わが国の近代史において、煉瓦・石材を用いたいわゆる組積造による構造物は、コンクリート系材料が一般化する大正時代まで、約半世紀にわたって土木・建築用の構造部材としてその主流を占めていた。この間に建設された構造物の技術史的研究は、主として近代建築史の分野で行われ、土木分野ではほとんどなされていないのが現状であった。しかし、近年関心が高まりつつある歴史的土木構造物の保存・活用を推進するためにも、その全体像を把握しておくことは不可欠である。本論文ではこのような現状に鑑み、全国の鉄道路線に現存する煉瓦構造物(一部に石造を含む)約2,800箇所を対象として現地踏査を行い、構造的特徴を把握するとともに、文献調査等によってその変遷や設計思想に関する考察を行った。 本論文の視座、ならびに本論文によって新たに得られた主な知見は、下記の通りである。 1)本研究を行うにあたって既存の研究事例を調査した結果、これまでの煉瓦構造物に関する研究は大半が近代建築を対象としたものであり、土木構造物を対象としたものはごくわずかであった。建築分野では、煉瓦の導入過程やその生産技術の展開、煉瓦建築の現状などほぼその全貌が明らかにされており、これらの成果は近代建築の評価やその保存・活用に反映されている。こうした点から、本論文はわが国の土木分野における煉瓦構造物の技術史を初めて体系化する試みであり、歴史的遺産の保存・活用に寄与するものと考えられる。 2)煉瓦と鉄道はほぼ同時期にわが国に導入された西洋技術であり、その間には密接な関わりがあると考えられる。そこで、わが国における煉瓦材料の導入過程を概観した結果、鉄道建設の進展とともに各地に煉瓦工場が設立され、数多くの土木構造物に使用されたことが明らかとなった。特に、煉瓦製造の初期段階では、現場の近傍に煉瓦製造のための臨時の工場が設置される傾向が強がったが、その後、大量生産が可能になると企業化が進み、品質や価格の安定した煉瓦が鉄道輸送を通じて供給されるようになった。鉄道建設における煉瓦の需要は、製造者にとってまとまった量を継続的に見込むことのできる「得意先」であったと考えられ、煉瓦産業の発展と鉄道網の拡大は、煉瓦の生産、流通、消費といったあらゆる局面で関わり合いを保ちながら相互に発展を遂げたと判断される。 3)構造物の保守管理や修復などにおいて、建設当時の技術基準を把握することは重要であるが、こうした観点から鉄道における煉瓦の技術基準について文献調査を行った。その結果、初期に製造された煉瓦には、特に技術基準のようなものは設けられていなかったが、鉄道分野では明治20年代頃から寸法、外観および吸水量、圧縮強度、重量などによって規定されていたことが明らかとなった。これらの基準は幾多の改訂を経ながらも1925(大正14)年制定のJES(日本標準規格)へと継承され、鉄道分野における規格化がその先駆的役割を果たしていたことが示された。また、煉瓦の組積法も各構造物ごとに細かく規定され、組積法(積み方)や施工法など現場における施工管理の一端が明確となった。 4)煉瓦の寸法に時代差や地域差が見られることはすでに近代建築史の分野で指摘されているが、全国規模で網羅的に分析した事例はこれまでなかった。そこで全国の鉄道煉瓦構造物で測定した約1,500データについて、その寸法(長さ×幅×厚さ)を分析した結果、全国各地の煉瓦の寸法には微妙な差異が認められ、特に規格化が進んでいなかった明治期には様々な種類の寸法による煉瓦が用いられていたことが見出された。また、クラスタ分析に基づく分類の結果、このうちいくつかは顕著な地域性や年代の偏りを示し、各構造物ごとの煉瓦の製造者や流通経路、製造年を示す指標として用いることができる可能性が指摘された。 5)煉瓦の組積法についてはこれまで近代建築史における先駆的研究があったが、指摘された事実が土木構造物にもそのまま適用されるのかどうかは明らかではなかった。そこで、煉瓦構造物の組積法について現地調査を行った結果、最も一般的に用いられている組積法はイギリス積みであることが明らかとなった。また、静岡県下の東海道本線、関西本線沿線、熊本県下の鹿児島本線など一部の地域にはフランス積みによる構造物が顕著に見られた。小口積みは、東京駅とその前後の高架区間に顕著に見られる以外はほとんど例がなかったほか、長手積みは主としてアーチ構造物のアーチ部に用いられていることが明らかにされた。このほか、端部の仕上げ方法にいくつかの手法が見られることが見出されるなど、これまで建築分野でも指摘されていなかったいくつかの事実や相違点が明らかとなった。 6)歴史的構造物の意匠を把握しておくことは、その評価・復元や歴史的意匠に基づく景観設計などにとって重要である。そこで、煉瓦・石積みによる土木構造物の意匠について考察を行った結果、これらの構造物に対して様々なデザインが採用されていることが示された。また、各路線の最長または最大など記念碑的地位を持つ構造物、主要街道を跨いで建設された構造物に対しては、扁額の掲出や装飾的煉瓦積みの採用、石材との組合わせなど、特に意匠性を高める工夫がなされていたことが明らかとなった。この傾向は、難工事であったトンネルで特に顕著に見られたほか、都市部の構造物や人道として用いられるアーチ橋なとでは、人々の視線を意識した意匠上の工夫がなされていたことが指摘された。 7)煉瓦構造物の細部に見られるディテールを把握しておくことは、構造物のデザインを考える上で重要な要素である。そこで、ディテールに見られる装飾的技法や異形煉瓦などの特殊煉瓦の使用に着目し、各構造物の現地調査を行った結果、土木構造物に対しても蛇腹や矢筈積み、持ち送り積みといった装飾的技法が用いられていることが明らかとなった。また、構造物によっては異形煉瓦や釉薬煉瓦を使用することによって、より多彩なデザインを行うための工夫がなされていたことが示され、組積造の特徴を活かした技法の存在が明らかにされた。 8)北九州地区の鉄道構造物に顕著に見られる"げた歯"の技法は、これまでその存在理由について諸説があったが、どれも客観的考察に乏しいものであった。そこで、その存在理由について現地調査結果に基づいて考察し、一部で唱えられていたような意匠によるものではなく、将来の複線化に備えて既存の構造物と新しい構造物とに整合性を持たせるために設けられた継手構造であることを立証した。また、複線化された区間の構造物にも、かつてそれが"げた歯"で仕上げられていたであろう痕跡があることを指摘し、これによって開業時に建設された第1線側とその後の線増による第2線側との識別が可能となることを示した。 9)"げた歯"の技法と同様、その存在理由が充分に解明されていなかった"ねじりまんぽ"の技法に着目し、現地踏査および文献調査からその存在理由について考察を行った。その結果、この技法が斜めにアーチ橋を架ける際に工夫された特殊な技法であり、その技法にいくつかの種類が存在していたことが明らかとなった。また、現地踏査を行った結果、"ねじりまんぽ"によらない斜めアーチ橋が存在することを指摘し、その相違点について考察を加えた。さらに、海外での事例などからその源流について探り、その起源がアイルランドの運河橋梁またはフィレンツェの道路橋にあることを指摘した。 10)煉瓦構造物と共に用いられた石造構造物については、煉瓦との使用区分やその意匠上の特徴についてこれまで充分に明らかにされていなかった。そこで、その分布や構造的特徴について現地踏査および文献調査に基づいて考察を行った結果、比較的良質な石材が得られる地方や山間部の構造物にはより安価な石材が用いられ、平野部などで石材が得られない場合は煉瓦が優先的に用いられる傾向が認められた。また、石材の積み方や意匠設計にも煉瓦と同様に様々な工夫がなされていることを明らかにした。 11)煉瓦構造からコンクリート構造へ遷移する課程はこれまでにも近代建築史などの分野で研究事例があるが、本論文では鉄道用土木構造物でその転換がどのように行われたかを明らかにした。その結果、アーチ橋や橋梁下部構造のようなコンクリートの打設が容易な構造物や、トンネルの側壁などから段階的に適用されていたことが判明した。また、こうした過渡期に建設された構造物には煉瓦材料とコンクリート材料が混在して用いられていたことを指摘するとともに、その変化がおおむね明治末期から始まり、大正末に完了したことを示した。さらに、トンネルの覆工においては、組積造と場所打ちコンクリートの時代を橋渡しする材料としてコンクリートブロックが多用されていたことを見出した。 本論文によって、これまで明確でなかった土木構造物における煉瓦の適用条件や意匠設計上の特徴などが体系的に明らかにされ、"げた歯"や"ねじりまんぽ"の技法など建築分野には見られないいくつかの特徴が指摘された。本論文で得られたこれらの知見は、煉瓦造による土木構造物を保守・管理する上で、その構造的特徴や施工時の規格など有用な情報を提供するものと言える。また、歴史的構造物の評価、保存、活用を行う上でも、本論文で指摘された事実はその指標となり得るものであり、歴史的意匠を前提とした景観設計や修景計画の策定にも資するものと考えられる。 |