学位論文要旨



No 213919
著者(漢字) 小川,潔
著者(英字)
著者(カナ) オガワ,キヨシ
標題(和) タンポポ類の交代現象に関する保全生物学的研究
標題(洋)
報告番号 213919
報告番号 乙13919
学位授与日 1998.07.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第13919号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武内,和彦
 東京大学 教授 石井,龍一
 東京大学 教授 大場,秀章
 東京大学 助教授 恒川,篤史
 筑波大学 助教授 鷲谷,いづみ
内容要旨 1.タンポポ類の交代現象研究の保全生物学的意義

 タンポポ類において外来種が広がっていることが1960年代より注目され、特に1970年代半ば以降、各地で外来種タンポポと在来種タンポポの分布調査(いわゆるタンポポ調査)が行なわれてきた。その結果、以下に詳説するように、外来種タンポポが都市部を中心として広く分布する一方、在来種は農村部を中心として生育していることが明らかとなってきた。本研究は、在来種タンポポから外来種タンポポへの交代現象の実態と過程を、分布の空間的実態と生育地特性、それぞれの種の生活史特性の差異に着目して明らかにし、環境の人為的撹乱下における種の保全の条件を検討することを試み、タンポポの指標生物としての可能性を探り、自然保護に貢献することを目的とする。

 保全生物学が、近年の人間による自然への強力な干渉によってもたらされた生物多様性の危機に対して起こってきた経緯からみて、人間と自然との関係の上に形づくられてきた身近な景観のなかで生きてきた身近な植物であるタンポポ類の生活基盤が、都市化という20世紀を象徴する人間活動のもとで変容していく過程と保全への基礎的情報の集積をめざしたタンポポ類の生態研究は、保全生物学の課題へのひとつの取り組みとして位置づけられる。

2.在来種・外来種の交代現象の概要

 日本の在来種のうち2倍体種は強い自家不和合性を持ち、個体変異が大きく、地理的クラインを形成するものがあり、分類のむずかしい分類群とされてきた。一方、外来種は牧野(1904)が記載して以来、セイヨウタンポポとアカミタンポポが認められてきたが、これらは3倍体で無融合生殖を行う。ヨーロッパではこれらを微小種の集合である複合種として扱い、種としては認めなくなった。在来種も外来種も、種としての認識が容易でないため、本研究では、基本的に在来種、外来種と表現する。

 1960年代から70年代前半までは、交代現象は注目されてはいたが、十分なデータに基づく議論がなかったため、2種群の競争の結果、強い外来種が弱い在来種を駆逐しているという報道が独り歩きをしていた。内藤(1975)は仙台市において、データを示して外来種が市街地に、在来種が郊外部分に分布していることを明らかにした。大阪では自然保護団体の自然を返せ!関西市民連合(1975)が、全県レベルで同様の分布があることを示し、OGAWA(1979)は南関東で、同様の分布があることを示した。以降、各地で多人数の参加者による両種群の分布調査が行われている。

 タンポポ調査の方法には、調査地点を調査者が任意に決める方法と、タンポポの有無にかかわらずあらかじめ決めておく方法がある。前者は多数の参加者が期待できるが、調査地点が行きやすい場所に集中して地理的比較がしにくくなったり、より少ない種類を過大評価する結果を導きやすい。後者は一定の頻度で調査地点をとるため、地理的比較が容易であるが、指定された調査地点に到着するのが大変な場合がある。

3.在来種・外来種の勢力比の空間的分布

 東京を中心とする南関東地域におけるタンポポ調査は1978年から行われた。これは予備調査として位置づけられ、調査地点は調査者が任意に設定した。

 結果を3km×3km区画でみると、都心を中心とした市街地部分に外来種が優勢で、郊外部分には外来種と在来種が見られ、在来種優勢の区画もみられた。一方、この一般的傾向とは逆の例がみつかった。都心の皇居を含む区画では在来・外来種の勢力比は同程度であり、平塚市では個々の地点でみても郊外のゴルフ場や新設の大学キャンパスで外来種、市街地の果樹試験場で在来種が優勢であることが認められた。

 東京都文京区では、伝統的に保存されたり保護された場所で在来種が認められたが、造成された児童公園では在来種はなく、外来種もないケースが目立った。

 1980〜82年には、調査地点をあらかじめ500mごとに決めて調査する方法で、南関東の広範な調査が行われた。ここでは両種群の勢力比と群落の相対的大きさをチェックした。結果として2km×2km区画でみると、東京23区から川崎市、千葉市にいたる東京湾岸に外来種のみの地域が広がり、群落サイズは小さいこと、郊外部分である南多摩、北多摩・狭山・入間地区では在来種はある程度存在し、南多摩では在来種優勢の区画もあること、群落サイズは中位が多いことがわかった。

 これらの分布実態は、強い外来種が弱い在来種を駆逐しているという競争仮説では説明がつかず、むしろ、外来種が侵入できない条件の存在を予想させた。また、都市化がタンポポに与えた影響として、在来種の分布の分断と消滅、および外来種の群落サイズの低下を認めることができた。

 10年後の1990〜92年に、80年代と同じ方法で同じ地点を調査する10年後調査が行われた。その結果、東京23区ではほとんど変化がなかったものの、郊外部分では在来種の優勢区画はなくなり、外来種のみである区画が増加した。この結果は、品田(1977)の生物退行曲線に酷似していた。

4.在来種・外来種の生育地特性

 前節の80年代調査の折りに、同時に調査地点の土地利用調査もあわせて行った。その結果、外来種の出現拠点は路傍、あき地、駐車場、児童公園など、都市化とともに造成されつつある土地利用形態、在来種のそれは耕作地、雑木林など田園的土地利用形態と、墓地など比較的保存された場所であった。家の庭、路傍などは外来種の比較的小群落が出現しやすかった。

 90年代の「10年後調査」において、特にタンポポ類の減少が顕著であった南多摩地区では、外来種は地点そのものが減少した路傍、あき地、耕作地などで減少し、増加した地点である駐車場、児童公園などで増加したが、地区全体では5%減少した。北多摩では、土地利用の増減と平行して出現の増減がみられた。一方、両地区では在来種の出現拠点である耕作地などが激減し、在来種は半減した。南多摩の事実は、外来種が在来種の占有地を奪っているのではなく、生育地の減少が両種群を減少させたことを示している。

5.タンポポの生活環の調節-特に、種子発芽期の制御について-

 両種群の生育を季節的にみると、在来種は夏季に地上部を激減させ、基本的に冬型多年草の特徴を示すが、外来種には顕著な夏の生育中断はみられなかった。

 種子発芽をフィールド調査および発芽実験からみると、外来種は休眠性がなく、種子散布後比較的すみやかな一斉発芽が確認された。一方在来種では、一部は初夏に発芽したが、休眠種子が未発芽で残った。種子休眠は初夏に解除されるが、その時はすでに発芽適温を超えた高温になっていて種子は秋の温度低下とともに発芽した。一部の種子は、アクシデントにより翌年の早春に発芽を持ち越した。両種群とも、1年を超えるシードバンクは期待できなかった。

6.実生の生残からみた発芽期の評価

 フィールドにおける外来種の生残率は大変低く、在来種はいずれの発芽期でも、ある程度の生残がみられた。発芽期による生残の差異を明らかにするため、在来種の生育地である草地において播種実験を行った。その結果、初夏生実生はほとんど死亡し、秋生実生の生残率が比較的高かった。外来種は多産された種子による数の勝負でもっているのに対し、在来種は秋発芽による共存植物との時間的すみわけを行っていることが明らかとなった。

7.タンポポ交代現象のまとめと保全生物学的展望

 外来種は夏季の休眠がないため、他の植物との共存がうまくなく、常に植生の排除を伴う人為的撹乱に依存し、無融合生殖により撹乱地を飛び石状に利用して生育圏を拡大し、在来種は自家不和合性のゆえに集団を維持できる保存的条件下に存続する。タンポポ類の指標性は、このように両種群の別々の人為との対応から生まれたものである。

 保存的条件の場所はタンポポだけでなく、他の生物を保存する場合が多いと期待される。都市の中などで保存された生物群集があれば、それは都市化以前の自然を伝える貴重な遺産であり、新たに自然回復を図る際の遺伝資源の供給源となるべき場所である。東京などではそうした保存された場所として庭園・緑地が期待される。これらの場所は、保全生物学における生態系の保全拠点として、また景観から遺伝子プールまでの保全対象として位置付けられる可能性が高い。

審査要旨

 日本においては外来種タンポポの分布拡大に伴い、1970年代半ば以降、外来種タンポポと在来種タンポポの分布調査(いわゆるタンポポ調査)が各地で市民参加により行なわれてきた。本研究では、在来2倍体種タンポポ(カントウタンポポ)から外来種タンポポへの交代現象の実態を、空間的分布と生育地特性および両種の生活史特性の側面から解明し、環境の人為的撹乱下における種の侵入または衰退過程を通した生物多様性保全の基礎的検討を行なった。

 東京を中心とする南関東地域におけるタンポポ調査は、予備調査として1978〜79年に、また1980〜82年には、調査地点をあらかじめ東西南北500mごとに決めて両種の勢力比と群落の相対的大きさなどを調査する手法で行なった(80年代調査)。また1990〜92年には、80年代調査と同一地点を同一方法で調べる90年代調査(10年後調査)を行なった。

 予備調査および80年代調査から、市街地部分ではセイヨウタンポポを主とする外来種が優勢であり、郊外では在来2倍体種も出現頻度が上昇し、在来2倍体種優勢の区画も確認された。例外的に、周囲を在来2倍体種に囲まれた郊外でも新設のゴルフ場など土地改変の著しい場所で外来種の、市街地でも保存的管理下にある庭園・緑地などで在来2倍体種の優勢が認められた。また、郊外では中位の群落サイズが多く、東京湾岸沿いに小群落で外来種のみの地域が広がっていることが判明した。これらの事実から、都市化の影響は、在来2倍体種に対しては個体群の分断と消滅、外来種に対しては群落サイズの矮小化として現れていることがわかった。90年代調査の結果、東京区部ではほとんど変化がなかったものの、郊外地域では在来2倍体種の優勢区画はなくなり、外来種のみである区画が増加した。

 80年代および90年代調査にあわせて行った調査地点の土地利用形態調査の結果、外来種の出現拠点は路傍、あき地、駐車場、児童公園など都市化に結びついた土地利用形態、在来2倍体種のそれは耕作地、雑木林など田園的土地利用形態および墓地など比較的保存された場所であり、外来種の比較的小群落が家の庭、路傍駐車場に出現しやすいことが判明した。90年代調査から、80年代に在来2倍体種が他地域より多かった南多摩地区では、在来2倍体種は出現拠点である耕作地などの地点の激減と平行して出現地点数が半減した。外来種の出現地点数は、地点そのものが減少した路傍、あき地、耕作地などで減少し、地点が増加した駐車場、児童公園などで増加したが、地区全体では5%減少した。北多摩でも同様に、在来2倍体種は半減した。これらの事実から、外来種が在来2倍体種を駆逐しているのではなく、生育地そのものの減少が在来2倍体種を減少させたことが明らかとなった。

 種子発芽についての野外調査および発芽実験から、外来種の種子は休眠性がなく、種子散布後すみやかな一斉発芽が確認された。一方在来2倍体種では、一部の種子は初夏に発芽し、休眠種子が未発芽で残った(相対休眠)。種子休眠は初夏に解除されるが、その時はすでに発芽可能温度域を超えた高温になっていて種子は秋の温度低下とともに発芽し、一部の種子は、翌年の早春に発芽した(季節的シードバンクの形成)。両種とも、1年を超えるシードバンクは期待できなかった。

 野外における外来種の生残率は低く、種子の多産により生残数を確保していると考えられる。在来2倍体種はいずれの発芽期においても、生残がみられた。在来2倍体種の生育地において初夏、秋、早春に播種実験を行った結果、両種とも秋生実生の生残率が比較的高かった。両種の親株の生育をみると、在来2倍体種は夏季に地上部を激減させ、基本的に冬型多年草の特徴を示し、共存植物との生育期の時間的すみわけを行っていることが明らかとなった。外来種には顕著な夏の生育中断はみられなかった。

 外来種は夏季の休眠がないため、他の植物との時間的共存ができず、常に植生の排除を伴う人為的撹乱に依存し、無融合生殖により1個体で繁殖できるため、撹乱地を飛び石状に利用して生育圏を拡大し、一方在来2倍体種は強い自家不和合性の繁殖特性ゆえに集団を維持できる保存的条件下に存続する。タンポポ類はこのように、外来種においては撹乱地と、在来2倍体種においては保存的土地利用と結びついた指標性が期待できる。

 在来2倍体種タンポポが残存する保存的条件は、他の生物を保存する可能性も高い。都市域においては、こうした生物群集は都市化以前の自然を伝える自然史的遺産であり、自然回復を図る際の生態系のモデルとなり遺伝資源の供給源となりうる。都市部にある庭園・緑地は、生態系の保全拠点として、また景観から遺伝子プールまでの保全対象としての位置付けが期待される。

 以上要するに本研究は、タンポポ類の在来2倍体種から外来種への交代現象を野外調査と実験から生態学的に明らかにし、人為による撹乱に関する生物多様性保全の基礎的知見を提示した研究として評価できる。よって審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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