内容要旨 | | 近年,航空機,原子炉など高信頼度構造物の信頼性評価や寿命評価手法として,破壊力学に確率論的手法を取り入れたいわゆる確率論的破壊力学(Probabilistic Fracture Mechanics,以下PFMと略す)が注目を集めている。従来の信頼性評価手法は統計的手法と決定論的手法に大別されるが,前者は極めて少ないか経験したことのない事例を拠り所としなければならない場合に,また後者は種々の不確定要素を保守側に評価していくことにより,それぞれ最終評価結果に過大な保守性が取り込まれる可能性がある。これに対してPFMは,不確定要素を確率変数として扱い,破損のプロセス自体は決定論的手法により評価することで,より合理的な信頼性評価を目指す。 現在のPFM解析はほとんどがモンテカルロ法に頼っている。保守性や近似をできるだけ排する立場からは評価に取り入れるべき破壊メカニズムは必然的に複雑・高度化して行くと考えられるが,そのためにはモンテカルロ法の非能率は克服されなければならない。個々の応用局面ではモンテカルロ法の高速化は可能であるが,その収束性を中心極限定理に依存する以上,一般的手法として根本的な計算時間短縮は不可能といってよい。本論文では,PFM解析,より一般には,確率ベクトルを入力とし,確率ベクトルを出力とする「確率システム」のより効率的な解法に関する理論を構築し,数値解析手法を与える。 PFM解析の重要な応用例にLBB成立性評価があるが,本論文ではLBBの成立しやすさの指標としてLBB成立性指標を で定義し,最後に本手法によりLBB(t)を求める。ここで,PL(t),PB(t)はそれぞれ漏えい確率,破断確率である。 本手法を要約すればつぎのようになる。N次元初期確率ベクトルX0が与えられ,確率ベクトルの時間発展の関係がN次元ユークリッド空間RNの部分集合からRNへの写像nによって のように与えられているものとする。nは時間ステップを表わす。Xnの同時分布関数の列Hnの時間発展の関係は,既知の同時分布関数をBorel確率測度(Lebesgue-Stieltjes測度)に拡張することで求められる。数値的には分布関数の形が扱いやすく,Borel確率測度は分布関数で近似する。これを分布関数の再帰方程式(Recursive formula for distribution functions)と名付ける。また,再帰方程式により分布関数を逐次的に近似していく手法を分布関数の逐次近似法(Recursive distribution method)と呼ぶことにする。PFMにおいてはX0は初期き裂形状であり,nはき裂進展のメカニズムなどを表す。PFM解析の解は破損確率であり,これは破損事故領域Bnの測度Hn(Bn)である。再帰方程式はもっとも原始的な形では次のように書ける。 定理.Un,n=0,1,…をRNの開集合とする。nをUnからUn+1への与えられたBorel可測写像,X0は与えられた初期確率ベクトル,Xn,n=1,2,…は確率ベクトルの列で,(2)から定まるものとする。X0の分布関数をH0とする。確率ベクトルの時間発展系(2)に対応する分布関数の時間発展系はつぎで与えられる。 ただし,In+1(x)はUn+1の区間 である。(3)の右辺におけるHnは分布関数Hnを拡張して得られるLebesgue-Stieltjes測度である。 本定理でのnのBorel可測性は工学的には広すぎる条件であり,応用上は写像の微分可能性は仮定しうるであろう。しかし,PFMでは構造物の不安定破壊のようないわゆる破断事象も評価対象とするが,き裂進展過程において,き裂深さがあるしきい値を越えるとき裂の背面からの開口が生じ,母材の内外表面へき裂が瞬時に貫通することが経験的にわかっている。したがって,nにはRNの超曲面の内外でジャンプする類の不連続性は少なくとも許す必要がある。本論文ではこの種の不連続性を第1種の不連続性と名づけて新たにに定義する。また,き裂貫通の前後でき裂の表現が2次元から1次元になり,写像が退化して広い範囲で臨界点を持つようになる。そこで本定理を工学的に意味のあるつぎの3つの場合に制限して示す。 (1)nがC1級同型(一対一)写像である場合 (2)nがC1級写像である場合 (3)nが第1種の不連続性を有するC1級写像である場合 上に述べた定理はそれぞれ写像の解析性と分布関数から導かれるLebesgue-Stieltjes測度の測度論的な性質を記述するように書き換えられる。(2)は再帰方程式のLebesgue分解の表現があたえられ,(3)にも不連続性をあたえる集合を考慮の対象からはずす理論的操作のもとで全く同じ結果が得られる。つぎの定理は(1)を特別な場合として含む。 定理.nをUnからUn+1へのC1級写像(または第1種の不連続性を有するC1級写像),Cm,Dn+1をnのそれぞれ臨界点,臨界値の集合とする。この時,つぎがなりたつ。 (a)(2)に対応する同時分布関数の発展系はつぎのように与えられる。 (6),(7)において,右辺のHnは同時分布関数Hnから生成されるLebesgue-Stieltjes測度である。(5)はこの式によって生成されるLebesgue-Stieltjes測度Hn+1のLebesgue分解を与え,同時分布関数,はそれぞれHn+1の絶対連続,特異部分を与える。 (b)が有意(すなわち,≠0)であるならば となるk,0knがある(はLebesgue測度)。これはつぎと同等である。0knに対して ならば,すなわち,各k,0knがほとんどいたるところ臨界点を持たなければ,Hn+1は絶対連続である。 分布関数の逐次近似法の数値解析アルゴリズムとしては,与えられた写像による区間(4)の再帰方程式の絶対連続部分(6)に現れる逆像(n)-1(In+1(x))の,多次元小区間(タイル)群による近似(これを本論文では被覆と称する)が中心的な役割をはたす。タイルがその逆像を覆うタイル群に属するかどうかを判断する基準としては,タイルの,分布の重み付きあるいは幾何学的重心が逆像に含まれるかどうかを採る。多次元空間の点が多次元空間の超曲面の内部または境界上に含まれるかどうかは,超曲面を線形近似してできる超平面群の内部またはその上にあるかどうかできまる。そのため,与えられた超平面の表側・裏側の概念を,RNの基底ベクトルの同値関係を導入することで構築する。再帰方程式のLebesgue分解の特異部分の扱いは,写像の臨界値集合における局所座標系の上で被覆を与えることによる。 つぎに,分布関数の逐次近似法のアルゴリズムをPFMに即して詳細に述べる。被覆としてはPFMのき裂進展写像の特性に基づいたやや簡易な短冊状近似と,上に述べたタイル状近似を用いる。再帰方程式のLebesgue分解の特異部分の扱いも述べる。被覆は計算負荷の大きい部分であるので,このことにも十分留意する。 最後に,これら2種類の近似手法による解析コードによって原子炉配管に対するつぎの3例の信頼性評価を行う。第1例ではは短冊状近似に基づく設計解析で漏えい確率のみ求める(ケースA)。第2はタイル状近似に基づくやや大きな荷重条件をあたえたもの(ケースB),最後はタイル状近似で設計荷重を与えたものである(ケースC)。LBB成立性評価には漏えい事故の検知とそれによるプラントの停止が重要であり,漏えい事故発生後のき裂の周方向進展によって漏えい検知が破断確率に大きな影響を及ぼす。そこで,解析例では完璧な漏洩検知を行うもの,全く漏洩検知が行われないものの両極端な場合を想定して破断確率を求める。図1にはケースB,Cの解析結果(図中RDと記す)を,基準としてのサンプル数を十分に取って収束性を確認したモンテカルロ法の結果(MCと記す)とともに示す。ケースBでは荷重が大きいために近似精度が高い。ケースCではLBB成立性指標LBBも求めた。本結果により漏えい検知の重要性と,漏えい検知がすみやかに行われればLBB成立性は経年的にむしろ向上することがわかる。計算時間はケースに依存してモンテカルロ法の1/70〜1/4となった。 図1 分布関数の逐次近似法に基づく原子炉配管の評価結果とモンテカルロ法との比較 |