学位論文要旨



No 213968
著者(漢字) 岩坪,隆史
著者(英字)
著者(カナ) イワツボ,タカフミ
標題(和) In vitro代謝データに基づくin vivo薬物代謝動態の定量的予測 : 痴呆症状改善薬YM796を用いた解析
標題(洋)
報告番号 213968
報告番号 乙13968
学位授与日 1998.09.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第13968号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 杉山,雄一
 東京大学 教授 伊賀,立二
 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 助教授 漆谷,徹郎
 東京大学 助教授 鈴木,洋史
内容要旨 【序論】

 医薬品開発における現状では、Phase-I臨床試験を実施した医薬品候補化合物の約半分が開発中止に至るが、その中止理由の半分以上が、「ヒトにおいてバイオアベイラビリティーが低い」ことや、「血漿中濃度が非線形性を示し、個体差が大きい」等のヒトにおける体内動態上の問題によることを考えると、前臨床の段階でヒトにおける体内動態を予測することは、医薬品開発を効率的に進める上で必要不可欠であるといえる。多くの薬物は肝代謝によって体内から消失するので、ヒト肝における薬物代謝能を予測することが最も重要と考えられる。しかしながら、肝代謝能は種差が大きいため、従来よりよく行われている動物実験からヒトを予測するという、いわゆるアニマルスケールアップ法の適用に限界がある。そこで、これに代わる方法として、in vitroにおいて直接ヒト肝試料を用いて得られる代謝データからin vivo薬物動態を定量的に予測することが可能であれば、臨床における有効性や安全性を考える上で有益な情報を早期に得られ、医薬品開発を効率的に進める上で大いに威力を発揮するものと思われる。しかしながら一方で、ヒト肝試料の使用に関しては倫理的な問題も伴うため、さらに、ヒト肝試料に代わるin vitro代謝実験系として、ヒト代謝酵素の発現系の有用性についても期待される。

【目的】

 本研究では、痴呆症状改善薬として開発中のYM796をモデル薬物として用い、in vitro代謝データからin vivo薬物代謝動態を予測する方法の有用性について検証することを目的とし、1)ヒト肝ミクロソームおよびヒトcytochrome P-450(CYP)発現系ミクロソームにおいてYM796の代謝固有クリアランス(CLint,all)を測定し両者を比較するとともに、得られたkinetic parameterを用いてヒトにおけるin vivo経口投与時のAUC(AUCoral)の予測を試みた。また、2)ラット、イヌおよびヒト肝ミクロソームを用いて得られたin vitro代謝データに基づき、各動物種におけるin vivo体内動態の投与量依存性の予測を試み、臨床上大きな問題となり得る非線形条件下における本予測方法の有用性についても検討し、in vivoで認められた顕著な薬物代謝能の種差の原因について考察を加えた。

【結果】1.ヒトにおけるin vitro代謝データに基づくin vivo薬物代謝能の予測 1-1.ヒト肝ミクロソームにおけるYM796代謝の特徴と関与するP-450分子種

 まずはじめに、ヒト肝ミクロソームを用いてYM796の代謝について検討した。YM796はいずれのミクロソームにおいてもTLC上少なくとも4種の代謝物を生じ、主代謝物はM1およびM2であり、それぞれ総代謝物量の約50%および約30%を占めていた。CYPの中でこれまでに知られている基質薬物の数が最も多く、臨床上最も重要な代謝酵素の1つと考えられるCYP3A4含量が異なる3人のhuman subjectの肝臓から調製されたミクロソームを選んでYM796の代謝を検討し、総代謝物と主代謝物であるM1およびM2の生成に関してEadie-Hofstee plotをしたところ、いずれのミクロソームにおいても、また、いずれの代謝物についても、high-affinity,low-affinityおよび今回用いた薬物濃度範囲ではnon-saturableなcomponentの3つのcomponentから成ることが示された。線形な濃度領域では3つのcomponentのうち、最もhigh-affinityのcomponentの寄与が全体の約80%と大部分を占めていた。また、代謝物間でKm値に大きな差は認められなかった。総代謝物についてはCYP3A4含量の異なる12人のhuman subjectの肝臓から調製されたミクロソームにおける結果を、M1およびM2については特にCYP3A4含量の多いヒト、少ないヒトおよび中程度のヒトの3人のhuman subjectの肝臓から調製されたミクロソームを選んで検討した結果を、それぞれCYP3A4含量と線形時のCLint,allとの関係でplotしたところ、いずれの代謝物に関しても、個々の代謝活性には最大で10倍もの個体差が認められたものの、CYP3A4含量とCLint,allとの間には非常に高い相関性が得られ、すなわち、CYP3A4含量あたりに換算するとCLint,allはほぼ一定の値を示した。次に、各種ヒトP-450分子種の遺伝子を発現させたヒトB-リンパ芽球様細胞から調製されたミクロソームにおいてYM796の総代謝物の生成について検討したところ、CYP3A4の発現系ミクロソームにおいてのみ高い代謝活性が認められた。また、YM796の総代謝物、M1およびM2生成に及ぼすヒト抗CYP3A4/5抗体の影響を調べた結果、いずれの代謝物も同様の阻害パターンを示し、最大で約75%が阻害された。さらに、CYP3A4の典型的な阻害剤として知られるketoconazoleのYM796代謝に及ぼす影響を検討したところ、濃度依存的な阻害が認められ、10MのketoconazoleによりYM796代謝はほぼ完全に阻害された。

1-2.発現系ミクロソームにおける代謝データに基づくヒト肝ミクロソームにおける代謝固有クリアランスの予測

 CYP3A4の発現系におけるYM796代謝反応はhigh-affinityなcomponentときわめてaffinityの低いcomponentの2つのcomponentから成り、線形な濃度領域では前者が大部分を占めていた。High-affinityなcomponentのKm値(Kml)は1.1Mであり,ヒト肝ミクロソームにおいて得られたKml値(1.7±0.8M,n=12)と非常に近い値を示した。次に、CYP3A4の発現系ミクロソームより得られたkinetic parameterを用いて、CYP3A4含量を考慮して補正することにより各ヒト肝ミクロソームにおける代謝固有クリアランスの予測を試みた。各ミクロソーム試料間で最大7倍以上のCYP3A4含量の個体差が存在するにもかかわらず、12人の異なるhuman subjectの肝臓より調製されたミクロソームのそれぞれについて、得られた代謝固有クリアランスの予想曲線はいずれも実測値と近い値を示しており、良好な予測性が得られた。

1-3.In vitro代謝データからのヒトにおけるin vivo経口投与時のAUCoralの予測

 ヒト肝ミクロソームにおいて得られたCLint,allをもとに、肝血流速度(QH)、血漿蛋白非結合率(fp)および血液対血漿中濃度比(RB)等のパラメータを考慮し、dispersion modelを用いて肝クリアランス(CLH)および肝availability(FH)を計算し、さらに、未変化体の尿中排泄や消化管吸収率の情報を考慮に入れて、最終的にヒトにおけるin vivo経口投与時のAUCoralの予測を試みた。各ヒト肝ミクロソームにおいて得られたCLint,allに基づくYM796経口投与時(投与量14.3mol/man)のAUCoralの予測値は5.5〜56.5(19.0±14.6,n=12)nmol・min/mlであり、実測値(20.2±7.1nmol・min/ml,n=6)と良好に一致していた。

2.In vitro代謝データに基づく非線形条件下におけるin vivo経口投与時の薬物動態の予測

 一般に非線形条件下では、小腸からの薬物の吸収率(Fa)がたとえ一定であっても、吸収速度の大きさの違いにより、その非線形性の現れ方が大きく異なる。吸収速度定数(ka)が大きく吸収の速やかな薬物では、門脈血中濃度が急激に上昇するため、肝における薬物代謝能が飽和し、著しい非線形性を示す可能性がある。一方、kaの小さい薬物では、ゆっくりとしか門脈内へ入らないので、そのような場合には、非線形性を生じにくいと考えられる。しかしながら、これまでにこのような要因を考慮に入れて、非線形な薬物動態を定量的に解析した例はないため、本研究において、このような非線形条件下でもin vitroデータからin vivo経口投与時の薬物動態の定量的予測が可能かどうかについて検討を加えた。ラット、イヌおよびヒトにYM796を経口投与した時、ラットのみ、AUCoralおよびBioavailability(F)が投与量に対して顕著な非線形性を示し、また、動物間で絶対値が大きく異なっておりin vivoでの代謝能に顕著な種差が観察された。そこで、ラット、イヌおよびヒトのすべての動物種において、in vitro代謝データに基づくin vivo薬物動態の投与量依存性の予測を試み、比較検討した。まず、ラットおよびイヌにおけるYM796の代謝動態をin vitro系において調べたところ、いずれもTLC上でヒトの場合と同一の位置に代謝物が認められた。ラット、イヌおよびヒトにおけるKmlはそれぞれ13.4,8.1および1.7Mであり、ラットとイヌでは同程度であったが、最も代謝能の低いヒトにおいて最も小さい値を示した。これに対し、Vmax1はそれぞれ520,10.9および1.2nmol/min/g liverであり、ラットおよびイヌにおいてそれぞれヒトの約400倍および約8倍高い値が得られており、今回観察された代謝能の著しい種差は主として酵素量(Vmax)の種差に起因することが示唆された。さらに、ラットおよびイヌ肝ミクロソームにおけるYM796代謝に及ぼす抗ラットCYP3A2血清の影響を検討したところ、ラットにおいてはヒトの場合と同様に全体の代謝の70%以上が阻害されたのに対し、イヌでは阻害率は約50%とやや低い値を示したが、いずれの動物種においても、YM796の代謝に関してはCYP3Aの寄与が最も大きいと考えられた。

 次に、YM796を経口投与後、肝初回通過時における代謝の非線形性を仮定し、dispersion modelに従って、in vitroで得られた代謝kinetic parameterからAUCoralおよびFを予測した。In vivo経口投与を想定して、一次吸収速度式に従って門脈内へ本薬物を流入させたときのFに及ぼすkaの影響についてsimulationしたところ、速やかな吸収の観察されるka=0.07min-1の時に実際のデータと最も近い値が得られた。このkaの値を用いて、それぞれの動物種についてin vitroで得られたkinetic parameterをもとに各投与量におけるAUCoralまたはFの予測を試みたところ、代謝能の著しい種差にもかかわらず、予測性はいずれの動物種においても良好であった。特に、ラットにおいてin vivoで観察された非線形性はin vitroデータからの予測結果においても再現され、一方、イヌおよびヒトにおいては非線形性があまり顕著でないことも再現された。

【結論】

 1)目的とする薬物代謝反応に関与するP-450分子種を同定し、その分子種の含量を考慮して補正を加えることにより、遺伝子組換え酵素(発現系)を用いたin vitro実験からスタートしてヒト肝ミクロソーム系での代謝固有クリアランスを予測し、最終的にはin vivoにおける薬物動態まで定量的に予測できる可能性が示された。

 2)線形条件下のみならず、代謝に非線形性の観察されるような場合においても、門脈血中への吸収速度を考慮に入れることにより、in vitroデータに基づくin vivo経口投与時の代謝動態の定量的予測は十分可能であると考えられた。

 このようにin vitroからin vivoを予測する方法は、今後、医薬品開発を効率的に進める上で大いにその有用性が期待できるものと考える。

審査要旨

 医薬品開発において、Phase-I臨床試験を実施した医薬品候補化合物の約半分が開発中止に至っており、その中止理由の多くが体内動態上の問題によることから、前臨床の段階でヒトにおける体内動態を予測することは、医薬品開発を効率的に進める上で極めて重要であると考えられる。多くの薬物は肝代謝によって体内から消失するので、ヒト肝における薬物代謝能を予測することが最も重要と考えられる。本研究では、痴呆症状改善薬として開発中のYM796をモデル薬物として用い、in vitro代謝データからin vivo薬物代謝動態を予測する方法について検討した。また、本方法を臨床上大きな問題となり得る非線形な血中薬物動態の予測に適用して、ラット、イヌおよびヒトにおけるin vivo体内動態の投与量依存性の予測を試み、in vivoで認められた顕著な薬物代謝能の種差について検討を加えた。

1.ヒトにおけるin vitro代謝データに基づくin vivo薬物代謝能の予測

 まず、ヒト肝ミクロソームを用いてYM796の代謝について検討した。CYP3A4含量の異なる12種のヒト肝より調製されたミクロソームについて、それぞれCYP3A4含量と線形時の代謝固有クリアランス(CLint,all)との関係でplotしたところ、個々の代謝活性には最大で10倍もの個体差が認められたものの、CYP3A4含量とCLint,allとの間には非常に高い相関性が得られ、すなわち、CYP3A4含量あたりに換算するとCLint,allはほぼ一定の値を示した。

 次に、各種ヒトP-450分子種の遺伝子を発現させたヒトB-リンパ芽球様細胞から調製されたミクロソームにおいてYM796の総代謝物の生成について検討したところ、CYP3A4の発現系ミクロソームにおいてのみ高い代謝活性が認められた。CYP3A4の発現系ミクロソームより得られた代謝パラメータを用いて、CYP3A4含量を考慮して補正することにより各ヒト肝ミクロソームにおける代謝固有クリアランスの予測を試みたところ、各ミクロソーム試料間で最大7倍以上のCYP3A4含量の個体差が存在するにもかかわらず、12種の異なるヒト肝よりより調製されたミクロソームのそれぞれについて、得られた代謝固有クリアランスの予想曲線はいずれも実測値と近い値を示し、良好な予測性が得られた。

 さらに、各ヒト肝ミクロソームにおいて得られたCLint,allをもとにdispersion modelを用いて肝クリアランス(CLh)および肝アベイラビリティー(Fh)を計算し、未変化体の尿中排泄や消化管吸収率の情報も考慮に入れて、ヒトにおけるin vivo経口投与時のAUCoralの予測を試みたところ、予測値は5.5〜56.5(19.0±14.6、n=12)nmol・min/mlであり、実測値(20.2±7.1nmol・min/ml、n=6)と良好に一致した。以上の結果は、本方法がP-450により代謝される薬物のヒトにおける経口投与時の血漿中濃度の予測に適用できることを初めて示すものである。本予測法は、医薬品開発において、類似化合物間での体内動態面からのスクリーニングや臨床試験の用量設定を行う上で極めて有用であると期待される。

2.In vitro代謝データに基づく非線形条件下におけるin vivo経口投与時の薬物動態の予測

 これまでに非線形な薬物動態を定量的に解析した例はないため、本研究において、非線形条件下でもin vitroデータからin vivo経口投与時の薬物動態の定量的予測が可能かどうかについて検討を加えた。ラット、イヌおよびヒトにYM796を経口投与した時、ラットのみ、AUCoralおよびバイオアベイラビリティー(F)が投与量に対して顕著な非線形性を示した。そこで、ラット、イヌおよびヒトにおいて、in vitro代謝データに基づくin vivo薬物動態の投与量依存性の予測を試みた。ラット、イヌおよびヒトにおける高親和性componentのKm値(Km1)はそれぞれ13.4、8.1および1.7Mであり、ラットとイヌでは同程度であったが、最も代謝能の低いヒトにおいて最も小さい値を示した。これに対し、Vmax値(Vmax1)はそれぞれ520,10.9および1.2nmol/min/g liverであり、代謝能の著しい種差は主として酵素量(Vmax)の種差に起因することが示唆された。In vivo経口投与を想定して、肝初回通過時における代謝の非線形性を仮定し、一次吸収速度式に従って門脈内へ本薬物を流入させたときのAUCoralおよびFを、in vitroで得られた代謝kinetic parameterを用いてdispersion modelに基づいて予測したところ、代謝能の著しい種差にもかかわらず、予測性はいずれの動物種においても良好であった。特に、ラットにおいてin vivoで観察された非線形性はin vitroデータからの予測結果においても再現され、一方、イヌおよびヒトにおいては非線形性があまり顕著でないことも再現された。以上の検討から、線形条件下のみならず、代謝に非線形性の観察されるような場合においても、門脈血中への吸収速度を考慮に入れることにより、in vitroデータからin vivo経口投与時の代謝動態の定量的予測が可能であることが初めて示された。本方法を用いることにより、臨床においてより効率よく、かつ、安全な薬効発現のためのdose escalationが可能になることが期待される。

 以上の結果から、本研究は博士(薬学)の学位を授与するに値するものと認めた。

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