学位論文要旨



No 213882
著者(漢字) 中丸,映子
著者(英字)
著者(カナ) ナカマル,エイコ
標題(和) ラット脳の芳香族アミン系神経伝達物質代謝回転動態の時空特性 : 内在局所動態、系・領域・時間連関、及び誘発・セロトニン除去擾乱応答
標題(洋)
報告番号 213882
報告番号 乙13882
学位授与日 1998.05.27
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13882号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 教授 芳賀,達也
 東京大学 教授 三品,昌美
 東京大学 助教授 渡辺,知保
 東京大学 助教授 土屋,尚之
内容要旨 [序論]

 セロトニン(5-HT)、ノルエピネフリン(NE)、及び、ドーパミン(DA)を神経伝達物質とする脳内の芳香族アミンニューロン3系は、いずれも、脳幹・中脳局在細胞体からの広域投射や、破壊実験、神経・行動薬理、臨床薬理・疾患代謝分析に基づき、覚醒・睡眠や行動等の脳全体基調・機能階調調節、下位情報の統合・伝達、そして、主要内因性精神疾患に関与する代表的な統合調節系として、歴史的な認知を得て来た。この"部分・全体接点"問題は、解明今後の"高次命題"で、関連する多様な受容体・輸送体、共存調節系の研究が、本来の"分子複雑性"を明確とし、横断的な"ノックアウト実験"が"分子補償性"を登場せしめ、他方では、分子・全体の接点の動態構造を求め多階層にわたる探索が進んでいる。本研究の目的は後者の一つで、以上の全体調節系3系の活動を、情報伝達物質芳香族アミンの代謝に託し、局所固有の動態を、脳広域局所で平行探索し、内在性の時空特性や3系間関連、誘発・擾乱に対する局所応答を求めて、物質水準の"動的高次構造"の新命題を追及する事である。この3系は、冒頭の特性に加え、拡散伝達が可能な系で、実験的論理的にも、微小分割、微小透析の空間水準、時間水準で、時空的な追及や部分全体命題の探索が可能な標的と考えられた。更に、従来、この3系の末端活動が、脳幹・中脳からのトップダウンの全体同調で、局所パラダイムは、共存系や後シナプス受容体構築が規定するという暗黙認識があったが、この高次問題の"前半"を単純一様とし、高次に必須な階層性・複雑性を減少せしめる明確な根拠は、本来、無く、本研究の結果も、以下、前シナプス過程に局所固有のパラダイムの存在を示唆した。本研究では、我々の開発した脳内5-HTの迅速特異的除去擾乱法が、系間相互作用の局所探索に駆使されたが、この際の生理応答は、"睡眠・覚醒相の交替周期の"一日から分単位への崩壊"で、時間構造の擾乱"であった。この5-HT除去応答は、本研究での動的な"全体・部分命題"の系統的探索に当たり、重要な対応原理となった。

[実験方法]

 ラット(SD,250-350g,雄、総計約500匹)は、概日律動形成や時間特性安定化の為、前もって12h明暗交替(8am-8pm)の防音室や観測環境に入れ馴化し、行動量で確認した。微小分割法では、時間誤差±15分以内で、時計時間連続48-72h/1h間隔で軽麻酔後、脳を迅速摘出し松果体を除いて凍結し(-80℃),Slicer(1or2mm)/Cryostat(0.5mm)で連続切片とし、部分領域・相接局所(1x1x1 or 2mm)を脳地図に従い切出し、各微小領域(20-60カ所)をPCA(+EDTA/還元剤)で除蛋白し、上清の5-HT/NE/DA・関連代謝産物は、逆相イオンペアHPLC/ECD・蛍光の二重検出、アミノ酸は後OPA標識法でpmol分析し、一方、局所微小透析では、麻酔下、直管/U字型プローブ(0.2x1-2mm長)を脳定位固定装置で装着し、回復から環境馴化に2-7日後、自由行動下、脳リンゲル液(NaCl 147 mM/KCl 4 mM/CaCl2 2.3mM,pH5.5-6)潅流(1-3ul/min)を開始し、透析液は6-30分間隔収集かon lineで、pmol下水準のHPLC/ECD又は前OPA標識分析系に導入し、誘発実験では、共にfmol下感度の、OPA前標識アミノ酸分析、3系アミン同時HPLC分析法を開発・適用した。微小透析での代謝回転観測中は、律動の形成崩壊やエピソードに関し、代謝動態と行動量記録と相互対応せしめ、終了後直ちにプローブ先端位置、出血、グリア増殖の存否をCresyl Violet染色切片で検討した。一方、汎脳的5-HT除去擾乱の為のトリプトファン側鎖酸化酵素は、Kg単位のPseudomonasより大量精製法を確立し純品g単位を調製し、主に腹腔内投与した。

[結果と討論]脳内各領域における芳香族アミン・関連物質定常水準の動態の微小分割法による追究:内在時空特性と系・領域間・時間連関及びセロトニン除去擾乱応答

 全脳レベルの20%程度温和な揺動に比較し、脳局所単位では劇的な揺動が多数の周期で共存し、部位・系により順・逆位相(同一系)特定領域間同調(同領域)特定系間同調が観察された。日周リズムを含む長周期の変動・水準遷移に関しては、DA系は不明、5-HT系は細胞体起始部位の背側縫線核(DRN)の5-HT変動と線条体(CS)、大脳皮質(FC)、海馬(HF)、視床等の各末端投射のそれとは位相が異なり、5-HT系動態の全脳同調は無く局所固有機構の優勢が示唆され、NE系でも同様な傾向が推定された。前脳基底部(BF)の連続相接微小分割では多領域で特にDA系に激しい揺動が見られた。明期優勢の5-HT(5-HIAAは暗期優勢)日周律動は外側隔壁(LS)、内側中隔(MS)/対角帯(DB)において最も明確で、NEは全体に日周律動不明瞭だが、内側/外側視索前野(MPO/LPO)領域に暗期優勢が観察された。DA系は急峻な揺動を除き5-HT系と平行するが、特に5-HIAAに対応してHVAで暗期優勢は多くの領域で明確で、また特にMS/DB領域では組織化学と背反するDA高濃度と2-3時間の短周期・大振幅・逆位相的振動パターン(NEと)を示し、不安定振動領域と判明した。我々の5-HT新規擾乱法は血中を介した2時間以内の全脳一様なTrp除去なので、高代謝回転の5-HTプールの消去が推定されるが、基本的に5-HTは黒質、CS等を除く脳全域ではほぼ一様に減少し、DA/NE系定常水準内在動態の5-HT除去擾乱応答は領域特異的で、特に視床/FC/HFではNE水準遷移消失が明確に観察された。一方、BF領域の5-HT除去速度は最速の松果体/DRNよりは半減期3-4時間と比較的遅く局所差が存在したが、NE応答は温和で動態保存であり、DA系は特にMS/DB領域で低水準安定、及び、振動・振幅の縮小が判明した。

微小透析による脳内各領域の芳香族アミン系神経伝達物質回転の解析:内在動態とセロトニン除去擾乱に対する応答

 定常水準解析で推定された動態コードの主観的時間の個体差及び試料調製時の位置誤差の問題の補強ため、微小透析法で自由行動下同一個体特定局所の代謝回転律動パターンを追跡した。そのパターンは長周期揺動、短周期揺動の加算で構成される局所固有のもので、日周律動の観点から暗期優勢のDRN、CS、腹側被蓋(VTA)、視床、MS/DB領域と明期優勢の視索前野/水平対角帯(LPO/HDB)と前頭葉皮質(FC)の一部、正中縫線核(MRN)等の明暗混合型、視床下部領域に多く見られるフリーラン型の4つに分類された。これに短周期の細かい揺動が領域特異的に加わり、極めて複雑だが、一部の例外・解離を除き定常水準動態観測結果と基本的に対応可能であった。同一局所の系間同調は一般に非常に強く、また、複数局所の同時微小透析実験で観察される領域間同調は位相差や短周期揺動の振幅の差異が存在し評価はかなり複雑だが、FCとLPO/HDB領域の5-HT系同調とMSとCSの5-HT/DA系共に僅かだが有意の再現的位相差をもつ領域間同調が見られた。回転動態構造には大振幅著明な揺動、明確な日周律動、明期・暗期優勢型両者の独立存在、併存、混在或いは相互転換の可能性、近縁動態構造での位相差、短周期で鋭い過渡特性の揺動、過半の領域で示された5-HT系・DA系回転動態の同調が存在し、局所特異的で複雑であった。5-HT回転低下擾乱に対するDA系代謝回転の応答は明確・領域特異的で内在動態構造の保存、消失(又は減弱)、及び上昇又は低下に分類され、これらのDA定常水準の5-HT除去応答との対応は局所により正/負/0であり、各領域動態の局所固有調節の可能性が強く示唆された。

誘発応答の領域特性とセロトニン除去擾乱

 上記の内在時空特性と5-HT除去擾乱に、さらに正の応答として、高K+濃度脱分極刺激でCa2+依存性の開口放出を伴う小胞体機構駆動の遊離誘発と内在的にも脳内に存在するタイラミン(TyA)負荷によるアミン系交換輸送体経由を介する、Ca2+非依存性、非小胞体機構の遊離誘発を調べ、アミン遊離応答の領域特性を検討した。DA高濃度領域のCS、淡蒼球(GP)、側坐核(Acb)では高K+によるDA遊離は圧倒的で、LPOやLHを除けば他領域の応答は貧弱だが、MS/DB領域は組織中のDA定常高濃度を考慮すると、このK+遊離誘発応答の貧弱と不安定パターンは特異的で、一方のTyA誘発応答の、Acb/GPをはるかに凌ぐ強力、安定、著明な応答性と大きな対照をなし、再現的であり、MPOや、Acbを除く前々頭葉皮質、HF等のLimbic領域でも本傾向は存在した。しかし、5-HT除去擾乱でCS/GPはTyA応答保存であったが、MS/DBでは強力安定なTyA誘発応答性は激減、消失したので、MS/DB領域における誘発特性は、神経成長因子やNO等逆行性制御の関与、NEニューロンの交換輸送機構のクロストークの可能性等、DA系に対して、5-HT系を含む他調節系相互作用の存在を明確に示唆し、動的代謝特性が顕在化した。本擾乱応答のMS/DBの領域特異性は、上述の定常水準・回転動態解析で判明したTSO投与後のDA含量・DA回転の低水準化及び神経活動指標MUA日周律動の消失(宮本ら)実験事実と密接な対応関係が推定され5-HT系のDA系に対する調節機構追究に絶好の命題が確立された。

 本研究成果の第一の原点は、5-HT,DA,NEの代謝回転に関し、広域同調成分と匹敵する"局所固有の著明な内在動態構造"が観測・確立された事で、此等の集合は、系・領域間、時間連関の2次の動的パラメーターを生み、一方、誘発応答のマッピングから、局所固有の応答特性やその原点機構に有力な示唆が得られ、更に、新開発の汎脳的5-HT除去擾乱は、DA/NE系に領域固有の明確な応答を誘発し、より直接的な5-HT・DA/NE系間の内在相互作用追及への手掛かりを与えた。以上の観測の詳細に加え、局所固有の多様な動態構造が促す"放散調節系末端活動への局所パラダイムの寄与の可能性"を、部分・全体の接点を持つ前シナプス機構の作業概念から討論する。

審査要旨

 脳内芳香族アミン系神経伝達物質セロトニン(5-HT)、ノルエピネフリン(NE)、及びドーパミン(DA)は、覚醒・睡眠や行動等の脳全体基調・機能階調調節、下位情報の統合・伝達、そして、主要内因性精神疾患に関与する代表的な統合調節系として、重要な役割を果たす。現在はこれら3系の多様な受容体、輸送体、共存調節系等の薬理学的・分子生物学的研究により、その"複雑性"が改めて再認識され、また、横断的な"ノックアウト実験"では"補償性"の問題が登場し、これら3系の脳高次代謝生理機能に対応する直接的な調節機構解明はますます困難を極めている。このため、本研究は、特に脳全体の基調調節、脳内の時間秩序と階層性に焦点を当て、神経情報伝達物質水準の"動的高次構造"の存在を仮定し、新しい観点からの追究を試みた。実際には、これら全体調節系3系の活動を情報伝達物質芳香族アミンの代謝に託し、局所固有の代謝動態を脳広域各所で平行探索して、内在性の時空特性や3系間の連関や誘発・擾乱に対する局所応答を求め、下記の結果を得た。

 1.5-HT/DA/NE系はいずれも脳幹・中脳局在細胞体から広域投射し、しかもvaricosityでの拡散伝達により全体・局所調節の両方が可能であることに注目し、微小分割/微小透析法を駆使して空間水準、時間水準で3系平行して脳全域に多階層の代謝動態構造を求めた。その結果、脳局所単位では劇的な揺動が多数の周期で共存し、部位・系により順・逆位相(同一系)、特定領域間同調(同領域)、特定系間同調の、含量変化の領域固有の日周・日内律動と、多くの領域で局所代謝回転の暗期優勢な(一部明期優勢や明暗混在/フリーランも存在)律動が観測され、系としての全体同調よりは局所固有機構の優勢が示唆された。

 2.トリプトファン分解酵素の生体投与による脳内5-HTの迅速特異的除去擾乱法を開発し、"全体調節・局所調節"の代謝動態構造や5-HTとDA/NEの局所系間相互作用の系統的探索に用いた。まず、その前提となる生理応答は、"睡眠・覚醒相の交替周期の"一日から分単位への崩壊"という、時間構造の擾乱"で、後述する代謝応答の重要な対応原理となった。

 3.この5-HT除去法により、脳のほぼ全域で5-HT含量及び代謝回転は60-90%減少したが、線条体・淡蒼球の5-HT含量は減少せず、5-HT代謝プールの複数性と明確な領域差が示唆された。

 4.また、脳内各領域の同時微小透析実験で判明した5-HT系と非常に同調のよいDA系回転は、5-HT除去擾乱により、内在日周律動の保持、消失、鏡像的上昇、低下という局所固有な応答を示し、各局所における5-HTとDAの相互関連は一様ではなく、多階層で複雑であることが推測された。

 5.アミン系輸送体に作用しCa2+非依存性で莫大なアミン(特にDA)遊離を引き起こすチラミン誘発実験により、前脳基底部、特に中隔・対角帯は、DAの非小胞体遊離機構が優勢の特異領域と判明した。しかしこの応答は5-HT除去で消失し、5-HTのDAに対する未知の調節機構の手掛かりを与えた。

 本研究の成果は、5-HT,DA,NEの代謝回転に関し、広域同調成分と匹敵する"局所固有の著明な内在動態構造"が観測・確立された事で、これらの集合は、系・領域間、時間連関の2次の動的パラメーターを生み、従来の暗黙の認識、"アミン系末端活動は、脳幹・中脳からのトップダウンの全体同調で、局所パラダイムは、共存系や後シナプス受容体構築が規定する"に対し大きな疑問を投げかけた。開発した酵素生体投与によるユニークな汎脳的5-HT除去擾乱法は、DA/NE系に領域固有の多様な応答を誘発し、より直接的な5-HT・DA/NE系間の内在相互作用追及への手掛かりを与えた。一方、高カリウム/チラミン誘発応答のマッピングは、局所固有の応答特性やその原点機構に有力な示唆を与えた。以上の著明な内在動態構造と誘発擾乱応答の多様性の詳細な観測により、これまで明確な提唱のなかった、"放散調節系末端活動への局所パラダイムの寄与の可能性"として、局所・全体調節の接点となるアミン系前シナプス調節機構の作業概念が導き出され、本論文は広域調節芳香族アミン系の関与する多様な調節機構解明に重要な知見を与えると考えられ、学位の授与に値するものと判断された。

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