学位論文要旨



No 213881
著者(漢字) 谷口,淳
著者(英字)
著者(カナ) タニグチ,ジュン
標題(和) 前立腺癌の病態および予後に関する組織化学的検討
標題(洋)
報告番号 213881
報告番号 乙13881
学位授与日 1998.05.27
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13881号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 玉置,邦彦
 東京大学 教授 武谷,雄二
 東京大学 教授 北村,唯一
 東京大学 助教授 鳥羽,研二
 東京大学 講師 織田,弘美
内容要旨 1.研究の目的、研究の背景

 内分泌療法に不応性ないし再燃性の前立腺癌は予後不良であり、治療の感受性の評価が課題となっている。組織標本の組織化学的検討は、通常のhematoxylin eosin(HE)染色ではわからない細胞内の物質や抗原の検出に有用であり、前立腺癌組織では前立腺性酸性ホスファターゼ(PAP)をはじめ、前立腺特異抗原(PSA)、ABO血液型抗原、アンドロゲンレセプター、癌遺伝子産物等について検討がなされているが、再燃の機序や予後を左右する因子あるいは治療効果を評価できる因子は未だ解明されてはいない。Proliferating Cell Nuclear Antigen(PCNA)は細胞周期に関係し、S期の細胞を反映するといわれている。p53は癌抑制遺伝子として知られ、正常型p53蛋白は細胞のDNA損傷で増加し、細胞周期の調節やアポトーシスを引き起こすといわれ、多くの悪性腫瘍でその変異が調べられている。細胞の癌化に伴なって起こる複合糖質の糖鎖異常は、癌の浸潤、転移能と密接な関係がある。レクチンは複数の糖結合部位を持つタンパク質または糖タンパク質で、細胞表面の構造や機能の研究に利用され、組織化学的には、正常組織と癌化過程の組織における結合性の違いや、最近ではアポトーシスに関連した報告が散見される。前立腺癌はアンドロゲン除去によりアポトーシスが誘導され癌細胞のDNAの断片化が起こることが知られている。最近組織切片上でこのDNA末端を標識同定する方法が開発され、組織切片上でアポトーシスに陥った細胞の確認が可能となった。bcl-2はヒト濾胞性リンパ腫に高頻度に認められる染色体転座の解析から発見された癌遺伝子であるが、機能的にはアポトーシスを抑制することが明らかとなった。私は、前立腺癌はアポトーシスを回避した細胞集団が、無アンドロゲン状態への適応や増殖に有利な物質の新合成を通じてアンドロゲン非依存癌へと進行するのではないかと考え、前立腺癌の病態および予後との関係を明らかにする目的で、これらアポトーシスに関連した核内DNA断片、bcl-2遺伝子蛋白、p53遺伝子蛋白の局在とPCNAの発現およびレクチンの結合部位を連続切片で組織化学的に検討した。

2.研究方法I.対象:

 対象は東京大学医学部泌尿器科学教室の前立腺癌症例91症例(臨床病期A7例、B10例、C42例、D32例)で、このうち前立腺全摘除術が33例に施行され、16例に術前ネオアジュバント療法が行われた。

II.病理組織学的評価:

 標本は、10%ホルマリンで24〜48時間固定し、パラフィン包埋した。パラフィン包埋標本は5mに薄切し、hematoxylin eosin(HE)染色を行って組織分類等の病理組織学的検討に供した。前立腺癌取扱い規約(第2版)に基づいて、高分化型、中分化型、低分化型に分類した。

III.組織化学的染色方法:

 10%ホルマリン固定パラフィン包埋切片(5m)で組織化学的検討を行った。免疫組織化学的染色は連続切片で行い、同一細胞集団で各々の抗体の染色性の関連についても検討した。

(1)標識レクチンを用いた糖鎖の検討

 使用したビオチン標識レクチンは、Concanavalia ensiformis(Con A),Triticum vulgaris(WGA),Ricinus communis(RCA-I),Arachis hypogaea(PNA),Ulex europaeus(UEA-I),Glycine max(SBA),Gliffonia simplicifolia II(GSA-II)で、PNAはneuraminidase処理後PNAを結合したもの(PNA-N)も検討した。avidin-biotin-peroxidase-complex(ABC)法で染色を行い、対照に特異的阻害糖による阻害試験を行った。

(2)抗PCNA抗体の免疫組織化学的検討

 mouse IgG抗PCNAモノクローナル抗体(PC10)を使用し、ABC法で染色を行った。染色陽性細胞は癌細胞500〜1000個あたりの染色陽性細胞数のLabelling-Index(LI)(%)で評価した。

(3)抗p53抗体及び抗bcl-2抗体の免疫組織化学的検討

 抗原賦活化処理を行った後に、mouse IgG抗p53モノクローナル抗体(DO-7)及びmouse IgG抗bcl-2モノクローナル抗体(DAKO A/S.Glostrup,Denmark)を使用し、ABC法で染色を行った。

(4)アポトーシスの一指標(intranuclear DNA fragmentation)の検討

 Proteinase Kで抗原賦活化処理を行った後、ApopTagTMIn Situ Apoptosis Detection Kit-Peroxidase(Oncor,Gaithersburg,MD,USA)を使用し、terminal deoxynucleotidyl transferase(TdT)によるDigoxigenin-dUTP標識を行い、抗Digoxigenin抗体で検出した。

3.実験結果(1)組織学的分化度

 分化度の内訳は、高分化型癌22例、中分化型癌37例、低分化型癌32例であった。

(2)レクチンの結合部位の検討

 UEA-Iは癌組織及び非癌組織で細胞胞体に結合したが、結合陽性率は非癌組織35.3%(6/17),癌組織70.7%(41/58)であり陽性率に有意の差が認められた(p<0.05)。SBAは非癌組織には結合せず(0/17)、癌組織では細胞胞体に結合し、分化度の低下に伴い結合陽性率が高く、結合陽性率は44.8%(26/58)と、非癌組織との間に有意の差が認められた(p<0.01)。他のレクチンでは非癌組織と癌組織で結合陽性率に有意差はなかったが、癌組織では不均一な結合性を示すものが多く、結合陽性率はCon A;94.8%(55/58)、WGA;87.9%(51/58)、RCA-I;82.8%(48/58)、GSA-II;34.5%(20/58)、PNA;19.0%(11/58)、PNA-N;69.0%(40/58)であった。

(3)抗PCNA抗体(PC10)の免疫組織化学的検討

 PCNA-Labelling Index(LI)(%)は高分化型癌9.8±4.4%、中分化型癌15.8±14.0%、低分化型癌14.0±10.1%であった。内分泌療法有効群では治療後のLIが著明に低下していた。

(4)抗p53抗体(DO-7)の免疫組織化学的検討

 非癌前立腺組織では染色されず、癌組織では核内が瀰慢性に染色され、染色陽性率は50.6%(44/87例)であった。分化度の低下に伴い染色陽性率が高い傾向があるが臨床病期別の染色陽性率に有意差はなかった。内分泌療法不応・再燃群の染色陽性率86.4%(19/22)は、有効群の45.5%(10/22)より有意に高かった(p<0.05)。また、p53染色陽性群の前立腺癌死亡率は染色陰性群より有意に高かった(p<0.05)。

(5)抗bcl-2抗体の免疫組織化学的検討

 bcl-2は、非癌前立腺組織では基底細胞、導管上皮細胞、射精管上皮細胞及び精嚢腺上皮細胞に局在し、前立腺分泌細胞はほとんど染色されなかった。前立腺癌組織では細胞膜および核膜に局在し、染色陽性率は31.9%(29/91)であったが、転移病期例で陽性率が高い傾向がみられた。前立腺全摘除術施行例では、染色陽性細胞は散在せず集団として限局する傾向が認められ、術前ネオアジュバント療法施行例では、非ステロイド性アンチアンドロゲン剤投与例の染色陽性率が87.5%(7/8)と、他の製剤投与例の染色陽性率25%(2/8)に対して有意に高かった(P<0.05)。

(6)intranuclear DNA fragmentationの免疫組織化学的検討

 intranuclear DNA fragmentationは非癌前立腺組織では主に腺房上皮細胞の核に散在性に局在し、基底細胞はほとんど染色されなかった。前立腺癌細胞では核に局在し、組織学的にアポトーシスの所見を示す細胞以外にviableな細胞にも染色された。通常のHE染色標本では区別のつかない同一癌巣内の細胞でも、bcl-2染色陽性細胞にはintranuclear DNA fragmentationの局在は認められず、両者は著明に解離していた。

4.まとめ

 本研究の結果から、癌細胞組織では糖鎖の代謝の変化が起こっていることが判明し、癌化の過程で発生母地の組織の性質を喪失することが示唆された。中分化癌と低分化癌ではPCNA-LIが高い傾向があり、内分泌療法有効群では治療後組識のPCNA-LIの低下が認められ,分化度の低い細胞ほど増殖性が高く、内分泌療法に不応性ないしは再燃性であることが示唆された。p53蛋白の発現は、不応・再燃群で有効群に対して有意に高く、変異型p53蛋白の発現が再燃性と予後に関連している可能性が示唆された。連続切片で、前立腺癌におけるbcl-2と核内DNA断片の局在の関連を明らかにした報告はない。今回の実験結果から前立腺癌細胞には、治療の有無にかかわらず核内DNA断片の局在が認められ、その局在はbcl-2の発現部位と解離していることが判明し、bcl-2が発現する細胞ではアポトーシスが起こり難いことが示唆された。bcl-2陽性細胞は散在せず集団として限局する傾向が認められた。非ステロイド性アンチアンドロゲン剤投与例ではbcl-2の発現が亢進しており、同剤の単独投与は、bcl-2の発現に関与し、内分泌療法不応癌のクローン選別を促進する可能性が示唆された。

審査要旨

 本研究はヒト前立腺癌の病態および予後に影響する因子を明らかにする目的で、病理組織標本の連続切片を用いて、アポトーシスに関連する核内DNA断片、bcl-2遺伝子蛋白、p53遺伝子蛋白の局在とPCNAの発現およびレクチンの結合部位に関する組織化学的検討を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1.標識レクチン結合部位の染色の結果、各レクチンの結合陽性率と臨床病期、組織学的分化度、予後との相関は認めなかったが、前立腺癌組織と非癌前立腺組織では糖鎖の細胞内での局在に相違がみられ、UEA-IとSBAで結合陽性率に有意差を認めた(それぞれp<0.05,p<0.01)。このことから癌細胞組織では糖鎖の代謝の変化が起こっていることが示された。

 2.抗PCNA抗体の染色陽性率をLabelling Index(LI)(%)で検討した結果、中分化型癌と低分化型癌でLIが高い傾向がみられた。治療前後の比較では、有効群で治療後のLIが著明に低下しており、分化度の低い細胞ほど増殖性が高く、内分泌療法に不応性ないしは再燃性であることが示唆された。

 3.抗p53抗体の免疫組織化学的染色の結果、非癌前立腺組織では染色陰性であったのに対し、前立腺癌組織では染色陽性率が50.6%(44/87)であった。内分泌療法施行例では、治療有効群の染色陽性率45.5%(10/22)に対して不応・再燃群の染色陽性率は86.3%(19/22)と有意に高く(p<0.05)、変異型p53蛋白の発現が再燃の機序に関連している可能性が示唆された。さらに、p53染色陽性群の前立腺癌死亡率は染色陰性群より有意に高く(p<0.05)、変異型p53蛋白の発現が前立腺癌の予後に影響する因子であることが示唆された。

 4.抗bcl-2抗体の免疫組織化学的染色の結果、前立腺癌組織の染色陽性率は31.9%(29/91)であったが、染色陽性細胞は散在せず集団として限局する傾向が認められた。前立腺全摘除術前にネオアジュバント療法を施行した16例では、非ステロイド性アンチアンドロゲン製剤投与例で染色陽性率が87.5%(7/8)と、他の製剤投与例8例の染色陽性率25%(2/8)に対して有意に高かった(P<0.05)。このことから非ステロイド性アンチアンドロゲン製剤の単独投与は、bcl-2の発現に関与し、内分泌療法不応性癌のクローン選別を促進する可能性が示唆された。

 5.intranuclear DNA fragmentationの免疫組織化学的染色の結果、前立腺癌細胞では核に局在が認められ、組織学的にapoptosisの所見を示す細胞以外にviableな細胞にも染色された。前立腺癌組織でのbcl-2とintranuclear DNA fragmentationの局在は著明に解離しており、bcl-2が発現する細胞ではアポトーシスが起こり難いことが示された。

 以上、本論文はヒト前立腺癌組織において、核内DNA断片、bcl-2遺伝子蛋白、p53遺伝子蛋白の局在とPCNAの発現およびレクチンの結合部位に関する組織化学的検討から、前立腺癌の病態および予後に影響する因子を明らかにした。本研究は前立腺癌における組織内糖鎖の変化、p53遺伝子蛋白の再燃性と予後への関与、アポトーシス抑制因子の発現の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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