学位論文要旨



No 213939
著者(漢字) 新井,真理
著者(英字)
著者(カナ) アライ,マリ
標題(和) ECMO中の左-右シャントが冠動脈酸素化に及ぼす影響に関する実験的検討
標題(洋)
報告番号 213939
報告番号 乙13939
学位授与日 1998.07.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13939号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高本,眞一
 東京大学 教授 花岡,一雄
 東京大学 助教授 上妻,志郎
 東京大学 講師 賀籐,均
 東京大学 講師 松瀬,健
内容要旨 [研究の背景]

 ECMO(extracorporeal membrane oxygenation)は、長期部分体外循環であり、小児の呼吸不全や循環不全に対する究極の治療法としての心肺補助手段である。新生児領域では、1975年にBartlettらが最初の救命例を報告し、日本でも1987年に長屋らが最初の救命例を報告した後、各施設で行われるようになった。現在臨床で行われているのは、静脈系から脱血し、膜型人工肺を通して酸素化及び炭酸ガス除去を行い、ポンプで動脈系に戻すV-A(veno-arterial)法が主であり、ECMOの方法の中で唯一循環補助機能を有する方法である。適応としては、高頻度振動換気法(HFO)や高い換気圧で換気しても酸素化や二酸化炭素の排出を維持できないような重症呼吸不全、例えば新生児呼吸窮迫症候群(RDS)、胎便吸引症候群(MAS)、そして胎児循環遺残(PFC)や先天性横隔膜ヘルニア(CDH)など肺高血圧による低酸素血症及び右心不全の患児や、間質性肺炎などの重症小児急性呼吸不全、開心術後の心不全の患児などが挙げられる。また、小児外科手術の補助手段として気管形成術などの際にも用いられる。

 ECMO中の患者管理の一端として呼吸管理では、肺自身を休め、肺の損傷を最小にし、かつ肺病変の治癒を期待するために、ECMOの開始と同時に、それまで必要であった高い換気圧や吸入酸素濃度を大幅に下げて換気条件を緩和するいわゆるlung restにすることが従来より行われてきた。

 これまでに、V-A ECMO中lung restの状態にした時、体循環の酸素化は高く維持されていることは知られているが、心筋の酸素化の直接的指標である冠動脈の酸素飽和度はどのようになっているのかは明確にされておらず、当研究室ではV-A ECMO中の冠動脈灌流に関しての動物実験が行われている。V-A ECMO中、心筋を灌流する冠動脈には、自分自身の左心室から拍出された血液、すなわちほとんど酸素化がされずに肺循環を灌流してきた酸素飽和度の低い血液と、ECMOから送血される血液、すなわち酸素飽和度が充分に高い血液が上行大動脈で混合されて流入する。混合される割合を実験により求めたところ、ECMO流量が100ml/kg/min、すなわち全心拍出量の約80%の時でさえ、冠動脈血の約60%は左室から流入する血液であるという結果を得た。文献的にも、Secker-WalkerらやKisellaらが冠動脈へは大部分が左室から灌流していると報告している。以上より、肺機能が著しく低下した患者では、lung restの状態では心筋の低酸素を引き起こす可能性があるのではないかという懸念が示唆された。しかし、ECMOが行われている新生児医療の臨床において、ECMO中の心筋障害を示唆するような状態が常に認められるわけではない。冠動脈の酸素化を決定する因子の一つとして、PDA(動脈管)を介した左-右シャントの存在に注目し、イヌのモデルを使って、左-右シャントの存在が冠動脈血の酸素化にどのように影響するのかを調べることとした。

[実験材料と方法]

 以下の動物実験は国立小児病院小児医療センターの動物実験指針に基づいて行った。

(準備)

 体重7〜10kgのビーグル9頭を用いた。全身麻酔下に胸骨正中切開を行い、上行大動脈起始部に超音波流量計を装着し、左房、冠動脈前下行枝にカテーテルを直接挿入した。右房より脱血、右内頚動脈より送血するECMO回路を接続し、さらに右鎖骨下動脈と右肺動脈をチューブで連結し、人工的左-右シャントを作成した。この回路にはシャント流量の調節と測定が可能となるようにStaring Resistorと電磁流量計を組み込んだ。

(プロトコール)

 ECMO流量は100ml/kg/minに固定した。人工呼吸器の換気条件は、空気下で換気を行っていない状態を想定し、CPAP5cm,FlO20.21に設定した。左-右シャントの流量は、ECMO流量の0,2.5,5.0,7.5,10%の5段階に変化させ、その時の左心拍出量と、冠動脈、左房、右房の酸素飽和度を同時に測定した。

[結果]

 ECMO流量が100ml/kg/minと一定であっても、個体によって自分自身が拍出する左心拍出量にばらつきがあり、全体の左心拍出量に対するECMOの補助率によって、冠動脈酸素飽和度の変化の傾向に違いが認められたため、2群に分けて結果をまとめた。まず第1群として、ECMOの補助率が80%より多いもの6例について示す。シャント流量がECMO流量の0%の時の平均左心拍出量は19.5ml/kg/minであった。右房の酸素飽和度はシャントが変化しても常に65-68%と一定であった。シャントがない場合は左房と右房の酸素飽和度はほぼ等しく、冠動脈の酸素飽和度は約82%と低値であった。シャント流量が増加するに従い、左房と冠動脈の酸素飽和度は上昇し、シャント流量がECMO流量の5%の時すでに冠動脈の酸素飽和度は90%以上になった。冠動脈の酸素飽和度は、シャント流量が0の時を基準として2.5,5.0,7.5,10の時の値をそれぞれ比較すると有意に上昇を認めた。(repeated measures ANOVAによる)。またシャント流量がECMO流量の0%の時、冠動脈血の48%は左心室から拍出された血液であり、シャント流量が変化してもほとんど変化はなかった。

 次に第2群として、ECMOの補助率が80%より少ないもの5例について示す。平均左心拍出量は37.2ml/kg/minであった。第1群と同様に、シャントがない場合は左房と右房の酸素飽和度はほぼ同じ値で、冠動脈の酸素飽和度は72%と低値であった。シャント流量が増加するに従い、左房と冠動脈の酸素飽和度は上昇したが、その傾きは第1群に比べると緩やかであった。そのため、シャント流量がECMO流量の10%の時でさえ、冠動脈の酸素飽和度はまだ90%以下であった。またシャント流量が0%の時、冠動脈血の77%は左心室から拍出された血液であった。

[考察]

 今回の実験の目的は、高流量のECMO下で、全く換気を行わない状態すなわちlung restの状態での、PDAを介する左-右シャントの流量と冠動脈の酸素飽和度との関係について検討することである。

 まず第1群でシャントがない場合に、左房の酸素飽和度に比較して冠動脈の酸素飽和度は高い値を示しているが、これは左室から拍出される血液とECMOからの血液が上行大動脈で混合されて冠動脈に流入し、その混合の割合を示していると考えられる。約50-60%が左室由来の血液である。次にシャント流量が増加していくと、右房の酸素飽和度は変化しないが、左房と冠動脈の酸素飽和度は上昇していく。このことより、左-右シャントが流れると、肺循環を流れる血液の酸素飽和度がstep upし、左房の酸素飽和度も上昇し、それに伴い左室、冠動脈の酸素飽和度も上昇すると推察される。左心拍出量が多い場合も同様のことが生じているが、もともと肺循環を流れる血液量が多いために、わずかな左-右シャントが流れてもあまり大きな影響にはならないのだと考えられる。

 また、ECMOの補助率が多い場合は、左-右シャント流量がECMO流量のわずか5%であっても、冠動脈の酸素飽和度が90%を越えていることから、日常の臨床において、我々がECMOを行うような新生児症例の大部分は肺高血圧による右心不全状態で、左心拍出量は少なくECMOの補助率が多くなると考えられ、この場合は、PDAを介するごくわずかな左-右シャントがドップラーエコーにて検出されれば、換気条件を下げても、冠動脈の酸素飽和度は充分に保たれると思われる。一方高流量のECMO下でも心拍出量を保っているような症例や、ECMO流量が100ml/kg/minより少ない症例においては、たとえごくわずかな左-右シャントが認められても、心筋虚血の可能性も生じるため、換気条件の設定には充分な注意が必要になると考えられる。

 冠動脈の酸素飽和度を決定する因子として今回は左-右シャントに的を絞って実験を行った。しかし他の因子として、混合静脈血の酸素飽和度、肺での換気条件、上行大動脈での混合の割合、大動脈弁逆流などが挙げられる。混合静脈血の酸素飽和度は麻酔深度や体温の影響を受けるため、実際の臨床においても鎮静や体温の管理に留意する必要があると思われる。

[結語]

 高流量ECMO下でPDAを介する左-右シャントがあれば、肺の換気条件をlung restにしても冠動脈の酸素飽和度は充分に保たれる。特にECMOの補助が多い場合や心拍出量の少ない場合では、ごくわずかな左-右シャントの存在で十分である。ECMOの補助が少ない場合や心拍出量の多い場合には換気条件を設定する際に、十分な注意が必要である。また小児外科領域で行われる気道外科手術の際では特に、心機能の良好な患者が、換気を完全に止められる状況に置かれることから、心筋への酸素供給が阻害される可能性を念頭に置く必要があると考えられた。

審査要旨

 本研究は長期部分体外循環であるV-A ECMO(veno-arterial extracorporeal membrane oxygenation)中の冠動脈の酸素飽和度に対して、PDA(動脈管)を介する左-右シャントがどのような影響を及ぼすかを明らかにするため、イヌを用いてECMOを行い、左-右シャントの流量を変化させながら冠動脈の酸素飽和度を測定し、その解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1.V-A ECMO中、心筋を灌流する冠動脈には、自分自身の左心室から拍出された血液、すなわち肺でのガス交換が不十分な場合はほとんど酸素化がなされずに肺循環を灌流してきた酸素飽和度の低い血液と、ECMOから送血される血液、すなわち人工肺で酸素化され酸素飽和度が十分に高い血液が、上行大動脈で混合されて流入する。その混合の割合は、高流量のECMO下であっても、冠動脈に流入する血液の約60%は自分自身の左心室から拍出された血液であることが示された。

 2.高流量V-A ECMO下において、左-右シャントが存在することにより、冠動脈の酸素飽和度は上昇することが示された。特にECMOの補助が十分に多い場合や左心拍出量の少ない場合においては、ECMO流量の5%というわずかなシャント量によって十分に酸素飽和度が保たれることが示された。

 3.ECMO流量が少ない場合や左心拍出量の多い場合には、わずかなシャント量では十分に冠動脈の酸素飽和度を上昇させることはできないことが示された。

 4.PDAを介した少量の左-右シャントの存在が、過度のlung restによる心筋低酸素の危険性を回避する可能性があると考えられた。

 5.心拍出量が保たれている場合や、ECMO流量が高流量に保てない場合には、たとえ左-右シャントを認めたとしても、心筋低酸素の危険性を念頭に置く必要があると考えられた。

 6.実際の臨床においては、PDAを介するシャントを心エコーなどによって確認し、その他の循環状態の観察を行いながら、十分な注意を払って換気条件を設定する必要があると考えられた。また小児外科領域で行われる気道外科手術にECMOを用いる場合、心機能の比較的良好な患者が、換気を完全に止められる状況に置かれることから、心筋への酸素供給が阻害される可能性を常に念頭に置きながら、呼吸管理を行う必要があると考えられた。

 以上、本論文はV-A ECMO中のPDAを介する左-右シャントの存在が、冠動脈の酸素飽和度を上昇させ、lung restの場合においても心筋低酸素を回避できる可能性があることを明らかにした。本研究はこれまでほとんど知られていなかったECMO中の冠動脈酸素飽和度や心筋低酸素の危険性とPDAを介する左-右シャントの関係の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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