学位論文要旨



No 213875
著者(漢字) 武井,陽介
著者(英字)
著者(カナ) タケイ,ヨウスケ
標題(和) シナプシンI欠失マウスの作製と解析
標題(洋) Generation and Analysis of Mutant Mice Lacking Synapsin I
報告番号 213875
報告番号 乙13875
学位授与日 1998.05.27
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13875号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 三品,昌美
 東京大学 教授 井原,康夫
 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 助教授 久保田,俊一郎
 東京大学 講師 永田,昭久
内容要旨 イントロダクション

 神経細胞は神経回路網の構成単位である。神経細胞間の情報伝達は主としてシナプスで行われる。この過程において、神経終末のシナプス小胞がシナプス前膜に融合し、神経伝達物質がシナプス間隙へ放出される。シナプス前部ではアクチン繊維がシナプス前膜の近傍まで伸び、疎なネットワークを形成している。アクチン繊維とシナプス小胞の間、またシナプス小胞とシナプス小胞の間には30-60nm長の短いフィラメントが観察されるが、この繊維構造は主としてシナプシンと呼ばれるシナプス小胞に結合して単離された蛋白であると考えられている。シナプシンには異なる遺伝子からつくられるシナプシンIとシナプシンIIとがあり、各々異なるスプライシングに由来するシナプシンIa、Ib、シナプシンIIa、IIbの合計4種類のアイソフォームが知られている。イカの巨大神経終末に脱燐酸化シナプシンIを注入するとシナプス後電位の振幅が減少するが、燐酸化シナプシンIを注入しても変化が見られないことと、シナプシンIが神経終末内の細胞骨格要素とシナプス小胞との間の架橋構造であることを考え併せて、シナプシンIはその燐酸化の状態に応じてシナプス小胞の可動性を変化させ、神経伝達物質の放出を調節していると考えられてきた。また一方では、シナプス形成の時期と一致してシナプシンの発現量が増加すること、in vitroのシナプシン強制発現によりシナプス様構造の増加が認められることなどから、シナプシンはシナプス形成に重要な役割を果たしているとも推定されてきた。Rosahlらの報告によれば、シナプシンI欠失マウスはpaired-pulse facilitation(PPF)の増強傾向が見られる以外には顕著な表現型を示さず、神経系の構造にも異常は見い出されなかったが、シナプシンIとIIを欠失させたダブルノックアウトマウスではシナプス小胞数が減少していた。しかしながら、彼等の報告はシナプシンI欠失マウスのシナプスについての電子顕微鏡レベルのデータを欠くなど、特に形態学的側面において不十分であると考えられたため、我々は彼等とは独立に作製したシナプシンI欠失マウスを用いて解析を行い、以下に述べる結果を得た。

実験成績

 ジーンターゲティング法を用いてシナプシンI欠失マウスを作製した。まずシナプシンI遺伝子を含むゲノム断片をクローニングし、これにネオマイシン耐性遺伝子またはLacZ遺伝子とネオマイシン耐性遺伝子の融合遺伝子を翻訳開始コドンを含むエクソン内に挿入した2種類の置換型ターゲティングベクターを作製した。このベクターを電気穿孔法で導入した胚幹細胞(ES cell)をG418を用いて選別、ついで得られた耐性クローンのゲノムDNAをサザンブロット法によって解析し、相同組み換えクローンを同定した。この相同組み換え体であるES細胞をマウス胚盤胞に注入し、2種類のベクターに由来する2ラインの生殖系列キメラを作製した。キメラの仔(F1)同士を掛け合わせ、生まれてきたF2マウスの中にシナプシンI欠失マウスを見い出した。シナプシンIの欠失は全脳ホモジネートを用いたウエスタンブロッティング法で確認した。シナプシンI欠失マウスは外見上野性型マウスと区別がつかず、生殖能力も持っていたが、成長するに従って全般性の痙攣発作がしばしば観察された。ケージ交換の取り扱いに伴う刺激などによってしばしばこの発作が誘発された。この変異マウスの脳には粗大な解剖学的異常が認められなかったため、我々は更に海馬苔状繊維が海馬CA3領域につくるシナプス及び小脳平行繊維が分子層につくるシナプスについて電子顕微鏡レベルの検索を行った。どちらのシナプスでもシナプス小胞の密度が有意に減少しており、海馬苔状繊維のシナプスでは神経終末自体の大きさも減少していた。この神経終末の縮小は海馬苔状繊維及びその神経終末をDiIでラベルして観察することで確認された。シナプス小胞の神経終末内での分布について検討したところ、小脳のシナプスではシナプス小胞の減少は活性部位の近傍で目立たず、そこから離れた部位で顕著であった。次に神経終末内の細胞骨格要素の変化について検討するため、我々は小脳苔状繊維及び海馬苔状繊維のシナプスを急速凍結ディープエッチ法を用いて電子顕微鏡で観察し、シナプス小胞から伸びて他のシナプス小胞あるいは細胞骨格要素との間を架橋する短いフィラメントが減少していることを見た。次に海馬スライス培養を用いて苔状繊維のシナプス(CA3領域)の電気生理学的実験を行い、シナプスの機能について評価した。fEPSPはシナプシン欠失マウスでも異常なく、Long-term potentiation(LTP)も差がなかった。

結論

 シナプシンIとIIを欠失したダブルノックアウトマウスではシナプス小胞の密度が低下すると報告されているが、我々の実験結果からシナプス小胞の密度はシナプシンI単独の欠失によっても低下することが明らかになった。このことからシナプシンIの機能はシナプス小胞の神経終末における動態に関与していることが推定される。また、小脳平行繊維のシナプス前部においてシナプス小胞の減少は活性部位近傍では目立たず、活性部位から離れた場所で顕著であった。この結果は、シナプシンIがシナプス前膜からやや離れた位置に局在しているという免疫電子顕微鏡の結果や、ヤツメウナギ中枢神経のシナプス前部に抗シナプシン抗体を注入するとシナプス前膜から離れたシナプス小胞が特異的に枯渇するという実験結果と一致しており、シナプシンIが主にシナプス前膜から離れたシナプス小胞に結合してその動態を安定化しているという仮説が考えられよう。しかしながら海馬苔状繊維での結果は前述の小脳の結果とは異なり、シナプス小胞の密度低下の程度はシナプス前膜からの距離とは関連していなかった。また小脳平行繊維のシナプスの場合と違い、海馬苔状繊維の神経終末自体の大きさが減少していた。従ってシナプシンIは中枢末梢を問わずほとんどすべての神経細胞に存在する蛋白ではあるが、これを欠失させた場合にあらわれる神経終末の異常はシナプスの種類によって異なると思われる。この差異の原因として、恐らくシナプスの種類によってシナプス小胞の動態に差があること、またシナプシンIとIIの比率が細胞の種類によって異なり、シナプシンIの個々の神経終末における相対的重要性が一様でないことなどが挙げられよう。また急速凍結ディープエッチ法を用いた解析の結果はシナプス小胞の周囲に認められる短いフィラメントのかなりの部分がシナプシンIに他ならないという廣川らによる従来の仮説を補強するものである。以上の結果から、シナプシンIはシナプス形成及びシナプスの基本的機能に必須ではないが、シナプス小胞同士あるいはシナプス小胞と細胞骨格要素とのあいだを架橋し、シナプス小胞の空間的位置を安定化することを通じてその動態を調節する働きを持ち、シナプス前部構造の形成もしくは維持に重要な役割を果たしていることが示唆される。また痙攣発作の原因について考究するためには、電気生理学的な手法を用いて特にミュータントマウスの抑制性シナプスの機能を評価することなどが今後必要とされよう。

審査要旨

 シナプス小胞関連蛋白シナプシンIは、主にin vitroの実験から神経細胞のシナプス形成と、神経伝達物質放出に重要な役割を果たしていると考えられてきた。本研究はシナプシンIの機能をin vivoで検討するためにシナプシンI欠失マウスを作製し解析したものであり、下記の結果を得た。

 1.ジーンターゲティング法を用いて、2ラインのシナプシンI欠失マウス作製に成功した。

 2.シナプシンI欠失マウスは一見野性型マウスと区別がつかなかったが、成長するに従って全般性の痙攣発作がしばしば観察された。

 3.変異マウスの脳には粗大な解剖学的異常は認められなかった。

 4.海馬苔状繊維が海馬CA3領域につくるシナプス及び小脳平行繊維が分子層につくるシナプスについて電子顕微鏡レベルの検索を行った結果、どちらのシナプス前部でも変異マウスではシナプス小胞の密度が減少していた。

 5.変異マウスの小脳平行繊維シナプス前部のシナプス小胞の減少は活性部位近傍よりも離れた部位で著しく、シナプス小胞の神経終末内分布が変化していた。

 6.変異マウスの海馬苔状繊維の神経終末のサイズが小さくなっていた。この神経終末の縮小は海馬苔状繊維及びその神経終末をDiIでラベルして観察することで確認された。

 7.小脳苔状繊維のシナプスを急速凍結ディープエッチ法を用いて電子顕微鏡で観察した。その結果、シナプス小胞から伸びて他のシナプス小胞あるいは細胞骨格要素との間を架橋する短いフィラメントが変異マウスでは減少していること示唆された。

 8.海馬スライス培養を用いて海馬苔状繊維のシナプス(CA3領域)の電気生理学的実験を行い、シナプスの機能について評価した。変異マウスのfEPSP、Long-term potentiation(LTP)ともに異常は認められなかった。

 以上から、シナプシンIはシナプス前部構造の形成もしくは維持に重要な役割を果たしていることが明らかになった。すなわちシナプシンIはシナプス形成及びシナプスの基本的機能に必須ではないが、シナプス小胞同士あるいはシナプス小胞と細胞骨格要素とのあいだを架橋し、シナプス小胞の空間的位置を安定化することを通じてその動態を調節する働きを持っていると考えられる。本研究はシナプシンIの機能をin vivoの系で検討し、特に不明な点の多いシナプス前部の機能の分子レベルでの解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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