本研究は今後わが国の医学教育の中で重要性が増してゆくと考えられる、医療倫理教育を題材とし、カリキュラムと教員構成等について、医学教育における正規化と統合を指標としながら、アジア、オセアニア14ヶ国の国際比較を試みたものであり、下記の結果を得ている。 ・倫理教育の実態 1.14カ国の医科大学全体の88%が、医療倫理教育を行っている何らかの科目(医療倫理関連科目)を設置しているとし、7%が近い将来に設置する予定である事、および回答校全体の80%が全ての科目を必修に指定しており、選択科目しか持たない大学は5%である事が示された。 2.中国、韓国、台湾、マレーシア、スリランカの各国では、医療倫理関連科目を1科目のみであるとした回答が5割以上であり、独立した医療倫理学を設置している大学は、日本以外の全回答校の84%であったのに対し、日本では「医学概論」など、他の科目の中で医療倫理を講義している場合の方が多く、独立科目の設置率は22%である事が示された。 3.中国、台湾、フィリピン、オーストラリアでは、合計20時間以上の医療倫理関連科目を設置している大学の割合が5割以上だった。台湾、マレーシア、フィリピン、スリランカ、オーストラリアでは6割以上の大学で、臨床実習が行われる学年に医療倫理関連科目を設置していた。 4.担当教員について、医学系教員のみを回答した大学の割合は31%、医学系以外の領域を専門とする教員が含まれる大学の割合は、倫理学・哲学関連が29%、宗教関連が8%、法学関連が11%である事が示された。 ・回答者の意識 5.中国、台湾、フィリピン、タイ、オーストラリアでは、「満足している」または「大体満足している」との回答が80%を超えた。 6.倫理教育を他の科目と比較した場合の重要度は、全回答者の83%が「非常に重要」とした。 7.倫理教育に必要な講義時間を10時間未満とする回答が全体の18%、10時間以上20時間未満が26%、20時間以上40時間未満が29%、40時間以上とする回答が15%だった。韓国、マレーシア、日本では、半数以上の回答者が20時間未満を適当とした。 8.教育時期に関しては、「臨床実習が行われている間」の項目を選択した者の割合は41%、選択しなかった者の割合が54%だった。 9.倫理教育を行う教員の専門領域として、医学のみを選択した回答者が20%であるのに対し、複数のカテゴリーを選択した回答者が70%だった。全体としては、70%の回答者が、医療倫理の専門家が自らの大学に必要であるとしており、29%は必要でないと回答した。 ・カリキュラムと教員構成の実態と回答者の意識の関連性の分析結果 10.全体の分析では、講義時間について、実態の得点が高い大学の回答者の方が、意識についての得点も高いという相関が認められたが、両者の得点間に有意差は認められなかった。 11.臨床実習年での講義の設置では、相関も有意差も認められなかった。教員の専門分野のカテゴリー数は、実態の得点が高い大学の回答者の方が意識の得点も高いという相関が認められ、さらに意識の得点の方が実態の得点よりも有意に高いという有意差も認められた。 12.満足度に関しての全体の分析では、講義時間の合計のみが回答者の満足度に有意に寄与していた。また日本単独の分析では、独立講義の有無が講義時間と同程度に寄与している事が示された。 ・教育内容についての意識 13.医師と患者の関係に関連した教育内容については、多くの国の回答者が一致して重要視していたのに対し、生殖および子供の医療に関連した問題、死と死の過程に関連した問題をはじめとした具体的な問題については、回答者の評価は国ごとに大きく分かれた。 以上、本論文は、ほとんどの調査国において、医療倫理が医学教育の正規課程の中で教育される、「正規化」が進行している事を明らかにした。また時系列に即して多段階的に教育を行ってゆく「縦方向の統合」に関しては、この地域の医科大学のカリキュラムにおいて、(1)医療倫理に特化されていない科目を、臨床実習年の前の学年で単一または複数の講義として与える、(2)医療倫理を臨床実習年の前の学年で単一の講義として与える、(3)医療倫理を臨床実習年で単一の講義として与える、(4)医療倫理を臨床実習年を含む複数の学年に振り分けて、複数の講義として与えるの、4つのパターンが存在する事を明らかにした。さらに、教員の学際性と専門教育への統合を意味する「横方向の統合」について、すでに多くの国において、医療倫理教育の学際性に対する認識が持たれている事を明らかにした。また医療倫理教育の内容については、社会的需要の高い題材を扱うべきと考えられている事をあらためて示した。これらの知見はこれまでほとんど未知のものであり、今後のわが国およびアジア諸国での医学教育の改善のために貴重な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。 |