学位論文要旨



No 213916
著者(漢字) 片島,正貴
著者(英字)
著者(カナ) カタシマ,マサタカ
標題(和) 酵素阻害薬の体内動態と薬理作用の速度論的解析 : 薬物と酵素の結合・解離および酵素の代謝回転過程を考慮したファーマコダイナミックモデルの構築と薬剤投与設計への応用
標題(洋)
報告番号 213916
報告番号 乙13916
学位授与日 1998.07.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第13916号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊賀,立二
 東京大学 教授 杉山,雄一
 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 助教授 漆谷,徹郎
 東京大学 助教授 佐藤,均
内容要旨

 医薬品の適正な使用には,薬物の体内動態(PK),作用(PD)および副作用(TK)に関する情報が不可欠であり,1992年にPeckらは,"The Integration of Pharmacokinetic,Pharmacodynamic,and Toxicokinetic Principles in Rational Drug Development"に関するカンファレンスを総括して,医薬品の開発過程においてもPK/PD/TKの統合の重要性を論じている。現在臨床において,生体内で酵素を阻害することにより薬理作用を示す薬剤(酵素阻害剤)は,レセプターに作用する薬剤と同様に汎用されている。そこで本研究においては,酵素阻害剤のPKとPDの統合を目指し,まず動物を用いて体内動態とその作用の関係を,薬物と酵素の結合・解離および酵素の見かけの代謝回転過程を考慮したPK/PDモデル(図1)を用いて解析した。同様のモデルにより臨床でのデータを解析し,本PK/PDモデルの有用性を検討した。対象としては,消化性潰瘍治療用剤であるプロトンポンプ阻害剤のオメプラゾール,ランソプラゾールおよびパントプラゾール,前立腺肥大症治療剤であるステロイド5-リダクターゼ阻害剤のFK143,血液凝固阻止剤である抗血小板薬のアスピリン,チクロピジンおよびシロスタゾールを用いた。

図1. PK/PDモデルの概略

 オメプラゾールおよびランソプラゾールをラットに静脈内投与した時の血漿中濃度と胃酸分泌抑制作用の関係を解析すると,オメプラゾールの血漿中非結合型分率(fp)で補正した見かけの薬物-プロトンポンプの反応速度定数(K/fp)およびプロトンポンプの見かけの代謝回転速度定数(k)は,ランソプラゾールより僅かに小さかったが,in vivoでの胃酸分泌抑制作用に大きな差は認められなかった。プロトンポンプの見かけの代謝回転過程を考慮したPK/PDモデルは血漿中薬物濃度と胃酸分泌抑制作用を定量的に評価するのに有用であった。さらに,ラットにおいて構築したPK/PDモデルを文献より得た情報を基にヒトへの適応を検討した。オメプラゾール,ランソプラゾールおよびパントプラゾールをヒトに経口投与した時の胃酸分泌抑制作用の回復は,いずれの薬物においても血漿からの消失に比べて緩やかであった。さらに,胃酸分泌抑制作用は,ランソプラゾール,オメプラゾール,パントプラゾールの順に回復し,オメプラゾールとランソプラゾールに関してはラットと対応した結果であった。K/fpに大きな種差は認められず,ラットの結果よりヒトでのK/fpの予測ができる可能性が示唆された。また,オメプラゾールとランソプラゾールの見かけのプロトンポンプの阻害定数(k/K・fp)は約1nMでありほぼ同等であったが,パントプラゾールのk/K・fpは2.3nMでありオメプラゾール,ランソプラゾールに比べて若干ポテンシィーが弱いと考えられた。プロトンポンプの見かけの代謝回転過程を考慮したPK/PDモデルにより血漿中濃度と胃酸分泌抑制作用の経時的な変動の予測が可能であり,プロトンポンプ阻害剤の投与設計に有用な手段であることが示された。

 次に,FK143の体内動態につて検討した。FK143の血液から組織への移行は膜透過律速であり,血管壁からの移行過程が律速となるタイプ(筋肉,精巣,脂肪,胃および精嚢)と細胞の形質膜からの移行が律速となるタイプ(肝臓,脾臓,腎臓,心臓および肺)の2種類の組織があることが示唆された。さらに,薬物の特異的な組織結合には,標的酵素であるステロイド5-リダクターゼあるいはその関連物質が関与している可能性が示唆された。FK143の組織分布と酵素阻害作用が密接に関連していると考えられたので,標的組織である前立腺における薬物動態と前立腺中のジヒドロテストステロン(DHT)濃度を指標として酵素阻害作用の関係について検討した。FK143を静脈内投与した時の血液中FK143濃度は20mg/kgの用量まで線形であったが,前立腺中濃度は5mg以上の用量で飽和傾向が認められる非線形性を示した。前立腺での非線形性薬物動態(バインディングプール)を考慮して,PK/PD解析を行った。解析の結果得られた見かけの酵素阻害定数(k/K)は,in vitroでのKi値と良く対応し,構築したPK/PDモデルの妥当性が示された。さらに,ラットにおいて構築したPK/PDモデルを健常人に適応した。健常人においては,前立腺中のDHT濃度の測定は困難であるため,血清中のDHT濃度を前立腺中での効果の代替として用いた。FK143を100-500mg経口投与した時の血漿中濃度は線形であったが,血清中DHT濃度の減少は100mg投与した時にすでに最大(投与前値の約65%)となっていた。FK143の投与約24時間後にDHT濃度の減少率は最大となった後,徐々に回復していき,168時間後には投与前値にまで回復した。PK/PD解析の結果得られたk/Kはin vitroの結果とは対応しなかったが,単回投与の結果より反復投与した時のDHT濃度の予測が可能であり,ステロイド5-リダクターゼ阻害剤の臨床での開発のための投与設計に有効な手段になると考えられる。

 最後に,抗血小板薬の臨床における血漿中濃度と抗血小板作用の関係を文献により得た情報を基に解析した。アスピリンについては,血小板および血管内皮細胞でのシクロオキシゲナーゼ阻害作用をトロンボキサンA2生成抑制(血小板凝集抑制)作用およびプロスタサイクリン生成抑制(血小板凝集)作用を指標に,シクロオキシゲナーゼへの非可逆的阻害モデルで解析した。その結果,プロスタサイクリン生成抑制作用が低く,さらに,十分なトロンボキサンA2生成抑制作用を示す抗血小板作用を期待するアスピリンの投与量設定(80-100mg/day)の妥当性が説明可能であった。また,チクロピジンの抗血小板作用は,未成熟血小板への非可逆的阻害モデルで解析可能であった。常用量でのアスピリンとチクロピジンの抗血小板作用を比較すると,アスピリンを投与した時には用量依存的に最大効果の発現時間の短縮が認められ,効果の回復には約10日間要することが示された。一方,チクロピジンでは,用量依存的に最大効果の増大が認められ,効果が定常状態に達するまでに約3-4日間要し,チクロピジンの血漿中からの消失に依存して効果の回復時間の延長が起こることが示唆された。シロスタゾールの血小板凝集阻害作用は,ホスホジエステラーゼIIIに対する競合阻害モデルにより解析が可能であった。シロスタゾールによる血小板凝集阻害作用は,反復投与や用量に依存した増大は見られず,投与を中止した後の作用の回復には24-36時間要することが示唆された。抗血小板薬のPK/PD解析により得られた知見は,抗血小板薬を服用している患者の外科手術時等における薬剤投与設計やノンコンプライアンスによる作用の予測に有用な情報となると考えられる。

 以上の結果,薬物と酵素の結合・解離および酵素の見かけの代謝回転過程を考慮したモデルにより,酵素阻害作用を有する薬物の血液中薬物濃度と薬理効果の関係を解析することが可能であった。さらに,本モデルを用いて,プロトンポンプ阻害薬,ステロイド5-リダクターゼ阻害薬,抗血小板薬等の薬物において臨床用量の定量的評価に有用であることを示した。本研究において構築したPK/PDモデルは,医薬品の開発段階および臨床での使用時に適用可能であり,合理的かつ論理的な薬剤投与設計のために有用な手段となることが示唆された。

審査要旨

 医薬品の適正な使用には,薬物の体内動態(PK),作用(PD)および副作用(TK)に関する情報が不可欠であり,PK/PD/TKの統合は非常に重要である。現在臨床において,生体内で酵素を阻害することにより薬理作用を示す薬剤(酵素阻害剤)は汎用されており,酵素阻害剤のPKとPDの統合して薬剤の体内動態と効果の関係を定量的に評価することは,医薬品開発および臨床での投与設計に有用である。本研究においては,薬物と酵素の結合・解離および酵素の代謝回転過程を考慮したPK/PDモデルの構築と薬剤投与設計への適応を試みた。

1.プロトンポンプ阻害薬の体内動態と胃酸分泌抑制作用の関係

 オメプラゾールおよびランソプラゾールをラットに投与した時の血漿中濃度と胃酸分泌抑制作用の関係をPK/PDモデルにより解析すると,胃酸分泌抑制作用に大きな差は認められなかった。

 さらに,ラットにおいて構築したPK/PDモデルを文献より得た情報を基にヒトへの適応を検討した。オメプラゾール,ランソプラゾールおよびパントプラゾールをヒトに経口投与した時の胃酸分泌抑制作用は,ランソプラゾール,オメプラゾール,パントプラゾールの順に回復した。また,オメプラゾールとランソプラゾールの見かけのプロトンポンプの阻害定数(k/K・fp)は約1nMでありほぼ同等であったが,パントプラゾールのk/K・fpは2.3nMでありオメプラゾール,ランソプラゾールに比べて若干ポテンシィーが弱いと考えられた。本PK/PDモデルにより血漿中濃度と胃酸分泌抑制作用の経時的な変動の予測が可能であり,プロトンポンプ阻害剤の投与設計に有用な手段であることが示された。

2.ステロイド5-リダクターゼ阻害剤(FK143)の体内動態と酵素阻害作用の関係

 FK143のラットにおける体内動態につて検討した。FK143の血液から組織への移行は膜透過律速であり,血管壁からの移行過程が律速となるタイプ(筋肉,精巣,脂肪,胃および精嚢)と細胞の形質膜からの移行が律速となるタイプ(肝臓,脾臓,腎臓,心臓および肺)の2種類の組織があることが示唆された。さらに,薬物の特異的な組織結合には,標的酵素であるステロイド5-リダクターゼあるいはその関連物質が関与している可能性が示唆された。

 次に,標的組織である前立腺における薬物動態と前立腺中のジヒドロテストステロン(DHT)濃度を指標として酵素阻害作用の関係について検討した。FK143の前立腺での非線形性薬物動態を考慮して,PK/PD解析を行った。解析の結果得られた見かけの酵素阻害定数(k/K)は,in vitroでのKi値と良く対応した。

 さらに,本PK/PDモデルを健常人に適応した。健常人においては,前立腺中のDHT濃度の測定は困難であるため,血清中のDHT濃度を前立腺中での効果の代替として用いた。FK143を100-500mg経口投与した時のDHT濃度の減少率は,投与約24時間後に最大となった後,徐々に回復し168時間後には投与前値にまで回復した。PK/PD解析の結果,単回投与の結果より反復投与した時のDHT濃度の予測が可能であったので,ステロイド5-リダクターゼ阻害剤の臨床での開発のための投与設計に有効な手段になると考えられる。

3.抗血小板薬の体内動態と抗血小板作用の関係

 抗血小板薬であるアスピリン,チクロピジンおよびシロスタゾールの臨床での血漿中濃度と抗血小板作用の関係を文献により得た情報を基に解析した。アスピリンについては,プロスタサイクリン生成抑制(血小板凝集)作用が低く,さらに,十分なトロンボキサンA2生成抑制(血小板凝集抑制)作用を示す抗血小板作用を期待する投与量設定(80-100mg/day)の妥当性が説明可能であった。

 また,常用量でのアスピリンとチクロピジンの抗血小板作用を比較すると,アスピリンでは用量依存的に最大効果の発現時間の短縮が認められ,効果の回復には約10日間要することが示されたが,チクロピジンでは用量依存的に最大効果の増大が認められ,チクロピジンの血漿中からの消失に依存して効果の回復時間の延長が起こることが示唆された。

 シロスタゾールによる血小板凝集阻害作用は,反復投与に依存した増大は見られず,投与を中止した後の作用の回復には24-36時間要することが示唆された。

 本解析により得られた知見は,抗血小板薬を服用している患者の外科手術時等における薬剤投与設計やノンコンプライアンスによる作用の予測に有用な情報となると考えられる。

 本研究において構築したPK/PDモデルは,医薬品の開発段階および臨床での使用時に適用可能であり,合理的かつ論理的な薬剤投与設計のために有用な手段となることが示され,よって博士(薬学)の学位に十分に値するものである。

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