学位論文要旨



No 213960
著者(漢字) 小関,信之
著者(英字)
著者(カナ) コセキ,ノブユキ
標題(和) 正常眼圧緑内障における視野障害因子および治療効果に関する研究
標題(洋)
報告番号 213960
報告番号 乙13960
学位授与日 1998.09.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13960号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加我,君孝
 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 助教授 藤野,雄次郎
 東京大学 助教授 木内,貴弘
 東京大学 講師 沼賀,二郎
内容要旨 I.緒言

 正常眼圧緑内障(NTG)は、緑内障の中では例外的に眼圧上昇を認めないにもかかわらず、他の緑内障と同様に視神経乳頭および視野に障害を呈することを特徴とする開放隅角緑内障の1病型である。現在までに、本邦におけるNTGの有病率は緑内障病型の中で最も高率である事、更に無治療下にて経過観察した場合に視野障害進行を高頻度に認められる事が知られており、これらの事実は今後本症に対して積極的に治療を行う必要がある事を示すものである。現在までにNTGにおける障害発生ならびに進行に関与する因子としては、眼圧および眼圧以外の因子(循環因子)の存在が示唆されている。しかし、これらの因子が障害発生および進行にどの様に、またどの程度関与しているかについては定説はなく、本症に対する有効な治療方法は確立していないのが現状である。本研究においては、NTGにおける視野障害進行因子についての検討を行い、更にその進行因子に対する治療効果が臨床的にどの程度有効であるかについて前向き(prospective)の検討を行った。

II.研究項目1.眼局所における視野障害進行因子に関する研究

 NTGにおける視野障害に関与する眼局所因子を検討する場合、同一患者における左右眼の比較は全身因子の影響を除き、眼局所因子の影響をより感度よく検出できると考えられる。本項目では、ハンフリー視野計を用いて同一患者における左右眼の中心視野30度および10度内検査結果の比較する事により、視野障害に関与する眼局所因子について重回帰分析にて解析を行った。中心視野30度内の視野測定結果の左右差(103例)については、全体および上方半視野における障害度の左右差に対して眼圧の左右差が、下方半視野における障害度の左右差に対しては眼圧および眼局所循環障害に関連する傍乳頭網脈絡膜萎縮面積/視神経乳頭面積比(PPA/D比)の左右差が負の相関を認めた(p<0.01)。即ち中心30度内視野障害については、眼圧の左右差が大きく、また下方半視野においては、更にPPA/D比が大きい程、障害度の左右差が大きいことを示した。また、中心視野10度内の視野測定結果の左右差(97例)については、上方半視野における障害度の左右差に対して眼圧の左右差およびPPA/D比の左右差が負の相関傾向を、全体および下方半視野における障害度の左右差に対しては眼圧およびPPA/D比の左右差が有意の負の相関を認められた(p<0.01)。即ち中心10度内視野障害については、眼圧の左右差が大きく、更に全体および特に下方半視野においてはPPA/D比の左右差が大きい程、障害度の左右差が大きい事を示した。この結果よりNTGの視野障害については、眼圧および局所循環障害が関与している事が示唆された。

2.治療効果に関する検討a.保存的療法による眼圧下降および視野障害進行に対する効果

 前項の結果を含めてNTGにおける視野障害と眼圧の関連を示唆する証拠は多い。本症に対する眼圧下降療法として、保存的に良好な眼圧下降が得られれば理想的と考える。本項目では、NTGの内でも比較的眼圧下降療法の効果が期待できる15mmHg以上の症例(72例72眼、無治療時平均眼圧17.2mmHg)に対し、点眼薬2剤併用療法およびアルゴンレーザートラベクロプラスティー(ALT)による保存的療法を試み、それらの眼圧下降効果について18カ月以上の経過観察を施行した。各治療群における眼圧下降幅は無治療時に比べて、カルテオロールのみを使用していた期間では平均1.7mmHg(n=72)、カルテオロールのみでは不充分で、ピロカルピンを併用していた期間では平均1.5mmHg(n=16)、ジピベフリンを併用していた期間では平均1.6mmHg(n=42)、更に点眼薬2剤でも不充分でALTを行った全眼では平均2.5mmHg(n=25)であった。またoutflow圧下降率は、カルテオロールのみで平均18.6%、点眼薬2剤併用で、各々14.8%、17.2%、ALTを行った眼で25.7%であった。

b.外科的療法による眼圧下降および視野障害進行に対する効果

 前項および過去の報告から、正常眼圧レベル以下を目標とするNTGに対する保存的眼圧下降療法は、その効果が不充分である事が予想された。一方、原発開放隅角緑内障に対して線維芽細胞増殖阻害剤を併用した線維柱帯切除術を行う事により、術後長期にわたり良好な眼圧下降が得られる事、更にNTGの視野障害進行防止に濾過手術が有用である事を示唆した報告がある。しかしNTGに対する濾過手術による眼圧下降が、どの程度視野障害進行防止に効果があるのかを定量的に証明した報告は未だない。本項目では経過中に視野障害進行の認められた症例(中心30度内全体の視野障害度の指標であるmean deviation(MD)の時間に対する回帰直線(MD slope)が有意に負)のみを対象(21例21眼、年齢60.0歳、術前観察期間42.0カ月、術前眼圧16.0mmHg、経過観察開始時MD-11.84dB、術直前MD-13.48dB)として、線維芽細胞増殖阻害剤を併用した線維柱帯切除術を行った後、24カ月以上経過観察を行い、MDの変化について検討を行った。術後24カ月年の眼圧は全て無治療下で4〜l5mmHgに分布し(平均9.2mmHg)、術前と比較して有意の低下が認められ(p<0.01)、その下降率は41.8%であった。術前後の視野障害については、術直前MDが-13.48dBに対し術後最終MDは-13.60dBであり、差は認められなかった。術後の視野障害進行については、術前MD slopeが-1.48dB/年と有意に低下(p<0.01)していたのに対し、術後24カ月間のそれは+0.13dB/年で有意の変化は認められず、MD slopeは術前後で有意の変化が認められた(p<0.01)。更に、回帰モデルとして個人に起因する相関と個人に対する変量効果を含めることを考慮した混合線形効果モデルを用いた結果でも、術前後のMDの時間変化は先の検討と同様であった。

c.脳循環改善薬投与による視野障害進行に対する効果

 NTGにおける視野障害に関与する因子には、眼圧以外に眼局所の循環障害が示唆されており、循環改善を目的とした治療が視野障害進行防止に有効であったとの報告がある。しかし、これらの治療効果については疑問視する報告もあり、未だ定説はない。一方、本症における視野障害進行については、眼圧15mmHg以上のNTGでは眼圧の影響が、それ未満では眼圧以外の因子の影響がより大きい事が示唆されている。本項目では、視野障害進行に眼圧の影響がより少ないと考えられる15mmHg未満の症例(48例48眼)において、背景因子に差を認めない2群に分類し、無作為に一群に脳循環改善薬であるフマル酸ブロビンカミンを1日60mg内服投与し(brovincamine群)、他群は無治療として(無治療群)視野障害進行に対する効果について24カ月の経過観察を行った。効果判定は観察開始時からのtotal deviation(TD)(各検査点における網膜感度と年齢補正された正常値との差)、MDおよびcorrected pattern standard deviation(CPSD)(中心30度内視野形状の不規則性の指標)について、混合線形効果モデルを用いて各群におけるTD、MD、CPSDの時間変化を算出して比較した。また、視野障害度の時間変化に関与する因子を重回帰分析にて解析した。経過中眼圧は両群間に有意差は認められなかった(brovincamin群13.1mmHg、無治療群13.4mmHg)。2群間のTD、MD、CPSDの経時変化を混合線形効果モデルにて解析した結果、TDについては無治療群において、多くの検査点で経過中有意の低下が認められた。更にMDについては無治療群では-0.78dB/年で有意に負(P<0.01)であったのに対して、brovincamin群では-0.07dB/年で傾き0と有意差を認めず、両群間に有意差が認められた(P<0.01)。またCPSDについては、無治療群では傾きが+0.38dB/年で有意に正(P<0.05)であったのに対して、brovincamin群では傾きが+0.05dB/年で、傾き0と有意差は認められなかったが、両群間の傾きには有意差が認められなかった。また、視野障害の変化に関与する因子を解析した結果、MDに対しては、視神経乳頭出血の既往(p=0.034)およびフマル酸ブロビンカミン内服の有無(p=0.047)が有意の正の相関を認めた。

III.本研究全体についての考察

 今回の研究により、NTGにおける視野障害進行因子としては眼圧と眼圧以外の因子として眼局所における循環障害が関与している事が示された。更に、保存的眼圧下降療法ではその効果が2.5mmHgにすぎない事、確実に視野障害進行が認められた症例に対して線維柱帯切除術を施行した結果、術後有意に視野障害進行が予防できた事、本症の中でもより眼圧の関与が少ないと考えられる15mmHg未満の症例に対して脳循環改善薬であるフマル酸ブロビンカミンを投与した結果、無治療群と比較して有意に視野障害進行が阻止し得た事が示された。現在までのNTGの治療効果に関する検討の多くは、経過観察期間が十分長期間であるとは言い難く、更には治療効果の判定についても統一されていない。今回の検討では、手術による眼圧下降効果については術前後の経時的な視野障害進行度(MDの経時的な傾き)を比較する事により、フマル酸ブロビンカミン内服の効果判定については投与群と無治療群の経時的に視野障害度(TD、MD、CPSD)を直接比較する事により、各々の治療効果について定量的判定を行い、これにより確実に治療効果を判定する事とができたと考えられる。今回の研究の結果は、未だ一定の見解が確立していないNTGの今後の治療方針を考える上で臨床的に有用な研究と考えられる。

審査要旨

 本研究は、正常眼圧緑内障(NTG)における視野障害進行因子についての検討を行い、更にその進行因子に対する治療効果が臨床的にどの程度有効であるかについて前向きの検討したものであり、以下の結果を得ている。

 1.ハンフリー視野計を用いて同一NTG症例における左右眼の中心視野30度および10度内検査結果の比較を行う事により、視野障害に関与する眼局所因子について重回帰分析にて解析を行った。中心視野30度内の視野検査結果の左右差(103例)については、全体および上方半視野における障害度の左右差に対して眼圧の左右差が、下方半視野における障害度の左右差に対しては眼圧および眼局所循環障害に関連する傍乳頭網脈絡膜萎縮面積/視神経乳頭面積比(PPA/D比)の左右差が負の相関を認めた。また、中心視野10度内の視野測定結果の左右差(97例)については、上方半視野における障害度の左右差に対して眼圧の左右差およびPPA/D比の左右差が負の相関傾向を、全体および下方半視野における障害度の左右差に対しては眼圧およびPPA/D比の左右差が有意の負の相関を認められた。この結果よりNTGの視野障害については眼圧および局所循環障害が関与している事が示された。

 2.15mmHg以上のNTG症例(72例72眼、無治療時平均眼圧17.2mmHg)に対し保存的療法を試み、その眼圧下降効果について18カ月以上の経過観察を施行した。眼圧下降幅は無治療時に比べて、カルテオロールのみを使用していた期間では平均1.7mmHg(n=72)、カルテオロールのみでは不充分で、ピロカルピンを併用していた期間では平均1.5mmHg(n=16)、ジピベフリンを併用していた期間では平均1.6mmHg(n=42)、更に点眼薬2剤でも不充分でアルゴンレーザートラベキュロプスティーを行った全眼では平均2.5mmHg(n=25)であった。またoutflow圧下降率は、カルテオロールのみで平均18.6%、点眼薬2剤併用で、各々14.8%、17.2%、ALTを行った眼で25.7%であった。この結果よりNTGに対する保存的眼圧下降療法は、その効果が不充分である事が示された。

 3.経過中に視野障害進行の認められたNTG症例(中心30度内全体の視野障害度の指標であるmean deviation(MD)の時間に対する回帰直線(MD slope)が有意に負)のみを対象(21例21眼、術前観察期間42.0カ月)として、線維芽細胞増殖阻害剤を併用した線維柱帯切除術を行った後、2年以上経過観察を行い、MDの変化について検討を行った。術後2年の眼圧は全て無治療下で4〜l5mmHgに分布し(平均9.2mmHg)、術前と比較して有意の低下が認められ、その下降率は41.8%であった。術前後の視野障害については、術直前MDが-13.48dBに対し術後最終MDは-13.60dBであり、差は認められなかった。術後の視野障害進行については、術前MD slopeが-1.48dB/年と有意に低下していたのに対し、術後2年間のそれは+0.13dB/年で有意の変化は認められず、MD slopeは術前後で有意の変化が認められた。この結果から確実に視野障害進行が認められた症例に対して線維柱帯切除術を施行した結果、術後に視野障害進行が予防できた事が示された。

 4.15mmHg未満のNTG症例(48例48眼)において、背景因子に差を認めない2群に分類し、無作為に一群に脳循環改善薬であるフマル酸ブロビンカミンを1日60mg内服投与し(brovincamine群)、他群は無治療として(無治療群)視野障害進行に対する効果について24カ月の経過観察を行った。効果判定は観察開始時からのtotal deviation(TD)(各検査点における網膜感度と年齢補正された正常値との差)、MDおよびcorrected pattern standard deviation(CPSD)(中心30度内視野形状の不規則性の指標)について、混合線形効果モデルを用いて各群におけるTD、MD、CPSDの時間変化を算出して比較した。その結果、TDについては無治療群において多くの検査点で経過中有意の低下が認められた。更にMDについては無治療群では-0.78dB/年で有意に負であったのに対して、brovincamin群では-0.07dB/年で傾きOと有意差を認めず、両群間に有意差が認められた。またCPSDについては、無治療群では傾きが+0.38dB/年で有意に正であったのに対して、brovincamin群では傾きが+0.05dB/年で、傾きOと有意差は認められなかったが、両群間の傾きには有意差が認められなかった。また、視野障害の変化に関与する因子を解析した結果、MDに対しては、視神経乳頭出血の既往およびフマル酸ブロビンカミン内服の有無が有意の正の相関を認めた。この結果より15mmHg未満の症例に対してフマル酸ブロビンカミン投与は視野障害進行阻止に有用である事が示された。

 以上、本論文は、NTGにおける視野障害進行因子としては眼圧と眼局所における循環障害が関与している事を示し、更に保存的眼圧下降療法ではその効果が不充分である事、確実に視野障害進行が認められた症例に対して線維柱帯切除術を施行した結果では術後に視野障害進行が予防できた事、より眼圧の関与が少ないと考えられる15mmHg未満の症例に対して脳循環改善薬であるフマル酸ブロビンカミンを投与した結果、無治療群と比較して有意に視野障害進行が阻止し得た事が示された。

 現在までのNTGの治療効果に関する検討の多くは、経過観察期間が十分長期間であるとは言い難く、更には治療効果の判定についても統一されていなかった。今回の研究の結果は、未だ一定の見解が確立していないNTGの今後の治療方針を考える上で臨床的に重要な貢献をなし、学位の授与に値するものと考えられる。

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