学位論文要旨



No 213871
著者(漢字) 尾崎,恒之
著者(英字)
著者(カナ) オザキ,ツネユキ
標題(和) ヘリウム様再結合型軟X線レーザーの実験的、理論的研究
標題(洋) Experimental and Numerical Studies on Recombination Pumped Helium-Like Soft-X-ray Lasers
報告番号 213871
報告番号 乙13871
学位授与日 1998.05.25
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第13871号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 市川,行和
 東京大学 教授 黒田,和明
 東京大学 助教授 久我,隆弘
 東京大学 教授 遠山,濶志
 東京大学 助教授 坪野,公夫
内容要旨

 再結合型軟X線レーザーはコンパクトな励起光源を用いても利得が発生するため、実用的な光源構築への道として期待がかかっている。この方式での増幅の報告はこれまで主に水素様(H-like)及びリチウム様(Li-like)イオンを用いたもので数多く行われてきた。同様にヘリウム様(He-like)イオンに関しても反転分布の測定を中心に研究がなされており、ヘリウム様アルミニウムでは利得が観測されている。但しこれらの研究ではプラズマ長が4mmよりも長いデータでは増幅が確認されなかったり、利得が生成しないはずの遷移で増幅が観測されるなど統一的な見解は得られておらず、これらの物理を解明することが急務であった。ヘリウム様軟X線レーザーを研究する意義は以上のような科学的興味と同時に、水の窓波長域(酸素と炭素のK吸収端の間に相当する23.3〜43.6Å)への短波長化を行う際、水素様方式と比較してより小さな励起光源で利得がえられる、という実用的な興味もある。

 そこで本論文ではまず最初にヘリウム様方式における利得の有無を窒素イオンについて実験的に調べた。東京大学物性研究所の大出力Nd:ガラスレーザーシステムの1ビームを励起光源とし、特殊な集光系を用いて固体窒化ホウ素(BN)ターゲット上に線状に集光し、軟X線レーザー媒質となる線状プラズマを生成した。励起レーザーの典型的な出力はエネルギー40J、パルス幅100psecである。また焦点におけるレーザー光の寸法は幅100m、長さ7.8mmで、ピーク光強度は最大4.1×1013W/cm2であった。線状プラズマの軸方向に放出された軟X線は平面結像型分光器と軟X線ストリークカメラを用いて時間分解スペクトルを観測した。その結果、ヘリウム様窒素(He-like N)の31D-21P線(波長185.2Å)において他と比較して特に大きなスペクトル強度が観測された。そこで線状プラズマの長さlを3.1から7.8mmの間で変化させ、スペクトル強度の変化から利得測定を行った。すると、33S-23P線のスペクトル強度がlに対しほぼ線形であるのに対し、31D-21P線はlに対し非線形に増加しているのがわかった。図1にHe-like N31D-21P線の利得の時間変化を、(a)ターゲット表面からz=200m及び(b)z=100mの位置について示す。z=200mでの利得係数は励起レーザー光のピーク後1nsecから開始し、3〜4cm-1という大きな利得係数が約1.5nsec程度持続しているのがわかる。励起レーザー光のパルス幅が100psecなので、この時間領域のプラズマは再結合状態にあり、利得は再結合過程により生じていることがわかる。一方z=100mにおける利得はこれよりも低いが、これは観測位置がターゲットに近いために電子温度が高く、レーザー上準位の供給源である水素様イオンからの三体衝突再結合のレート係数が減少するためと考えられる。以上の結果と同時に詳細な分光学的研究も行ない、これによりヘリウム様軟X線レーザーにおいて明確な利得の観測に成功した。

図1:ターゲット表面から(a)z=200m及び(b)z=100mの位置におけるHe-like N31D-21P線の利得係数の時間変化。H-like Nパルマー線の軸外し方向の時間分解スペクトルから求めた偽の利得係数もそれぞれについて示してある。

 ところで図1において物理的に説明のつかない現象も観測されている。z=200mの場合3nsec以降の31D-21P線のスペクトル強度はピークに比べ1桁程度弱い。これはプラズマの膨張に伴い電子密度及びイオン密度が減少し、その結果三体衝突再結合過程が減り、レーザー上準位への供給が減少するためである。しかしそれならば利得係数も同様に減少してしかるべきであるが、実際には3nsec以降も2〜3cm-1の利得が観測されている。またH-like Nバルマー線の利得はヘリウム様遷移の利得が観測された後かなり時間が経ってから出現する。再結合型軟X線レーザーの場合、明らかにこのようなことは理屈に合わない。以上のような現象の原因を探るため、軸外し方向におけるH-like Nバルマー線のスペクトル強度の時間変化を様々な長さのプラズマに対し測定すると、プラズマ長lが短いほどスペクトル強度の減衰が早いことがわかった。このようなことが起きると大きな時間tにおいて、lの異なるプラズマからの単位長さ当たりの自然放出光強度に差が現れ、見かけ上の利得が生じる。図1において、3nsec以降に観測された利得係数も以上の現象により生じる系統誤差の影響を強く受けていた可能性が大きい。軸外し方向のスペクトル強度とLinfordの利得公式を用いて偽の利得を見積もると、図1中の点線のようになる。3nsec付近では観測された利得係数と偽の利得係数がほぼ一致し、この時間における上記の系統誤差の影響を示唆している。

 偽の利得の原因を調べるため、特殊なstriplikeターゲットを用いて同様の実験を行なった。このstriplikeターゲットはグラファイト基板上に幅1.6mm、厚さ1mの帯状の窒化ホウ素を蒸着したものである。励起レーザーを照射した場合生成するl=1.6mmの窒化ホウ素プラズマは、両端をグラファイトプラズマで挟まれるため、軸方向への膨張が抑制される。このようなプラズマからのスペクトル強度を観測すると、2nsec以降でもl=7.8mmプラズマの結果と非常によい一致を示す。以上から、偽の利得の原因は軸方向へのプラズマの膨張の影響によるものと考えられ、シミュレーションでこれを再現することができた。ここで特に強調しなければならないが、我々の実験において偽の利得が測定に影響を与えているのはz=200mにおいて2.5nsec以降であり、1〜2nsecで観測されているヘリウム様軟X線レーザーの利得は実際の増幅である。

 ヘリウム様軟X線レーザーの観測に対し、何故我々の実験で増幅が観測され、他ではされなかったか、という疑問に関しては考察を要する。これを調べるために図1(a)の結果に対するシミュレーションを行なった。シミュレーションの初期条件は窒化ホウ素ターゲットを用いて観測された利得及び自然放出光の時間変化に最もよい一致がえられるように決められた。その結果、仮想的に固体密度の純粋な窒素ターゲットを用いた場合には利得は発生しないことが判明した。これは純粋なターゲットの場合、プラズマ中のHe-like Nイオンの密度が高いため、レーザー下準位の主な減衰過程である21P-11S輻射遷移が再吸収により実行的に減少し、反転分布が破壊さるためと考えられる。以上を実験的に確認するため、He-like Cの31D-21P線の利得を様々な炭化物ターゲットを用いて行なった。結果を図2に示す。ターゲット材料としてはグラファイト(○)と、炭素原子の含有率が50at.%の混合物ターゲット(●)の2種類を使用した。プラズマ中の炭素イオンの密度を半分にしただけで、大きな吸収から増幅へと変化しているのがわかる。以上から、ヘリウム様軟X線レーザーの場合ターゲット組成を変化させることにより21P-11S遷移の再吸収過程を制御し、利得を発生させうることが理解できる。

 図2の観察から、実は興味深い副産物がでてくる。ターゲット組成を変化させることにより再吸収の効果及び利得係数が変化するのであれば、ターゲット組成の変化に伴う利得係数の変化を測定することにより、再吸収効果によるレーザー下準位への影響を定量的に評価できるはずである。このような再吸収過程は再結合型軟X線レーザーでは利得の有無を決定する重要な要因であったにもかかわらず、その影響は理論の方面からしか研究されておらず、様々なモデルの実験的検証がなかった。そこで上記方法による再吸収効果の測定の実証を目的に、H-like Cバルマー線に着目し、実験及びシミュレーションを行なった。様々な炭化物ターゲットの利得測定から、再吸収の影響を定量的に表す量であるescape factorを求めると、z300mでは理論と実験はよく一致するが、ターゲット表面近傍では計算によりえられるescape factorは実験よりも小さい。この結果から、電子密度や温度が高い領域でバルマー線の再吸収を軽減する何らかの効果が理論には欠如していることが伺える。

図2:He-like C31D-21P線の利得の空間変化。ターゲットとしてグラファイト(○)と炭素原子の含有率が50at.%の混合物ターゲット(●)を使用した。破線と実線はそれぞれグラファイトと混合物ターゲットに対するシミュレーション結果である。

 また偽の利得に関する研究の結果、軸方向への膨張を逆に積極的に利用するファイバー列ターゲットを提案した。従来のファイバーターゲットの場合、速い断熱膨張により大きな小信号利得は期待できるが、利得長は保持の問題で1cm以下に抑えられ、これが再結合方式における高利得長積動作を阻害する大きな要因となっていた。一方ファイバー列ターゲットの場合、ファイバーと同様に大きな利得係数が可能であると同時に、数cmという長い利得媒質を作ることができる。筆者はこのようなファイバー列ターゲットを製作し、H-like Cバルマー線で約4cm-1という大きな利得係数の観測に成功した。

 本論文をまとめると、我々はまずヘリウム様再結合型軟X線レーザーにおいて初めて明確な増幅を実現し、軟X線レーザーの新しい方向を開拓した。また軸方向へのプラズマの膨張による「偽の利得」の存在をも明らかにし、利得測定実験の際注意が必要であることを示唆した。ヘリウム様軟X線レーザーの場合再吸収効果が増幅に特に強く影響することがわかったが、ターゲット組成の制御により飛躍的な利得の向上が可能であることも示した。またこの現象を応用し、これまでは理論を中心に研究が行なわれてきた利得に対する再吸収効果の影響を、実験的に評価する手法を初めて開発した。一方、ファイバー列ターゲットという新しい軟X線レーザーターゲットを提案し、再結合方式における高利得長積動作実現への新しい道を作った。本論文の結果は軟X線レーザーに関連する様々な物理過程の解明に寄与するものであり、同時に実用的にも興味深いヘリウム様軟X線レーザーの開発という重要な意義を持つものである。

審査要旨

 本論文は7章から成る。第1章は序論であり、第2章は実験装置の概要を示す。第3章は窒素のヘリウム様イオンにおける利得の観測を述べ、第4章はプラズマの軸方向の膨張による見かけの利得について、第5章は利得に対する不純物濃度の効果についてそれぞれ報告している。第7章はファイバー列ターゲットの提案およびその検証についてであり、第7章は全体のまとめである。

 本論文は、再結合型軟X線レーザーの実現を目指して行われた一連の研究をまとめたものである。まず、これまでほとんど研究のなかったヘリウム様イオンにおいて反転分布を実現し、明確な利得の観測に成功した。これは、窒化ホウ素に大出力ガラスレーザーを照射することにより得られるプラズマ中で、窒素のヘリウム様イオンの31D-21P線(波長185.2Å)について観測したものである。詳細な分光学的研究を行うと共に、各種素過程を考慮したシミュレーション計算を行って実験を再現し当該波長の増幅を確認した。

 ヘリウム様イオンにおける増幅はこれまでほとんど観測されていない。今回それが観測された主な理由は、純粋な窒素ではなく窒化ホウ素という混合物をターゲットとして用いたことにある。ヘリウム様イオンは比較的安定でその密度が高くレーザー下準位の崩壊に伴う放射を再吸収する。そのために下準位の崩壊速度が実効的に減少し、反転分布が破壊される。不純物原子の存在はこの再吸収過程を減らす効果をもつ。シミュレーションや、各種炭化物をターゲットとした実験が行われ、利得に対する不純物濃度の依存性が調べられた。その結果、ターゲット組成を変えることで再吸収過程を制御し、ヘリウム様イオンにおいても利得を発生させることができることを立証した。さらに、この再吸収効果を実験で定量的に求めることが試みられた。その結果を理論と比較すると、必ずしも十分には一致せず、従来の再吸収過程に関する理論には含まれていない効果があることが示唆された。

 一方、ヘリウム様イオンのスペクトル線の解析において、これまで見過ごされていた新しい効果を見い出した。線状のプラズマにおいてその長さが短い場合には、軸方向の膨張の影響で減衰が早くなる。このため、時間が経ったところではプラズマの長さによって単位長さ当たりの自然放出光強度が異なり、見かけ上の利得が生じる。このことを明らかにするための実験およびシミュレーションが行われた。特に、特殊な帯状ターゲットを用いてプラズマの軸方向の膨張を抑えると、プラズマ長が短い場合でも、それが長い場合と同様のスペクトルが得られた。したがってある時刻より後では、このような見掛けの利得が生じて真の結果を隠してしまうことがあることが明らかとなった。この効果はこれまでの研究では見過ごされており、場合によっては結果の再検討が必要になることが指摘された。なお、本研究ではこのことを十分に考慮してあり、上記の結果には影響しない。

 最後に本論文の著者は、このプラズマの軸方向の膨張を積極的に利用した、ファイバー列ターゲットを提案している。これを用いると、従来のファイバーターゲットのもつ高利得という利点を生かしながら、その欠点である長さの制限を克服することができ、結果として大きな利得長積が実現されると期待される。具体的にグラファイトを使って、その可能性を実証する実験がなされた。

 以上を要するに、本論文の著者は再結合軟X線レーザーの実現を目指して、これまで研究が困難であったヘリウム様イオンでの増幅に成功し、その物理的機構の理解およびそれから発展して新しい型のレーザー媒質の提案を行った。本研究は軟X線レーザーの開発における新しい方向を見い出したものであり、また関連する基礎研究に大きく貢献するものである。よって申請者に博士(理学)の学位を授与するのが適当である。なお、本研究は黒田寛人氏との共同研究であるが、申請者の寄与が十分大きいと判断される。

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