学位論文要旨



No 213940
著者(漢字) 本多,真
著者(英字)
著者(カナ) ホンダ,マコト
標題(和) ヒト脳におけるスカベンジャー受容体の発現分布の研究 : 遺伝子欠損マウスを免疫して作成した単クローン抗体を用いて
標題(洋)
報告番号 213940
報告番号 乙13940
学位授与日 1998.07.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13940号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 芳賀,達也
 東京大学 教授 桐野,高明
 東京大学 教授 井原,康夫
 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 教授 矢崎,義雄
内容要旨

 脳は血液脳関門(BBB)により保護されており、いわば閉鎖的環境の中に存在する。そのため脳独自の老廃物処理機構が必要である。病原体や炎症産物の貪食・抗原提示など病的条件下での脳内の老廃物処理にはミクログリアが関わることが知られてきた。しかし生理的条件下で生じる脳内での老廃物処理機構についての検討は不十分であった。脳以外の臓器では単核食細胞系(MPS)の代表的細胞であるマクロファージが老廃物を貪食除去することが知られ、その細胞分子学的研究が進んでいる。マクロファージは非特異的な貪食作用の他に、効率的に老廃物処理を行う受容体経路を持つ。この受容体経路の中心がスカベンジャー受容体(MSR)である。これまでにヒト脳内にMSRのmRNAが発現すること、免疫組織染色によりウシ脳において微小血管周囲にMSR発現細胞が存在することが報告されていた。今回ヒト脳におけるMSRの発現分布を検討し脳内の老廃物処理機構を明らかにすることを目的として、ヒトMSR蛋白を認識する単クローン抗体の作成を行い、免疫組織学的検討を行った。

 MSRはコラーゲン分子様ドメインを持ち三量体をなす膜蛋白で、幅広いリガンド結合能を持ち、動脈硬化病変形成への関与、細胞接着因子の機能、病原微生物に対する生体防御機能を持つことが明らかにされている。ヒトにおけるMSRの機能をさらに解明するために、複数のグループが抗ヒトMSR抗体の作成を試みていたが、脳の免疫組織化学に使用可能な特異性の高い抗体は得られていなかった。我々は抗ペプチド抗体を作成したが、やはり非特異的反応が多く脳の免疫染色はできなかった。このためヒトMSRに対する単クローン抗体の作成を試みた。ミエローマ細胞株と同系のBalb/cマウスを免疫対象とする方法で試行を重ねたが、結局native MSR蛋白を認識する抗体は得られなかった。MSRの遺伝子配列が動物種を越えて高いホモロジーを持つため、免疫されるマウスが免疫寛容類似の状態となり、十分な免疫反応を生じにくいことが想定された。そこで最近確立されたMSR欠損マウスを用いた。その結果抗体価・特異性ともに高い単クローン抗体の作成に成功し、ヒト脳内でのMSR蛋白の発現分布を検討することができた。

材料と方法1免疫原の作成と精製

 免疫原としては大腸菌蛋白発現系を用いて作成したMSR-cと、組換えバキュロウイルス感染による昆虫細胞(Sf9)での発現系を用いて作成したMSR-fである。MSR-cはヒトMSRI型蛋白の細胞外部分の295アミノ酸残基に6つのヒスチジン残基をつけた組換え蛋白で、ニッケルとヒスチジンの親和性がpH依存性に変化することに基づいてカラム精製し、凍結乾燥で濃縮して免疫に用いた。MSR-fはhMSRI型蛋白全長451アミノ酸残基を昆虫細胞で発現させたもので、感染後の蛋白発現の時間経過を検討して細胞を回収した。変性条件下で電気泳動を行い、MSR-fに相当するバンドをゲルから切り出し、電気泳動的に回収し免疫に用いた。

2.ハイブリドーマ作成と選択

 免疫は15匹のスカベンジャー受容体欠損マウスを用い、一回の抗原量をMSR-c100mg/匹、MSR-f5mg/匹として、2週間間隔で反復して免疫を行い、最大10回施行した。最終免疫の4日後に脾細胞を調整、ミエローマ細胞株P3X63Ag8.653とPEG法で細胞融合を行った。この際同時に抗血清も採取した。HAT選択培地を用い、ELISA法でクローン選択を行った。

 ELISAはMSR-cを含む大腸菌やMSR-fを発現した昆虫細胞を可溶化して96穴プレートに固定したものと、MSRを含まない大腸菌や昆虫細胞を固定したプレートを用いて施行した。HRP結合の二次抗体を用い、OPDを発色基質とし、培養上清中の一次抗体の結合を可視化して吸光度(A492nm)を測定した。さらにヒト単球系白血病の細胞株THP1をマクロファージに分化させたものからMSR蛋白を精製してSDS-PAGEで分離しWestern blotで選択されたクローンの特異性を確認した。

3.免疫組織染色

 肝臓、肺、リンパ節、大動脈、脾臓からの組織は2%の過ヨウ素酸リジンパラホルムアルデヒド法で4-6時間固定し10m厚の切片を作成した。脳組織は剖検時に厚さ5mm程度の小さなブロックとして切り出し、4%パラホルムアルデヒドで48時間固定し、一部は70%エタノールで24時間固定した。15%ショ糖溶液中で凍結保護したのち凍結ミクロトームで30m厚の切片を作成した。切片は前処置を行い内因性ペルオキシダーゼ活性を抑制した上で免疫染色に用いた。

 マウス抗血清は1000-5000倍希釈で、抗ヒトMSR単クローン抗体上清は10-50倍希釈で一次抗体として用いた。反応は4℃で24-72時間行った。二次抗体としてはHRP結合抗マウスlg[F(ab’)2]抗体かABCシステムを用い、DABを基質に発色した。なお単核食細胞系(MPS)細胞のマーカーとしてCD68抗原に対する単クローン抗体(KP1とEBM11)を用いた。二重染色は一回目のサイクルでABCシステムを用いてDAB+Niの黒紫色の沈殿を生じさせ、次のサイクルで同じABCシステムを用いNiを含まないDABのうす茶色を発色させる方法を用いた。

 脳組織は計29症例を用いた。このうち14例はAlzheimer病で4例がびまん性Lewy小体病であった。対照群としては通常の神経病理学的検索で明らかな病変をみとめない7例を用いた。他の6例は多発性硬化症や副腎白質変性症などの神経病を選択し、MSR発現の疾患特異性の検討に用いた。各症例とも側頭葉、海馬など数ヵ所の脳組織切片を用い、MSR単独あるいはMSRとCD68、MSRとHLA-D、MSRとアミロイドの組み合わせでの二重染色を行った。

結果と考察

 遺伝子欠損マウスを免疫の対象に選び、結果的に特異性と増殖能の高い一つの単クローン抗体が得られ、これをMH1と命名した。種を越えて保存される蛋白に対する抗体作成に、当該蛋白の遺伝子を欠損させたマウスを利用することの有効性が示された。

 ヒト全身の臓器の免疫組織学的検索により抗MSR抗体は全身の組織マクロファージを認識した。さらに大動脈動脈硬化巣において内膜内の泡沫細胞がMSRを発現していることが確認された。

 脳組織を抗MSR抗体(MH1、抗血清)で免疫組織染色した結果、一貫してMSRを強く発現した血管周囲細胞が観察された。これはCD68陽性であることからマクロファージ系細胞であり、脳微小血管周囲にあって紡錐形の細胞体で相互に連絡するという形態・局在面の特徴から間藤細胞に相当するものであった。これまで間藤細胞にMSR蛋白が発現することはウシとマウスで報告されていた。今回すべての脳組織切片において抗MSR抗体が間藤細胞を染色し、ヒトでもMSR蛋白が間藤細胞に発現していることを証明した。間藤細胞は血液脳関門の一部をなし、老廃物を除去する機能を持つことが知られる。ヒトでもMSR陽性の間藤細胞が微小血管周囲をネットワークをなして取り囲む像が得られており、間藤細胞の機能にMSRが重要な役割を果たすことが示唆された。

 脳組織の病変部位では間藤細胞の他に反応性ミクログリアの一部がMSRを発現していた。通常の神経病理学的検索で病変をみとめない組織においては、MSR陽性のミクログリアは非常に稀であり、ミクログリアにおけるMSR発現は正常では抑制されていると考えられた。アミロイド蛋白の蓄積や虚血病変、多発性硬化症の脱髄巣など様々な脳病変に伴ってミクログリアが反応性に活性化すると、その一部にMSRが発現誘導される所見が得られた。ミクログリアによるMSRの発現は疾患特異的ではないことから、様々な病変に共通してMSRが機能することが示唆された。

 なおMSR陰性の反応性ミクログリアも多く観察された。一般的なミクログリアの活性化指標とMSRの発現は必ずしも平行しないことから、ミクログリアの活性化の方向や表現型の変化が刺激によって異なりMSRの発現量も変化することが推定された。

 脳虚血病巣ではMSRを発現している反応性ミクログリアが非常に多く見られた。ミクログリアは障害組織の除去と修復をする働きをもつことが知られる。錐体細胞が虚血死をおこしている錐体細胞層に一致してMSR陽性ミクログリアが凝集して観察されており、ミクログリアが変性した神経細胞をMSRを介して除去していることが推測された。

 Alzheimer病症例の中でアミロイドアンギオパチーを呈した症例では、アミロイド沈着血管にMSRを強く発現した間藤細胞が観察される場合があった。アミロイド蛋白の沈着は産生と除去のバランスに影響されると考えられるが、その過程にミクログリアだけでなく、間藤細胞も関わることが示唆された。

 これまでミクログリアに発現されたMSRとアミロイドとの関連について、MSRがアミロイドへの接着・取込みやアミロイドによるミクログリアの神経細胞障害性の亢進に関与することが報告されているがいずれもMSRのリガンドを用いた間接的な研究であった。本研究で作成した特異性の高い抗体により、ヒト脳組織で蛋白レベルでのMSR発現分布を直接検討することが可能になった。この抗体を用いた検討から、間藤細胞が生理的条件下でもMSRを介して老廃物除去の機能を有している可能性が示された。さらに病的過程に際してミクログリアにおけるMSR発現がみられるようになる、というMSRを介する脳内老廃物処理機構の存在が明らかになった。

審査要旨

 本研究は、マクロファージスカベンジャー受容体(MSR)欠損マウスを用いてヒトMSR蛋白に対する単クローン抗体を樹立し、得られた抗体を用いてヒト脳におけるMSRの発現分布を免疫組織学的に明らかにしたもので、下記の結果を得ている。

 1.通常の方法では作成困難であったヒトMSR蛋白に対する特異的な単クローン抗体を、MSR欠損マウスを用いて樹立した。抗原には、大腸菌またはバキュロウイルスを用いて作成したヒトI型MSR組換え蛋白を用いた。ELISAによるスクリーニングのあと、Western blotting及びMSR発現組織での免疫組織学的検討により抗体の特異性を確認した。種をこえて保存される蛋白に対する抗体作成には、その遺伝子が欠損したマウスを用いて免疫寛容類似の状態を擬似的になくすことが有用であることが示唆された。

 2.抗ヒトMSR抗体を用いたヒト脳組織の検討で、病変の有無に関わらず脳微小血管周囲にMSR陽性細胞が一貫して観察された。この細胞はCD68陽性であることからマクロファージ系細胞であり、脳微小血管周囲にあって紡錐形の胞体を持ち相互に連絡するという形態・局在両面の特徴から間藤細胞と同定された。本研究により、MSR陽性の間藤細胞がヒト脳内にも存在することが蛋白レベルで初めて証明された。動物での検討から間藤細胞は血液脳関門の一部をなし、老廃物を除去する機能を持つことが知られている。間藤細胞が微小血管周囲をネットワークをなして取り囲むことが証明され、間藤細胞の機能にMSRが重要な役割を果たすことが示唆された。

 3.通常の神経病理学的検索で病変をみとめない脳組織においては、ミクログリアでのMSR発現は検出感度以下に抑制されていた。

 4.Alzheimer病におけるアミロイド蛋白の沈着部位や、多発性硬化症の脱髄巣など様々な脳病変に伴ってミクログリアが反応性に活性化すると、その一部にMSRが発現誘導された。脳虚血病巣ではMSRを発現している反応性ミクログリアが非常に多く観察された。ミクログリアは障害組織の除去と修復をする働きをもつことが知られ、ミクログリアが変性神経細胞の除去にあたってMSRを介した機構を利用していることが考えられた。

 5.ミクログリアによるMSRの発現は疾患特異的ではないことから、様々な病変に共通してMSRが機能することが示唆された。また反応性ミクログリアのすべてがMSR陽性ではなく、MSR特異な発現調節機構の存在が想定された。

 6.Alzheimer病症例の中で、血管壁にアミロイド蛋白が沈着するアミロイドアンギオパチーを呈した症例では、アミロイド沈着血管にMSRを強く発現した間藤細胞が観察された。アミロイド蛋白の沈着は産生と除去のバランスに影響されると考えられるが、その過程にミクログリアだけでなく間藤細胞も関わることが示唆された。

 以上のように、本論文はMSR欠損マウスを用いてMSRに対する単クローン抗体を作成し、その抗体を用いてヒト脳におけるMSRの免疫組織学的検討を行い、生理的条件下で間藤細胞がMSRを介して老廃物を除去している可能性を示したものである。さらに病的過程においてミクログリアにもMSRの発現がみられることを見出している。これらの結果は、生理的及び病的条件下でのヒト脳内の老廃物処理機構に関して新らたな知見を提供するものであり、学位の授与に値すると認められる。

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