学位論文要旨



No 213886
著者(漢字) 河野,啓子
著者(英字)
著者(カナ) コウノ,ケイコ
標題(和) 労働者の運動機能検査評価基準の検討 : より適切な評価基準値の設定
標題(洋)
報告番号 213886
報告番号 乙13886
学位授与日 1998.05.27
学位種別 論文博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 第13886号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 金川,克子
 東京大学 教授 大橋,靖雄
 東京大学 教授 小島,通代
 東京大学 助教授 横山,和仁
 東京大学 講師 赤居,正美
内容要旨

 労働者の「心とからだの健康づくり運動(Total Health Promotion Plan;THP)」では,健康測定の一項目として運動機能検査が行われている。この運動機能検査の成績を適切に評価することは,生活指導を実施するうえで重要である。しかし,実際に職場で行われている運動機能検査結果の評価をみると,運動機能検査の種類によって多少異なる面はあるものの,全体的に評価の偏りがあるように感じられる。また新日本製鐵,セキスイ化学,日本電気などのデータを基に算出された評価基準値をみても,現在使用されている評価基準値とは異なる傾向を示しており,従来の評価基準値は労働者の現状を正しく反映していないのではないかと思われた。

 そこでより適切な評価基準値を求めることを目的として,中央労働災害防止協会が健康測定の助成事業を通じて全国の労働者健康保持増進サービス機関から集めた約50,000人のデータを基に解析を行った。まず,握力,上体おこし,体前屈,閉眼片足立ち,全身反応時間,最大酸素摂取量について労働者の新しい評価基準値を性・年齢別に設定し,従来の評価基準値と比較した。次に,今回の解析対象者は層化抽出された労働者ではないために,事業場の規模ではやや大きい方に偏り,業種では特に製造業が多かったことから,規模間,業種間の違いをみるための解析も行った。その結果は以下の通りであった。

1新しい評価基準値と従来の評価基準値の比較

 1)握力:年齢による変化は従来の傾向とほぼ同様であったが,男女とも新しい評価基準値は従来のものに比べ低い値を示した。

 2)上体おこし:男性は従来の評価基準値に比べ若干低い値を示し,女性は逆に従来の値よりも高い値を示した。

 3)体前屈:全般に男女とも新しい評価基準値が従来のものより低い値となった。また,新しい値は従来のものほど加齢による低下は認められなかった。

 4)閉眼片足立ち:男女とも同様の傾向を示し,最も得点の低い群を除いて,新しい評価基準値の方が従来のものより低い値を示した。

 5)全身反応時間:男女とも得点の高い群の若年層を除いて,新しい値の方が従来の値より短く,年齢が増すに従ってその差が大きくなった。

 男女とも加齢による低下は従来ほどではなかった。

 6)最大酸素摂取量:加齢に伴う低下は男女とも新しい値の方が従来のものより小さかった。男性は成績の良い群では新しい値が従来の値より大きく,女性は最も成績の悪い群を除いて,各年齢とも新しい値が従来のものより大きかった。

 新しい評価基準値と従来の評価基準値に違いが生じた原因については,大きく四つが考えられる。

 まず第一の原因は,データの質の違いであると考える。新しい値がフィールドテストによって得られたデータをもとに算出されているのに対し,従来のものは専門的実験室的な考えでまとめられている学術雑誌,単行本,大学紀要などからのデータをもとにしていることである。

 二つ目の原因は,時代の変化による差があるものと考える。新しいデータは1990年〜1992年に収集されたものであるが,従来のものは1966年〜1988年に収集されたものであり,かなり古いデータも含まれている。

 その原因の三つ目は,対象者数の差であろう。新しい値の算出にあたっての対象者数は,最も標本数の少ない上体おこしでも男性30,000人,女性15,000人が確保できており,性,年齢による層別化を行っても各群の標本数は十分であったが,従来の評価基準値は,最大酸素摂取量で男性369人,女性321人など極端に少ないものもあった。

 四つ目の原因は,対象集団の特性の違いであると考える。今回の対象者はすべて労働者という共通の背景を持つ者であるが,従来の評価基準値では対象者集団の構成が若年層では学生が,高年層では一般住民で体力測定に自発的に参加した者が主体となっているものもあった。

2規模間の差

 1)握力:男性の20歳代では規模間に差はみられなかったが,30歳代,40歳代は小規模の方が成績良好であり,50歳代はその逆であった。女性は全年齢層で大規模の方が好成績であった。

 2)上体おこし:男性は全年齢層で大規模の方が成績良好であり,女性は全年齢層で差がみられなかった。

 3)体前屈:女性は全年齢層で規模間に差がみられなかったが,男性は20歳代,30歳代では差がみられなかったものの,40歳代,50歳代で小規模の方が成績良好であった。

 4)閉眼片足立ち:男女ともに全年齢層で大規模の方が成績良好であった。

 5)全身反応時間:男性の20歳代,30歳代の若年層では規模間に差はみられず,40歳代,50歳代では大規模の方が成績良好であった。女性は20歳代で大規模の方が好成績であったが,他の年齢層では差がみられなかった。

 6)最大酸素摂取量:男性の50歳代では差がみられなかったが,その他の男女すべての年齢層で,大規模の方が好成績であった。

3製造業と他業種の差

 1)握力:男女とも50歳代を除き,全年齢層で,製造業の方が成績不良であった。男性の50歳代は逆に製造業が良い結果であり,女性の50歳代は差がみられなかった。

 2)上体おこし:男性は20歳代,30歳代では差がみられなかったが,40歳代,50歳代では製造業の方が好成績であった。女性は30歳代だけで差がみられ,製造業が成績不良であった。

 3)体前屈:男性の20歳代では製造業の方が悪い結果であったが,その他の年齢層および女性の全年齢層で,製造業と他業種の差はみられなかった。

 4)閉眼片足立ち:男女すべての年齢層で,製造業の方が成績不良であった。

 5)全身反応時間:男性の30歳代,女性の全年齢層で,製造業の方が成績不良であったが,男性の40歳代はその逆であった。男性の20歳代,50歳代では差がみられなかった。

 6)最大酸素摂取量:男性は20歳代では製造業の方が悪い結果であったが,その他の年齢層では逆に良い結果であった。女性は全年齢層で製造業が悪い結果であった。

 労働者のより適切な運動機能検査評価基準値の設定に関して,以下のような結論を得た。握力,上体おこし,体前屈,閉眼片足立ち,全身反応時間,最大酸素摂取量についての新しい評価基準値は,解析対象となった労働者が層化抽出されていないので,いわゆる労働者の集団とは業種,事業場規模で偏りがあり,日本の労働者の評価基準値として普遍化することは問題がある。今回の業種,規模間の差の検討結果でも,運動機能検査の項目によっては若干の違いがあることが示された。しかし,従来の評価基準値も層化抽出された労働者のデータに基づいて算出されているわけではなく,その上に,従来のものはデータの質,時代の変化,解析対象者数など,さらに大きな偏りをもたらす要因があることが明らかになった。そのため,今回設定した評価基準値は従来のものと比較して,より適切であると判断した。

審査要旨

 本研究は、従来から職場で使用されてきた運動機能検査評価基準値が、労働者の現状を正しく反映していないのではないかとの気づきから、より適切な評価基準値を求めるために行ったものであり、下記の結果を得ている。

 1.従来の評価基準値と新しい評価基準値の比較

 握力、上体おこし、体前屈、閉眼片足立ち、全身反応時間、最大酸素摂取量、すべての運動機能検査において、従来の評価基準値と新しい評価基準値ではかなりの違いがみられた。

 その違いが生じた原因を追求した結果、データの質の違い、時代の変化による差、対象者数の差、対象集団の特性の違いなどが明らかになった。例えば、対象集団の特性の違いでは、今回の解析対象者はすべて労働者であったが、従来のものは労働者も一部含まれてはいるものの、若年齢層では学生が、高年齢層では一般住民が主体となっている運動機能検査の項目もあり、必ずしも労働者の現状を反映しているとはいえないことが明らかになった。

 2.事業場規模による差、製造業と他業種の差

 今回の解析対象者は健康測定を受けた労働者であるため、事業場規模ではやや大きい方に偏り、業種については製造業が多い集団であった。よりよい評価基準値の設定のためには、事業場規模間、製造業と他業種間の差の検討が必要と考え、それらを行った結果、運動機能検査の項目によって若干の違いがあることが示された。

 以上、本論文は運動機能検査の新しい評価基準値を設定し、それらは解析対象者の属する事業場規模、業種の偏りによる多少の影響はあるものの従来のものと比較して、より適切なものであることを示した。本研究は労働者の健康づくりを推進するうえで欠かせない運動機能を適切に評価するうえで大きく貢献すると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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