学位論文要旨



No 213944
著者(漢字) 高山,晴義
著者(英字)
著者(カナ) タカヤマ,ハルヨシ
標題(和) 瀬戸内海およびその近海に出現する浮遊性無殻渦鞭毛藻の形態学および分類学的研究
標題(洋)
報告番号 213944
報告番号 乙13944
学位授与日 1998.09.07
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第13944号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川口,弘一
 東京大学 教授 大和田,紘一
 九州大学 教授 本城,凡夫
 東京大学 助教授 福代,康夫
 東京大学 助教授 古谷,研
内容要旨

 渦鞭毛藻には赤潮や貝毒の原因となる有害種が多く含まれており、水産上極めて重要である。これらは細胞表面にセルロース質の鎧板や殻板がある有殻種と、それらのない無殻種に分けられており、後者の分類には細胞の外部形態、例えば縦溝と横溝の有無や位置、オセルス眼などの特殊な細胞器官の有無が用いられる。無殻渦鞭毛藻には細胞が小さく、脆弱で固定が不可能な種が多く、形態観察や分類学的検討が不十分なまま記載された種が多い。特にわが国ではこの分野の研究が乏しく、約90年間に散発的に100種程度が記載されているにすぎない。このため、赤潮や貝毒の原因種を含む無殻渦鞭毛藻の分類に関する総合的研究が必要とされてきた。

 本研究では、瀬戸内海およびその近海で採集された無殻渦鞭毛藻86種について、光学顕微鏡と走査型電子顕微鏡を用いて観察を行い、形態学的特徴を記載した。走査型電子顕微鏡による観察においては、脆弱な細胞を変形させないような新たな固定乾燥手法を開発した。また、現在の無殻渦鞭毛藻の分類体系は、個体差が大きい不安定な形質に基づいて行われていて種々の混乱を起こす原因になっているが、本研究ではその問題点を明確にするとともに、本研究で新たに確認された有用な新形質を用いた分類体系の再編成も試みた。

1無殻渦鞭毛藻の分類とその問題点

 本研究で観察した無殻渦鞭毛藻はFensome et al.(1993)におけるDinophyceae綱Gymnodiniphycidae亜綱Gymnodiniales目Gymnodiniineae亜目およびNoctilucaceae綱Noctilucales目の生物である。このうちGymnodiniineae亜目のGymnodiniaceae科とWarnowiaceae科で混乱がみられる。

1)Gymnodiniaceae科における問題点

 Gymnodiniaceae科においてはGymnodinium、Gyrodinium、Cochlodinium、Amphidinium、Katodiniumの5属が種類も多く主要な位置を占める。これらは、横溝の位置、横溝の始端と終端との交差および段差の大きさによって属の区分が行われてきたが、その区分には漠然とした目安があるだけで、厳密な基準があるわけではない。属と属の境界付近にある種や、変異の幅が属の境界を超え両属どちらに属するともいえる種などがあり、著者によって判断を異にする場合も少なくない。

2)Warnowiaceae科における問題点

 Warnowiaceae科の主要な属であるWarnowiaとNematodiniumはネマトシストと呼ばれる射出器官の有無によって区別されている。渦鞭毛藻の射出器官には、ネマトシスト以外にこれと構造を異にするタエニオシストがある。これまでこれらの器官は混同されてきたため両属の区別が不明瞭になってきた。また、Nematopsidesは上錐の終端部が長くのびて触手状になることからNematodiniumと区分されるが、Warnowiaceae科では程度に違いが見られるものの、いずれの種においても上錐の終端部が突出する傾向があり、その形態には連続した発達段階が認められる。従って、上錐終端部の形状の違いで属を区分するのは不合理である。

2分類基準として考えられる形質の評価

 現行の無殻渦鞭毛藻の分類体系において分類形質として用いられている、横溝の位置、横溝の始端と終端との交差あるいは段差の大きさなどの特徴が形質として適切でなく、人為的分類となっていることが前章で指摘できた。そこで86種の観察をもとに安定した形質の分類形質を探ったところ次のあげる表面構造、上錐における縦溝と横溝、上錐溝の3点が有用と考えられた。

1)表面構造

 無殻渦鞭毛藻はその細胞表面構造により、隆起した条線で構成される種、長軸に沿った溝が刻まれている種、外皮と原形質との間に空胞が存在する種、これらの構造を有しない平滑な細胞表面を持つ種に分けられる。条線、溝状および乳頭状細胞表面を有する種は従属栄養種に限られており、特に条線は大形の餌を摂取する際に展開して表面積を増すなど、有用な構造であると認められた。このため表面構造の違いは生態学的にも重要な意味があり、しかもそれぞれの種に安定した形質であることから、それを分類形質として採用することは妥当であると考えた。

2)上錐における縦溝と横溝

 Gymnodiniaceae科やWarnowiacea科ではしばしば上錐に溝構造が侵入し、これらはいずれも縦溝であると考えられていたが、Warnowiacea科では横溝が上錐に侵入することが明らかになった。Gymnodiniaceae科では上錐の溝構造は縦溝と認められるものの、Torodinium属では横溝と縦溝の両方が上錐に侵入することが認められた。

3)上錐溝

 本研究で観察したほとんどの無殻渦鞭毛藻が縦溝と横溝以外に1本または2本の細い溝構造を有することが明らかになり、これを上錐溝と名付けた。上錐溝はその形により非旋回型(直進型、蛇行型)と旋回型(内巻型、外巻型)に区分され、種特有の形態を持っており、種を同定する際の有力な形質の一つになり得る。

3無殻渦鞭毛藻の分類の再編成

 上述の形質を分類基準として採用して無殻渦鞭毛藻の分類学的な再編成を試み、それに従い86種を記載した。ただ、本研究では混乱を避けるため新たな属・種などの分類学名称の設立を行わず、過渡的に属群として集約した。

1)Gymnodiniaceae科

 よく発達した縦溝と横溝を有しており、オセルス眼を有しない。

 本科については、細胞表面を重要な分類分類形質と採用し、さらに、特殊な細胞器官や特異的な形態を有する種を独立した属群とし再編成した。その結果、本科は下記の12属群に集約された。

 Gymnodinium属群:細胞表面に条線、溝状、空胞状構造を有せず、細胞表面が円滑である。

 Gyrodinium属群:細胞表面に条線構造を有する。

 Cochlodinium属群:細胞表面が細かい無数の条線で覆われている。

 Balechina属群:Kofoid and Swezy(1921)でGymnodinium属Pachydinium亜属に配置された種のうち、細胞表面に乳頭状の空胞を有する。

 新属群:Kofoid and Swezy(1921)で、Pachydinium亜属に配置された種のうち、細胞の長軸に沿った平行な溝構造を有する。既存の属名を充当するのが困難であるので、正規な記載をする場合には新たな属を設立する必要がある。

 Lepidodinium属群:Gymnodiniumに極めてよく似た細胞構造を有するが、細胞表面に特有な鱗片を有する。

 Amphidinium属群:細胞が扁平で、上錐溝が下錐に位置し、横溝と縦溝とを連絡する。

 Bernardinium属群:横溝が短く、周囲の1周以下で、縦溝とは始端部だけが連絡する。

 Pavillardia属群:横溝および縦溝が発達しGymnodinium属群に似るが、細胞底端が触手状に伸長する。

 Pheopolykrikos属群:通常2連鎖群体として出現しPolykrikosに似るが、核と横溝が同数存在する。

 Torodinium属群:上錐に縦溝と横溝とが侵入し、側溝を有する。

2)Polykrikaceae科

 Polykrikos属群:明瞭な横溝と縦溝を有し、1個の核に対し2本の横溝が存在する。

3)Warnowiaceae科

 よく発達した縦溝と横溝を有している点でGymnodiniaceae科に似るが、オセルス眼を有する点に特徴がある。

 Erhthopsidinium属群:ピストンと、1個のオセルス眼を所有する。

 Greuetdinium属群:ピストンと、複数のオセルス眼を所有する。

 Warnowia属群:ピストンおよびネマトシストを有しない。

 Nematodinium属群:ネマトシストを有し、ピストンを有しない。タエニオシストだけしか有しない種はWarnowia属群とする。

4)Noctilucales目

 本目にも、OxyrrhisやPronoctilucaを渦鞭毛藻として認めない研究者が出現するなど、分類学上の課題が存在する。しかし、本研究ではNoctiluca、Spaturodinium、OxyrrhisおよびPronoctilucaの4属が観察されただけであり、十分に分類学的検討ができなかったので、形態観察結果のみ記載した。

 以上、分類学上混乱を来している無殻渦鞭毛藻に表面構造、上錐に進入する縦溝と横溝、および上錐溝の形態が分類形質として有効であることを明らかにするとともに、これら形質に基づいて分類体系の見直しを行って、無殻渦鞭毛藻の主要な分類群であるGymnodiniaceae科については11属群、Polykrikaceae科は1属群、Warnowiaceae科は4属群に集約できることを明らかにした。本研究では採集海域が限定されていたため、既記載種で観察できなかった種が多く、分類体系を完成させるまでには至らなかったが、少なくとも本研究で試みられた手法と分類基準は、今後の無殻渦鞭毛藻のとるべき方向性を示すものと考える。

審査要旨

 渦鞭毛藻は赤潮や貝毒の原因となる有害種が多く水産上極めて重要な藻類である。これらは有殻種と無殻種に分けられており、後者の分類には細胞の外部形態と特殊な細胞器官の有無が用いられている。一般に無殻種は細胞が小さく、脆弱で固定が不可能なため、形態観察や分類学的検討が不十分なまま記載された種が多い。このため無殻渦鞭毛藻の分類に関する総合的研究が必要とされてきた。本研究は、瀬戸内梅およびその近海で採集された無殻渦鞭毛藻86種について、形態的特徴の観察をもとに、現在の分類体系の問題点を明確にし、さらに新たに確認された有用な新形質を用いた分類体系の再編成を行ったものである。

1無殻渦鞭毛藻の分類とその問題点1)Gymnodiniceae科における問題点

 本科においてはGymnodiniumなど5属が種類も多く主要な位置を占めている。これらは横溝の位置と交差および段差の大きさによって区分が行われてきたが、それらの変異が連続的であるため、各属の明確な形態的基準がなく、研究者によって所属属名の判断を異にする場合も少なくなかった。

2)Warnowiaceae科における問題点

 本科の主要属であるWarnowiaとNematodiniumはネマトシストと呼ばれる射出器官の有無によって区別されている。渦鞭毛藻の射出器官には、この他にタエニオシストがあるが、これまで両器官が混同されてきたため両属の区別が不明瞭であった。またNematopsidesは上錐の終端部が長くのびて触手状になることからNematodiniumと区分されるが、その触手には連続した発達段階が認められるため、上錐終端部の形状の違いで属を区分するのは不合理であると考えられた。

2分類基準として考えられる形質の評価

 86種の観察をもとに安定した分類形質を探ったところ、表面構造、上錐における縦溝と横溝、上錐溝の三形質が有用と考えられた。

1)表面構造

 無殻渦鞭毛藻は、その細胞表面構造により隆起した条線で構成される種、長軸に沿った溝が刻まれている種、外皮と原形質との間に空胞が存在する種、平滑な細胞表面を持つ種に分けられる。前3者の表面の特徴を有する種は従属栄養種に限られており、餌を摂取する際に展開して表面積を増すなど有用な構造であると認められた。即ちこの構造の差異は生態学的にも意味があり、しかも安定した形質であることから、分類形質とすることは妥当である。

2)上錐における縦溝と横溝

 Gymnodiniacea科やWarnowiacea科ではしばしば上錐に溝構造が侵入し、これらはいずれも縦溝であると考えられていたが、後者では横溝が上錐に侵入することが明らかになった。

3)上錐溝

 多くの無殻渦鞭毛藻の頂端近くに、縦溝と横溝以外の細い溝構造があることを明らかにし、それを上錐溝と名付けた。上錐溝はその形により非旋回型と旋回型に区分され、さらに種特有の形態を持っていることから種分類の有力な形質の一つになり得る。

3無殻渦鞭毛藻の分類の再編成

 上述の形質を分類基準に採用して86種を記載するとともに、3科において無殻渦鞭毛藻の分類学的な再編成を試みた。ただ、混乱を避けるため新たな分類学名称の設立を行わず属群として集約した。

 Gymnodiniaceae科においては細胞表面構造を重要な分類形質とし、さらに、特殊な細胞器官や特異的な形態を有する種を独立した属群とし再編成した。その結果、本科は12属群に区分された。

 Polykrikaceae科では明瞭な横溝と縦溝を有し、1個の核に対し2本の横溝が存在する種をPolykrikos属群に所属せしめた。

 Warnowiaceae科は、よく発達した縦溝と横溝とオセルス眼、ピストンおよびネマトシストの特徴により4属群に区分した。以上、本論文は無殻渦鞭毛藻86種の詳細な観察をもとに、表面構造、上錐に進入する縦溝と横溝、および上錐溝の形態が分類形質として有効であることを明らかにするとともに、これら形質に基づいて従来の分類体系の見直しを行って、無殻渦鞭毛藻の主要な分類群であるGymnodiniaceae科については11属群、Polykrikaceae科は1属群、Warnowiaceae科は4属群に集約できることを明らかにしたものである。本研究では試料採集海域が限定されていたため分類体系を完成させるまでには至っていないが、少なくともここで試みられた分類基準と基本的概念は、今後の無殻渦鞭毛藻分類学研究のとるべき方向性を示すものと考えられた。よって審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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