学位論文要旨



No 213928
著者(漢字) 上野,芳康
著者(英字)
著者(カナ) ウエノ,ヨシヤス
標題(和) 高出力AlGaInP赤色レーザの研究
標題(洋)
報告番号 213928
報告番号 乙13928
学位授与日 1998.07.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第13928号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊藤,良一
 東京大学 教授 尾鍋,研太郎
 東京大学 教授 黒田,和男
 東京大学 教授 神谷,武志
 東京大学 助教授 五神,真
内容要旨

 本研究は、1989年から1993年に行った高出力AlGaInP赤色レーザの研究をまとめたものである。AlGaInP混晶は、1.8〜2.3eV(波長にして690〜540nm)の直接遷移バンドギャップを持つワイドギャップ材料である。AlGaAsレーザよりも短い波長で発振する半導体レーザ材料として注目され、1980年頃から活発な研究が始まった。1991年頃には「最も短い波長で発振する半導体レーザ」の座をZnSeレーザへ、そしてGaNレーザへと明け渡したものの、製品として世の中に出ている最短波長半導体レーザはAlGaInPレーザである。限界性能に挑戦する研究は今も続けられており、DVDプレーヤに代表される超大容量光ディスクを開発するメーカ各社から熱い注目を集めている。

 最初に完成したAlGaInPレーザの出力は3mW、波長は680nmであった。バーコードリーダ、レーザポインタ、光ディスク等の幅広い用途がある。光ディスクの場合、情報の読み出しには、3mWの光出力で足りる。しかし光ディスクに情報を書き込むためには、少なくとも30mW出力で安定動作(高信頼な動作)することが必要である。

 本研究は30mWクラス以上の光ディスク用短波長半導体レーザの技術的確立を目標とした。高出力動作の課題は、端面破壊と温度特性である。レーザ構造に設計自由度があるため、これら2つの課題は互いにトレードオフの関係にある。本研究では、これらの両面から取り組んだ。第1は、端面破壊という現象自体を抑制する材料及びデバイス構造の研究である。第2は、端面破壊に制限されたままレーザ内部のモードサイズを広げ、高出力を取り出す方法である。この場合は温度特性が悪化するため、温度特性が課題となる。

 端面破壊を抑制する原理として、ウィンドウ構造が提案されている。レーザ端面近傍の活性層のバンドギャップを広げ、端面破壊の起因となる光吸収を抑制するものである。これまでに(人工)超格子無秩序化という原子相互拡散現象とプロセス技術を応用した研究が報告されているが、無秩序化に必要な不純物濃度が高いという問題を抱えていた。本研究では、GaInP自然超格子とその無秩序化に初めて着目した。GaInP自然超格子は超格子間隔が0.65nmと非常に短く、かつ、秩序結晶と無秩序結晶のバンドギャップ差は50-80meVと広い。Zn選択拡散による無秩序化実験とウィンドウレーザ試作実験を行い、無秩序化に必要なZn濃度が従来の1/5と低いこと、端面破壊光密度が3倍向上すること、を明らかにした。端面破壊抑制の結果、基本横モード発振最大出力70mWを達成している。

 端面破壊光密度の大幅な向上を確認した一方で、ウィンドウ部分の導波路損失が大きいことを明らかにした。このためにレーザの温度特性が悪化し、実用的なレーザとしては不充分である。導波路損失の起源を考察し、無秩序化領域の材料吸収(〜350cm-1)であり、さらにその原因は自然超格子無秩序化の不均一性、と推定した。Zn拡散条件の最適化で改善される問題ではなく、不純物種の再検討や無秩序化過程(原子相互拡散過程)の研究が必要と考える。

 第2の取り組みでは、ウィンドウ構造の代わりにレーザ内部のスポットサイズ(導波モードサイズ)を広げた。スポットサイズを広げるとスポットサイズに比例して端面破壊光出力が増大する。しかしそれと同時に、温度特性が極端に劣化する。従って、課題は温度特性である。本研究ではまず、温度特性劣化の原因といわれていた電子オーバーフローのメカニズムをAlGaAsレーザと比較し、AlGaInPレーザではドリフト電流が支配的なこと(AlGaAsレーザでは拡散電流が支配的)を明らかにした。ドリフト電流はしきい値キャリア密度とpクラッド層比抵抗で決まる。後者はすでに材料限界に達しているので改善の余地が少なく、しきい値キャリア密度の低減がスポットサイズ拡大の課題であることを確認した。

 当時、圧縮歪量子井戸レーザで低しきい値電流が報告されていた。圧縮歪によるホールバンド構造の変形が利得を増大させるためと考えられていた。本研究では圧縮歪量子井戸を高出力レーザに取り入れて実験を行い、しきい値キャリア密度(測定量はしきい値体積電流密度)増大が電子オーバーフロー(測定量は温度特性)を引き起こすという観点からこれらの測定量の相関関係を解析した。なお、圧縮歪はベテロ障壁の増大を伴う。解析の結果、この材料系の圧縮歪量子井戸レーザではしきい値キャリア密度の低減が小さく、むしろ電子オーバフロー電流の低減が目立つことがわかった。電子オーバフロー電流の低減は、ヘテロ障壁の増大がもたらしたものである。なお、一連の実験の結果、+0.3%歪多重量子井戸レーザが最大出力(端面破壊出力)60mW、基本横モード発振最大出力50mW、特性温度114K、2600時間安定動作出力30mW(@50℃)に到達し、当初目標(30mW安定動作)を達成した。発振波長は690nmである。

 圧縮歪量子井戸レーザの実験結果では、30mW安定動作が限界であった。しかし、50mW以上の高出力動作への手がかりがいくつかある。半導体レーザの導波路屈折率設計、歪GaInP自然超格子の光学異方性、レーザ導波路損失の低減、である。

 半導体レーザのスポットサイズは、導波路屈折率分布を設計して決める。スポットサイズを広げる従来の手法は、本研究の30mW歪量子井戸レーザを含めて活性層薄膜化である。しかし従来は、スポットサイズを設計しても温度特性を予想する有効な手段が無かった。本研究の歪量子井戸レーザの実験の結果、体積電流密度(しきい値キャリア密度)やヘテロ障壁から温度特性を予想することが初めて可能となった。そこで、この設計手法に基き、活性層薄膜化に代わる高出力レーザ設計(クラッド層多層膜化)を提案した。クラッド層を多層膜化して平均屈折率を上げ、スポットサイズを拡大する。均一クラッド層の場合と違い、活性層-クラッド層界面のヘテロ障壁高さが低下しない。クラッド層多層膜化レーザの体積電流密度を従来の高出力レーザと比較し、体積電流密度が小さいこと、温度特性が充分に改善することを示した。50mWクラスのレーザを実現可能と考える。

 一方、圧縮歪量子井戸レーザの量子井戸となっている歪GaInP混晶の発光特性について、大きな問題が残されている。AlGaAs混晶系と異なり、GaInP混晶が光学的に異方的なことである。(GaAs基板に格子整合した)無歪GaInP混晶については、光励起発光特性とレーザ発振特性の両面でその1軸性の強い光学異方性が報告され、その特徴が明らかになっていた。しかし、格子不整合歪を持つGaInP混晶は2軸性の光学異方性を持つはずである。1軸異方性に比べ2軸異方性の特徴は多様であり、かつ、従来の化合物半導体に例が無く、手つかずの状態であった。本研究ではこの問題に取り組み、歪GaInP混晶の2つの最外殻価電子準位が混合を起こし、格子歪量とともに連続的に変わること、光学遷移確率は[110]偏光に対して最大となること、[110]光学遷移確率は特定の格子歪に対して最大値をとること、を明らかにした。上述の圧縮歪量子井戸レーザは[110]偏光で発振しており、すでに最大値に近い光学遷移確率を利用していたことが明らかになった。

 最後の課題は、導波路損失である。従来のAlGaInPレーザでは、ストライプ導波路の両側をGaAsブロック層で囲み、基本横モードだけが発振するようにしている。GaAsが光吸収層なので、この導波路の損失は必然的に大きい。30mWレーザの導波路損失は30cm-1にも及ぶ。一方、高い光出力で基本横モード発振させようとするほど狭い導波路が必要となり、さらに導波路損失が増えてしまう。1.5m帯InGaAsP/InPレーザのような透明導波路を使わない理由は、屈折率の小さいAlInPの選択成長が難しいためである。本研究では、ブラッグ反射を利用した低損失レーザ導波路を提案する。厚さ146nmのGaInP(またはAl組成0.2以下のAlGaInP)と厚さ92nmのGaAsの3〜5周期からなるブラッグ反射層を備える。ブラッグ反射層はこのように、良質な選択成長が可能な材料だけからなる。各層の厚さは、波数ベクトルの横成分の逆数に相当する波長の1/4(x/4)となるよう設定したものである(波長の1/4よりはるかに厚い)。等価屈折率法に基づく導波モード計算を行い、導波モードを閉じ込めること、ブラッグ反射効果が確かに働いていること、導波路損失が従来の1/3に低減し作製トラレンスも広いこと、を示し、光閉じ込めメカニズムの考察を加えた。

 ブラッグ反射層の中のGaInP層はクラッド層よりも屈折率が大きく、本来は導波モードを引き出す作用を持つ。一方、各層の膜厚をx/4に調整すると強いブラッグ反射が起きる。屈折率による引出しとブラッグ反射作用はほぼ相殺する。その結果、ブラッグ反射層は従来のGaAsブロック層と同等な光閉じ込め作用を持つ。ブラッグ反射層への導波モードの浸み出し量は、GaAsブロック層への浸み出し量に等しい。導波路損失が低減する理由は、透明なGaInP層がブラッグ反射層総厚の約2/3を占めるためである。

 なお、ブラッグ反射作用は半導体レーザの数多くの場面で応用されてきた(高反射率端面コート、DFBやDBRレーザ、面発光レーザ、ファイバーブラッググレーティング、等)。これらはいずれも波数ベクトル方向に/4層を積層する。本研究のx/4層は波数ベクトルに直交する方向に積層し、波数ベクトルの横成分に対してブラッグ反射作用を起こす、新しい応用である。

 本論文では以上の内容を、第1章:序論、第2章:ウィンドウ構造AlGaInPレーザ、第3章:歪量子井戸AlGaInPレーザ、第4章:歪GaInP自然超格子の光学異方性、第5章:低損失ブラッグ反射型レーザ導波路、第6章:総括、の章立てで述べる。

審査要旨

 本論文は「高出力AlGaInP赤色レーザの研究」と題し、AlGaInP赤色半導体レーザの高出力化を目指して行われた研究についてまとめたものである。

 初めての半導体レーザ発振の観測(1962年)から20年を経た1980年代前半、光ディスク用光源としての半導体レーザ(AlGaAsレーザ、波長0.78〜0.83um)及び光通信用光源としての半導体レーザ(InGaAsPレーザ、1.3〜1.5um)が全世界に広く普及した。光ディスクは音楽再生用媒体として殆ど全家庭に普及しただけでなく、大容量情報記憶媒体としても欠かせない存在となった。

 ワイドギャップIII-V族半導体からなるAlGaInP半導体レーザの発振波長(0.6〜0.7um)は、従来の光ディスク用レーザ(AlGaAsレーザ)よりかなり短く、1980年前後から短波長半導体レーザとして研究が行われてきた。新しい材料、新しい波長領域のレーザという学術的な興味に加え、光記録の大容量化に結びつく工業的メリットが研究活動を推進し、1985年に室温連続発振が実現された(発振波長は690nm)。しかし、1985〜1988年当時のレーザ出力(安定動作出力)は2-3mWと小さかった。光ディスク記録用光源に用いるためには30mW以上の出力が必要であり、良好な温度特性や高品質な横モード発振を兼ね備える必要がある。これらに取り組むためにはAlGaInP半導体レーザのレーザ発振に関与する各種メカニズムを充分評価し、課題を工学的に的確に捉え、新しい可能性を試み、それぞれの限界を明確にする必要があった。

 本論文では、AlGaInP半導体レーザにおいて30mW以上の高出力動作を目標とし、高出力動作に関連する光学的な課題(レーザ端面の光学損傷、レーザ利得、結晶対称性、導波路損失)から電気的な課題(注入キャリアの閉じ込め、温度特性)にわたる幅広い領域を視野に入れて行われた一連の研究が述べられている。

 本論文は6章より構成されている。

 第1章は「序論」であり、本研究の背景と目的、および本論文の構成について述べている。

 第2章は「ウインドウ構造AlGaInPレーザ」と題し、高出力動作時のレーザ端面の光学損傷を抑えるために本研究が新たに提案したウィンドウ構造レーザの試作・評価結果が記述されている。本研究のウィンドウ構造は、GaInP自然超格子を用いた点が新しい。まず、自然超格子無秩序化に必要な亜鉛不純物濃度を評価し、従来の人工超格子無秩序化に必要な濃度の1/5で無秩序化が起きることを明らかにしている。これは自然超格子の超格子周期が人工超格子に比べてはるかに短いため、としている。次に、ウィンドウ構造を持つ横モード制御型AlGaInPレーザを試作し、従来の3倍と高い光出力密度までレーザ端面が破壊しないことを示している。この結果は従来の最大基本横モード出力を約2倍上回るものである。課題は温度特性があまり良くないことであり、その原因は無秩序化領域の比較的大きな光吸収係数であることを実験に明らかにしている。ここで提案されたウィンドウ構造の不純物濃度の低減と光密度の向上は顕著であり、AlGaInPレーザ研究に対するインパクトが大きい。

 第3章は「歪量子井戸AlGaInPレーザ」と題し、歪多重量子井戸を活性層とする高出力レーザの実験結果が記述されている。この章ではまず、スポットサイズを拡大するなどの高出力設計を施したAlGaInPレーザで温度特性が劣化する原因を明らかにし、そのメカニズムが従来のAlGaAsと異なることを示している。次に、温度特性劣化の理解に基づいて歪多重量子井戸を利用した高出力レーザを設計し、試作・評価を行っている。従来の歪量子井戸AlGaInPレーザは低しきい値動作を目標とする低出力レーザであり、本研究では高い利得とキャリア密度を必要とする高出力レーザ構造で歪量子井戸の実験を行った点が新しい。系統的に試作したレーザの中から端面破壊最大出力60mW、環境温度80℃における最大出力40mWを示す高出力レーザ構造を確立し、50℃30mW2600時間連続安定動作を実証している。この性能は光ディスク用の30mW光源としての必要性能を充たすものである。次に、実験結果に基づいて格子歪の温度特性改善の起源を考察し、Yablonovitchらが提案した光学利得増大よりもむしろヘテロ障壁増大の寄与が大きいと指摘している。この考察の中で体積電流密度と特性温度の相関という新しい評価手法が導入され、この手法が温度特性に優れた高出力レーザの構造設計に役立つことが示され、温度特性上のメリットの大きい高屈折率クラッドレーザ構造が提案されている。これは、50mW級レーザ研究開発の指針となり得るものである。

 第4章は「歪GaInP自然超格子の光学異方性」と題し、第3章で扱った歪量子井戸活性層材料の光学特性をさらに深く追究したものである。本研究は、歪GaInP結晶に格子歪と自然超格子構造が共存する点に着目した点が新しい。格子歪と自然超格子それぞれの実験データと結晶格子の対称性に基づいて電子状態と光学遷移確率を決定し、これにより、第3章の歪量子井戸レーザの偏光が最大の光学遷移確率を与える方位に一致していることが初めて確認された。

 第5章は「低損失ブラッグ反射型レーザ導波路」と題し、導波路損失が小さく、かつ、高品質な結晶成長を容易に行えるレーザ導波路を探求した結果として、従来のGaAs電流ブロック層をGaAs/GaInPブラッグ構造からなる電流ブロック層に置き換えた新しいレーザ導波路を提案している。光導波特性と導波路損失が解析的に調べられ、従来のGaAs電流ブロック型レーザ導波路に比べて導波損失が1/3に低下すること、製作トレランスが比較的広いこと、を示している。

 第6章は「総括」と題し、本論文の内容を簡潔にまとめている。

 以上のように本研究は、高出力動作に関連する光学的な課題から電気的な課題にわたる幅広い領域を視野に入れ、30mW以上の高出力AlGaInPレーザの開発を目標に行われたものである。研究の結果30mW出力安定動作が実現されている。さらに高い光出力の実現可能性を持つ要素技術(ウィンドウレーザ、高屈折率クラッドレーザ、及び、ブラッグ反射型レーザ導波路)も提案されている。これらの成果は半導体レーザ工学へのインパクトが大きく、従って物理工学への貢献が大きい。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54087