不活化抗原の経口投与は、安全性および投与の簡便さなどの実用面とともに、それにより引き起こされる特徴的な免疫応答から経口ワクチンとしての有用性の観点から注目されている。タンパク質抗原の経口投与後の免疫応答には2つの側面があることは、ホ乳類(主として齧歯類あるいはウサギ目)を対象とした解析により明らかにされている。すなわち、粘膜面への分泌型IgA(sIgA)の誘導と全身性の免疫抑制を特徴とする経口免疫寛容の成立である。病原体に特異的なsIgAは、粘膜面からの病原体の侵入を阻止する働きを持つことから、生体において第一線の感染防御機構としての役割を果たしているものと考えられている。 ニワトリの不活化経口ワクチンを考える上で、その免疫応答を知ることは重要であると考えられるが、ニワトリをはじめとする鳥類においては、タンパク質抗原の経口投与により引き起こされる免疫応答については不明な点が多い。本論文では、モデル抗原としてウシ血清アルブミン(BSA)を用い、経口投与後のニワトリの局所性および全身性の免疫応答を調べるとともに、アジュバントによるその免疫応答の修飾について検討した。さらに、微細粒子化した抗原のニワトリでの経口免疫への適用を探るために、先ずモデル粒子としてラテックス・マイクロスフェアーを用い、ニワトリへの経口投与後の腸管リンパ組織への取り込み部位を確定し、次いで徐放性製剤のマトリックスとして用いられる各種のポリ乳酸/ポリグリコール酸共重合体(PLGA)を用いて蛍光色素を含有するマイクロスフェアーを作製し、ニワトリの腸管リンパ組織への取り込みを比較した。さらに、抗原を含有するマイクロスフェアーを作製し、ニワトリでの経口免疫試験を行った。 第一章:ニワトリにおけるタンパク質抗原の経口投与後の免疫応答、およびフッ化ナトリウムによるその修飾. 抗原として用いたBSAは、ゾンデにより食道深部に投与(経口投与)し、血清、涙、あるいは胆汁中の抗原に対するIgGあるいはIgA抗体を酵素抗体法により測定した。抗原単独の場合、大量に投与しても血清IgG抗体の誘導は極めて低いものであった。このニワトリの免疫状態を知るために免疫寛容試験を行った。すなわち、最終経口免疫2週後にフロイント不完全アジュバント(FIA)とともに抗原を筋肉内注射し、その2週後の血清IgG抗体価を対照群と比較することで行った。その結果、抗原単独経口投与群ではその後の全身性の免疫に対しても応答は低く、陽性対照とした非経口免疫/筋肉内注射群の応答と比較して87.5%の抑制が見られた(p<0.05)。このことは、タンパク質抗原単独の経口投与により、ニワトリにおいても経口免疫寛容が引き起こされることを示すものと考えられる。 これに対し、抗原とともにフッ化ナトリウム(NaF)を粘膜アジュバントとして経口投与した群では血清IgG応答の誘導が認められ、その効果は400mM以上のNaFの投与で顕著であった。これらのニワトリについても免疫寛容試験を行ったところ、低濃度のNaF投与群では非経口免疫群に匹敵する応答を示し、また、高濃度のNaF投与群では応答が増強される傾向が示された。以上のことは、NaFがニワトリにおいて、経口免疫寛容を解除し全身性の免疫応答を高める粘膜アジュバントとして働くことを示すものである。NaFの濃度を400mMに固定し抗原量を変えて経口投与した成績から、少なくとも50mgの抗原量で血清IgG応答が認められた。 胆汁中のIgA抗体は、抗原単独経口投与群ではほとんど認められないのに対し、NaFとともに経口投与した群では個体によるばらつきはあるものの抗体応答が認められた。さらに、この経口免疫群では、低率ではあるが涙中のIgA抗体が検出された。FIAとともに筋肉内注射した群では血清中のIgGおよびIgA応答、さらに胆汁および涙中のIgG応答は認められたが、これらの分泌液中のIgA応答はほとんど認められなかった。このことは、IgA抗体産生の誘導において局所性(腸管)と全身性の免疫系の質的な違いを反映しているものと考えられた。 第二章:経口免疫後の血清IgG応答における各種粘膜アジュバントの効果の比較. NaF以外の粘膜アジュバントとしての効果が期待される候補として、タウリン、塩化リチウム(LiCl)、およびQuillaja saponin(Q-SAP)が挙げられる。そこで、経口免疫後の血清IgG応答におけるこれらの物質のアジュバント効果をNaFのそれと比較した。この比較では抗原量を200mgとし、初回経口免疫後4週目の血清IgG抗体価を測定した。この試験においても抗原単独経口投与群の応答は認められないか低いものであるのに対し、NaFを加えて投与した群の応答は高いものであった。NaFのアジュバント効果と比較してLiClおよびタウリンではそれを上回る効果は認められなかったが、Q-SAPとの併用経口免疫では、統計学的な有意差はなかったがNaFよりも高い抗体価を誘導する傾向を示した。 第三章:経口投与ポリスチレンラテックス・マイクロスフェアーのニワトリ消化管リンパ組織への取り込み. 粒子径0.75mのFITC合有ポリスチレンラテックス・マイクロスフェアー(PL・MS)をニワトリに経口投与し、ファブリキウス嚢および計15箇所の各部腸管を採材後凍結切片を作製し、蛍光顕微鏡下で粒子の所在を観察することで取り込み部位を特定した。ホ乳類で報告されているように、ニワトリにおいてもパイエル氏板へのマイクロスフェアーの取り込みが認められ、その分布は粘膜固有層に散在するほか、一部リンパ濾胞への集簇像としても認められた。この部位でのマイクロスフェアーの分布はパイエル氏板に限局され、絨毛上皮で覆われたリンパ組織の発達の悪い粘膜への分布は見られなかった。パイエル氏板以外でマイクロスフェアーの取り込みが認められた部位は、メッケル憩室とその近傍の空腸、および空腸開始部とメッケル憩室の中間部であったが、その頻度はパイエル氏板よりも低いものであった。ファブリキウス嚢を含めたその他の検索部位での取り込みは認められないか、極めて少ないものであった。特に、リンパ組織の非常に発達した盲腸扁桃および盲腸末端部では管腔にマイクロスフェアーが存在するにも拘わらず、パイエル氏板で見られたような取り込みはなかった。 粒子径2.0mあるいは4.5mのPL・MSについても同様の試験を行ったところ、パイエル氏板への取り込みが観察された。しかし、少なくとも同一重量の粒子の投与では、取り込み効率は粒子径0.75mのPL・MSより低く、これは粒子径が増すほどその傾向が見られた。 第四章:各種ポリ乳酸/ポリグリコール酸共重合体・マイクロスフェアーのニワトリ・パイエル氏板への取り込み効率の比較. 生体内分解性の性質をもつポリ乳酸/ポリグリコール酸共重合体(PLGA)は薬剤の徐放性製剤のマトリックスとして利用され、乳酸とグリコール酸の重合比および重合度により徐放性に特徴を与えることが知られている。この物理化学性状のニワトリ・パイエル氏板への取り込みにおける影響を検討した。 重量平均分子量が20,000、60,100あるいは99,800の3種類のPLGAを用いて液中乾燥法により蛍光物質であるクマリン6を含有するマイクロスフェアーを作製し、ニワトリ・パイエル氏板への取り込みを比較した。その結果、全てのPLGAで取り込みが認められるものではなく、特に、重量平均分子量20,000のPLGAで作製したマイクロスフェアーでは、パイエル氏板への取り込みは認められなかった。これに対し、重量平均分子量60,100あるいは99,800のPLGAで作製したマイクロスフェアーではパイエル氏板への取り込みが認められ、その分布はPL・MSで観察されたものと同じであった。取り込み効率は、重量平均分子量60,100のPLGAで作製したマイクロスフェアーにおいて高い傾向にあり、1回投与よりも1日間隔2回投与において高い傾向が認められた。 第五章:ニワトリにおけるタンパク質抗原含有ポリ乳酸/ポリグリコール酸共重合体・マイクロスフェアーの経口免疫への応用. 重量平均分子量60,100のPLGAをマトリックスとし、BSA単独、BSAとともに粘膜アジュバントとしてNaFあるいはQ-SAPを含有するマイクロスフェアーを作製した。マイクロスフェアーから抽出したBSAのSDS-ポリアクリルアミドゲル電気泳動像、およびウエスタンブロット後の酵素抗体法による抗BSA免疫血清との反応性から、マイクロスフェアーの作製過程で、タンパク質ならびに抗原性の変性は起こっていないことが確認された。これら3種のマイクロスフェアーを用いて経口免疫試験を行ったところ、Q-SAPを加えて作製したマイクロスフェアーを投与したニワトリにおいて血清抗体応答が誘導された。しかし、その抗体価は低く、また、週を追う毎に徐々に低下していった。 以上の研究成績は、次のように要約される。 1.ニワトリへのタンパク質抗原の経口投与では、局所のIgA応答の誘導は効果的ではなく、また、全身性の抗体応答の抑制、すなわち経口免疫寛容が誘導される。この免疫応答は粘膜アジュバントを併用することにより修飾可能であり、NaFおよびQ-SAPにその効果が認められた。これらのアジュバントは、特に全身性の抗体応答の改善に有効であった。 2.ニワトリ消化管リンパ組織においても、粒子状物質を取り込む性質を有することが確かめられた。この性質は特にパイエル氏板において認められた。さらに、生体内分解性を示すPLGAを用いて作製したマイクロスフェアーのニワトリ・パイエル氏板への取り込み効率は、用いたPLGAの種類により異なり、特に重量平均分子量60,100のPLGAにおいて良好であることが判明した。このことから、このPLGAをマトリックスとして用いることによりニワトリでの経口免疫への応用が可能であると考えられた。 3.PLGAを用いて、抗原性を失活させることなくBSAを微細粒子化することが可能であった。BSA含有PLGA・MSのニワトリへの経口免疫試験で、血清抗体応答の誘導には抗原単独の封入では不十分であり、抗原とともにサポニンを添加して封入することが必要であることが判明した。 これらの結果は、ニワトリの不活化経口ワクチンを考える上で有用な知見となるものと思われる。 |