学位論文要旨



No 213975
著者(漢字) 小野田,滋
著者(英字)
著者(カナ) オノダ,シゲル
標題(和) わが国における鉄道用煉瓦構造物の技術史的研究
標題(洋)
報告番号 213975
報告番号 乙13975
学位授与日 1998.09.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第13975号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 篠原,修
 東京大学 教授 藤森,照信
 東京大学 教授 家田,仁
 東京大学 教授 清水,英範
 東京大学 助教授 天野,光一
内容要旨

 わが国の近代史において、煉瓦・石材を用いたいわゆる組積造による構造物は、コンクリート系材料が一般化する大正時代まで、約半世紀にわたって土木・建築用の構造部材としてその主流を占めていた。この間に建設された構造物の技術史的研究は、主として近代建築史の分野で行われ、土木分野ではほとんどなされていないのが現状であった。しかし、近年関心が高まりつつある歴史的土木構造物の保存・活用を推進するためにも、その全体像を把握しておくことは不可欠である。本論文ではこのような現状に鑑み、全国の鉄道路線に現存する煉瓦構造物(一部に石造を含む)約2,800箇所を対象として現地踏査を行い、構造的特徴を把握するとともに、文献調査等によってその変遷や設計思想に関する考察を行った。

 本論文の視座、ならびに本論文によって新たに得られた主な知見は、下記の通りである。

 1)本研究を行うにあたって既存の研究事例を調査した結果、これまでの煉瓦構造物に関する研究は大半が近代建築を対象としたものであり、土木構造物を対象としたものはごくわずかであった。建築分野では、煉瓦の導入過程やその生産技術の展開、煉瓦建築の現状などほぼその全貌が明らかにされており、これらの成果は近代建築の評価やその保存・活用に反映されている。こうした点から、本論文はわが国の土木分野における煉瓦構造物の技術史を初めて体系化する試みであり、歴史的遺産の保存・活用に寄与するものと考えられる。

 2)煉瓦と鉄道はほぼ同時期にわが国に導入された西洋技術であり、その間には密接な関わりがあると考えられる。そこで、わが国における煉瓦材料の導入過程を概観した結果、鉄道建設の進展とともに各地に煉瓦工場が設立され、数多くの土木構造物に使用されたことが明らかとなった。特に、煉瓦製造の初期段階では、現場の近傍に煉瓦製造のための臨時の工場が設置される傾向が強がったが、その後、大量生産が可能になると企業化が進み、品質や価格の安定した煉瓦が鉄道輸送を通じて供給されるようになった。鉄道建設における煉瓦の需要は、製造者にとってまとまった量を継続的に見込むことのできる「得意先」であったと考えられ、煉瓦産業の発展と鉄道網の拡大は、煉瓦の生産、流通、消費といったあらゆる局面で関わり合いを保ちながら相互に発展を遂げたと判断される。

 3)構造物の保守管理や修復などにおいて、建設当時の技術基準を把握することは重要であるが、こうした観点から鉄道における煉瓦の技術基準について文献調査を行った。その結果、初期に製造された煉瓦には、特に技術基準のようなものは設けられていなかったが、鉄道分野では明治20年代頃から寸法、外観および吸水量、圧縮強度、重量などによって規定されていたことが明らかとなった。これらの基準は幾多の改訂を経ながらも1925(大正14)年制定のJES(日本標準規格)へと継承され、鉄道分野における規格化がその先駆的役割を果たしていたことが示された。また、煉瓦の組積法も各構造物ごとに細かく規定され、組積法(積み方)や施工法など現場における施工管理の一端が明確となった。

 4)煉瓦の寸法に時代差や地域差が見られることはすでに近代建築史の分野で指摘されているが、全国規模で網羅的に分析した事例はこれまでなかった。そこで全国の鉄道煉瓦構造物で測定した約1,500データについて、その寸法(長さ×幅×厚さ)を分析した結果、全国各地の煉瓦の寸法には微妙な差異が認められ、特に規格化が進んでいなかった明治期には様々な種類の寸法による煉瓦が用いられていたことが見出された。また、クラスタ分析に基づく分類の結果、このうちいくつかは顕著な地域性や年代の偏りを示し、各構造物ごとの煉瓦の製造者や流通経路、製造年を示す指標として用いることができる可能性が指摘された。

 5)煉瓦の組積法についてはこれまで近代建築史における先駆的研究があったが、指摘された事実が土木構造物にもそのまま適用されるのかどうかは明らかではなかった。そこで、煉瓦構造物の組積法について現地調査を行った結果、最も一般的に用いられている組積法はイギリス積みであることが明らかとなった。また、静岡県下の東海道本線、関西本線沿線、熊本県下の鹿児島本線など一部の地域にはフランス積みによる構造物が顕著に見られた。小口積みは、東京駅とその前後の高架区間に顕著に見られる以外はほとんど例がなかったほか、長手積みは主としてアーチ構造物のアーチ部に用いられていることが明らかにされた。このほか、端部の仕上げ方法にいくつかの手法が見られることが見出されるなど、これまで建築分野でも指摘されていなかったいくつかの事実や相違点が明らかとなった。

 6)歴史的構造物の意匠を把握しておくことは、その評価・復元や歴史的意匠に基づく景観設計などにとって重要である。そこで、煉瓦・石積みによる土木構造物の意匠について考察を行った結果、これらの構造物に対して様々なデザインが採用されていることが示された。また、各路線の最長または最大など記念碑的地位を持つ構造物、主要街道を跨いで建設された構造物に対しては、扁額の掲出や装飾的煉瓦積みの採用、石材との組合わせなど、特に意匠性を高める工夫がなされていたことが明らかとなった。この傾向は、難工事であったトンネルで特に顕著に見られたほか、都市部の構造物や人道として用いられるアーチ橋なとでは、人々の視線を意識した意匠上の工夫がなされていたことが指摘された。

 7)煉瓦構造物の細部に見られるディテールを把握しておくことは、構造物のデザインを考える上で重要な要素である。そこで、ディテールに見られる装飾的技法や異形煉瓦などの特殊煉瓦の使用に着目し、各構造物の現地調査を行った結果、土木構造物に対しても蛇腹や矢筈積み、持ち送り積みといった装飾的技法が用いられていることが明らかとなった。また、構造物によっては異形煉瓦や釉薬煉瓦を使用することによって、より多彩なデザインを行うための工夫がなされていたことが示され、組積造の特徴を活かした技法の存在が明らかにされた。

 8)北九州地区の鉄道構造物に顕著に見られる"げた歯"の技法は、これまでその存在理由について諸説があったが、どれも客観的考察に乏しいものであった。そこで、その存在理由について現地調査結果に基づいて考察し、一部で唱えられていたような意匠によるものではなく、将来の複線化に備えて既存の構造物と新しい構造物とに整合性を持たせるために設けられた継手構造であることを立証した。また、複線化された区間の構造物にも、かつてそれが"げた歯"で仕上げられていたであろう痕跡があることを指摘し、これによって開業時に建設された第1線側とその後の線増による第2線側との識別が可能となることを示した。

 9)"げた歯"の技法と同様、その存在理由が充分に解明されていなかった"ねじりまんぽ"の技法に着目し、現地踏査および文献調査からその存在理由について考察を行った。その結果、この技法が斜めにアーチ橋を架ける際に工夫された特殊な技法であり、その技法にいくつかの種類が存在していたことが明らかとなった。また、現地踏査を行った結果、"ねじりまんぽ"によらない斜めアーチ橋が存在することを指摘し、その相違点について考察を加えた。さらに、海外での事例などからその源流について探り、その起源がアイルランドの運河橋梁またはフィレンツェの道路橋にあることを指摘した。

 10)煉瓦構造物と共に用いられた石造構造物については、煉瓦との使用区分やその意匠上の特徴についてこれまで充分に明らかにされていなかった。そこで、その分布や構造的特徴について現地踏査および文献調査に基づいて考察を行った結果、比較的良質な石材が得られる地方や山間部の構造物にはより安価な石材が用いられ、平野部などで石材が得られない場合は煉瓦が優先的に用いられる傾向が認められた。また、石材の積み方や意匠設計にも煉瓦と同様に様々な工夫がなされていることを明らかにした。

 11)煉瓦構造からコンクリート構造へ遷移する課程はこれまでにも近代建築史などの分野で研究事例があるが、本論文では鉄道用土木構造物でその転換がどのように行われたかを明らかにした。その結果、アーチ橋や橋梁下部構造のようなコンクリートの打設が容易な構造物や、トンネルの側壁などから段階的に適用されていたことが判明した。また、こうした過渡期に建設された構造物には煉瓦材料とコンクリート材料が混在して用いられていたことを指摘するとともに、その変化がおおむね明治末期から始まり、大正末に完了したことを示した。さらに、トンネルの覆工においては、組積造と場所打ちコンクリートの時代を橋渡しする材料としてコンクリートブロックが多用されていたことを見出した。

 本論文によって、これまで明確でなかった土木構造物における煉瓦の適用条件や意匠設計上の特徴などが体系的に明らかにされ、"げた歯"や"ねじりまんぽ"の技法など建築分野には見られないいくつかの特徴が指摘された。本論文で得られたこれらの知見は、煉瓦造による土木構造物を保守・管理する上で、その構造的特徴や施工時の規格など有用な情報を提供するものと言える。また、歴史的構造物の評価、保存、活用を行う上でも、本論文で指摘された事実はその指標となり得るものであり、歴史的意匠を前提とした景観設計や修景計画の策定にも資するものと考えられる。

審査要旨

 本論文は、「わが国における鉄道用煉瓦構造物の技術史的研究」と題し、全12章から構成されている。

 「第1章 序論」では、煉瓦に関する技術史的研究について、各分野におけるこれまでの研究事例をレヴューし、近代建築史や産業考古学などの分野に比べて土木分野における研究事例がきわめて少ないことを指摘している。こうした観点から、著者は土木分野における煉瓦の技術史を把握するためのフレームを提示し、鉄道用煉瓦構造物を対象としてその全国規模での実態調査を行うための方法論を示している。

 「第2章 鉄道用煉瓦の沿革に関する研究」では、わが国における鉄道用煉瓦の導入、普及過程について主として文献調査によってレビューし、初期の段階では工事現場の近傍に煉瓦工場を仮設して供給されていたものが、次第に大規模な工場などで生産された既製品を購入する形態へと変化する状況が明らかにされている。そして、煉瓦の生産と鉄道建設との関係について考察を行い、土木分野において煉瓦と鉄道の発展が密接な関わりを持っていたことが指摘されている。

 「第3章 鉄道用煉瓦の技術基準の変遷に関する研究」では、煉瓦の品質管理や施工管理を行うための技術基準類の整備状況について文献調査によって解明し、当初は各工事現場で適宜示方されていた技術基準が、年代とともに全国統一される過程が記述されている。また、全国規模で事業を展開した鉄道分野が、煉瓦の技術基準の整備に熱心に取組んできた事実が明らかにされ、これによって品質管理や施工管理の考え方が現場に浸透したことが考察されている。

 「第4章 煉瓦の寸法に関する研究」では、約1,500箇所におよぶ現地調査結果を基にクラスター分析を試み、地域や時代による煉瓦寸法の差が解明されている。技術史的観点に基づく煉瓦の寸法の分析は、すでに近代建築史の分野でも試みられているが、本論文のような膨大なデータ数を扱った研究事例はこれまでになく、特殊な寸法を持つ煉瓦の存在やその分布など、従来指摘されていなかった事実が明らかにされている。

 「第5章 煉瓦の組積法に関する研究」では、煉瓦の組積法について現地調査によって明らかにしており、各構造物ごとの組積法の特徴やその分布状況について述べている。その結果、イギリス積みが定位として用いられていたものの、アーチ構造物のアーチ部分については長手積みが用いられていることを指摘しているほか、一部の構造物にはフランス積みが用いられていることを見出し、近代建築史の分野でこれまで指摘されていた事実との比較が示されている。

 「第6章 組積造構造物の意匠に関する研究」では、煉瓦や石積みなどの組積造構造物に見られる意匠設計の特徴について、トンネル、アーチ橋、橋梁下部構造の3種類について分析がなされている。そして、これらは総じて質実剛健なデザインでまとめられいるものの、鉄道国有化以前の各私設鉄道の構造物には多様なデザインが用いられていることが指摘されている。

 「第7章 組積造構造物のディテールおよび特殊煉瓦に関する研究」では、組積造構造物に共通して見られる装飾的デザイン技法を抽出し、迫持の処理方法や装飾帯のデザイン、ポリクロミーによる模様など、様々な技法について分析がなされている。さらに、堅積みや異形煉瓦の使用、目地の技法など、これまでにほとんど指摘がなされていなかったディテールの技法についても言及されており、歴史的構造物の評価にあたっての着眼点が指摘されている。

 「第8章 "げた歯"の組積造に関する研究」では、北九州地方の鉄道用土木構造物に見られる"げた歯"構造をとりあげ、現地調査によってその根拠について考察を行っている。その結果、この構造が従来一部で指摘されていたようなデザインのためのものではなく、将来の複線化に備えてツナギをとるための技法であることが帰納法的に証明されている。

 「第9章 組積造による斜めアーチに関する研究」では、"ねじりまんぽ"と呼ばれる特殊な煉瓦構造に着目し、現地調査と文献調査の双方からその根拠について考察を行っている。その結果、この特殊な構造が斜めにアーチ橋を架けるために工夫された技法であることが証明されるとともに、この技法によらない斜めアーチ橋がいくつか存在する事実についても言及し、その適用条件の違いについても論じられている。

 「第10章 石造構造物に関する研究」では、煉瓦と同時期に用いられた石造構造物について、実態調査によってその特徴が明らかにされている。そして、石材が煉瓦と異なる点は、すでに伝統的技術としてわが国に存在していたため、西洋流の切石積みとわが国古来の間知石積みの間で見解の相違が生じ、結果的にその使い分けがなされるようになったことを指摘しており、受容姿勢に対して差が見られたことが示されている。

 「第11章 煉瓦構造物の衰退過程に関する研究」では、土木構造物の主要材料であった煉瓦が衰退し、コンクリート構造物へと移行する過程が明らかにされている。その結果、特にトンネルではアーチ部分へのコンクリートの打設が困難であったため、段階的に煉瓦からコンクリートへの移行が行われた事実を指摘し、過渡期の材料としてコンクリートブロックが多用されたことを見出しており、これまで明らかでなかった土木構造物におけるコンクリートの導入過程が明確にされている。

 「第12章 まとめ」では、本論文によって得られた知見を整理し、その意義や今後の課題が述べられている。さらに、煉瓦の導入がわが国の技術に与えた影響や、その受容姿勢などについても論じられている。

 以上のとおり、本論文は鉄道用煉瓦構造物の実態調査を通じて、土木分野における煉瓦の技術史的変遷やその特徴を体系化しており、従来、近代建築史などの分野において行われてきた既存の研究に対し、土木史の立場から著者独自の成果を提出したものである。特に2,800箇所に及ぶ全国調査の事例を基に詳細な分析を試みた例はこれまでに類例が無かったものであり、この点においても注目に値する研究である。本論文によって得られた成果は、現在行われている近代土木遺産の全国調査や、その評価に有益な情報を与えるものであり、歴史的構造物の保存や修景計画に対しても資するところが大きい。よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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