電界効果トランジスタ(FET)の高性能化は、活性層を素子耐圧の許される範囲において高濃度・薄層化することと、電子の飽和速度の大きい材料をチャンネル層に適用することによりなされる。ヘテロ構造FETの代表であるn型AlGaAs/GaAsの単一ヘテロ構造を用いた高電子移動度トランジスタ(HEMT)は、高濃度・薄層化されたAlGaAs電子供給層を用いるので、ゲート長とゲート電極からチャンネルに溜まる二次元電子ガスまでの距離の比(アスペクト比)を大きくできる。このため、GaAs MESFETに比べて高い相互コンダクタンス(gm)が得られ、短ゲート長のFETでもショートチャンネル効果が現れにくいという特徴を有する。しかしながら、従来のHEMTには、ヘテロ界面に溜まる二次元電子ガスの濃度が1.5×1012/cm2程度と低いことや電子のヘテロ界面近傍への閉じ込め効果が十分でないという課題があった。本論文は、ダブルヘテロ構造における電子輸送特性とFETの高性能化を主題として、従来構造のHEMTの上記課題を改善すべく、高濃度・薄層化に適した新規なヘテロ構造の提案を行い、それらを実現するための分子線エピタキシー(MBE)法による結晶成長技術、作製したヘテロ構造における電子状態と電子輸送特性の解析、FETの作製と基本特性の解析、素子の高周波化に必要な微細ゲート形成プロセス技術およびダブルヘテロ構造FETの具体的応用についての研究成果をまとめたものである。 まずはじめに、従来のHEMTに比べてチャンネル電子濃度を2倍に向上し、電子を量子井戸に効果的に閉じ込めることのできるAlGaAs/GaAs系選択ドープダブルヘテロ(SDDH)構造を提案し、この構造のMBE成長と電気的性質についての検討を行った。SDDH構造はAlGaAs上にGaAsが形成された、いわゆる逆ヘテロ界面を有し、高移動度を得ることは難しいとされていたが、MBE成長時の基板温度を530℃付近に低く設定することにより、移動度が飛躍的に改善されることを見出した。また、従来用いられていた高い基板温度での移動度の低下は、基板側n型AlGaAs層に添加したSiの分布広がりによることを、二次イオン質量分析法を用い、AlHの信号成分を除去することにより明らかにした。 SDDH構造における移動度の構造依存性を検討した結果、77Kの移動度を向上させるためには、スペーサ層を厚くすることは効果的ではなく、比較的薄い最適なスペーサ層厚が存在すること、特定の量子井戸幅以上で77Kの移動度が顕著に低下することを見出した。一方、室温での導電率を重視した高電子濃度の構造では、20〜50Åのスペーサ層厚が適しており、室温で6400cm2/Vsの高移動度と単一ヘテロ構造の2倍に相当する2.8×1012/cm2の電子濃度を実現できた。 上述した移動度の構造依存性を理解するため、ヘテロ構造における電子状態と移動度を求める計算プログラムを作成し、実験データの解析を行った。まず、FET構造を用いてサブバンド構造のゲート電圧による変化を、磁気抵抗振動の測定と計算により明らかにし、両者の良好な一致を見た。移動度のゲート電圧・量子井戸幅依存性について計算解析を行ったところ、電子濃度あるいは量子井戸幅の増加に伴って低温での移動度が特定の電子濃度または量子井戸幅を越える領域で顕著に減少する現象は、電子輸送がシングルサブバンドからダブルサブバンドのモードに変化することにより生じることが明らかとなった。さらに、最適条件で作製されたSDDH構造における移動度は、基板側の電子供給層に添加したSiの分布広がりを40Å/decの傾きを持つ指数関数テールで表わし、かつ濃度として5×1015〜1×1016/cm3の背景電荷を仮定することにより定量的に説明でき、この高濃度の背景電荷が厚いスペーサ層を用いた構造における移動度の上限を決定していることがわかった。 次に、高電子濃度のSDDH構造を用いて、ゲート長1mの実用的なFETを作製し、特性の評価と解析を行った。まず、SDDH FETが一般的にHEMTよりも高い電流駆動能力に加えて高い相互コンダクタンス(gm)を示し、最大500mS/mmという高いgmが得られることを示した。SDDH FET特性の計算解析では、最大gmとその時のドレイン電流値について実験との良好な一致を得るとともに、ゲート長が1m程度と長い場合にはSDDH FETの方がチャンネルの電子濃度が高いため本質的に単一ヘテロ構造のHEMTよりも高い最大gmを与え、その時のドレイン電流はHEMTの場合の約2倍であることを明らかにした。さらに、ゲート容量の寄生成分低減の観点から基板側電子供給層の厚さについて設計指針を与えた。 電子濃度をさらに高めるための材料的なアプローチとして、チャンネルにGaAsと格子定数の異なるInGaAsの薄層を適用したAlGaAs/InGaAs系スードモルフィックダブルヘテロ構造に着目し、この系のMBE成長とそのデバイス応用について検討を行った。まず、この系の最適なMBE成長基板温度が450〜530℃と広範囲であること、高い基板温度ではInの取り込み効率が低下し結晶性を劣化させること、InGaAsの組成と臨界膜厚はMatthewsらの理論式で良く予測されることを明らかにした。高濃度薄層化したスードモルフィックSDDH(PSDDH)構造では4×1012/cm2にまで電子濃度を向上でき、シート抵抗として260/□を得た。移動度の量子井戸幅依存性については、AlGaAs/GaAs系SDDH構造と同様の実験と解析を行い、PSDDH構造でも量子井戸幅の増加に伴って、シングルサブバンドからダブルサブバンドへの電子輸送モードの変化に伴う移動度の顕著な減少が生じることを明らかにした。 スードモルフィックInGaAsを用いた新規なデバイス構造としては、表面側のAlGaAs層のAlAs組成比を基板側よりも小さくした非対称バリア構造PSDDH FETと、従来のPSDDH構造を厚いGaAsバッファー層上に形成すると共に、基板側AlGaAs層を電子供給層を含めて100Å程度にまで薄層化した二重量子井戸構造FET(DQW型PSDDH FET)の二種類を提案した。非対称バリア構造のPSDDH FETでは、表面側のAlGaAs電子供給層に電流を積極的に流すことにより、広いゲート電圧の範囲で高いgmを得ることができ、1mゲートのFETにおいて600mA/mmの高電流密度が得られた。DQW型PSDDH FETでは、基板側AlGaAs電子供給層厚を最適化することにより、0.2mゲートのFETで900mA/mmの高電流密度、965mS/mmの高gm、80GHzの高い電流利得遮断周波数を得た。一方、低雑音FETについては、SiN膜多重堆積法による微細ゲート加工技術を用い、0.2mゲートのスードモルフィックHEMT(PHEMT)により12GHzでの最小雑音指数0.54dB、付随利得11.4dBの良好な特性を得た。0.2mゲートDQW型PSDDH FETは雑音指数においてPHEMTに0.1〜0.15dB劣るものの良好な雑音特性を示すことを明らかにした。 高周波特性に優れるInP系InGaAs/InAlAsヘテロ構造をより安価で強度に優れるGaAs基板上に実現するための結晶成長法について次に検討を行った。バッファー層のInAs組成を0から所望の組成値まで徐々に変化させる、グレーディッドバッファー層を400℃程度の低温で形成する方法が高移動度を得るのに有効であることを見出し、これにより世界で初めて104cm2/Vsを超える室温電子移動度を達成した。FETへの応用にはワイドギャップのバッファー層を適用することと、成長中断による不純物の混入を防止することが重要であることを示し、InAlAsグレーディッドバッファー層を用い、かつ活性層を含めて低温成長することにより、ピンチオフ特性に優れかつドレイン電流-電圧特性にキンクの無い良好な特性のFETを得ることができた。 最後に、スードモルフィックヘテロ構造FETの具体的な各種応用についてまとめた。まず携帯電話のパワーデバイスとしてPSDDH FETがMESFETよりも基本的に優れたパワー特性を示すばかりでなく正電源動作のパワーデバイスとしての能力を十分備えていることを示した。PSDDHFETは、優れた低歪み特性に加えて高利得、低雑音特性を示し、光加入者系などの多チャンネル伝送システムに用いられる広帯域増幅器に有用であることを示した。ミリ波応用では、0.1mのゲート長を実現するためのi線露光による新規なプロセス技術を考案し、これを用いて作製したドープPHEMTにおいて最大発振周波数として178GHzを得た。また、ドープPHEMTをフリップチップ実装を用いた新概念のミリ波ICに適用し、50GHz帯増幅器および30GHz帯ダウンコンバータにおいて実用レベルの特性を得た。 このように、ダブルヘテロ構造FETは、21世紀に本格化するマルチメディア時代をひかえて、現在活発な開発が進められている携帯情報端末の分野をはじめ、将来の高速・大容量情報伝送の中核をなす光通信やミリ波通信分野でのキーデバイスとしての能力を有しており、今後その本格的な量産の時代を迎えるものと期待される。 |