学位論文要旨



No 213950
著者(漢字) 池森,豊
著者(英字)
著者(カナ) イケモリ,ユタカ
標題(和) 子牛における鶏卵由来免疫グロブリン製剤の受動免疫に関する研究
標題(洋)
報告番号 213950
報告番号 乙13950
学位授与日 1998.09.07
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第13950号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,英司
 東京大学 教授 小野寺,節
 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 助教授 甲斐,知恵子
 東京大学 助教授 原澤,亮
内容要旨

 牛の大腸菌症、特に腸管毒素原性大腸菌(ETEC)による下痢症は生後1週齢以内の子牛に多発し、主要な死亡原因である。ETECは病原因子として線毛とエンテロトキシンを保有し、子牛ではK99及びF41線毛を有し耐熱性のSTを産生するETECの分離率が高い。子牛の大腸菌性下痢症の予防には不活化全菌体あるいは線毛抗原からなるワクチンを妊娠牛に免疫し、子牛に初乳を介して受動免疫を賦与する方法が実施されてきたが、初乳中の免疫グロブリン(Ig)は分娩後数日で急激に低下してしまうため、それ以降子牛に下痢症が発生する傾向がみられる。本研究では、鶏卵の卵黄中に移行抗体として多量のIgが存在することに注目し、ヒドロキシメチルセルロースフタレート(HPMCP)により抽出作製したETEC線毛抗原特異的卵黄抗体の性状と受動免疫効果を検討した。本論文は4章からなり、概要は以下のように要約される。

第1章HPMCPによる卵黄抗体の作製

 第1章では、ETECのK99線毛抗原免疫鶏の卵黄から簡易に特異抗体を抽出する方法を検討し、HPMCPによる抽出方法を確立するとともに、その抽出抗体の組成を検討した。抗K99線毛卵黄抗体の回収方法の確立は以下の方法で行った。ETEC431株をミンカ培地で振盪培養し、加熱処理により得られた粗精製線毛抗原からゲル濾過及びイオン交換クロマトグラフィーによりK99線毛を精製した。精製K99線毛を0.5mg/ml含む免疫原を5カ月齢の白色レグホンの胸部筋肉内に免疫し、抗体保有卵を回収した。この卵黄液に種々の水溶性ポリマーまたは腸溶性ポリマーを添加し、得られた上清の回収量と凝集抗体価を従来の回収方法と比較したところ、いずれのポリマーを使用しても従来の方法と比べ2から3倍高い回収率を示すことが明かとなった。これらのポリマーの内その添加濃度及び腸溶性の性状から卵黄抗体の回収にはHPMCPを使用することとした。

 HPMCP抽出卵黄抗体の性状は以下の方法で検討した。K99線毛を免疫して得られた卵黄を精製水で8倍に希釈し、HPMCPを0.5%となるよう添加した。遠心により上清を分取し、凍結乾燥により抗体粉末とした。HPMCP添加前の卵黄液、HPMCP抽出上清及び抗体粉末について蛋白量と凝集抗体価の測定及び12%ポリアクリルアミドゲルを用いたSDS-PAGEにより比較したところ、HPMCP処理により卵黄の主要蛋白質であるリポ蛋白質が除かれ、リベチン等の水溶性蛋白質中心の構成となった。HPMCP抽出抗体粉末の凝集抗体価は20,480倍と全卵黄粉末より10倍上昇し、HPMCP処理により卵黄中のIgが簡易に精製できることが確認された。

第2章HPMCP抽出卵黄抗体の親和力とウシコロナウイルスに対する感染防御

 第2章では、K99線毛に対する卵黄抗体と牛由来抗体を作製し、競合結合試験により両抗体の親和力を比較するとともに、ウシコロナウイルスの感染モデルを用いて受動免疫における両抗体の防御効果の差異を検討した。卵黄抗体と牛由来抗体の競合結合試験は以下の方法で行った。K99線毛及び市販の牛ETEC不活化ワクチンを雌牛に免疫し、免疫血清と免疫乳清を作製した。これらの卵黄抗体と牛由来抗体のK99線毛に対するELISA抗体価を測定したところ、平均ELISA抗体価は卵黄で97,420倍、免疫牛の血清では115,852倍と同程度に上昇し、鶏が哺乳類である牛と同等の免疫応答を示すことが明かとなった。次に、卵黄抗体と3種類の牛由来抗体をプローブあるいはコンペティターとして、2種類の競合試験を行った。プローブ抗体を1倍から128倍に調整し、等量のコンペティター抗体(ELISA抗体価1,024倍)を加え、K99線毛を固相化したプレートに添加した。それぞれのペルオキシダーゼ標識抗体により発色させ、492nmの吸光度で測定し、コンペティターを加えたときの吸光度の減少率を結合抑制率とした。卵黄抗体をコンペティターとした場合には免疫牛の血清及び乳清のk99線毛に対する反応はいずれの希釈においても40%から80%と強く抑制された。一方、免疫牛の血清及び乳清をコンペティターとした場合では、それらの結合抑制率は0%から30%に過ぎなかったことから、K99線毛免疫鶏から得られた卵黄抗体は哺乳類の抗体と同等以上の抗原への親和力を有していることが明かとなった。

 ウシコロナウイルスに対する卵黄抗体及び初乳抗体の子牛における防御効果の比較試験は以下の方法で実施した。初乳未摂取の新生子牛に1×109.0TCID50/頭のKakegawa株を攻撃した。供試牛を5群に分け、卵黄抗体投与群には中和抗体価1,280倍と2,560倍の2群、初乳抗体投与群には中和抗体価2,560、5,120及び10,240倍の3群及び対照群を設定した。攻撃後6時間目に最初の抗体投与を行い、その後1日2回、7日間連続して抗体を投与した。その結果、対照群の子牛は血液を含む激しい下痢のため、攻撃後6日目までに全頭死亡し、-7.4%と体重が著明に減少したのに対し、卵黄抗体投与群では2,560倍で、初乳抗体投与群では10,240倍で、子牛が全頭生存し、累積糞便スコア及び増体率においても有意に改善された。腸管からのウイルス分離においては両抗体投与群とも小腸及び大腸からの分離ウイルス量が著明に減少したものの、卵黄抗体投与群に比べ初乳抗体投与群でその効果が弱く、特に小腸で分離ウイルス量が高い傾向が認められた。以上の成績から、ウシコロナウイルスをモデルとした子牛の受動免疫試験においても卵黄抗体の高い発症防止効果が明かとなった。

第3章HPMCP抽出卵黄抗体の人工消化液及び子牛の消化管における動態

 受動免疫に使用されるIgGは消化酵素に分解されやすいにも係わらず、投与された抗体が実際に子牛の消化管内で活性を保持しているか調査した報告はない。第3章ではK99線毛に対するHPMCP抽出卵黄抗体の人工胃液及び人工腸液に対する感受性を調べるとともに、対象動物である子牛の消化管における卵黄抗体の動態について検討した。人工消化液における卵黄抗体の安定性は以下の方法で行った。日本薬局方の第1液及び第2液に準じて人工胃液及び人工腸液を作製した。人工胃液は希塩酸によりpH1.2から4.0に調整し、必要に応じペプシンを加えた。人工腸液はpH6.8とし、パンクレアチンを添加する群も設定した。これらの消化液にHPMCP抗体またはコントロール抗体を添加し、ELISAによりK99線毛に対する抗体価を測定した。コントロール抗体はペプシンの存在する酸性条件下では直ちに失活し、pH4.0の人工胃液においてかろうじて抗体活性を維持していたのに対して、HPMCP抗体ではpH3.0及び4.0付近でやや改善がみられ、添加後4時間目においても抗体活性が認められた。人工腸液中ではHPMCP抗体は安定していたが、コントロール抗体はパンクレアチンが存在すると添加後3時間目から急速に失活した。次に、実際に子牛に両抗体を投与し、消化管における動態を調べた。7日齢の子牛を2群に分け、両抗体とも2,560倍となるように調整した牛乳を給与した。抗体投与後経時的に解剖し、消化管各部位から内容物を採材し、K99線毛に対するELISA抗体価を測定した。両抗体とも投与後2時間目では第4胃から空腸にかけて活性を保持していた。投与後4時間目にはコントロール抗体は第4胃内で活性が著しく低減したのに対し、HPMCP抗体では32から64倍の抗体価を維持していた。第4胃から移送された抗体はその後回腸から結腸に達し、投与後6時間目においても失活することなく高い抗体価を示した。これらの成績から、HPMCPで処理した卵黄抗体は腸溶性効果を示し、子牛の消化管内で投与後4時間は抗体活性を保持できることが明かとなった。

第4章HPMCP抽出卵黄抗体の子牛における感染防御効果

 第4章では初乳摂取新生子牛を使用したETEC感染モデルを確立し、K99線毛及びF41線毛に対するHPMCP抽出卵黄抗体の受動免疫効果を検討した。ETEC431株から3種類の線毛抗原を作出し、抗粗精製線毛、抗K99線毛及び抗F41線毛に対する卵黄抗体粉末を製造した。抗粗精製線毛及び抗K99線毛抗体は高い凝集抗体価を示したのに対し、抗F41線毛抗体では800倍と著しく低く、菌体表面におけるF41線毛の発現量が少ないことが明かとなった。受動免疫試験には1日齢の子牛32頭を使用した。供試牛を4頭ずつ8群に分け、対照群、抗粗精製線毛抗体投与群として凝集抗体価400倍、800倍及び1,600倍の3群、抗K99線毛抗体及び抗F41線毛抗体投与群として凝集抗体価200倍及び800倍の各2群を設定した。子牛にETEC B44株を1.6×1011CFU/頭攻撃し、攻撃後2時間目より卵黄抗体の投与を開始し、その後1日3回、7日間連続投与した。その結果、対照群では攻撃翌日から激しい水様性下痢便となり、3日目には全頭死亡した。抗粗精製線毛抗体投与群では凝集抗体価800倍以上の投与群で攻撃後一時的に下痢を呈したものの、全頭生存し、良好な増体効果を示した。両精製線毛抗体投与群においても、凝集抗体価800倍でETECの攻撃に耐過したことから、これらの卵黄抗体の最少有効量は凝集抗体価で800倍と推定された。この最少有効量は乳汁免疫における最少有効量と比較してかなり低値であったが、これはHPMCP抽出卵黄抗体の親和力の高さと腸溶性効果に起因するものと考えられ、卵黄抗体の受動免疫における有用性が実証された。

 本研究の成績からHPMCP抽出卵黄抗体は牛由来抗体と比較して著しく高い親和力を持つとともに子牛の消化管内においても安定した抗体活性を保持しており、従来の免疫抗体に変わりうる新しい受動免疫療法として、農場における抗生物質の使用量を低減し耐性菌の出現や畜産物への残留などの諸問題の解決に寄与するものと期待される。

審査要旨

 牛の腸管毒素原性大腸菌(ETEC)による下痢症は生後1週齢以内の子牛に多発し、主要な死亡原因の一つである。ETECは病原因子として線毛(K99及びF41)とエンテロトキシン(ST)を保有している。本症の予防にはワクチンにより子牛に初乳を介して受動免疫を賦与する方法が実施されてきたが、初乳中の免疫グロブリン(Ig)は分娩後数日で急激に低下するため、それ以降下痢症が発生する傾向がみられる。

 本論文は、鶏卵の卵黄中に移行抗体として多量のIgが存在することに注目し、ヒドロキシプロピルメチルセルロースフタレート(HPMCP)により抽出作製したETEC線毛特異的卵黄抗体(yIg)の性状と受動免疫効果を検討したもので、以下の4章よりなる。

第1章HPMCPによる卵黄抗体の作製

 第1章では、K99線毛免疫鶏の卵黄から簡易にyIgを抽出する方法を検討し、HPMCPによる抽出方法を確立するとともに、その組成を調査した。免疫鶏から得られた卵黄液に種々の水溶性または腸溶性ポリマーを添加したところ、いずれのポリマーを使用しても従来の方法と比べ約3倍高い回収率を示すことが明かとなった。これらのポリマーの内その添加濃度及び腸溶性の性状からyIgの回収にはHPMCPを使用することとした。

 次に、HPMCP抽出yIgの組成を検討したところ、HPMCP処理により卵黄の主要蛋白質であるリポ蛋白質が除かれ、リベチン等の水溶性蛋白質中心の構成となった。HPMCP抗体粉末の凝集抗体価は全卵黄粉末より10倍上昇し、HPMCP処理によりyIgが簡易に精製できることが確認された。

第2章HPMCP抽出卵黄抗体の親和力

 第2章では、K99線毛に対するyIgと牛由来抗体を作製し、競合結合試験により両抗体の親和力を比較した。yIgと牛由来抗体のELISA抗体価は同程度に上昇し、鶏が哺乳類である牛と同等の免疫応答を示すことが明かとなった。次に、yIgと3種類の牛由来抗体を用いて競合試験を行った。yIgをコンペティターとした場合には牛由来抗体のk99線毛に対する反応は強く抑制されたのに対し、牛由来抗体の結合抑制率は低値に過ぎなかったことから、yIgは哺乳類の抗体と同等以上の抗原への親和力を有していることが示唆された。

第3章HPMCP抽出卵黄抗体の人工消化液及び子牛の消化管における動態

 第3章ではK99線毛に対するHPMCP抽出yIgの人工消化液に対する感受性を調べるとともに、対象動物である子牛の消化管におけるyIgの動態について検討した。日本薬局方の第1液及び第2液に準じて人工胃液及び人工腸液を作製した。コントロール抗体はペプシンの存在する酸性条件下では直ちに失活したのに対し、HPMCP抗体ではpH3.0及び4.0で改善がみられ、添加後4時間目においても抗体活性が認められた。人工腸液中ではHPMCP抗体は安定していたが、コントロール抗体はパンクレアチンにより急速に失活した。次に、子牛に両抗体を投与し、消化管における動態を調べた。両抗体とも投与後2時間目では第4胃から空腸にかけて活性を保持していた。投与後4時間目にはコントロール抗体は第4胃内で活性が著しく低減したのに対し、HPMCP抗体は抗体価を維持していた。第4胃から移送されたyIgはその後回腸から結腸に達し、投与後6時間目においても失活することなく高い抗体価を示した。これらの成績から、HPMCP抽出yIgは腸溶性効果を示し、子牛の消化管内で投与後4時間は抗体活性を保持できることが明かとなった。

第4章HPMCP抽出卵黄抗体の子牛における感染防御効果

 第4章では初乳摂取新生子牛を使用したETEC感染モデルを確立し、K99線毛及びF41線毛に対するHPMCP抽出yIgの受動免疫効果を検討した。3種類のyIg粉末のうち抗粗精製線毛及び抗K99線毛抗体は高い凝集抗体価を示したのに対し、抗F41線毛抗体では著しく低く、菌体表面におけるF41線毛の発現量が少ないことが明かとなった。受動免疫試験では、対照群は水様性下痢のため3日目には全頭死亡した。抗粗精製線毛抗体投与群では凝集抗体価800倍以上の投与群で全頭生存し、良好な増体効果を示した。両精製線毛抗体投与群においても、凝集抗体価800倍でETECの攻撃に耐過したことから、これらのyIgの最少有効量は凝集抗体価で800倍と推定された。この最少有効量は乳汁免疫と比較してかなり低値であり、yIgの受動免疫における有用性が実証された。

 以上、本論文はHPMCP抽出yIgは牛由来抗体と比較して著しく高い親和力を持つとともに子牛の消化管内においても安定した抗体活性を保持しており、従来の免疫抗体に変わりうる新しい受動免疫療法として応用可能であることを示したもので、学術上、応用上貢献することが少なくない。よって審査員一同は本論文が博士(獣医学)論文として価値あるものと認めた。

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