学位論文要旨



No 213954
著者(漢字) 新井,雅裕
著者(英字)
著者(カナ) アライ,マサヒロ
標題(和) 肝移植後肝障害成立に対する肝類洞内凝固及び腸内細菌の関与
標題(洋)
報告番号 213954
報告番号 乙13954
学位授与日 1998.09.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13954号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小俣,政男
 東京大学 教授 幕内,雅敏
 東京大学 講師 針原,康
 東京大学 講師 大西,眞
 東京大学 講師 白鳥,康史
内容要旨 緒言

 肝移植後には、術直後より原因不明に移植片が機能しない場合があり、Primary Graft Nonfunction(PNF)と呼ばれる。本症には再移植以外に救命手段が存在しないことから、その成立機序の解明が重要な課題となっている。PNFは虚血性壊死を主体とした組織を示し、またグラフトの保存時間が長い程、その発生率が上昇する。従って、その成立には、虚血ないし血流再開に起因する虚血・再灌流障害が関与すると推定される。虚血・再灌流によって肝に生じる特徴的な変化は、類洞内皮細胞障害とクッパー細胞の活性化である。そして、これら細胞の変化が類洞における微小循環を障害し、肝移植後肝障害を成立させると考えられている。

 劇症肝炎はPNF類似の組織像を示すが、そのラットモデルにおいても、類洞内皮細胞障害とクッパー細胞の活性化が観察される。一般に血管内皮細胞はトロンボモジュリンを初め、種々の抗凝固因子を産生している。また、クッパー細胞などマクロファージ系細胞は血液凝固の開始因子であるTissue Factor(TF)活性を発現しており、特に活性化するとその発現量を増し、凝固促進的に作用する。ラット劇症肝炎モデルでは、クッパー細胞のTF活性は増加しており、類洞内皮細胞障害とあいまって、類洞における凝固・抗凝固平衡を破綻させている。その結果生じる類洞内凝固が、微小循環障害を介して広汎肝壊死の成立要因となる。ところで肝移植後の患者では、血中トロンビン・アンチトロンビンIII(ATIII)複合体濃度が上昇しており、凝固亢進状態が存在する。肝移植後には、類洞内皮細胞障害とクッパー細胞の活性化が存在することから、移植肝類洞においても、凝固・抗凝固平衡状態の破綻から類洞内凝固が生じ、術後の凝固亢進状態を惹起していることが推定される。これらより、PNFの成立に肝類洞内凝固による微小循環障害が関与すると想定した。

 また、ラット劇症肝炎モデルにおけるクッパー細胞の活性化には、腸内細菌由来物質の肝への負荷増大が関与する。肝移植後には、門脈血流遮断による腸管壁の物質透過性亢進から、腸内物質の肝への負荷は増大すると考えられる。更に、肝移植後の患者では、血中エンドトキシン濃度は高値を示し、PNFの発生率との間に相関を有する。これらより、腸内細菌由来物質の肝への負荷増大がクッパー細胞の活性化を介して、肝移植後肝障害の成立に関与していることも推定される。

 以上より、肝移植後早期に出現する肝障害の成立に対する、肝類洞内凝固と腸内細菌由来物質の関与を検討し、肝移植後のPNFの成立予防に対する、抗凝固療法及び腸内殺菌の有用性を調べた。

方法

 【動物】Fisher系雄性ラット(180-220g)を使用した。

 【実験I】肝移植後肝障害成立における、類洞内凝固の関与

 (1)肝移植後の類洞における凝固・抗凝固平衡の検討:ラットに以下の処置を行なった。(A)保存/再灌流群;肝を1℃のUW液中で24時間保存後、37℃、酸素吹込み下のMEM液を門脈より灌流。(B)肝血流遮断群;肝動脈を結紮後、門脈血流を20分間遮断。(C)移植群;肝を1℃の生理食塩液中で1時間保存後、Kamadaの方法で移植。(D)保存/移植群;肝を1℃のUW液中で24時間保存後、移植。いずれの群も、再灌流ないし血流再開1時間後に以下の実験に供した。(1)クッパー細胞をコラゲナーゼ・プロナーゼ灌流、メトリザマイド比重遠心法により単離。0ないし1g/mLのエンドトキシン存在下における培養後に、合成基質法にてTF活性を測定。(2)ポリクローナル抗体を用いた免疫組織染色にて、類洞内皮細胞におけるトロンボモジュリン発現を検討。(2)移植肝における類洞内凝固成立の検討:肝を1℃のUW液中で18時間保存後、移植。5時間後に電顕観察を施行した。(3)肝移植後の肝障害及び血液凝固異常に対する抗凝固療法の効果の検討:(2)と同様の肝移植施行後、0及び12時間後に200単位/kgのATIII濃縮製剤を静注。移植24時間後に、血漿ATIII活性、TAT濃度及び血清ALT活性を測定し、肝壊死の程度を組織学的に評価した。

 【実験II】肝移植後肝障害成立における腸内細菌由来物質の関与

 ラットに125万単位/kgの硫酸ポリミキシンB(PB)を1日1回、7日間経口投与し、最終投与24時間後に以下の実験に供した。(1)門脈血流を20分間遮断。血流再開30分後に門脈血中エンドトキシン及びPB濃度を測定した。(2)無処置ラットより摘出した肝を1℃のUW液中で18時間保存後、PB投与ラットに移植。1時間後にクッパー細胞を単離し、TF活性を測定した。(3)同様の肝移植24時間後に、血清ALT活性、TNF濃度を測定し、肝壊死の程度を組織学的に評価した。

結果

 【実験I】肝移植後肝障害成立における、類洞内凝固の関与

 (1)(1)エンドトキシン非存在下でのTF活性は肝血流遮断群、移植群、保存/移植群において、無処置群に比べ高値であった。エンドトキシン添加により、いずれの群でもTF活性は上昇したが、その値は移植群、保存/再灌流群において高値であった。(2)類洞内皮細胞のトロンボモジュリン発現は、UW液中での24時間保存によって顕著に減少した。(2)肝移植後の類洞内にフィブリンの沈着が観察された。(3)肝移植後には、ATIII活性の低下とTAT濃度、ALT活性の上昇を認めた。ATIII投与群では、ATIII活性は正常値以上を示し、TAT濃度は更に上昇、ALT活性及び肝壊死の程度は改善した。

 【実験II】肝移植後肝障害成立における腸内細菌由来物質の関与

 (1)門脈血流遮断により、門脈血中エンドトキシン濃度は著明高値を示したが、PB群では対照群より低値であった。また、いずれのラットでも門脈血中よりPBは検出されなかった。(2)移植肝クッパー細胞のTF活性は、エンドトキシン添加の有無にかかわらず、PB群では対照群より低値であった。(3)肝移植後には、血清TNF濃度、ALT活性は著明高値を示したが、いずれもPB群では対照群より低値であり、肝壊死の程度も軽度であった。

考察

 血管内皮細胞は、円滑な血流を維持するため種々の抗凝固因子を産生しており、中でもトロンボモジュリンは、最も重要な抗凝固因子と考えられている。また、マクロファージ系細胞は、凝固の開始因子であるTFを発現し、凝固促進的な作用を有するが、肝類洞では、常在マクロファージであるクッパー細胞がこの役割を担う。肝移植後には、類洞内皮細胞障害とクッパー細胞の活性化が存在することから、類洞内の凝固・抗凝固平衡が破綻していることが推定される。そこで、単離クッパー細胞のTF活性と類洞内皮細胞のトロンボモジュリン発現を検討した。移植肝クッパー細胞では、エンドトキシン添加の有無にかかわらずTF活性は、無処置群に比べ高値を示した。エンドトキシン存在下、非存在下での活性が、それぞれ保存/再灌流群、肝血流遮断群で高値を示したことから、移植肝クッパー細胞のTF活性上昇は虚血・再灌流と門脈血流鬱滞に起因すると考えられた。一方、類洞内皮細胞におけるトロンボモジュリン発現は、冷保存により減弱した。従って、移植肝類洞では凝固活性の上昇、抗凝固活性の低下が生じ、凝固・抗凝固平衡が破綻していると推定された。そしてその結果、移植肝類洞内に血液凝固が生じることが、電顕による類洞内フィブリン沈着の確認から明らかとなった。次に、この類洞内凝固の肝障害成立への関与を明らかにするため、レシピエントに抗凝固療法を施行した。通常、抗凝固療法にはヘパリンが頻用される。しかし、ヘパリンはATIIIの補助因子であるため、ATIIIがその産生低下から欠乏する肝不全時には、ヘパリンの使用がATIIIの消費、枯渇を招き、類洞内凝固による肝障害を増悪させることがある。本モデルでも移植後のATIII活性は著明に低下していたため、抗凝固療法剤としてATIII濃縮製剤を使用した。ATIII投与によって、血漿ATIII活性は正常値以上に回復し、またTAT値も更に上昇した。これは、肝移植後にはATIII欠乏のため不活性化されないトロンビンが存在する状態、すなわち凝固亢進状態が存在することを意味する。従来、この原因は肝動脈や門脈の血栓症に求められ、グラフト機能不全の原因になると考えられてきた。しかし、本実験では動脈再建を伴わない肝移植法を採用し、門脈内血栓は肉眼的に一度も確認されていないことから、類洞内フィブリン沈着が凝固亢進状態の原因と推定された。更に、抗凝固療法が肝移植後肝障害を有意に軽減したことから、類洞内凝固による微小循環障害が肝壊死の成立因子になると考えられた。

 次に、肝移植後肝障害成立に対する腸内細菌由来物質の関与を検討した。肝に対する腸内細菌由来物質の負荷を軽減するため、ラットにPBを経口投与し、腸内殺菌を施行した。本薬剤は腸管から非吸収性で、グラム陰性捍菌に対する強力な抗菌作用とエンドトキシン吸着作用を合わせ持つ。その効果は、門脈血流遮断後における門脈血中エンドトキシン濃度の上昇がPB前投与によって抑制されたことから確認された。PB前投与群では、肝移植後におけるクッパー細胞のTF活性、血清TNF濃度は対照群に比べ低値を示し、肝障害の程度も軽減した。従って、腸内細菌由来物質の肝への負荷増大が、クッパー細胞の活性化を介して、肝移植後肝障害成立に関与すると考えられた。

 以上より、肝移植後には、類洞内の凝固・抗凝固平衡の破綻に起因する類洞内凝固の成立や、手術操作に伴う腸内細菌由来物質の肝への負荷増大に起因するクッパー細胞の活性化が、術後早期の肝障害成立の原因になると考えられた。従って、抗凝固療法や腸内殺菌が肝移植後肝障害の抑制に有用であると考えられ、臨床例においてもPrimary Graft Nonfunctionの予防に役立つ可能性が示唆された。

審査要旨

 本研究は、肝移植後に生じる原因不明の移植片機能不全であるPrimary Graft Nonfunctionの成立機序を、ラット肝移植モデルを用いて、肝類洞内凝固および腸内細菌の関与の観点から検討したものであり、以下の結果を得ている。

 1.単離したクッパー細胞における、外因系血液凝固の開始因子であるTissue Factor活性の発現は、肝移植後には正常に比べ上昇していた。肝移植時と同様に門脈血流を一時的に遮断した群および肝を保存後再灌流した群においても単離クッパー細胞のTissue Factor活性が上昇していた。従って、肝移植後には、門脈血流の一時的遮断および保存/再灌流に起因して、クッパー細胞の凝固活性が上昇することが示された。また、抗凝固因子であるトロンボモジュリンの類洞内皮細胞における発現は、肝を保存することで著明に減少した。以上より、肝移植後には門脈血流遮断および保存/再灌流を原因として、肝類洞内における凝固・抗凝固因子バランスの破綻が生じると考えられた。

 2.電顕による観察にて、肝移植後には類洞内にフィブリン沈着が生じることが明らかにされた。

 3.肝移植後には、血漿中ATIII活性が低下し、TAT濃度が上昇することから、凝固昂進状態が出現することが示された。更に、レシピエントに対するATIII製剤での抗凝固療法は、肝移植後の肝障害を著明に改善した。

 4.肝移植後における単離クッパー細胞のTissue Factor活性上昇および肝移植後に出現する血清TNF濃度の上昇は、レシピエントに対するポリミキシンB前投与による腸内殺菌にて軽減した。

 5.肝移植後に出現する肝障害はレシピエントの腸内殺菌にて軽減した。

 以上、本論分は類洞内の凝固・抗凝固因子バランスの破綻に起因する肝類洞内凝固の成立や、腸内細菌由来物質の肝への負荷増大に起因するクッパー細胞の活性化が、肝移植後早期の肝障害成立の原因になることを明らかにした。本研究は、レシピエントに対する抗凝固療法や術前の腸内殺菌がPrimary Graft Nonfunctionの予防および治療に有用である可能性を示しており、肝移植医療の進歩に重要な貢献をなすと思われ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54090