学位論文要旨



No 213963
著者(漢字) 梅谷,啓二
著者(英字)
著者(カナ) ウメタニ,ケイジ
標題(和) 放射光を利用した低侵襲冠状動脈造影に関する研究
標題(洋)
報告番号 213963
報告番号 乙13963
学位授与日 1998.09.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13963号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 篠原,邦夫
 東京大学 教授 神谷,瞭
 東京大学 教授 矢崎,義雄
 東京大学 教授 豊岡,照彦
 東京大学 教授 鈴木,紀夫
内容要旨 1.研究の背景と目的

 日本においては1985年から心疾患が、癌に次いで病気による死亡原因の第2位となっている。また、欧米先進国では、従来から死因の第1位を占める国が多い。心疾患の多くは、冠状動脈の狭窄や閉塞に原因する虚血性心疾患であり、この早期診断と治療の重要性が増している。従来は冠状動脈の診断法として、冠状動脈入口部にカテーテルを挿入して造影剤を注入する選択的冠状動脈造影が用いられてきたが、この診断法は侵襲性の高さについての課題があった。

 このため、低侵襲な経静脈性の冠状動脈造影の研究が、超高速X線CTであるイマトロンで進められた。また、造影剤を用いない無侵襲な冠状動脈撮影法として、MRIを血管撮影に適用したMRアンギオグラフィが開発された。しかし、これらは低侵襲または無侵襲であるという大きな特長を有するが、実用化に際しては画像の解像度が低いという欠点があった。

 また、X線撮影においては、選択的冠状動脈造影に比べて低侵襲な造影法として、シンクロトロン放射光を利用した単色X線による撮影の研究が、1970年代の後半からスタンフォード-シンクロトロン放射光研究所で始まった。そして、1986年からは、経静脈性の冠状動脈造影の臨床撮影が開始された。しかし、この方式では、1回の造影剤注入あたり2〜4枚の画像しか得られずリアルタイム撮影ができなかった。

 本研究では、スタンフォード-シンクロトロン放射光研究所で始められた研究を発展させ、新たにリアルタイム撮影が可能な装置を製作し、実用性が高い低侵襲な冠状動脈造影法の開発を目的とした。そして、経静脈性の冠状動脈造影に加えて、高画質化を進めるため大動脈起始部への造影剤注入による経動脈性の冠状動脈造影を行い、これらの低侵襲な非選択的冠状動脈造影法の有効性について検討した。

2.研究の方法

 低侵襲な血管造影のためには、希釈された造影剤に対して高感度な撮影方式が必要である。このため、単色X線エネルギーサブトラクション法を適用した。また、撮影画像の高画質化を目的として、X線イメージインテンシファイアに代えて蛍光板方式の撮影装置を新たに開発し画像の高解像度化を進めた。

(1)単色X線エネルギーサブトラクション法による高感度化

 X線吸収に関してはK吸収端と呼ばれる吸収率が急激に変化するエネルギー値があり、造影剤に含まれるヨウ素の場合は33.17keVである。K吸収端よりわずかに高いエネルギーの単色X線は造影剤に強く吸収されるが、わずかに低いエネルギーの単色X線は造影剤にほとんど吸収されない。しかし、生体組織はK吸収端直上および直下のエネルギーのX線に対して、X線の吸収率にほとんど差がない。このため、K吸収端を挟む2エネルギーでの撮影画像の間でのサブトラクション処理により、造影剤以外の生体組織の像が消去され造影剤のみの高コントラストな画像が得られる。

 このエネルギーサブトラクション法では、心臓の動きが無視できる短時間でK吸収端直上および直下の2エネルギー画像撮影が必要である。このために、ヨウ素フィルタをX線フィルタとして用いてエネルギーを切り替える方式を開発した。

(2)高解像度画像検出器による高コントラスト化

 画像検出器の高解像度化により被写体の微細構造が鮮明化するが、一方でこれは画像の高コントラスト化を意味する。この高解像度化に伴う撮影画像の高コントラスト化に着目し、X線イメージインテンシファイアを用いず蛍光板でX線像を可視光化し、この可視光像を直接に高感度カメラで撮影する高解像度画像検出器を実験に用いた。ここで、高感度カメラとしては、ハイビジョン放送用に開発されたハーピコンカメラを、医学診断用にシグナル・ノイズ比を向上させる改良を行って用いた。

3.撮影実験

 体重10〜12kgのビーグル犬を使い、経静脈性および経動脈性の非選択的冠状動脈造影の実験を行った。

 下大静脈注入による経静脈性の冠状動脈造影では、造影剤が冠状動脈に達したとき、濃度が1/20〜1/30程度まで希釈されている。まず、検出器として従来のX線イメージインテンシファイアを使い、高感度撮影のためにエネルギーサブトラクション法を適用した。このため、ヨウ素フィルタでエネルギーを切り替えながらK吸収端を挟む2エネルギー画像を高速でデジタル撮影する装置を用いて実験を行った。

 次に、X線イメージインテンシファイアを使った装置に対して高画質化を進めるため、蛍光板方式の画像検出器を用いて下大静脈注入による経靜脈性の冠状動脈造影を行った。さらに応用として大動脈起始部注入による経動脈性の冠状動脈造影を行った。この蛍光板方式の画像検出器を使った装置は、まだエネルギーサブトラクション法が適用できる装置でないため、実験では造影剤のコントラストが最も高くなるヨウ素K吸収端よりもわずかに高いエネルギーの単色X線でのデジタルシネ撮影を行った。

4.撮影結果(1)エネルギーサブトラクション法による冠状動脈造影

 ビーグル犬を使った下大静脈注入による冠状動脈造影では、限界空間解像度250mで撮影速度15image-pairs/sにより、K吸収端を挟む2エネルギー画像を動画像として撮影することができ、リアルタイムでのエネルギーサブトラクション像を得ることに初めて成功した。そして、造影剤が1/25以下にまで希釈される経静脈性の条件下で、血管内径が1.5mm程度である右冠状動脈および左冠状動脈前下行枝を画像化できた。

(2)高解像度画像検出器を用いた冠状動脈造影

 蛍光板方式の画像検出器では、空間解像度100mが得られ、X線イメージインテンシファイアを用いた従来の画像検出器に比べ、限界解像度が2.5倍向上した。この結果、内径0.25mmの血管について、コントラストが10倍以上向上した。

 ビーグル犬を使った下大静脈注入による冠状動脈造影では、X線イメージインテンシファイアを使った場合に比べ左冠状動脈前下行枝や右冠状動脈が鮮明に画像化され、狭窄や閉塞の診断が可能となる画質の画像が得られた。

 蛍光板方式の画像検出器の応用として、ビーグル犬を使った大動脈起始部注入による冠状動脈造影を行った結果では、経静脈性の場合と異なり造影剤が左心室へ流入しないため、3本の冠状動脈の画像が同時に高いコントラストで撮影できた。なお、左冠状動脈主幹部から前下行枝と回旋枝への分岐部分が大動脈と重なる場合があるが、撮影方向の調整により主幹部まわりも画像化できた。

5.考察

 単純シネ撮影では、生体組織の構造を反映した画像輝度レベルの大きな変化の明暗の中に冠状動脈が現れているが、サブトラクション像では一様な画像輝度レベルの背景の中に造影剤部分の画像のみが存在し、心臓血管系の撮影視野内全体の構造が見やすい。このサブトラクション法の有効性を、血管内径が1.5mm程度であるビーグル犬の右冠状動脈および左冠状動脈前下行枝の撮影で明らかにすることができた。

 下大静脈注入による経静脈性の冠状動脈造影には、高感度なエネルギーサブトラクション法を用いたが、血管中の造影剤濃度の絶対値が極端に低く、さらに画像検出器の空間解像度が低いため、体重10〜12kgのビーグル犬を使った実験では医学診断が可能となる画質が得られなかった。

 画質向上のため高解像度型の蛍光板方式画像検出器を製作し、ビーグル犬の下大静脈注入による冠状動脈造影を行った結果では、左冠状動脈前下行枝や右冠状動脈が鮮明に画像化され、狭窄や閉塞の診断が可能となる画質の画像が得られた。蛍光板方式の画像検出器でエネルギーサブトラクション法が適用できる装置を製作すれば、さらに画質が向上し実用化が可能となる画像が得られるであろう。

 しかし、高解像度型の画像検出器を用いてもビーグル犬の心機能が低い場合は、冠状動脈の直径が小さく静脈注入造影では医学診断が可能となる画質が得られなかった。このため、蛍光板方式画像検出器の応用として、大動脈起始部注入による冠状動脈造影を行った。この場合は、経静脈性の場合と異なり造影剤が左心室へ流入しないため、3本の冠状動脈が同時に心機能が低い場合でも高いコントラストで撮影でき、さらに選択的冠状動脈造影での撮影画像に準ずる画質が得られた。

 心機能が低い場合を除けば経静脈性の冠状動脈造影による診断が可能であり、心機能が低い場合でも大動脈起始部注入による冠状動脈造影ならば診断が可能となるという結果が得られた。これらが実用化になれば、被検者に対する侵襲性や入院負担などが著しく低減でき、外来でのスクリーニング的手法にもなると考えられる。

審査要旨

 本研究は、選択的冠状動脈造影に比べて低侵襲な造影法として、シンクロトロン放射光を利用した単色X線による冠状動脈造影法の開発を目的とした。まず、希釈された造影剤に対しても適用可能で高感度なエネルギーサブトラクション法により、ビーグル犬を使い造影剤の下大静脈注入による経静脈性の冠状動脈造影を行った。この結果をもとに、撮影画像の高画質化のため高解像度型の画像検出器を用いた経静脈性の冠状動脈造影と、大動脈起始部への造影剤注入による経動脈性の冠状動脈造影を行った。そして、これらの低侵襲な非選択的冠状動脈造影法の有効性について検討し、下記の結果を得た。

 1.本研究で開発したヨウ素フィルタ方式によるエネルギーサブトラクション法撮影装置を用いて得られたサブトラクション画像では、一様な画像輝度レベルの背景の中に造影剤部分の画像のみが存在した。このため従来の単純シネ撮影(生体組織の構造を反映した画像輝度レベルの大きな変化の明暗の中に冠状動脈が現れている)の場合に比べ、心臓血管系の全体構造が容易に観察できた。このサブトラクション法の有効性を、血管内径が1.5mm程度であるビーグル犬の左冠状動脈前下行枝および右冠状動脈の撮影で明らかにした。

 2.上記のエネルギーサブトラクション法で用いた従来のX線イメージインテンシファイアは、空間解像度が250mと低く、経静脈性の冠状動脈造影では医学診断が可能となる画質に至らなかったため、検出器の開発を試みた。

 3.画質向上のため空間解像度が100mである蛍光板方式による高解像度型の画像検出器を製作し、ビーグル犬の下大静脈注入による冠状動脈造影を単純シネ撮影で行った結果では、左冠状動脈前下行枝や右冠状動脈が鮮明に画像化され、単純シネ撮影でも静脈注入造影により狭窄や閉塞の診断が可能となる画質の画像が得られた。

 4.高解像度型の画像検出器を用いても心機能が低いビーグル犬の場合は、冠状動脈の直径が小さく静脈注入造影では医学診断が可能となる画質が得られなかった。このため、侵襲性は経静脈性の場合よりも高くなるが大動脈起始部注入による冠状動脈造影を行った。この場合は、心機能が低いビーグル犬でも3本の冠状動脈が同時に高いコントラストで撮影でき、さらに選択的冠状動脈造影での撮影画像に準ずる画質も得られた。

 5.以上の結果より、高解像度型の画像検出器でエネルギーサブトラクション法が適用できる装置を製作すれば、心機能が低い場合を除いて経静脈性の冠状動脈造影による診断の実用化が可能となることが示唆された。また、心機能が低い場合でも大動脈起始部注入による冠状動脈造影を行えば診断が可能となるという結果が得られた。本結果の実用化を実現すれば、被検者に対する侵襲性や入院負担などが著しく低減でき、外来でのスクリーニング的手法が可能となることが期待された。

 以上、本研究は低侵襲な経静脈性の冠状動脈造影の実用化がシンクロトロン放射光を利用した単色X線により可能となる条件および侵襲性は高くなるが大動脈起始部注入による冠状動脈造影で、選択的冠状動脈造影での撮影画像に準ずる画質が得られる条件を明らかにしたもので、これまで未知に等しかった低侵襲な冠状動脈造影の実用化における条件の明確化に重要な貢献をなすものとして、学位の授与に値するものと認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54092