構を示す。一つの機構はアトミスティック・ロッキング、もう一つはダイナミック・ロッキングである。アトミスティック・ロッキングは、固体同士がすべるとき、任意の強さの原子間相互作用に対して、接触面の原子配列が連続的に変化するときに生ずる。これに対し、ダイナミック・ロッキングは、原子間相互作用がある臨界値を越え、接触面の原子配列が非連続的に変化するときに生ずる。ダイナミック・ロッキング発生の条件式を導き、その条件式を金属結合が作用する現実系で調べ、ダイナミック・ロッキングは現実系で生じないことを結論する。さらに、ダイナミック・ロッキングが発生しない条件下で清浄表面の接触を実現すれば、摩擦ゼロとなる超潤滑が現れることを示す。 第五章では、動摩擦におけるエネルギ散逸の機構を理論的に明らかにする。動摩擦の問題では、一定のすべり速度を保つために固体に与える外力に釣り合う抗力の発生機構を議論する。具体的には、外力の作用下で、ある初期すべり速度で固体を押した後すべり速度が減少する理由、すなわち、重心の運動エネルギーが内部運動エネルギーに転化される散逸の起源を問題とする。二つの異なる発生機構が一次元FK(Frenkel-Kontorova)モデルの解析に基づいて結論される。一つの発生機構は弱い凝着領域で現れ、すべりの運動エネルギーは固体内の原子の集団的内部運動(格子振動)に散逸する。このとき、少数原子摩擦系では、内部運動とすべりの重心運動との間でエネルギーが規則正しく往来する再帰現象が起こる。この結果、動摩擦は再帰時間で平均化するとゼロになる。しかし、再帰時間は系の原子数が増加すると増大し、十分多くの原子からなる系では観測時間内で再帰現象は起こらず動摩擦が発生する。もう一つの発生機構は強い凝着領域で現れ、この場合には固体内原子の集団運動の考え方は破綻し、原子の個別運動にすべりの運動エネルギーが散逸する。この散逸は内部のいろいろな運動が複雑に絡り合う混合性(mixing)から生ずる。 最後に、第六章で本研究で得られた結果を総括する。 |