本論文は、中国古代の「道家」の代表的な思想書の一つである『荘子』について総合的体系的に研究したものである。筆者の主要な関心は、『荘子』という書物に書きこまれている広い領域に及ぶ諸思想にあり、具体的には、それらがいかなる目的に発していかなる内容と構成を持っているか、中国(さらには東アジア)文化の中でいかに発生し展開して現代に至っているか、それらにいかなる意義があり現代の我々はそれらにいかに対処すべきであるか、などの諸問題を解明することにある。 以上の諸問題を解明するために採用した方法は、第一に、資料の面では、『荘子』はそれだけ単独で存在していたのでなく、同時代の道家系に属する『老子』『淮南子』や馬王堆帛書『黄帝四経』等々と相互に密接な関連の中で存在していたという事実を重視して、それらの諸思想と一緒に合わせて「道家思想」と概括しその全体を研究する中でその中心に位置する『荘子』をも解明しようとした。 第二に、視座の面では、およそ思想というものが歴史的な形成物である、すなわち歴史的社会的な現実が解決を要求する諸課題に、それに対する先行の諸思想の解決力量に満足せずに、答えようとして形成されるものであるとすれば、その内容を正しく理解しその意義を正しく評価するために、以上のような二重の意味での歴史性への配慮が不可欠であろうと考えて、一つには、道家思想がいかなる本質を有しているかをスタティックに論ずるのでなく、この思想を歴史的な社会との関わりの中に置いて解明しようと努め、二つには、主に戦国時代中期におけるその誕生から、西漢時代、武帝期の儒教による国教統一に至るまでの、この思想の歴史的な展開を思想史内在的に跡づけようと努めた。 第三に、思想内容の面では、思想家たちが初めて窮極的根源的な実在としての「道」の観念に到達した時が道家の誕生であり、それ以後の広い領域に及ぶ諸思想は「道」をめぐる思想の歴史として把握できると構想して、『荘子』を「道」の思想とその展開を中心に解明しようと努めた。また、思想家たちが「道」を思索した動機は、当代において人間の自己疎外を克服しようとした反疎外論や、人間としての主体性を確立しようとした主体性論にあると見なして、『荘子』の至るところに初期道家以来ずっと、この反疎外論や主体性論が持続して通奏低音として鳴り響いてことを指摘することに努めた。 全体の構成は、第I部「人物と書物」、第II部「存在と世界」、第III部「倫理と社会」、第IV部「知識と論理」、第V部「日本における『荘子』」の五部、十五章から成る。 第I部、第一章は、戦国中期〜西漢、武帝期の道家の最初の思想家として老子・荘子・劉安を取り上げ、物語に作られた彼らの人物イメージを通して物語を作った道家系の思想家たちの歴史的事実を解明した。老子と荘子については、『史記』列伝を検討しながら歴史的事実と作られた物語との区別、古い物語と新しい物語との区別を明確にした上で、老子物語と荘子物語の時代とともに移りゆく展開は、道家系が次第に整理されて「老子を開祖とし彼から源を発した道家という思想上の一学派」なる概念の形成に向かって進んでいくプロセスの一表現であったことを明らかにした。 第二章は、道家の思想書として『荘子』『老子』『淮南子』を取り上げ、それらの成書・編纂の経緯・内部の構成などについて解明した。これらの「書」に言及している、『史記』列伝や『経典釈文』を始めとする関連諸文献を渉猟して分析を進め、『荘子』は戦国中期〜西漢、武帝期の、『老子』は戦国末期〜西漢初期の、『淮南子』は西漢、景帝期・武帝期の、それぞれ道家思想を盛りこんだ書物である、などのことを明らかにした。 第三章は、道家系の諸思想をグルーピングすることばである「黄老」「老荘」「道家」を取り上げ、「老子を開祖とし彼から源を発した道家という思想上の一学派」なる概念の形成史を解明した。そして、ほぼこの順序で作られ使用されていった経緯を分析した。 第四章は、道家思想の誕生とそれに先立つ直接の先駆者について解明した。道家思想の誕生とは「道」の観念の成立のことだと定義した後、それを『荘子』齊物論篇南郭子・顔成子游問答の思索に求め、またそれらの反疎外論や主体性論の形成に強い刺激を与えた先駆者として、生命・身体の重視、人間的な主体性の確立、既成の価値観からの脱却、新しい「知」と論理思想の提唱、をそれぞれ唱えた思想家たちの存在を指摘した。 第II部、第五章は、道家思想の誕生を告げるモニュメンタルな南郭子・顔成子游問答を中心に「万物斉同」の哲学を解明した。反疎外論や主体性論に動機づけられた思想家たちが、世界の主宰者を「道」の中に探求しようと、感情判断・価値判断・事実判断・存在判断を一つずつ撥無して最後に「一の無」に到達し、「無」である我が「無」である世界に直接、融即するという内容において、ついに「道」を定立する経緯を追究した。 第六章は、「万物斉同」の哲学が衰微した後、反疎外論や主体性論の基礎づけを担ったのが、「道」-「万物」の二世界論を中心にすえた形而上学・存在論であったことを解明した。ここでは、「物物者非物」というスローガンの哲学的な意味の分析や、新出の馬王堆帛書に基づいて『周易』と『老子』の中に含まれる道器論の分析を行った。 第七章は、転生・輪廻の思想はもともと中国固有の伝統文化の中に存在していなかったとする通説を批判して、それらが中国固有の伝統文化、特に道家思想の中に古くから存在していたことを主張した。それと同時に、道家の転生・輪廻がインドの転生・輪廻と重要な点で異なることについてもいくつかの事実を指摘した。 第八章は、四つのタイプの「万物一体」の思想のそれぞれについて分析し、また関連して、道家思想の宇宙生成論について解明した。後者では、「道」と「万物」の二世界論に時間性を持ちこんで考察する道家の宇宙生成論には、宇宙の成立に関する客観的科学的な知識や理論を構築していこうという関心が最初から希薄であった事実を指摘した。 第III部、第九章は、道家の「天」を肯定し「人」を否定する思想について解明した。初期道家の「人」の概念は範囲が広くその否定は厳しいが、中期以後は「人」の範囲が次第に狭くなりその否定も徐々におだやかになっていく状況を分析し、特に『老子』第三十八章の「道→徳→仁→義→礼」の図式が提出されて以降は、「道」を去ること最も遠い「礼」ですら肯定される可能性が生じていることを指摘した。 第十章は、道家が戦国末期に外部から採り入れた「養生」説について解明した。ここでは、「養生」と「養性」の異同や、「不失性命之情」の理想を分析した後、道家の「養生」説が身心の二元論から出発して「気」一元論へと深められていったことを略述し、また「養生」説と関係を有する、道家の中心思想の一つとしての「遊」の思想について分析した。 第十一章は、道家の三つのタイプの政治思想-政治の拒否、理想主義のユートピア思想、中央集権的な政治思想について解明した。ここでは、周知の政治の拒否と理想主義のユートピア思想だけでなく、「一君万民」の政治思想をも道家の政治思想のメイン・ストリームを流れる正統的なものと認め、後者についての詳細な分析を提示した。 第十二章は、道家思想の核心を表すものとして有名な「無為自然」を、哲学的また社会的な関係の中である種の構造を持つものと理解した上で、戦国末期に始まる「自然」の思想史を解明した。その構造とは、「道」「聖人」なる主体の「無為」が原因となって「万物」「百姓」なる客体の「自然」が結果するというものであるが、中期道家の中に新たに生じたこの「自然」は、「道」-「万物」の二世界論を中心にすえた古い道家の形而上学・存在論を、根本から動揺させる作用を及ぼしたことを明らかにした。 第IV部、第十三章は、道家の知識論・言語論としての「無知之知」「不言之言」について解明した。「無知」「不言」こそが真の「知」「言」であるとする思索の中にある弁証法的な論理を分析した上で、その「無知之知」「不言之言」を「知」り「言」う「寓言」「重言」「卮言」の提唱が、以後の「知」「言」の復権につながったことを分析した。 第十四章は、諸子百家に関する思想史の構想が道家に始まることを解明した。諸子相互の批判や、道家の諸子に対する批判と自己批判を検討しながら、道家の「道」の思想を中心に諸思想を統一したいという願望の中から中国思想史の構想が生まれ、やがてそれが儒教の『周易』を中心とする諸思想の統一に受け継がれていく経過を分析した。 第V部、第十五章は、日本近世における『荘子』の受容史の中で、格別に顕著な現象である林希逸『荘子斎口義』の盛行について解明した。ここでは、室町五山の惟肖得巌に始まり、江戸初期の林羅山の重視を経て盛行した林希逸『荘子斎口義』が、江戸中期の荻生徂徠の登場とともに衰退していく状況とその原因を明らかにした。 本論文では、すべての部、章に渡って可能な限り、古代より現代に至る関連する諸見解・諸研究に広く目を通し、それらを精確に読み深く理解し適切に批判しつつ検討した上で、有意義または重要なものは遺漏なく採り入れながらも、筆者の長年暖めてきた構想や独自の新しい研究を提出することに努めた。誤りの少なくないことを恐れるゆえんである。 |