学位論文要旨



No 213951
著者(漢字) 中村,成幸
著者(英字)
著者(カナ) ナカムラ,シゲユキ
標題(和) 牛ウイルス性下痢ウイルスの変異に関する研究
標題(洋)
報告番号 213951
報告番号 乙13951
学位授与日 1998.09.07
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第13951号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,英司
 東京大学 教授 小野寺,節
 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 助教授 甲斐,知恵子
 東京大学 助教授 原澤,亮
内容要旨

 牛ウイルス性下痢(BVD)ウイルスは、フラビウイルス科ペスチウイルス属に分類される1本鎖RNAウイルスである。培養細胞に対する病原性から、細胞病原性(CP)と非細胞病原性(NCP)の2つのバイオタイプが存在する。BVDウイルスの血清型は確立していないが、抗原性は多様である。BVDウイルスが牛に感染すると発熱と白血球減少症を伴う消化器病や呼吸器病、免疫抑制、繁殖障害などが認められることがあるが、これら症状は軽く、一過性であったり不顕性感染で終わることが多い。一方、本ウイルスの感染による特徴的な粘膜病と呼ばれる致死的な病態がある。BVDウイルスは妊娠牛に感染すると経胎盤感染が高頻度に起こり、感染時の胎齢により胎仔死、奇形、免疫寛容に基づく持続感染などの発生がみられる。粘膜病は血液や粘液の混ざった下痢と発熱、削痩を主徴とし、致死的である。粘膜病の発生機構は、長い間不明であったが、近年、粘膜病の病態発生には、持続感染牛が密接に関わり合っていることが明らかにされた。持続感染牛は、持続感染ウイルスに対し特異的免疫不応答、つまり免疫寛容となっている。粘膜病はNCPウイルス持続感染牛(免疫寛容状態)にのみ発生し、CPウイルスがこれらの粘膜病を発症した牛からのみ分離され、分離されたCPとNCPウイルスは類似した抗原性を示すことが報告されている。このCPウイルスの起源については、不明な点が多い。持続感染牛に持続感染NCPウイルスと同一の抗原性を有するCPウイルスを重感染させることにより粘膜病を発症することが実験的に証明された。CPウイルスはNCPウイルスと異なり、粘膜病以外の症例から分離されたことはなく、野外における存続と生態は明らかではない。また、CPウイルスが牛の間で存続するとしても、本ウイルスの抗原性が多様であることから、持続感染ウイルスと抗原性が一致するCPウイルスが重感染する確率は低いと思われる。このことから、粘膜病の発現は、外部からのCPウイルスの重感染によるものではなく、本来持続感染しているNCPウイルスがCPウイルスへ変異することによってCPウイルスが出現し、そのCPウイルスの増殖によることが示唆されている。

 近年、遺伝子工学的技術の進歩に伴い、BVDウイルスの遺伝子及びその機能に関する知見が蓄積されつつある。BVDウイルスは、単一の1本のオープンリーディングフレームから前駆蛋白質が翻訳される。前駆蛋白質は修飾を受け、構造蛋白質と非構造蛋白質となる。CPウイルスでは、非構造蛋白質p125は更に修飾され、p54とp80に開裂するが、NCPウイルスでは、この開裂は起こらない。CPウイルスの感染ではp125及びp80が検出されるが、NCPウイルス感染細胞からはp80は検出されないことから、p80と細胞病原性との関連が注目されている。また、非構造蛋白質p125をコードする遺伝子領域に数株のCP BVDウイルスに短いRNAのインサーションがあることが報告されている。CPウイルスであるNADL株及びOsloss株は全塩基配列が決定され、p125領域に宿主細胞由来mRNA(270bp)またはユビキチン遺伝子(228bp)のインサーションがあることが明らかとなっている。CPとNCPウイルスの遺伝子解析からNCPウイルスが宿主細胞由来mRNAをウイルスRNAのp125領域中にインテグレートすることによってCPウイルスに変異するという仮説が提唱されている。しかしながら、持続感染ウイルスと抗原性の一致するCPウイルスの重感染あるいは出現がどのような機序で粘膜病を誘起するかについては、まだ完全に解明されていない。粘膜病の発生機序の解明のためにも、このバイオタイプの変異機序の解明は残された問題となっている。

 このような背景から、著者は、BVDウイルスのCPウイルスからNCPウイルスへの変異機構を解明する目的で、真に親子関係にあるCP及びNCPウイルスペアーを用いてウイルスRNA中にインテグレイトされている宿主細胞由来mRNAの動向について検討した。更に、分離したNCPウイルスの生物学的性状を調べる目的で、NCP BVDウイルスとオルビウイルスの培養細胞における相互作用について検討し以下の結果を得た。

(1)CP BVDウイルスストックからのNCP BVDウイルスの検出とその性状

 CPとNCPウイルス相互の関連を知るため、CP BVDウイルスストックからNCPウイルスの検出と分離を試みるとともに分離ウイルスの性状について調べた。CP BVDウイルスストック中から干渉現象を利用したリバースプラック法によりNCP BVDウイルスを分離し、分離ウイルスのEND現象の発現、ウイルス干渉能及び抗原性について検討した。

 用いた4株全てのCP BVDウイルスストックからリバースプラック法によりNCP BVDウイルスが検出された。分離されたNCP BVDウイルスには、END現象陽性と陰性の2種類の性状の異なるものが同時に含まれていることが明らかとなった。END現象陽性NCP BVDウイルスは、CP BVDウイルスを干渉したが、END現象陰性のウイルスはCP BVDウイルスのみならず水胞性口炎ウイルスも干渉することが明らかとなった。CP BVDウイルス間の抗原性に差異が認められたが、CP BVDウイルスとそれから分離されたNCP BVDウイルスとでは抗原性の区別はできなかった。これらの現象から、分離されたNCPウイルスの起源については不明であるが、CPウイルスからNCPウイルスへの変異の可能性が示唆された。

(2)CP BVDウイルスからNCP BVDウイルスへの復帰変異

 CP BVDウイルスストック中に性状の異なる2種類のNCPウイルスが混在していることが判明し、CPウイルスからNCPウイルスへの変異の可能性が示唆された。そこで、これらNCPウイルスの起源を知るために、CPウイルスであるNose株及びNADL株を限界希釈法及びプラック法によりクローニングを行い、各ステップ毎のサンプルについてNCPウイルスの検出を試みたところ、CPウイルスの増殖の過程で微量のNCPウイルスが産生されることが明らかになった。

 更に、BVDウイルスのCPウイルスからNCPウイルスへの変異機構の解明を目的とし、CPウイルスの宿主細胞由来mRNAのインテグレーションに注目し、CPウイルスであるNADL株及びOsloss株と真に親子関係にある2種類のNCPウイルスのペアーウイルスを用い、ウイルスRNAの非構造蛋白(P125)認識領域における宿主細胞由来mRNAのBVDウイルスRNAへのインテグレーションの動向について検討した。純化NADL株から分離されたNCPウイルスNADLE+及びNADLE-株の塩基配列には、NADL株にある宿主細胞由来mRNA(270bp)がそのまま完全に欠損していた。また、純化Osloss株と分離したNCPウイルスのペアーでは、Osloss株に認められた宿主細胞由来mRNA(228bp)が、NCPウイルスOslossE+及びOslossE-ではそのまま完全に欠損していた。これら遺伝子解析の結果、親株のCPウイルスにインテグレートされている宿主細胞由来mRNAが、NCPウイルスには欠損していることが明らかとなった。以上の結果からCPウイルスにインテグレートされている異種RNAの脱落によってCPバイオタイプからNCPバイオタイプに復帰変異することが証明された。

(3)NCP BVDウイルスのオルビウイルス増殖増強作用

 著者らが分離したNCP BVDウイルスとオルビウイルスとの培養細胞における相互作用を知る目的で、NCP BVDウイルスを感染させた牛精巣培養(BT)細胞にオルビウイルスを重感染させCPEの発現及び増殖性について検討した。NCP BVDウイルス感染BT細胞に7種類のオルビウイルスを重感染させたところ、全てのウイルスがCPEを発現するとともにBVDウイルス非感染BT細胞に比べウイルスの増殖が100倍以上増強された。一方、NCP BVDウイルス10株のうちEND現象陽性の7株を感染させたBT細胞では、イバラキウイルスの増殖が増強され、CPEが発現した。対照的に、END現象陰性の3株ではイバラキウイルスの増殖は抑制されるとともに、CPEも観察されなかった。更に、END現象陽性BVDウイルスを感染させたBT細胞では、BVDウイルス非感染BT細胞に比べイバラキウイルスによるインターフェロンの産生が抑制されていた。以上のことから、END現象陽性NCP BVDウイルスはBT細胞においてオルビウイルスの増殖を増強することが明らかとなり、この増殖増強作用は、重感染ウイルスによるインターフェロンの産生をBVDウイルスが抑制することによることが示唆された。

 以上、本研究は、BVDウイルスのバイオタイプと外来RNAのウイルスRNAへのインテグレーションの動向との関連について解析を行い、提唱されている仮説を逆説的に証明した。今回得られた情報は、BVDウイルスの変異について解析を行うための有用なデータになるものと思われる。

審査要旨

 本論文は、牛ウイルス性下痢(BVD)ウイルスの細胞病原性(CP)ウイルスから非細胞病原性(NCP)ウイルスへの変異機構を解明する目的で、真に親子関係にあるCP及びNCPウイルスペアーを用いてウイルスRNA中にインテグレートされている宿主細胞由来mRNAの動向について検討したもので、以下の3章よりなる。

(1)CP BVDウイルスストックからのNCP BVDウイルスの検出とその性状

 CPとNCPウイルス相互の関連を知るため、CP BVDウイルスストックからNCP BVDウイルスを分離し、その性状について検討した。用いた4株全てのCP BVDウイルスストックからNCP BVDウイルスが検出された。分離されたNCP BVDウイルスには、END現象陽性と陰性の2種類の性状の異なるものが同時に含まれていた。END現象陽性ウイルスは、CP BVDウイルスを干渉(同種干渉)したが、END現象陰性ウイルスはCP BVDウイルスのみならず水胞性口炎ウイルスも干渉(異種干渉)することが明らかとなった。CP BVDウイルス間の抗原性に差異が認められたが、CP BVDウイルスとそれから分離されたNCP BVDウイルスとでは抗原性の区別はできなかった。

 これらの現象から、分離されたNCPウイルスの起源については不明であるが、CPウイルスからNCPウイルスへの変異の可能性が示唆された。

(2)CP BVDウイルスからNCP BVDウイルスへの復帰変異

 CP BVDウイルスストックから分離されたNCPウイルスの起源を知るために、CPウイルスであるNose株及びNADL株のクローニングを行い、各ステップ毎にNCPウイルスの検出を試みたところ、純化CPウイルスの増殖の過程で微量のNCPウイルスが産生されることが明らかになった。

 更に、BVDウイルスのCPウイルスからNCPウイルスへの変異機構の解明を目的とし、CPウイルスの宿主細胞由来mRNAのインテグレーションに注目し、CPウイルスであるNADL株及びOsloss株と真に親子関係にある2種類のNCPウイルスのペアーウイルスを用い、ウイルスRNAの非構造蛋白(P125)認識領域における宿主細胞由来mRNAのBVDウイルスRNAへのインテグレーションの動向について検討した。遺伝子解析の結果、親株のCPウイルスにインテグレートされている宿主細胞由来mRNAが、NCPウイルスには欠損していることが明らかとなった。以上の結果からCPウイルスにインテグレートされている異種RNAの脱落によってCPバイオタイプからNCPバイオタイプに復帰変異することが証明された。

(3)NCP BVDウイルスのオルビウイルス増殖増強作用

 著者らが分離したNCP BVDウイルスとオルビウイルスとの培養細胞における相互作用を知る目的で、NCP BVDウイルスを感染させた牛精巣培養(BT)細胞にオルビウイルスを重感染させCPEの発現及び増殖性について検討した。NCP BVDウイルス感染BT細胞に7種類のオルビウイルスを重感染させたところ、全てのウイルスがCPEを発現するとともにBVDウイルス非感染BT細胞に比べウイルスの増殖が100倍以上増強された。一方、NCP BVDウイルス10株のうちEND現象陽性の7株を感染させたBT細胞では、イバラキウイルスの増殖が増強され、CPEが発現した。対照的に、END現象陰性の3株ではイバラキウイルスの増殖は抑制されるとともに、CPEも観察されなかった。更に、END現象陽性BVDウイルスを感染させたBT細胞では、BVDウイルス非感染BT細胞に比べイバラキウイルスによるインターフェロンの産生が抑制されていた。以上のことから、END現象陽性NCP BVDウイルスはBT細胞においてオルビウイルスの増殖を増強することが明らかとなり、この増殖増強作用は、重感染ウイルスによるインターフェロンの産生をBVDウイルスが抑制することによることが示唆された。

 以上、本論文は、BVDウイルスのバイオタイプと外来RNAのウイルスRNAへのインテグレーションの動向との関連について解析を行い、提唱されている仮説を逆説的に証明したもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(獣医学)論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51083