学位論文要旨



No 213970
著者(漢字) 大木,康
著者(英字)
著者(カナ) オオキ,ヤスシ
標題(和) 馮夢龍『山歌』の研究
標題(洋)
報告番号 213970
報告番号 乙13970
学位授与日 1998.09.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第13970号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 戸倉,英美
 東京大学 教授 藤井,省三
 東京大学 教授 岸本,美緒
 東京大学 教授 松浦,純
 東京大学 教授 尾崎,文昭
内容要旨

 中国明代の末、蘇州の人馮夢龍(1574-1646)によって編纂され刊行された艶情歌謡集『山歌』十巻は、今世紀の三十年代に再発見されて以来、研究紹介が行われてきた。だがこれまでは『山歌』十巻のうち、恋に対して積極的な女性を描いた所詮「反封建」的な歌謡を多く収めた前半部分に、研究と評価が偏りがちであり、『山歌』十巻全体の構成、あるいは歌の来歴などの問題についての検討は手薄であった。

 本論文では、先人の研究を踏まえながら、従来の研究が注意してこなかったこれらの問題にも目配りをし、馮夢龍『山歌』の総合的研究を目指した。全体の構成としては、馮夢龍『山歌』の配列に従って、まずは歌の種類、巻数によって、第一章「四句山歌」、第二章「中・長編山歌」、第三章「桐城時興歌」の順で各巻所収の歌を考察し、最後の終章で全体にかかわる問題として、馮夢龍の『山歌』編纂作業及び『山歌』の文学的特徴について考えた。

 『山歌』巻一から巻六を占める四句山歌については、各巻に収められた歌の検討を通して、巻一「私情四句」恋する女性、巻二「私情四句」性交、身体、性欲、巻三「私情四句」恋の終わり、別れ、女性の怨み、巻四「私情四句」乱倫、巻五「雑歌四句」男色、玄人、不倫の茶化し、巻六「詠物四句」物に喩えられた女性といったことが、ほぼ各巻に収められた歌の主題の傾向として抽出できた。

 巻一から巻四までに登場する女性は、娼妓などではなく、基本的には農村や蘇州の町中に生活する素人の女性であり、恋に対してきわめて積極的な女性たちが多い。たとえば、巻二の「偸(ぬすむ)」は、次のような歌である。

 男を作るならおどおどするな

 現場を押さえられたら、わたしが罪をかぶります

 いっそのことお上の前に出、両ひざついて、こう正直に申し上げましょう

 絶対に 手を出したのはわたしです、と

 彼女は一人称によって大胆な気持ちを表明し、その行動を貫こうとするのである。このような女性(私情姐)たちの姿を描き出したところに、中国文学史における『山歌』の新しさが認められる。それに対して巻五、巻六の歌にあっては、艶笑性が強まり、露骨な性描写をも含む艶笑歌謡と女性の恨みとが中心になっている。とりわけ巻六の、女性を物にたとえた詠物歌においては、たとえば「珠(真珠」、

 彼女はまるで真珠のよう

 まるい一粒があなたの目で穴があくほど見つめられることを望みます(真珠だから穿、穴を穿つという動詞に結びつく)

 ねえあんた、あんたが来ないときには枕のそばに千も万も落ちています(涙の粒のこと)

 わたしが黄色くなった(古くなった=年取った)からといっていやしい物と見ないでね

 のように、受け身の女性、男性優位の立場から描かれた女性像が特徴になっている。(以上、第一章第一節)

 続いて、四句の山歌について、蘇州で歌の歌われたさまざまな「場」を考察し、次のような見通しが得られた。「山歌」は本来農村の祭りの際に歌われた歌である。女性が一人称によって恋情を歌い上げるその内容の大胆さも、こうした場で歌われていたことに起因する。やがて、こうした歌は農村における労働の折りにも歌われるようになる。ところが、馮夢龍の生きた明末の時代には、蘇州都市部に農村出身者が数多く流れ込んでおり、その彼らが農村山歌を都市にもたらし、山歌の形式に寄せて都市風俗を詠いこんだ山歌が歌われるようになった。そしてさらには、妓館の遊宴歌となり、最後には文人が山歌のスタイルで戯作するようにもなった。

 馮夢龍『山歌』には、こうしたいくつかの異なった「場」に由来する歌が収められている。馮夢龍は『山歌』編纂にあたって、歌を「私情」「雑歌」「詠物」などのカテゴリーに分けていたが、ほぼ巻一から巻四の「私情四句」は農村及び都市市井に由来する歌、巻五の特に後半部分は妓館の歌、巻六「詠物」は文人の戯作を集めたという傾向が見て取れるのではないかと思われる。(以上、第一章第二節)

 巻七から巻九にいたる中長編歌については、四句山歌にあった歌の主題と共通するものが多くを占めているが、威勢のいい女性のたんか、つぎからつぎへとまくしたてるおしゃべりを描いた歌、また、女性を物にたとえる詠物歌の延長に、ほとんど冗談やふざけの限度を越えて、女性を極端なまでに虐待するサディスティックな歌があらわれている。表現の上からは、長編故に時間の要素、羅列の要素などが認められる。(以上、第二章第一節)

 中長編の歌の歌われた場の考察としては、江南地方各地に行われ、山歌から発展して芸能化し、演劇となった攤簧を取り上げ、それとの距離によって、馮夢龍『山歌』の位置を測った。同じく山歌といっても、形式の面から見ると、『趙聖関山歌』などの長編山歌は、七言の斉言体という形式をもつのに対して、馮夢龍の『山歌』に収められた長編山歌は、四句の山歌に他の俗曲や白を組み合わせることによって長くなったものであり、せりふ入りの散曲、あるいはもう一歩で戯曲になる性格のものである。これは馮夢龍『山歌』の中長編歌が、農村山歌の強い影響を受けつつ、文人によって戯作されたものであることによるのではないかと推測される。(第二章第二節)

 続いて巻十に収められる安徽の桐城地方の歌謡である桐城歌について、その主題と来歴について検討した。安徽の地方歌謡であった桐城歌が蘇州で集められた理由として、当時には安徽から蘇州への労働人口の移動という現象があり、蘇州で刊行された『山歌』に桐城歌が収められることになったのも、安徽と蘇州とのこうした関係によるものではないかと考えた。(第三章)

 終章では、はじめに馮夢龍の『山歌』編纂作業の実際について考察した。馮夢龍が『山歌』の編纂にあたって、一方では先行の唱本によりつつも、一方では確かに農村や蘇州の街中などで実際にこれらの歌を耳にし、記録したであろうという歌謡採集作業の実状をさぐり、『山歌』の成立時期を万暦末年ごろのものと考証した。(第四章第一節)

 続いて『山歌』十巻に収められた歌全体に共通する文学性について、明末の同時代の文学作品との関わりにおいて考えた。はじめに『山歌』と詩文・民間歌謡との関わりでは、馮夢龍自身が「叙山歌」でその価値を主張した「真」について、飾り気のない真率の情(主として男女の情)を詠じた庶民の歌謡が、当時の詩壇の詩に行き詰まりを感じていた知識人にしばしば着目され、評価されており、馮夢龍もそうした時代の風潮の中で、『山歌』の収集編纂を行った様子を見た。(第四章第二節一)

 明末に盛んであった小説との関わりでは、同時期の作品である『金瓶梅』や『歓喜冤家』、また馮夢龍の編になる笑話集『笑府』などの作品とも、テーマや描写の仕方などの点で『山歌』に共通する要素が見いだされ、これらの作品が共通した時代の産物であったことが確認された。(第四章第二節二)

 なお、『山歌』各歌は明代の蘇州方言で表記されており、難解であるが、引用した歌については、別冊に先行業績を踏まえた注解を付した。

審査要旨

 大木康氏の論文「馮夢龍『山歌』の研究」は、明末の人馮夢龍によって編集・刊行された歌謡集『山歌』に関する総合的な研究である。『山歌』は十七世紀初頭に刊行された後、永く失われていたが、1934年に発見され、他に類を見ない特異な歌謡集として注目を集めた。以来研究が進められてきたが、その多くは全十巻のうち恋に積極的な女性の歌を含む前半部にのみ偏り、その部分を反封建的な思想を持つものとして高く評価するという傾向が強かった。『山歌』全体を視野に入れた考察は、1973年、ドイツのテーペルマンが全巻の注釈と翻訳を刊行した際に、各巻の主題の違いや唱われた背景について簡単な考証を加えたのがほとんど唯一の例である。大木氏はこれまで「馮夢龍『三言』の編纂意図について(正続)」(『東方学』第69輯、1985年。及び『伊藤漱平教授退官記念中国学論集』汲古書院、1986年)より『明末のはぐれ知識人-馮夢龍と蘇州文化』(講談社、1994年)に至る著書や論文で、馮夢龍の生涯と出版人としての姿勢、並びにその思想について研究し、『明末江南における出版文化の研究』(『広島大学文学部紀要』第50巻特輯号、1991年)において、馮夢龍のような出版文化人を生んだ出版業隆盛の社会的背景に対し考察を進めてきた。本研究は、これら馮夢龍と出版文化に関する研究を基礎に、前述した独文の著作を初めとする先行研究の成果を踏まえ、馮夢龍『山歌』の全体像の解明を目的に行われたたものである。

 大木氏の研究の特色は、まず第一に『山歌』に収録されている歌を形式によって三つに分け、それぞれの来歴を探究したことである。広く各種の文献を渉猟するのみならず、氏自身による中国での調査結果を加えて考察した結果、巻一より巻六までを占める短篇の四句山歌は、本来農村の祭りで唱われていたものが労働の折りにも唱われるようになり、ついで農村労働力の都市流入に伴って都市の風俗を唱うものが現れ、最後に妓館で唱われる遊宴の歌となり、文人が山歌のスタイルで戯作するに至ったという道筋が明らかにされた。またこのように異なる場で唱われていたものを採録したことから、巻による主題や傾向の違いが生じたのではないかとの見解が提出された。

 次に巻七から巻九に至る中長篇山歌の性格が、江南地方の演劇「攤簧」との比較によって考察された。これらの歌は、山歌以外の俗曲や台詞をも加えた極めて特殊な形式を持ち、そこに見られる女性の描写が四句山歌のあるものと類似していることから、それらと同様農村の歌の影響を受けつつも文人によって戯作されたものではないかという推論が示された。

 続いて巻十の桐城歌について、安徽の地方歌謡であったこの歌が蘇州における出版物『山歌』に収録されるに至った理由を考察した。その背景には、安徽から蘇州への出稼ぎ労働者の流入や、安徽商人たちの活躍があり、特に他の土地から来る商人は蘇州の妓館の上客であるという事実が大きく作用していたと説明した。

 また全体を精読する過程で、『山歌』の中には従来評価されてきたような民衆的・反封建的なものばかりでなく、むしろ女性を性的な玩弄物とし、サデイステイックな傾向さえ帯びたものが少なからず含まれていることが指摘された。

 以上のように本研究は、『山歌』の各歌謡を生み出した社会的背景を広くかつ多面的に考察し、各種芸能及び祭事との関わりや、文学作品としての特色についても多くの新しい見解を提出している。この歌謡集の全貌は、本研究によって初めて明らかにされたといってよいであろう。一方、都市・農村など様々な場で唱われていたものからなるという重層的性格が、各歌謡の分析の面からは十分解明されていないこと、大都市蘇州の性産業を背景とする営利出版物であったという点が十分考慮されていないことなど、いくつかの課題は残されているが、『山歌』研究を大きく前進させたという点でその価値は極めて大きく、文学のみならず、中国の社会文化史研究の分野でも大きな貢献をなすものと思われる。よって本論文は博士(文学)学位授与に値する論文であると判断する。

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