学位論文要旨



No 213969
著者(漢字) 佐藤,和生
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,カズオ
標題(和) 新規経口抗凝固薬としてのFactor Xa阻害薬に関する研究
標題(洋)
報告番号 213969
報告番号 乙13969
学位授与日 1998.09.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第13969号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長尾,拓
 東京大学 教授 杉山,雄一
 東京大学 教授 佐藤,能雅
 東京大学 教授 今井,一洋
 東京大学 教授 松木,則夫
内容要旨

 高齢化社会の到来と生活様式の欧米化に伴い増加傾向にある様々な疾患(深部静脈血栓症、虚血性心疾患、脳血栓・閉塞症、DICなど)の成因の一つとして血液凝固能の亢進があげられる。これらの疾患の治療・予防は長期に渡るため、使用する薬剤は経口剤であることが望ましいが、現在本邦で唯一の経口抗凝固薬であるワルファリンは作用発現の遅さ、抗凝固能のコントロールの難しさ、出血の副作用、他剤との相互作用といった臨床使用上多くの問題点を持つため、新しい機序の経口抗凝固薬が求められている。

 血液凝固系は、異物接触により活性化される内因系と血管傷害によって露出した組織因子により活性化される外因系からなる。内因系、外因系凝固カスケードの合流点に位置する酵素Factor Xa(FXa)がFactor Va、Ca2+、リン脂質とともにプロトロンビナーゼ複合体を形成し、プロトロンビンからトロンビンを生成する。トロンビンは血液凝固系において中心的な役割を果たしており、トロンビンの作用を直接阻害するか、トロンビンの産生を阻害することによって、強力な抗凝固作用を発現できると考えられる。トロンビンの作用を直接阻害する薬剤として、ヘパリンや近年数多く開発されている選択的なトロンビン阻害薬などがあげられるが、これらの薬剤は、止血に不可欠なトロンビンによる血小板活性化をも阻害するため、臨床上での出血の危険性も指摘されている。一方、トロンビンの産生を抑制し抗凝固作用を発現させるという観点からは、近年ではFXaに注目が集まっている。FXaは、外因系および内因系凝固カスケードの合流点に位置する酵素であるため、FXaの阻害によりトロンビン産生を効率的に抑制できると考えられるためである。トロンビンを直接阻害する薬剤とは異なり、トロンビンによる血小板活性化には影響しないため、FXa阻害薬は出血を回避できる可能性がある。

 トロンビンの直接阻害とFXa阻害によるトロンビン産生抑制のどちらが新しい抗凝固薬のターゲットとして優れているかどうかは非常に興味深い問題である。しかしながら、選択的なFXa阻害薬が最近まで発見されなかったため、トロンビンを直接阻害する薬剤に比べると、FXa阻害薬そのものに関する研究自体がほとんど進んでおらず、FXa阻害薬が実際に生体内でFXaを阻害することでトロンビン産生を抑制し、抗凝固・血栓作用を発現するかどうかすら証明されていない。また、今後FXa阻害薬を臨床開発する上で必須である、FXa阻害薬の抗血栓作用を反映するような凝固系パラメーターはいまだ見いだされていない。さらには、最も注目されるべき点であるトロンビン阻害活性を持つ抗凝固薬とFXa阻害薬との直接比較も行われておらず、トロンビンの直接阻害とFXa阻害によるトロンビン産生抑制のどちらが新しい抗凝固薬のターゲットとして優れているかどうかも依然として明らかではない。また、FXa阻害薬の抗血栓薬としての薬理学的な特性(静脈血栓・動脈血栓に対する作用の強さ)もいまだ不明瞭なままである。

 最近、FXa阻害活性を持つYM-75466(Fig.1)が山之内製薬において、新規に合成された。この化合物はヒトFXaのみを選択的に阻害し(Ki=1.3nM)、トロンビンは阻害しない(Ki>100M)。さらに、YM-75466は、リスザル、イヌ、モルモットなどでバイオアベイラビリティ20-30%をこえる高い経口吸収性を示すことがすでに明らかになっており、経口剤としても有望な化合物である。

Fig.1 Structure of YM-75466

 本研究では、経口可能なFXa阻害薬YM-75466を用いて、今まで明らかになっていなかったFXa阻害薬の抗凝固・血栓薬としての薬理学的な作用を検討し、FXa阻害薬がワルファリンに代わる新しい機序の経口抗凝固薬となりうるかどうかを明らかにすることを目的とし、(1)FXa阻害の血栓に対する有効性とFXa阻害薬の抗血栓作用を反映するパラメーター、(2)抗血栓作用と出血の乖離についてのFXa阻害とトロンビン阻害の比較、(3)異なるタイプの血栓(静脈血栓、動脈血栓)に対するFXa阻害薬の作用、(4)経口抗凝固薬としてのFXa阻害薬YM-75466の作用、を検討した。

 まず第一に、FXa阻害の血栓に対する有効性を検討するため、ラット動静脈シャントモデルにおけるYM-75466の抗血栓作用と各種凝固系パラメーターの変化を検討した。YM-75466は、用量依存的に抗血栓作用を発現したが、その際、YM-75466は抗トロンビン活性は全く発現せず、抗FXa活性のみを用量依存的に発現した。本研究により、生体内で実際にFXaを選択的に阻害することによって抗血栓作用が発現することをはじめて明らかにした。また、YM-75466は有意な抗血栓作用を発現する用量においても、ヘパリン、ワルファリンといった従来の抗凝固薬の抗血栓作用のモニタリングに使用されてきた凝固時間(PT,APTT)をほとんど延長しなかった。一方、YM-75466はトロンビン産生の指標である血漿中トロンビン・アンチトロンビンIII複合体(TAT)濃度を用量依存的に低下させ、その低下はYM-75466の抗血栓作用の発現と相関していた。今まで、FXa阻害薬の抗血栓作用を反映するパラメーターは明らかになっていなかったが、本研究により、血漿中TAT濃度がFXa阻害薬の抗血栓作用をモニターするのに適したパラメーターであることを明らかにした。また、この結果により、FXa阻害薬がトロンビン産生を抑制して抗血栓作用を発現することが証明された。

 続いて、抗血栓作用と出血の乖離について、FXa阻害とトロンビン阻害を比較するため、YM-75466のラット動静脈シャントモデルにおける抗血栓作用と出血時間の延長作用について検討した。対照として、トロンビン阻害活性をもつヘパリン、ダルテパリン(低分子ヘパリン)、アルガトロバン(選択的トロンビン阻害薬)を使用した。各薬剤とも用量依存的に抗血栓作用を発現し、出血時間を延長した。各薬剤のID50値、ED2値(出血時間をコントロール群の2倍に延長する用量)をTable1に示した。YM-75466のED2/ID50(抗血栓作用を発現する用量と出血時間を延長する用量の乖離を示す値)は、他の抗凝固薬と比較して著しく大きかった。本研究により、FXa阻害薬はトロンビン阻害活性を持つ薬剤に比べ出血の危険性の少ない安全性の高い薬剤であることをはじめて明らかにした。

Table1 Risk-benefit ratio of the anticoagulant agents

 次に、FXa阻害薬の抗血栓薬としての薬理学的な特性を明らかにするため、モルモット静脈血栓モデル、動静脈シャントモデル、動脈血栓モデルにおけるYM-75466の抗血栓作用を検討した(Fig.2)。YM-75466の抗血栓作用の強さは静脈血栓(ID50:0.012mg/kg)=動静脈シャント(ID50:0.0094mg/kg)>動脈血栓モデル(ID50:0.14mg/kg)の順であった。しかし、最も作用の弱かった動脈血栓モデルにおいても抗血栓作用の発現に出血を伴うことはなかった。本研究は、同一種の静脈・動脈血栓モデルにおいてFXa阻害薬の抗血栓作用を直接比較した初めての研究であり、本研究により、FXa阻害薬は高用量では動脈系の血栓(主成分:血小板)にも有効であるが、静脈血栓(主成分:フィブリン)に対し特に強力な阻害作用を持っていることを明らかにした。

Fig.2 Antithrombotic effects of YM-75466 in the venous thrombosis(closed circles),the arterio-venous shunt(closed squares) and the carotid thrombosis(closed triangles)models and its effects on template bleeding time(open circles)in guinea pigs.*p<0.05,**p<0.01 compared with the saline group.

 以上のことをふまえたうえで、最後に、経口可能なFXa阻害薬YM-75466がワルファリンの持つ問題点(作用発現の遅さ、抗凝固能のコントロールの難しさ、出血の副作用、他剤との相互作用)を解決できるかどうかをマウス、ラットを用いて検討した。YM-75466は、ワルファリンに比べ、経口投与後の抗凝固活性の発現が著しく速かった。また、ワルファリンが抗血栓作用の発現に出血や凝固時間の延長を伴ったのに対し、YM-75466は、抗血栓作用を発現する用量と出血をひきおこす用量や凝固時間を延長する用量とが著しく乖離していた。また、マウスにおいて、YM-75466の抗凝固作用は、ワルファリンと相互作用をする薬剤との併用により全く変化しなかった。本研究により、経口可能なFXa阻害薬は、1)抗凝固作用の速やかな発現2))出血リスクの軽減3)他剤との相互作用リスクの軽減4)用量設定のためのモニタリングが必要ない、などワルファリンの抱える様々な問題点を解決しうる薬剤であることを示した。

【総括】

 本研究により、生体内で実際にFXaを選択的に阻害し、トロンビン産生を抑制することで強力な抗血栓作用が発現することをはじめて明らかにした。さらに、血漿中TAT濃度はFXa阻害薬の抗血栓作用をモニターするのに適したパラメーターであることを明らかにした。また、FXa阻害薬はトロンビン阻害作用を持つ薬剤に比べ、抗血栓作用と出血時間の延長作用が乖離しており、安全性の高い薬剤であることが本研究によりはじめて明らかとなった。さらに、FXa阻害薬は高用量では動脈系の血栓にも有効であるが、静脈血栓に対し特に強力な阻害作用を持っていることを同一種において初めて明らかにした。また、経口可能なFXa阻害薬は、1)抗凝固作用の速やかな発現2))出血リスクの軽減3)他剤との相互作用リスクの軽減4)用量設定のためのモニタリングが必要ない、などワルファリンの抱える様々な問題点を解決しうる薬剤であることを示した。

 本研究により、経口可能なFXa阻害薬は、優れた薬理学的プロフィールを持つ経口抗凝固薬となりうることが示唆され、今後の抗血栓治療において重要な知見を得ることができた。

審査要旨

 高齢化社会の到来と生活様式の欧米化に伴い増加傾向にある様々な疾患(深部静脈血栓症、虚血性心疾患、脳血栓・閉塞症など)の成因の一つとして血液凝固能の亢進があげられる。これらの治療・予防は長期にわたるため、使用する薬は経口剤であることが望ましい。しかしながら、現在本邦で唯一の経口抗凝固薬であるワルファリンは作用発現の遅さ、抗凝固能のコントロールの難しさ、出血の副作用、他剤との相互作用など、臨床上多くの問題点を持つため、新しい機序の経口抗凝固薬が求められている。新しい抗凝固薬のターゲットとして、血液凝固系の最終産物であるトロンビンが長い間注目を浴びてきた。トロンビンの作用を直接阻害する薬として、ヘパリンや近年数多く開発されている選択的トロンビン阻害薬などがあげられるが、これらの薬は、止血に不可欠なトロンビンによる血小板活性化をも阻害するため、臨床上での出血の危険性も指摘されている。そこで、近年関心が集まっているのがFactor Xa(FXa)である。FXaは、内因系、外因系凝固カスケードの合流点に位置するため、FXaの阻害によりトロンビン産生を効率的に抑制できると考えられるためである。さらに、トロンビンを直接阻害する薬とは異なり、トロンビンによる血小板活性化には影響しないため、FXa阻害薬は出血を回避できる可能性がある。しかしながら、選択的なFXa阻害薬が最近まで発見されなかったため、トロンビンを直接阻害する薬に比べると、FXa阻害薬に関する研究が遅れており、FXa阻害薬の薬理学的な特性は不明なままである。

 本研究の目的は、今まで不明であったFXa阻害薬の抗凝固・血栓薬としての薬理学的な特性を明らかにし、FXa阻害薬が、新規経口抗凝固薬として、今後の本領域の治療体系を変えうる可能性を検討することである。その際、FXa阻害薬として山之内製薬株式会社において、新規に合成されたYM-75466を使用した。この化合物はヒトFXaのみを選択的に阻害し(Ki=1.3nM)、トロンビンは阻害しない(Ki>100M)。さらに、この化合物は、リスザル、イヌ、モルモットなどでバイオアベイラビリティ20-30%をこえる高い経口吸収性を示すことがすでに明らかになっており、本研究の目的に合致した有用な化合物であると考えられる。

 まず第一に、FXa阻害の血栓に対する有効性を明らかにするため、ラットにおけるYM-75466の抗血栓作用と各種凝固系パラメーターの変化を検討した。その結果、YM-75466が、実際に生体内でFXaを選択的に阻害しトロンビン産生を抑制することで抗血栓作用を発現することをはじめて示し、FXa阻害の血栓に対する有効性を明らかにした。さらに、FXa阻害薬が、トロンビン産生を抑制することで抗血栓作用を発現することに注目し、FXa阻害薬の抗血栓作用を反映するパラメーターとして、血漿中トロンビン・アンチトロンビンIII複合体(TAT)濃度(生体内のトロンビン産生の指標)をみいだした。今までFXa阻害薬の抗血栓作用を反映するパラメーターは明らかになっておらず、FXa阻害薬を臨床開発するにあたり、このパラメーターの発見は非常に意義があると考えられる。個体間で凝固系の活性化度合が違うため抗凝固薬は薬物血中濃度が活性の目安になりにくいが、トロンビン産生の指標である血漿中TAT濃度は直接的に凝固亢進状態を示すパラメーターであり、薬物血中濃度よりもすぐれた抗血栓作用の指標となることが期待される。

 次に、抗血栓作用発現時の出血リスクの軽減という点に関して、トロンビン阻害とFXa阻害を比較するため、YM-75466とトロンビン阻害活性をもつ既存の抗凝固薬(ヘパリン、低分子ヘパリン、トロンビン阻害薬)の抗血栓作用と出血時間への作用についてラットを用いて検討し、YM-75466が抗血栓作用を発現する用量と出血時間を延長する用量が他の抗凝固薬に比べ著しく乖離していることを明らかにした。今までトロンビン阻害活性を持つ抗凝固薬とFXa阻害薬との直接比較は全く行われておらず、トロンビンの直接阻害とFXa阻害によるトロンビン産生抑制のどちらが新しい抗凝固薬のターゲットとして優れているかどうかは不明であった。本研究により、トロンビン阻害と比較し、FXa阻害は安全性が高いことがはじめて明らかになった。既存抗凝固薬による抗凝固・血栓療法は、出血の副作用のため、末梢血での凝固時間の測定による抗血栓作用のモニタリングが必須とされており、出血の危険性の少ないFXa阻害薬は、主作用のモニタリングの必要性を改善し、今後の本領域の治療体系を大きく変えることが期待できると考えられた。

 さらに、モルモット各種血栓モデルにおけるYM-75466の抗血栓作用を検討し、FXa阻害薬は高濃度では血小板血栓を主成分とする動脈系の血栓にも有効であるが、フィブリン血栓を主成分とする静脈血栓に対し特に強力な阻害作用を示す、というFXa阻害薬の抗血栓薬としての薬理学的特性を明らかにした。本研究は、同一種の静脈・動脈血栓モデルにおいてFXa阻害薬の抗血栓作用を直接比較した初めての研究であり、今後FXa阻害薬の適応症を考えるうえで、重要な知見であると考えられる。

 以上の結果より、FXa阻害薬は静脈血栓に対し、強力な抗血栓作用を持ちながら、トロンビン阻害活性をもつ既存の抗凝固薬に比べ、出血リスクを伴わないという、抗凝固薬として理想的な薬理学的プロフィールを持つことが明らかになった。このことをふまえたうえで、最後に経口抗凝固薬としてのFXa阻害薬の抗凝固作用、抗血栓作用、出血に対する影響について検討し、ワルファリンと比較した。その結果、YM-75466は、1)抗凝固作用の発現が速い2)出血リスクが少ない3)他剤との相互作用リスクの少ない4)用量設定のためのモニタリングが必要ないなど、ワルファリンの抱える多くの問題点を解決する抗凝固薬であることが明らかとなり、経口可能なFXa阻害薬はワルファリンに比べ安全性が高く臨床上使用しやすい経口抗凝固薬となりうることが示唆された。

 本研究により、経口可能なFXa阻害薬は優れた薬理学的なプロフィールを持つ経口抗凝固薬となりうることが明らかとなった。本研究で得られた知見は、今後臨床における新しい抗血栓治療法の確立の可能性を示唆するものである。本研究は血液凝固系の薬理学および医療薬学に多大な貢献をするものであり、博士(薬学)の学位に値するものと認めた。

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