学位論文要旨



No 213946
著者(漢字) 藤田,隆
著者(英字)
著者(カナ) フジタ,タカシ
標題(和) 新規エラスターゼ阻害物質FR901451に関する研究
標題(洋)
報告番号 213946
報告番号 乙13946
学位授与日 1998.09.07
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第13946号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上野川,修一
 東京大学 教授 北原,武
 東京大学 教授 山口,五十麿
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 堀之内,末治
内容要旨

 呼吸器疾患といえば、戦前は肺結核や肺炎がほとんどを占めていたが、学問の進歩とともに研究や診療の対象となる疾患も大きく拡大してきている。結核の減少とともに、慢性気管支炎・肺気腫、肺癌などが注目され、ついで気管支喘息、細気管支炎などが、そしてややおくれて間質性肺炎、呼吸不全などが登場してきている。著者は、これらの疾患の中で現在、根本的治療法の無い難病の一つと考えられている肺気腫に注目した。肺気腫は老人に多くみられる呼吸器疾患であり、慢性の閉塞性換気障害の一種と考えられている。即ち、肺にある数多くの小さな空気の袋状になっている肺胞の弾性が失われて膨張しきった状態となり、息を吸っても吐きにくくなり、呼吸困難に陥る疾病である。近年、世界的に肺気腫の発生頻度が増加し、死亡率も上昇している。我が国に於ける死亡率も増加が認められている。この増加は人口構成の老齢化、環境汚染、喫煙の増加などが関与していると考えられている。又、肺気腫の破壊的変化は、不可逆的であり発症後は根本的治療法が存在しないため、現在、対症療法として去痰剤、気管支拡張剤のみが用いられている。それ故、肺気腫の発症を予防、あるいは肺気腫の進展を阻止・軽減することが出来るような新薬の登場が切望されている。

 一方、病態生理に関する基礎的研究の進歩により、肺気腫の発症及び憎悪に好中球エラスターゼが関与していることが明らかにされた。その要因の一つとして、ヒト体液中の好中球エラスターゼ量の測定法が開発されたことがある。好中球は白血球の中で数が最も多く存在し、侵襲に対する生体の防御機構の極めて重要な位置を占めている。好中球エラスターゼ(ヒト白血球エラスターゼとも呼ばれる)は、好中球内のアズール顆粒に含まれる中性プロテアーゼで分子量は約3万の糖蛋白である。現在、肺気腫発症のメカニズムは次のように考えられている。喫煙、呼吸器感染あるいは何らかの炎症により、肺血管内に集積した好中球が活性化され、好中球のアズール顆粒に含まれるエラスターゼが細胞外に放出される。このエラスターゼが最も組織障害の強い蛋白分解酵素であり、肺胞の弾性組織エラスチンを破壊し、それにより肺気腫となると考えられている。また、1964年Erikssonによる肺気腫は内因性の好中球エラスターゼ阻害剤である1-antitrypsin(1-AT)欠損者に肺気腫が高率に発症することの報告以来、その病因としてエラスターゼ・アンチエラスターゼ不均衡説が主力となっている。即ち、生体内にはエラスターゼ等のセリンプロテアーゼを阻害する54kDaの糖蛋白である1-ATが存在しており、正常人のエラスターゼ活性はこの1-ATにより抑制されている。しかし慢性の炎症状態等により、肺組織においてプロテアーゼが相対的にアンチプロテアーゼより多くなり、エラスターゼによって肺胞壁にあるエラスチンの分解が起こり、肺組織が侵害され肺気腫へ進展すると考えられる。又、好中球エラスターゼは、急性肺損傷による重篤な呼吸障害の起きる成人呼吸窮迫症候群(Adult respiratory distress syndrome:ARDS)、さらに慢性関節リウマチ(Rheumatoid arthritis:RA)等の疾患の発症、進展にも関与していると考えられている。

 そこで著者は、ヒト白血球エラスターゼ(Human leukocyte elastase:HLE)の阻害物質が、肺気腫、ARDS、さらにRAの発症・進展を抑制することに有効であると考え、微生物代謝産物より探索を行った。その結果、HLE阻害活性を示す新規化合物FR901451を見出した。

 本論文は全4章から成り、ヒト白血球エラスターゼ阻害物質のスクリーニング、FR901451生産菌の同定・培養及びFR901451の単離、物理化学的性質及び構造決定、生物学的性質について述べる。

 第1章は、ヒト白血球エラスターゼ阻害物質のスクリーニング方法に関するものである。酵素反応にはヒトの痰より分離した酵素をHLEとして用い、Methoxysuccinyl-Ala-Ala-Pro-Val-p-nitroanilideを基質として用いた。この反応系に発酵培養サンプルを添加し、30分インキュベイトした後、遊離するp-nitroanilineを比色法で測定した。このような系で各地より分離したバクテリアの発酵培養液について検索した結果、バクテリアNo.758株の培養液中に強力なエラスターゼ阻害活性を示すFR901451を見出した。

 第2章は、FR901451生産菌の同定及びFR901451の単離に関するものである。本物質の生産菌No.758株は千葉県成田市で採取した土壌より分離されたグラム陰性のバクテリアである。本菌株の分類学的研究を行った結果、本菌株は寒天上を滑走し、子実体を形成せず、細長い細胞で、オレンジ・イエロウーの色素を持ち、菌体のイソプレノイドキノンタイプがメナキノン-7(MK-7)、DNAのGC含量が49.8mole%であることよりFlexibacter属に属し、F.filiformis、F.flexilis、F.elegans、F.sanctiの類縁菌と考えられた。それ故、No.758株とこの4菌株の比較を行った。生理学的性質とDNA-DNA homologyについて検討したところ、生理学性質は明らかに異なり、又No.758株とこの4菌株の間のDNA homologyは7%以下であった。以上のことから、No.758株は既存の菌種とは異なり新種と考えられた。よって、No.758株を新種Flexibacter japonensisと命名した。

 FR901451の生産は30Lジャーファーメンター培養で、培養3日目に23g/mlの生産量が得られた。この培養液100Lより精製を行い最終的に37mgの白色粉末のFR901451を単離した。この物質は、薄層クロマトグラフィー及びHPLCで単一であることが確認された。

 第3章は、FR901451の物理化学的性質及び構造決定に関するものである。得られたFR901451を、13C-NMR、FAB-MS及び元素分析により分子式C60H79N13O18(M.W.;1269)と決定した。さらに酸加水分解によりLeu、Lys、Phe、Ser、Pro、Thr、Asp、Trpのアミノ酸が含まれることが判明した。アミノ酸配列の決定のため、各種の二次元NMR解析を行い、その結果FR901451の構造が決定された。本物質は2つのラクトンを含む11個のアミノ酸からなる三環性のペプタイド骨格を有するユニークな新規化合物であった(Fig.)。

 第4章は、FR901451の有効性に関する生物学的性質(in vitro及びin vivo)について述べた。まずin vitroの作用に関して、FR901451のHLEへの阻害形式を調べた結果、拮抗阻害を示すことが明らかになった(Ki=9.8x10-9M)。さらに、内因性のエラスターゼ阻害剤1-ATを対照サンプルとして用いて、FR901451の各種の酵素に対する阻害作用を調べた。その結果、阻害活性をIC50値で示すと、FR901451はヒト白血球エラスターゼ(HLE)を2.3x10-7M、ブタ膵エラスターゼ(PPE)を2.7x10-7M、ウシ膵キモトリプシンを1.1x10-7Mで阻害した。一方1-ATはIC50値が10-7-10-8Mのオーダーでヒト白血球エラスターゼ(HLE)及び他の酵素を抑制した。このように本物質は強力なエラスターゼ阻害作用を示すことから、肺気腫の治療剤となりえる可能性が示唆された。

 次にFR901451のin vivoの作用について述べる。肺気腫におけるFR901451のエラスターゼ抑制効果を調べるため、まずハムスターを用いたエラスターゼ誘発肺出血モデルを作製した。このモデルは6-7週齢のメスのゴールデンハムスターを用いHLEを気管内に投与する。そして、3時間後に気管支肺胞洗浄液(Bronchoalveola lavage fluid;BALF)を得て、BALFを低張圧による溶解(Hypotonic lysis)を行った後、遠心の上澄液の吸光度から肺出血量を測定した。薬剤はHLE投与の5分前に気管内投与した。この様にしてハムスターでのエラスターゼ誘発肺出血量を測定することにより薬剤のエラスターゼに対する抑制効果を評価した。その結果、本モデルにおいて1-ATを対照としFR901451を評価したところ、肺出血抑制作用のED50値は10.5g/siteであった。1-ATも同様に肺出血を抑制したがそのED50値は、228g/siteであり、FR901451は1-ATに比べてかなり強力であった。

 次に肺気腫病態モデルと考えられるエラスターゼ誘発肺気腫モデルを作製した。即ちハムスターにブタ膵エラスターゼ(PPE)を100g/site気管内投与した3週間後に、麻酔下のハムスターを密閉ボックス内に固定し、肺機能測定装置に接続した。本装置により肺気腫の病態の程度を示す強制肺気量(VC;Vital capacity)と静肺コンプライアンス(Cst;Static lung compliance)を求めた。この肺気腫病態モデルにより肺生理機能変化に対するFR901451の作用を調べた結果、Cst上昇抑制作用のED50値は529g/site、VC変化に対するED50値は244g/siteであった。一方1-ATもPPE誘発のCst,VC変化を用量依存的に抑制し、ED50値はCst上昇抑制が587g/site、VC変化の抑制が924g/siteであった。このことよりFR901451は肺気腫の病態モデルで1-ATと同様有効であることが判明した。以上の結果、FR901451は肺気腫の治療薬となりうると考えらる。

 近年、好中球等の炎症性細胞が肺気腫等の炎症性疾患の発症・進展に関与していることが確認され、この分野の研究の進歩はめざましい。今回、著者による研究で微生物由来の低分子化合物エラスターゼ阻害物質FR901451が、肺気腫の動物モデルに於いて有効であることが示された。FR901451は微生物により大量に生産できること、さらに低分子量であるため、容易に吸収され、作用部位に移行し易いといった多くの利点が考えられる。現在、FR901451は高次評価を行っており、今後、肺気腫等の疾患の治療薬となることが期待されるとともに、本物質を用いた基礎的レベル及び治療的応用の研究へと発展させていきたいと考えている。

Fig.Structure of FR901451
審査要旨

 呼吸器疾患である肺気腫は現在、根本的治療法が存在しないため対症療法として去痰剤、気管支拡張剤のみが用いられている。それ故、肺気腫の発症を予防あるいは進展を阻止・軽減できる新薬が望まれている。近年、ヒト白血球エラスターゼ(Human leukocyte elastase;HLE)が肺気腫の発症及び増悪に深く関与していることが明らかにされてきた。本論文は、エラスターゼ阻害物質を微生物代謝産物より探索を行い、新規エラスターゼ阻害物質FR901451の発見と本物質の構造解析及び生物学的性質等についてまとめたものである。

 第1章では、ヒト白血球エラスターゼ阻害物質のスクリーニング方法について論じている。エラスターゼ阻害活性を測定する反応に酵素としてHLEを用い、基質としてMethoxysuccinyl-Ala-Ala-Pro-Val-p-nitroanilideを用いた。反応系に培養ブロスを添加し、30分反応した後、遊離するp-nitroanilineを比色法で測定した。このような系で各地より分離したバクテリアの培養液について検索した結果、バクテリアNo.758株の培養液中に強力なエラスターゼ阻害活性を示すFR901451を見出した。

 第2章では、FR901451生産株の同定及びFR901451の単離について述べている。本物質の生産株No.758株は千葉県成田市で採取した土壌より分離されたグラム陰性のバクテリアであった。No.758株は詳細なる分類学的研究より既存の菌種とは異なる新種でFlexibacter japonensisと命名した。

 FR901451の生産は30Lジャーファーメンターで行い、培養3日目に23g/mlの生産量が得られた。この培養液100Lより精製を行い37mgの白色粉末のFR901451を単離した。

 第3章では、FR901451の物理化学的性質及び構造決定について述べている。FR901451を、13C-NMR、FAB-MS及び元素分析により分子式C60H79N13O18(M.W.;1269)と決定した。さらに酸加水分解によりLeu、Lys、Phe、Ser、Pro、Thr、Asp、Trpのアミノ酸が含まれることが判明した。アミノ酸配列の決定のため、各種の二次元NMR解析を行い、FR901451の構造を決定した。本物質は2つのラクトンを含む11個のアミノ酸からなる三環性のペプタイド骨格を有するユニークな新規化合物であった。

 第4章では、FR901451の有効性に関する生物学的性質(in vitro及びin vivo)について述べている。

 in vitroの作用に関して、FR901451のHLEへの阻害形式を調べた結果、拮抗阻害を示すことが明らかになった(Ki=9.8x10-9M)。さらに、内因性のエラスターゼ阻害剤1-アンチトリプシン(1-AT)を対照サンプルとして用いて、FR901451の各種の酵素に対する阻害作用を調べた。その結果、阻害活性をIC50値で示すと、FR901451はヒト白血球エラスターゼを2.3x10-7M、ブタ膵エラスターゼを2.7x10-7M、ウシ膵キモトリプシンを1.1x10-7Mで阻害した。その作用強度は1-ATとほぼ同等であった。本物質は強力なエラスターゼ阻害作用を示すことから、肺気腫の治療薬となりえる可能性が示唆された。

 次にFR901451のin vivoの作用について述べている。肺気腫におけるFR901451のエラスターゼ抑制効果を調べるため、ハムスターを用いたエラスターゼ誘発肺出血モデルを作製した。HLEを気管内に投与し肺出血を誘発し、3時間後に気管支肺胞洗浄液を得て、肺出血量を測定した。薬剤はHLE投与の5分前に気管内投与した。この様にしてハムスターでの薬剤のエラスターゼ誘発肺出血に対する抑制効果を評価した結果、FR901451の肺出血抑制作用のED50値は10.5g/siteであった。対照の1-ATも同様に肺出血を抑制したがそのED50値は、228g/siteであった。FR901451は1-ATに比べて約20倍強力であった。

 次に肺気腫病態モデルと考えられるエラスターゼ誘発肺気腫モデルを作製した。即ちハムスターにブタ膵エラスターゼを100g/site気管内投与し、3週間後に、肺機能測定装置にて、肺気腫の病態の程度を表す強制肺気量(VC;Vital capacity)と静肺コンプライアンス(Cst;Static lung compliance)を求めた。この肺気腫病態モデルにより肺生理機能変化に対するFR901451の作用を調べた結果、対照の1-ATと同様にCst及びVCの上昇を強く抑制した。このことよりFR901451は肺気腫の病態モデルで1-ATと同様有効であることが判明した。

 以上、本論文では、呼吸器疾患である肺気腫の治療薬の探索を行い、新規作用機作を有するエラスターゼ阻害物質FR901451を発見し、その構造決定及び生物学的作用等について示したもので、実用面及び学術面に貢献することが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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