学位論文要旨



No 213966
著者(漢字) 内山,真伸
著者(英字)
著者(カナ) ウチヤマ,マサノブ
標題(和) アート型亜鉛試薬の設計と機能
標題(洋)
報告番号 213966
報告番号 乙13966
学位授与日 1998.09.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第13966号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 首藤,紘一
 東京大学 教授 柴崎,正勝
 東京大学 教授 福山,透
 東京大学 助教授 遠藤,泰之
 東京大学 助教授 小田嶋,和徳
内容要旨 【はじめに】

 Lewis酸性を有する有機金属化合物は、多くの場合カルボアニオンやアルコキシアニオンなどのアニオン種(Lewis塩基性を有する有機金属化合物)と錯体を形成し、アート錯体と呼ばれる金属アニオンを生成する(Chart1)。オニウム錯体において、アルキル基が"cationically"に活性化されているのに対し、アート錯体では、アルキル基が"anionically"に活性化されているといった特徴がある。

Chart1.Ate Complexes

 これまでのアート錯体の化学では、中心金属の変化・選択によりその反応性をいかに制御するかに腐心してきた。しかしながら、自然界、特に生体内では酵素やDNAをはじめとする多くの系で、同一中心金属上の配位子の環境によって、全く異なる分子認識および、反応性がみられることがある。配位子は、構造的、および電子的な観点からアート錯体に寄与することができる。すなわち、配位環境を制御することによって、対象とする金属イオンの配位数や構造をコントロールするのみならず、酸化数(d電子数)、共有結合性(結合の強さ、切れ易さ)、反応性、複数の金属イオンの配列、磁性などを精密にかつ、能動的にコントロールすることができるものと考えられる。しかしながら、アート錯体において、配位環境変化による反応性・選択性の制御等の研究はほとんど行われていない。そこで、亜鉛アート錯体の配位環境変化による反応性の制御について明らかにすることとした。

【ジメチル亜鉛ハイドライドアート錯体の反応性1)

 有機亜鉛化合物としてはジアルキル亜鉛とアルキル亜鉛ハロゲン化物(Reformatsky試薬)が有名であるが、近年トリアルキル亜鉛アート錯体(Chart2)による新たな反応が見い出され、その有機合成への有用性が益々高まっている。

Chart2

 ところで、通常のトリアルキル亜鉛アート錯体では同じ配位子が3つ用いられるため、その反応性は、本質的に全くの等価となる。しかしながら、異なる配位子を亜鉛上に配位させることができれば、反応性は必然的に異なってくるはずである。そこで、異なる配位子からなるハイブリッド型アート錯体をデザインし、その反応性・選択性に興味を持った。

 メタルハイドライド(NaH、またはLiH)とジアルキル亜鉛とからなるハイブリッド型錯体、ジアルキル亜鉛ハイドライドアート錯体(Chart3)をデザイン合成し、この錯体をカルボニル化合物との反応に用いたところ、還元反応が収率良く進行した。特に、アルキル基としてメチル基を用いた場合は、選択的にハイドライドのみが反応した。メタルハイドライド(NaH、またはLiH)やジアルキル亜鉛自体は、カルボニル化合物とは反応しないことが知られていることから、メタルハイドライドは、Me2Znと錯体を形成することによって、求核活性が劇的に上昇したことになる。本反応は、メチル基の代わりにエチル基やtert-ブチル基を用いた場合には円滑に進行せず、アルキル基が反応した副生成物がかなり得られた。この結果は、ダミー基としてもメチル基が他のアルキル基と比べて優れていることを示しており、配位環境変化がアート錯体の反応性を制御しうることを示している。

Chart3

 本錯体は、アルデヒド、ケトンのみならず、エステル、ラクトン、アミドに対しても有効であった。また、隣接位に不斉中心を有するカルボニル化合物とのジアステレオ選択的還元反応から、反応活性種がジアルキル亜鉛ハイドライドアート錯体であること、および反応メカニズムを明らかにし、この反応の立体選択性の理論モデルを提唱することで選択性の予想を可能にした。さらに、化学選択的、立体選択的、触媒的還元反応に有効であることも判明した。

 メタルハイドライド(NaHまたはLiH)に当量または触媒量のMe2Znを加えることにより活性化する本法は、安価で容易に入手可能なNaHやLiHをハイドライド源とし、操作性に優れ、温和な条件下での反応が進行することより、シンプルで実用的な還元反応になりうる。また、本還元試薬は、目的の反応に応じてジアルキル亜鉛部分を修飾することが可能であり、多くの可能性を秘めている。一例を挙げると、アルキル基部分にキラルな置換基を有するジアルキル亜鉛を用いることにより、理論的には触媒的不斉還元反応への展開も可能であると考えられる。

【高配位型亜鉛アート錯体のデザインと反応性および構造】

 トリアルキル亜鉛アート錯体の中心金属である亜鉛原子は最外殻電子が3d104s24p4の16電子であり、18電子則を満たしておらず、いまだ配位不飽和の状態であると考えられる。従って、さらにアニオン種と錯体を形成して、4配位ダイアニオン状態の亜鉛アート錯体(Chart4)が生成する可能性がある。しかしながら、これまでダイアニオン型のアート錯体は、不安定で存在しないと考えられていた。

Chart4

 そこで、トリアルキル亜鉛アート錯体にさらに1当量のアニオン種(MeLi,LiSCN,LiCN,etc.)を配位させた高配位型亜鉛アート錯体をデザイン合成し、その調製法を確立した。1H-NMRスペクトルを用いて新規錯体の存在、および反応性を予測し、さらに臭素-亜鉛交換反応、テルリウム-亜鉛交換反応等のメタル化反応に用いることにより、通常の亜鉛アート錯体には見られない高い反応活性を見い出すことができた2)。また、その反応性は、1H-NMRスペクトルから予測されたアニオン性と一致することが明らかとなった。すなわち、この結果は、1H-NMRスペクトルの化学シフト(高磁場シフト)から、そのメタル化の能力が、ある程度予想できることを示唆している。

 また、高配位型亜鉛アート錯体を用いるハロゲン(およびテルリウム)-亜鉛交換反応によって得られてくる錯体の高い反応性を予測し、Michael反応、カルボメタレーション反応、および分子内エポキサイド開環反応に用いたところ、通常の3配位型錯体には見られなかった高い反応性および特異な化学選択性を見い出すことができた。以上の結果は、亜鉛アート錯体の配位環境を変化させることにより、反応性の制御を行うことが可能であることを示している。この事実は、高配位型亜鉛アート錯体が複雑な有機化合物を高選択的に合成する新手法を提供する試薬になり得るだけでなく、錯体化学的にも特異な構造を有する錯体であることを示している。

 そこで、1H-NMR/Raman/in situ FTIR/EXAFSスペクトルおよび密度汎関数法を用いて、その特異な構造を明らかにした3)。得られたすべての結果が、高配位型亜鉛アート錯体が新規亜鉛アート錯体であることを支持する結果であった。特に、スペクトルデータでは、新規錯体の4配位ダイアニオン構造を支持するものであった。この結果は、実験により得られた高い反応性および特異な反応性を見事に説明するだけでなく、WeissらのMe4ZnLi2のX線結晶構造解析(4配位テトラヘドラル構造)とも一致する。

 しかしながら、密度汎関数計算だけは、4配位ダイアニオン構造よりも3配位架橋構造を支持した。現在のところ、その正確な構造が、3配位架橋構造であるか4配位ダイアニオン構造であるかについては、完全な結論に到達できなかったが、いくつかの仮説を提案することができた4)。また、今回提唱した仮説を用いて、銅アート錯体の構造と反応性についても議論した。

 筆者の提案したダイアニオン型錯体は、他の金属に関しても応用可能であると考えられ、新たなターメタリック錯体として、多くの可能性を秘めているものと考えられる。

【まとめ】

 今回、亜鉛アート錯体を用いて、その中心金属上の配位環境を変化させることによって、反応性を制御しうることを明らかにした。つまり、NaHまたはLiHにMe2Znを加えることによって生じるハイブリッド型錯体が、カルボニル化合物の還元反応に極めて有効であることや、従来型のトリアルキル亜鉛アート錯体に、さらにもう1当量のアニオン種を配位させることによって生じる高配位型の亜鉛アート錯体が、従来型とは全く異なった選択性や反応活性を示すことを見出した。これらの結果は、複雑な有機化合物を高選択的に合成する新手法を提供するとともに、有効な試薬をデザインする上での新たな方法論を提案するものであると考えている。

【文献】(1)Uchiyama,M.;Furumoto,S.;Saito,M.;Kondo,Y.;Sakamoto,T.J.Am.Chem.Soc.1997,119,11425-11433.(2)Uchiyama,M.;Koike,M.;Kameda,M.;Kondo,Y.;Sakamoto,T.J.Am.Chem.Soc.1996,118,8733-8734.(3)Uchiyama,M.;Kondo,Y.;Miura,T.;Sakamoto,T.J.Am.Chem.Soc.1997,119,12372-12373.(4)Uchiyama,M.;Kameda,M.;Mishima,O.;Yokoyama,N.;Koike,M.;Kondo,Y.;Sakamoto,T.J.Am.Chem.Soc.1998,120,in press.
審査要旨

 ルイス酸性をもつ有機金属化合物はカルバニオンやアルコキシアニオンと錯体(アート錯体)を形成する。アート錯体はアニオン種やアート錯体の金属種を変化させることによってその反応性を制御しようとする試みは多いが、内山は配位子であるRの数や構造によってアート錯体の反応性と反応選択性を制御しようとして研究を進めた。また、内山は金属として最も安価で、一般的に毒性も少ない金属であるZnを対象としてこの目的の研究を進め、実用的な合成反応へと展開させた。

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 ジメチル亜鉛(I)とNaHないしLiHとからジメチル亜鉛ヒドリドアート錯体(II;R’=H)を合成し、IIとカルボニル化合物との反応を試み、カルホニルの還元が収率よく進行することを見いだした。本錯体はアルデヒド、ケトンのみならず、エステル、ラクトン、アミドに対しても有効である。最も重要なカルボニル還元試薬LiAlH4やNaBH4に匹敵する反応剤としての地歩を固めると思われる。とくに、R基としてキラルなアルキルないしその他の置換基を有するものであれば、非常に効率の良い、また理論的には触媒的な、不斉還元試薬として展開が確実である。

 内山は、このアート錯体IIが配位不飽和状態であることから、さらにアニオン種と錯体を形成すると考え、トリアルキル亜鉛アート錯体にCH3Li、LiSCN、LiCN等のアニオン源を反応させ、四配位のジアニオン性のアート錯体(III:R’=アルキル、R"=アルキルないしアニオン性リガンド)を合成した。その調製法を確立し、構造をNMR、ラーマン、FT-IR、EXAFS等の手段を用いて確定、その反応性を予測し、そして、有機ハロゲンないしテルリウム化合物のハロゲンないしテルリウムと亜鉛の交換反応を示した。この交換反応で得られてくる錯体はミカエル反応、カルボメタレーション、エポキシド開環反応等において通常の三配位型錯体には見られない高い求核的反応性、立体選択性を見いだした。

 内山はこのジアニオン型錯体の反応を多数例示し、一般的有用性をもつことを十分に示した。複雑な化合物合成にも応用例を示している。さらに置換基の構造により所望の反応性を有するカルバニオン試薬、不斉アルキル化試薬、不斉還元試薬とすることが可能である。

 以上の成果は、内山の独創に基づくところ大であり、有機合成化学として、優れた基本的かつ一般的な価値をもつものである。よって内山真伸は博士(薬学)の学位を授与されるにふさわしいと判断される。

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