学位論文要旨



No 213889
著者(漢字) 小磯,邦子
著者(英字)
著者(カナ) コイソ,ユキコ
標題(和) 新規ペプチド系有糸分裂阻害剤ウスチロキシン類の単離・構造決定と作用機作
標題(洋)
報告番号 213889
報告番号 乙13889
学位授与日 1998.06.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第13889号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 橋本,祐一
 東京大学 教授 首藤,紘一
 東京大学 教授 今井,一洋
 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 助教授 遠藤,泰之
内容要旨

 チューブリンは微小管を構成する単位タンパク質であり、真核生物に普遍的に存在する。それぞれ分子量5万のの二つのサブユニットから成るヘテロダイマーが単位となっている。有糸分裂が始まると、紡錘体の骨格をなす微小管の形成がおこる。紡錘体は不安定で、チューブリンに結合してその重合を妨げる薬剤によって顕著な影響を受ける。これらの薬剤を分裂中の細胞に作用させると細胞の有糸分裂が停止するのでこれらの化合物を有糸分裂阻害剤と呼ぶ。抗ガン剤開発の一方向としていかに効果的に細胞の分裂を停止させることが出来るかが重要な研究課題の一つになっている。

 チューブリンに作用する化合物は現在までにいくつか知られている。そうした薬剤の代表的なものが共にチューブリンに結合して重合を妨げるコルヒチンとビンブラスチンであるが、これらの作用部位は異なり、それぞれコルヒチン部位、ビンブラスチン部位と呼ばれている。ビンブラスチン部位結合化合物としては、ビンブラスチン、メイタンシン、リゾキシン等があるが結合部位の相互関係は当研究室にてこれまで詳細に検討され、相互の結合部位は完全には一致しないことが明らかとなっている。。リゾキシンは動物、植物、微生物等に強い活性を示す有糸分裂阻害剤で優れた抗腫瘍活性を示し強い抗真菌活性を有する。A.nidulansは人工的に耐性株を作成し得るが、耐性株ではいずれも100番目のアミノ酸がアスパラギンからイソロイシンに変異していた。更に、もともとリゾキシン耐性の野生型酵母[S.pombe,S.cervisiae]の100番目のアミノ酸をアスパラギンに変えるとリゾキシン感受性となり、天然に存在する酵母のリゾキシン耐性がチューブリンの100番目のアミノ酸によって決定されていることを証明した。

 これまでに微小管の形成を制御し、様々な生物活性を引き起こす化合物が多数発見され、また合成されてきた。それらは制ガン剤、抗カビ剤、駆虫剤、除草剤など幅広く用いられている。これらの有糸分裂阻害剤の標的タンパクはいままで知られている限りではほとんどがチューブリンである。チューブリンの一次構造は生物種間での相同性が高いにも関わらず、実際には阻害剤の作用には種特異性がある。このようなチューブリンの機能を解明し分子認識機構を明らかにすることが新しい薬剤の開発にもつながるものと考える。そのための研究手法として、1)新規有糸分裂阻害剤の探索、2)リガンド-チューブリンの相互作用の解析、3)活性発現に必要な構造単位の解析、4)天然化合物をリードとする新規な薬物の設計などが挙げられる。

 稲こうじ病はUstilaginoidea virensの感染により発病する、古くから農家によく知られている病害で、発病すると籾の収量が健全なイネに比べて非常に少なくなる。稲こうじの毒性については混入した飼料での牛などの中毒もしばしば発生したようである。

 本研究者は稲こうじの水抽出液がイネ種子の発芽を著しく阻害し、正常に伸長せず丸く膨らむ現象を引き起こす現象に着目した。この現象はリゾキシンの活性に類似するものであり、稲こうじにもチューブリン作用物質が含まれると期待した。

 これまでの稲こうじ成分の研究として、稲こうじの熱水抽出液が家兎に強い毒性を示すことが報告されている。また稲こうじの色素であるウスチラギノイジンA〜Jが知られているが、これらの色素は稲こうじの毒性には無関係とされている。

 そこで稲こうじの水抽出液が引き起こすイネ種子の発芽異常を指標として、活性物質の単離と構造決定を試み、ウスチロキシンA〜Fを単離し、質量分析、NMR、アミノ酸分析、元素分析、X線結晶解析などより、その構造を図1のように決定した。

 ウスチロキシンAは3-ヒドロキシ-イソロイシン、バリン、N-メチルチロシン誘導体のトリペプチドがエーテル架橋により13員環を形成しており、側鎖としてグリシン、3-(1-ヒドロキシエチル)アラニンがスルホキシドを介して結合している構造であった。

 ウスチロキシンBの構造はAとの質量分析、NMR、アミノ酸分析による比較から、ウスチロキシンAのバリンがアラニンになった構造と決定した。ウスチロキシンC、D、Fは質量分析、NMRの詳細な検討からウスチロキシンA、Bの側鎖が違う構造と決定した。

 ウスチロキシンD、Fは微量成分で、構造、活性を確認するためにそれぞれウスチロキシンA、Bのスルホキシドを含む側鎖を切断する反応を確立し、ウスチロキシンD、Fに誘導した。

 またウスチロキシンDは単離したウスチロキシン類のなかでも単純な構造をしており、しかも活性を維持していること、主生成物であるウスチロキシンAからの変換が可能であることから、構造活性相関を調べる上で重要な化合物であると考え、ウスチロキシンDを化学修飾し官能基と活性の関連を検討した。また構造活性相関を明らかにする目的で、当研究室の武藤、高橋等は類縁体の合成を行った。

図1 稲こうじより単離したウスチロキシン類、ウスチロキシン誘導体および合成ウスチロキシン類縁体の構造とチューブリン重合阻害活性(IC50値)

 前述の様にウスチロキシンはチューブリン作用物質であることが期待できる。単離したウスチロキシン類、化学修飾したウスチロキシン誘導体、及び合成したウスチロキシン類縁体のチューブリンに対する影響についてブタ脳より精製した微小管蛋白を用いて濁度法により検討した。

 ウスチロキシンA〜Fはいずれも濃度依存的に重合阻害活性を示し、ウスチロキシンAのチューブリン重合阻害活性のIC50値は1Mとこれ迄に得られているチューブリン重合阻害剤に比べて特に強い活性を示した。ウスチロキシンBはAより弱いもののかなり強い活性を保持している。側鎖の活性への寄与についてはウスチロキシンAからDへの変換では活性がかなり保持されているにも関わらず、ウスチロキシンB、C、Fでは活性が順に低下している。

 また各種ウスチロキシンDの化学修飾体の活性評価より、14位の水酸基、9位のNメチル基は活性発現に重要な官能基であることが明らかとなった。また合成類縁体はいずれも活性は示さず、このことは2位および3位の官能基の重要性を示している。

 ウスチロキシンは構造的には環状ペプチドで、古典的な有糸分裂阻害剤コルヒチン、ビンブラスチン又はリゾキシン等と異なりユニークな構造であった。

 ペプチド系のチューブリン作用物質としてはこれまでにウスチロキシン類の他にフォモプシンA、ドラスタチン10などが天然物より単離報告されているが、これらの化合物については、当研究室においてチューブリンに対する作用の研究が進められており、いずれもビンブラスチン部位に結合する化合物であることが明かとなっている。ウスチロキシンとこれらの有糸分裂阻害剤の結合部位の関係を検討した。また、アレナスタチンはウスチロキシンとほぼ時を同じくして単離構造決定された新規ペプチド系化合物で、その強い細胞毒性が注目されるが、チューブリンに対する作用を検討した。

 ウスチロキシンAのチューブリンへの結合部位については活性炭吸着法を用いた結合競合試験により解析した。ウスチロキシンAはリゾキシンのチューブリンへの結合を100%阻害する一方、フォモプシンのチューブリンへの結合を50%までしか阻害しない。リゾキシンもフォモプシンAのチューブリンへの結合を50%までしか阻害せず、ウスチロキシンAの結合部位がリゾキシンと同一であることを示した。スキャッチャード解析より結合部位はリゾキシンは一ケ所であるが、フォモプシンは二ケ所と推定され、この内high-affinity siteがリゾキシンの結合部位と一致することを示唆した。

 次にアレナスタチンも、強いチューブリン重合阻害活性を示すことを確認した。結合部位については、ゲル濾過法により検討した結果、スキャッチャード解析より結合部位は1つで、各種チューブリン重合阻害剤との結合競合試験ではリゾキシンの結合を強く阻害し、リゾキシンと同じ結合部位に結合することが明らかとなった。

 これらの化合物は、新しいタイプの有糸分裂阻害剤として一つの化合物群を形成しており、ペプチド系有糸分裂阻害剤と呼ぶこととした。

 これらの化合物の各種生物活性試験の結果、チューブリン上でいずれもリゾキシン結合部位に結合するにも関わらず、生物活性においてはいくつかの種特異性を示しており、作用の多様性が明らかとなった。

審査要旨

 チュブリンはすべての真核細胞に存在する蛋白で、その重合・脱重合は有糸分裂における中心的な現象である。チュブリンに結合してその重合・脱重合現象を乱す化合物は、有糸分裂阻害剤として基礎生物学においても応用的側面においても注目されている。古典的なチュブリン重合・脱重合阻害剤としてはコルヒチン、メイタンシン、ビンブラスチン、リゾキシンなどが知られるのみであり、近年新たな構造と新たな作用点を持つチュブリン重合・脱重合阻害剤の探索研究が魅力的な課題として取り上げられている。

1.着眼と新規チュブリン重合阻害剤の単離・構造決定

 上記の状況の下に小磯邦子は、チュブリン重合阻害という現象に注目し、それを引き起こす新規化合物を、植物病原菌の引き起こす病徴の、既知チュブリン重合阻害剤が引き起こす現象との類似性にヒントを得て、稲こうじの中に求めた。

 生物検定は、本着眼を反映してイネ種子発芽異常を指標として行った。本検定系と様々な分離手法の駆使によりに、稲こうじの水抽出液から、結果的にこれまでに知られているチュブリン重合阻害剤の中でも最強の活性を有する化合物を含む一連の化合物群の単離に成功し、これらをウスチロキシンA〜Fと命名した。さらに小磯は、単離したウスチロキシンA〜Fの構造を各種機器分析や化学変換の手法を駆使して決定することに成功している。ウスチロキシンAについてはX線結晶解析にも成功している。

 加えて小磯は、ウスチロキシン類について各種化学変換を行い、そのチュブリン重合阻害活性発揮にかかわる構造要因に対していくつかの解答を提示している。

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2.ペプチド系有糸分裂阻害剤のチュブリンに対する作用と生物活性

 小磯邦子が決定したウスチロキシン類の構造は、これが環状ペプチドであるという点で古典的な有糸分裂阻害剤とはまったく異なるユニークなものである。ほぼ時を同じくして微生物から単離されたフォモプシンAなる類似の構造を持つ化合物がチュブリン有糸分裂阻害活性を示すことが報告されたが、この報告も小磯邦子の上記業績の先進性・優越性を損なうものではない。

 小磯は、ウスチロキシンに加えて上記フォモプシンA、さらに後になってチュブリン重合阻害活性が明らかとなったドラスタチン10を統括して理解・把握すべく、ペプチド系有糸分裂阻害剤なる概念を提唱した。同人は近年単離・構造決定されたアレナスタチンAについて詳細な検討を加え、これがペプチド系有糸分裂阻害剤の範疇に含まれる化合物であることを明らかにした。

 これらのペプチド系有糸分裂阻害剤に対して小磯は詳細にチュブリンとの相互作用を生化学・蛋白質化学的手法を駆使して解析した。得られた解答は、各々のチュブリンとの結合定数の決定、その結合部位の数の決定、その重合阻害様式の確認、各々の阻害剤のチュブリン上の結合部位の相互関係の決定、などを含む膨大かつ多岐にわたるものであり、いずれも今後の関連領域の研究に対して確実な定量的・定性的基盤を付与するものである。

 合わせて小磯は代表的な古典的有糸分裂阻害剤についても同様の解析を行い、ここに有糸分裂阻害剤のチュブリンとの相互作用一覧とも言うべき価値ある総括的データを提示するに至っている。

 加えて、上記の総括的データから、ペプチド系有糸分裂阻害剤には、チュブリン上の結合部位の共通性などすべてに共通して一括理解できる重要な性質が存在すると共に、各々の阻害剤に個性のあることを看破し、このことから各種ペプチド系有糸分裂阻害剤の生物作用を詳細に検討した。本検討により、チュブリンの各種阻害剤に対する感受性に種特異性が存在することを明確な形で示した。これは基礎生物学的にも重要な発見である。

 以上の研究は、ユニークな着眼による生物検定系の構築と材料の選定、活性物質の分離と構造決定、新規ペプチド有糸分裂阻害剤の提示とその概念の確立、阻害剤とチュブリンとの相互作用解析及び生物活性の解析、にわたる広範なものであり、いずれの各論をとっても近年制ガン剤の新しい分子標的としても注目されているチュブリンの重要な生物学的機能の解明に対して、新たなツール及び確実なデータを提供するものである。よって本研究は天然物化学、医薬品化学の発展に寄与するものとして、博士(薬学)の学位論文に値するもの認めた。

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