学位論文要旨



No 213896
著者(漢字) 鎗田,勝
著者(英字)
著者(カナ) ヤリタ,マサル
標題(和) 経頭蓋的パルス磁気刺激とその安全性向上に関する研究
標題(洋)
報告番号 213896
報告番号 乙13896
学位授与日 1998.06.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第13896号
研究科 工学系研究科
専攻 電子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上野,照剛
 東京大学 教授 岡部,洋一
 東京大学 教授 原島,博
 東京大学 教授 廣瀬,啓吉
 東京大学 教授 藤田,博之
 東京大学 助教授 廣瀬,明
内容要旨

 本論文は,経頭蓋的パルス磁気刺激とその安全性向上に関する研究をまとめたもので,磁気刺激システムが被験者,操作者,および周囲のヒトや機器に与える安全上の問題点を明らかにし,その解決法と改善法を提案している.すなわち,経頭蓋的パルス磁気刺激が脳の器質と機能におよぼす障害を動物実験により明らかにし,障害と密接にかかわる刺激強度を測定する簡便な手段を提案している.また,刺激コイルに作用する電磁力が導線の引張り強さを満たす刺激コイルの設計法と電磁障害および可聴音障害とエネルギ伝送効率を大幅に改善した刺激コイルの同軸給電線方式を提案したものである.

 刺激法は生体機能の解明,検査,診断および治療を行うために重要である.侵襲的な電気刺激法に替え,非侵襲的な磁気刺激法の開発が試みられてきた.磁気刺激法は数テスラ(例3T)のパルス磁界を生体に加え,電磁誘導により誘起する渦電流で標的を刺激する非侵襲な刺激法である.1985年にBarkerらが実用的な磁気刺激システムを開発して以来,磁気刺激法は脳をはじめ脊髄,神経,筋,心臓,横隔膜や膀胱の刺激に広く利用されている.非侵襲性と刺激痛が軽微である有用性から利用が先行しており,安全性にかかわる重要な問題が十分に検討されてない.

 従来,経頭蓋的パルス磁気刺激で脳に器質的な損傷が発生するかは明らかにされていない.また,記憶など機能的な影響に対する検討も不足している.損傷が起こるとすれば,磁気刺激を安全に実施する上で刺激強度と回数の制限が必要であり,損傷が起こる刺激強度と回数を明らかにする必要がある.そのために刺激強度の定量が極めて重要である.しかし,磁気刺激法では統一した刺激強度の定量法が定まっていない.現状は,刺激コイルの駆動電圧で代用している.この定量法は刺激システムや刺激コイルが変われば異なった刺激強度を表し,刺激強度の制限や再現実験を極めて困難にしている.

 近年,ヒトの経頭蓋的パルス磁気刺激が広く行われている.ヒトの大脳皮質運動野を刺激し,下肢で複合筋電位(CMAP)を誘起するためには,刺激コイルのエネルギは約450Jが必要で,このエネルギの蓄積に耐えなければ,刺激コイルは破壊すると考えられる.頭部や顔面付近で破壊すれば極めて危険である.安全な刺激コイルを設計するためには,刺激コイルに作用する電磁力の検討が必須であるが検討はこれまで十分とはいえない.

 刺激コイルの給電線は,被験者と操作者や生命維持に必要な機器(ペースメーカ,輸液ポンプ等)に接触や接近をすることがある.現在広く使われている平行給電線は強い漏洩磁界(例0.4T)を発生し,その電磁障害により機器に誤動作が発生することが想定される.また,平行給電線はパルス大電流(例10,000A)による導体反発で高音圧の可聴音(例120dB)を発生する.この可聴音により聴性誘発電位が誘起し,測定すべき反応電位に混入し,診断に必要な波形の判読を困難にすることがある.さらに,平行給電線は高インダクタンスであり,刺激コイルへのエネルギ伝送効率が低い問題がある.

 本研究では,磁気刺激システムの問題点を明らかにし,それらの解決と改善手段を提案し,脳機能の研究と診断に有用な磁気刺激システムを実用化することを目的とし,各章で具体的に検討している.

 第1章は序論であり,現在に至る生体磁気刺激の歴史とその安全性にかかわる研究の歴史ならびに問題点について述べた.

 第2章では,磁気刺激の原理と特徴および解決すべき問題点について述べた.後章の検討に必要な磁気刺激システムの構成と刺激コイルの方式,その電流波形,生体に誘起する電界および刺激電流(渦電流)の関係を示した.円形刺激コイル,8字型刺激コイルとハの字型刺激コイルが無限大均一媒質上に誘導する電界分布を示した.

 第3章では,磁気刺激によりラットの脳に変性や損傷が発生するか否かを検証した.本研究では頭部を種々の磁束密度と刺激回数の組合せで刺激し,刺激強度と刺激回数および刺激部位と損傷の関係ならびに損傷の可逆性について検討した.その結果,刺激強度2.8T,刺激間隔約4秒に1回の割合で合計100回以上刺激した52匹中の12匹のラット脳皮質,特に第3層と第4層に不可逆的な損傷(微小な空胞)を観察した.安全な刺激強度の範囲を知るため,ラットの後脚でCMAPを認める刺激閾値と損傷が発生した刺激強度の関係を検討した.ラットの脳に損傷が発生した刺激強度は下肢でCMAPを誘起する閾値刺激の3.4倍であった.これらの結果から磁気刺激を安全に実施するために,刺激強度の測定と制限が極めて重要であることを指摘した.

 第4章では,経頭蓋的パルス磁気刺激がラットの記憶に与える影響を味覚嫌悪条件け法により検討した.味覚嫌悪はラットに"味付水を与える→2.8Tの磁気刺激を頭部に与える→LiClの腹腔注射で腹部に激痛を起こす"を組合わせて学習させた.頭部への磁気刺激による記憶の減弱が無ければ味付水の飲水量は減る.本研究の結果は2.8Tの頭部磁気刺激でラットの飲水量は減らず,一過性の軽微な記憶減弱を認めた.すなわち,刺激条件によって経頭蓋的パルス磁気刺激で記憶減弱が発生することが明らかとなった.

 第5章では,非侵襲的に磁気刺激の刺激強度を測定するセンサとして,磁束密度測定法による刺激強度測定センサであるパルス磁束密度センサを提案した.磁束密度分布の測定値から電界分布を求め,組織の導電率から刺激強度を推定する方式である.同センサはセンサコイルと引出線および積分器で構成した.刺激コイルの開口径に対するセンサコイルの開口径比率が電界分布と刺激強度の推定に影響を与える問題があるが,その影響は従来未検討である.本研究ではそれらを検討し,センサコイルの開口径比率が磁束密度分布の測定値と電界分布の推定値に与える影響を明らかにし,必要な測定精度を満たす,刺激コイルの開口径に対するセンサコイルの開口径の決定法を提案し,その設計法の妥当性をセンサを試作して検証した.

 第6章では,刺激コイルの破壊を防ぐため,円形刺激コイルに作用する電磁力を検討した.刺激コイルは450Jに至る膨大なエネルギ蓄積に耐えなければならない.本研究では,円形刺激コイルの任意層に作用する電磁力を,刺激コイルを厚肉円筒モデルで近似し,Hakのインダクタンス近似式と仮想変位法により検討した.その結果,半径方向の巻線幅を刺激コイルの平均直径の25%に選択すれば,その蓄積エネルギ密度が最大となることを見出した.これにより,刺激コイルが最小体積となり,刺激コイルの導線に加わる力がその引張り強さを満たす刺激コイルの設計を可能とした.

 第7章では,平行給電線方式が持つ問題点を明らかにし,同軸給電線方式による改善を提案した.生理的食塩水を満たした水槽内にペースメーカを置き,平行給電線の漏洩磁界を水槽表面から被曝させた結果,誤動作:ペーシング抜けが発生することを確認した.給電線を同軸給電線に替えた結果,漏洩磁界は平行給電線の1/80に減衰し,ペースメーカに誤動作は発生しなかった.また,平行給電線はパルス大電流(例10,000A)で導体間に作用する電磁力により発生する120dB SPLに至る高音圧の可聴音は,同軸給電線により18dB低減し.これを音刺激とする聴性誘発電位の振幅を約1/2に改善した.さらに,同軸給電線のインダクタンスは平行給電線の約1/3であり,本研究に使用した5mの同軸給電線付き刺激コイル例では,伝送効率が43%改善している.

 第8章では,本研究のまとめと磁気刺激法の展望を述べた.

審査要旨

 本論文は「経頭蓋的パルス磁気刺激とその安全性向上に関する研究」と題し,磁気刺激システムが被験者,操作者,および周囲のヒトや機器に与える安全上の問題点を明らかにし,その解決法と改善法を提案している.すなわち,工学的見地からは,磁気刺激パルス磁界の磁束密度を測定するための簡便なパルス磁界センサの設計法,刺激コイルの導線の引張り強さを満たすコイルの設計法,および電磁障害や可聴音障害とエネルギ伝送効率を大幅に改善した同軸給電方式を提案している.生物学的見地からは,磁気刺激による脳の器質的損傷と記憶機能障害の可能性について動物実験による考察を行っており,全8章よりなる.

 第1章は「序論」であり,生体磁気刺激の歴史とその安全性にかかわる研究の歴史を述べている.

 第2章は「磁気刺激の原理と特徴および解決すべき問題点」と題し,電磁誘導で生体に誘導された渦電流が神経刺激を誘起すること,磁気刺激が非接触的な刺激法であり,電極を用いた直接電気刺激の問題点が解決される利点を述べている.また,磁気刺激で解決すべき安全上の問題点を明らかにし,後章で必要となる磁気刺激システムの構成,刺激コイル方式と生体に誘起する電界分布,および刺激コイルの電流波形と誘導電界の波形を示している.

 第3章では「パルス磁気刺激に伴うラットの脳皮質の器質的損傷:その物理学的・生理学的特性」と題し,経頭蓋的パルス磁気刺激でラットの脳に損傷が発生するか否かを検討している.頭部を種々の刺激条件で刺激し,損傷の有無と刺激強度,刺激回数,刺激部位の関係および損傷の可逆性を検討している.その結果,2.8Tのパルス磁界で,約4秒に1回の割合で100回以上刺激した52匹中の12匹のラット脳皮質,特に第3層と第4層に微小な空胞の発生を観察している.この損傷が発生する刺激強度2.8Tはラットの後脚で複合筋電位が検出できる閾値の3.4倍であることを明らかにしている.このように刺激強度指標となるパルス磁束密度の測定が磁気刺激の安全上きわめて重要であることを指摘している.

 第4章は「パルス磁気刺激に伴うラットの脳の機能的変化:味覚嫌悪条件付けと磁気刺激の影響」と題し,磁気刺激がラットの記憶に与える影響を味覚嫌悪条件付け法で検討をしている.その結果,2.8Tの経頭蓋的パルス磁気刺激によりラットにわずかな一過性の記憶減弱を観察している.

 第5章は,「磁束密度測定法による磁気刺激の刺激強度の推定とパルス磁束密度センサの一設計法の提案」と題し,非接触で簡便に磁気刺激の刺激強度を測定するパルス磁束密度センサの設計法を提案している.センサは,センサコイル,引出線と積分器で構成され,センサコイルを移動することにより磁束密度分布を求め,その結果から電界分布を求めている.刺激コイルの磁束密度分布はコイルの縁で最大値を持つ.磁束密度と電界の最大値を必要な精度で測定することは,磁気刺激の安全性に必須であり,その測定精度に影響する刺激コイル径に対するセンサコイル径の設定法を提案している.

 第6章は,「円形刺激コイルに作用する電磁力の検討」と題し,刺激コイルの電磁力に対する機械的強度を検討している.ヒトの経頭蓋的パルス磁気刺激で大脳皮質運動野を刺激し,下肢の筋収縮を得るためには磁気エネルギが約450J必要であることを実験的に求め,このエネルギに耐える刺激コイルの設計法を提案している.刺激コイルを厚肉円筒モデルで近似し,Hakのインダクタンス近似式と仮想変位法で刺激コイルの任意層に働く電磁力を求めている.その結果,半径方向の巻幅を平均直径の25%に選択することにより,最小体積で導線の引張り強さを満たす円形コイルが実現できることを導いている.

 第7章は,「磁気刺激コイル給電線の電磁および可聴音障害と伝送効率の同軸給電線による改善」と題し,平行給電線方式が持つ安全性にかかわる問題点を明らかにし,同軸給電線方式による改善を提案している.平行給電線は漏洩磁界が強く,ペースメーカや生命維持に必要な機器に電磁障害を与える.可聴音は聴性誘発電位を誘発し,磁気刺激による反応電位に混入して誤診の原因となることを述べ,さらに,平行給電線のインダクタンスが刺激コイルのインダクタンスに比べて無視できず,エネルギ伝送効率が低下する問題を明らかにしている.本方式では平行給電線を同軸給電線に替えることにより,漏洩磁界を1/80,可聴音を-18dB,インダクタンスを1/3に減じ,伝送効率を43%改善している.

 第8章は「むすび」であり,本研究のまとめと磁気刺激法の展望を述べている.

 以上を要するに,本論文は,経頭蓋的パルス磁気刺激の安全性向上の観点から磁気刺激システムの問題点を明らかにし,それらの解決法と改善法を提案し,脳機能の研究と診断に有用な磁気刺激システムを実用化したものであり,電子工学および生体工学に貢献するところが少なくない.

 よって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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