学位論文要旨



No 213873
著者(漢字) 高橋,貞
著者(英字)
著者(カナ) タカハシ,タダシ
標題(和) 眼組織におけるプロスタグランジンエンドペルオキシドH合成酵素アイソザイムの発現
標題(洋)
報告番号 213873
報告番号 乙13873
学位授与日 1998.05.27
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13873号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 教授 河邊,香月
 東京大学 教授 玉置,邦彦
 東京大学 助教授 斉藤,英昭
 東京大学 講師 平田,恭信
内容要旨 研究目的

 近年,プロスタグランジン合成における律速段階であるプロスタグランジンエンドペルオキシドH合成酵素(prostaglandin endoperoxide H synthase,PGHS;以下便宜的にcyclooxygenase,COX)の二つのアイソザイム(COX-1,COX-2)が同定され,COX-1は生体の恒常性維持に,COX-2は炎症時における病態に関与することが判明した.しかしながら,眼科領域における炎症時のCOX-1とCOX-2の発現について詳細に検討した報告はこれまでになく,本研究では,これらのアイソザイムが眼内炎症時に果たす役割について,in vitroおよびin vivoの実験系を用いて検討した.

方法

 I)In vitroの系として,ウシ眼球の毛様体上皮細胞と角膜内皮細胞の培養系を用いた.10%FBS/DMEM下にコンフルエントとした細胞を,0.3%FBS/DMEMに交換した後48時間インキュベートすると休止状態の細胞(quiescent cell)が得られ,次に培養液を10%FBS/DMEMに戻すとともに培養液中にlipoplysaccharide(LPS)あるいはinterleukin-1(IL-1)を添加し1〜12時間インキュベートすると,細胞は活性化状態(activated cell)となる.通常,quiescent cellはCOX-1を,activated cellはCOX-2を主に発現した細胞である.これらの細胞内のCOX発現の検討に,i)生細胞COX活性測定法,ii)Enzyme immuno assay(EIA)による細胞培養上清中のPGE2の測定,iii)抗COX抗体を用いた免疫組織化学染色,および,iv)ノーザンブロットハイブリダイゼーション,を用いた.あわせてCOX-2の特異的阻害剤であるNS-398の効果についても検討した.

 II)In vivoの系として,LPSの家兎硝子体注射によるエンドトキシン誘発ぶどう膜炎モデルを用いた.LPS注射後,前房フレアー値を経時的に測定し,炎症が惹起された9時間の時点で眼球を摘出し,厚さ7mの凍結切片を作成し,抗COX-2抗体を用いた免疫組織化学染色を用いて炎症眼におけるCOX-2の発現を検討した.

結果I)In vitroの系

 生細胞COX活性測定法による検討では,角膜内皮細胞および毛様体上皮細胞のどちらの細胞においても休止状態の細胞にはCOX-1および-2の発現はほとんど認められなかった.休止状態の細胞をLPSまたはIL-1で刺激すると,角膜内皮細胞において6時間をピークとするCOX-2の発現が用量依存的かつ時間依存的に誘導されたが,毛様体上皮細胞ではCOXの発現はほとんど認められなかった.角膜内皮細胞におけるCOX-2の活性は,その特異的阻害剤であるNS-398により完全に抑制された.LPSまたはIL-1で6時間刺激した角膜内皮細胞の培養液に10Mのアラキドン酸を添加し15分間インキュベートした培養上清中のPGE2濃度(ng/ml;mean±SEM,n=4)は,それぞれ40.0±6.5,27.3±3.6,であり,あらかじめ10-7MのNS-398存在下に15分間インキュベートした後,10Mのアラキドン酸を添加し15分間インキュベートした培養上清中のPGE2濃度は,それぞれ0.5±0.1,0.4±0.1,であった.免疫組織化学染色では,休止状態の細胞と,LPSあるいはIL-1の6時間処理で刺激された細胞のいずれにも,COX-1に対する明らかな染色は確認できなかった.COX-2に対する染色では,LPSあるいはIL-1で刺激された細胞にCOX-2蛋白の染色が認められた.ノーザンハイブリダイゼーションでは,LPS(100g/ml)あるいはIL-1(100ng/ml)で各0,1,3,6,12時間刺激した細胞におけるCOX-1mRNAの発現は,LPSおよびIL-1のいずれの刺激でも,すべての時間において認められなかった.COX-2に関しては,LPS刺激により,mRNAは1時間でわずかに認められ3時間で最大となった後6時間で減少し12時間で消失する経時変化を示した.また,IL-1で刺激した細胞におけるCOX-2mRNAの発現は,1時間でわずかに認められ3時間から6時間まで増大し12時間で減少する経時変化を示した.

II)In vivoの系

 LPS硝子体注射後の9時間の眼内におけるCOX-2の発現は,角膜内皮細胞において強く認められた.

考察

 眼内炎症時にPGを産生する部位は虹彩毛様体が主であるという現在までのコンセンサスをもとに,本研究では,まず毛様体上皮細胞におけるCOXの発現について検討した.毛様体上皮細胞をLPSで3〜24時間刺激し,生細胞COX活性測定法を用いて顕微鏡直視下に,毛様体上皮細胞のCOX活性を調べたところ,予想に反し,休止状態の細胞,あるいはLPSで刺激した細胞のどちらにもCOX活性はほとんどみられなかった.本研究では次に,角膜内皮細胞におけるCOX活性を検討した.角膜内皮細胞はin vitroの培養系において,創傷治癒の際PGE2を産生することが数多く報告されており,COXを有することが明らかであるが,炎症時におけるCOXアイソザイムの発現については検討されていない.生細胞COX活性測定法による検討の結果,休止状態の細胞にはCOX活性はほとんどみられず,LPSあるいはIL-1による刺激で用量依存的かつ時間依存的に細胞内にCOXが誘導された.このCOX活性はCOX-2特異的阻害剤であるNS-398で完全に抑制された.さらに,LPSあるいはIL-1で6時間刺激された細胞の培養上清中PGE2がNS-398で完全に抑制されたこと,免疫組織化学染色でCOX-2蛋白の存在が認められたこと,および,ノーザンハイブリダイゼーションによりCOX-2mRNAの時間依存的な発現が示されたことから,LPSあるいはIL-1の刺激により,角膜内皮細胞にCOX-2が誘導されることが明らかとなった.

 眼内炎症時のin vivoにおけるCOX-2の発現を調べるために,家兎を用いてLPSの硝子体注射によるエンドトキシン誘発ぶどう膜炎を作成し,免疫組織化学的にCOX-2の発現および局在について検討した.LPSの硝子体注射後,前房フレアー値をレーザーフレアー・セルメーターで経時的に測定し,9時間後にフレアー値の上昇がみられた時点の眼球から凍結切片を作成し,免疫組織化学染色を行った.その結果,COX-2の染色は対照眼にはみられず,炎症眼の角膜内皮細胞に強い染色が認められた.なお,角膜以外の部位は組織が不均一であるため,COX-2の染色の有無は判定困難であった.この結果から,LPSの硝子体注射によるエンドトキシン誘発ぶどう膜炎の際,角膜内皮細胞にCOX-2が発現しPGを産生している可能性が示唆された.一般的に,ぶどう膜炎時のPG産生は主として虹彩毛様体で行われると考えられているが,本研究の結果は,それに加えて角膜内皮細胞のPG産生能が無視できないことを示した点で新しい発見といえる.

 ぶどう膜炎時は眼内に浸潤した炎症細胞などから産生されたIL-1,IL-4,IL-6,IL-8,などがサイトカインネットワークを形成し炎症を増悪させると考えられている.LPSが眼内に存在する場合は,細菌性眼内炎である.こうした眼内炎症時,IL-1やLPSの刺激で角膜内皮細胞に誘導されたCOX-2によりPGE2が産生されると,眼内の血管透過性が亢進し,より一層炎症が悪化すると考えられる.角膜内皮細胞は広く前房と房水に接しているので,一旦COX-2が誘導されれば大量のPGE2が房水中へ放出されると考えられる.

 以上,本研究により,眼内炎症時,角膜内皮細胞にCOX-2が発現しプロスタグランジンを産生している可能性が示唆された.今後,臨床的に,NS-398を始めとするCOX-2選択的阻害剤の眼科領域への応用が期待される.

審査要旨

 本研究はプロスタグランジン(PG)合成において重要な役割を演じていると考えられるプロスタグランジンエンドペルオキシドH合成酵素(COX)のアイソザイム(COX-1、COX-2)の眼科領域における関与を明らかにするために、in vitroにて角膜内皮細胞および毛様体上皮細胞をlipoplysaccharide(LPS)あるいはinterleukin-1(IL-1)で活性化する系と、in vivoにてLPSを家兎硝子体内に注射する系を用いて、眼内細胞におけるCOX-1とCOX-2の発現について解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1.培養細胞におけるCOX活性をレーザー共焦点顕微鏡を用いて測定した結果、角膜内皮細胞および毛様体上皮細胞の両者において、休止状態の細胞にCOX-1およびCOX-2の発現はほとんど認められなかった。LPSまたはIL-1で活性化された細胞では、角膜内皮細胞においてCOX-2の発現が用量依存的かつ時間依存的に誘導されたが、毛様体上皮細胞ではCOXの発現はほとんど認められなかった。角膜内皮細胞におけるCOX-2の活性は、その特異的阻害剤であるNS-398により完全に抑制された。

 2.角膜内皮細胞の培養上清中のPGE2を酵素抗体法を用いて測定した結果、LPSまたはIL-1で活性化した群は、それらを添加しない群に比べ、PGE2はそれぞれ6倍、4倍に上昇した。このPGE2の上昇はNS-398により完全に抑制された。

 3.免疫組織化学染色により、LPSあるいはIL-1で活性化された角膜内皮細胞におけるCOX-2の存在が示された。また、これらの細胞においてCOX-1は認められなかった。休止状態の角膜内皮細胞におけるCOX-1あるいはCOX-2は認められなかった。

 4.ノーザンハイブリダイゼーションにより、LPSあるいはIL-1で活性化された角膜内皮細胞におけるCOX-2mRNAの発現が用量依存的かつ時間依存的に示された。また、COX-1mRNAの発現はいずれの場合も認められなかった。

 5.LPSを家兎硝子体内に注射した9時間後の眼球から凍結切片を作成し、免疫組織化学染色を行ったところ、角膜内皮細胞においてCOX-2の発現が強く認められた。

 以上、本論文は角膜内皮細胞において、起炎物質であるLPSあるいはIL-1によりCOX-2が誘導され、プロスタグランジンが産生されることを明らかにした。本研究はこれまで未知に等しかった、炎症時の眼内細胞におけるCOX-2の発現の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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