学位論文要旨



No 213977
著者(漢字) 上原,清
著者(英字)
著者(カナ) ウエハラ,キヨシ
標題(和) 市街地低層部における流れと拡散に及ぼす大気安定度の影響に関する実験的研究
標題(洋)
報告番号 213977
報告番号 乙13977
学位授与日 1998.09.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第13977号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 村上,周三
 東京大学 教授 小林,敏雄
 東京大学 教授 鎌田,元康
 東京大学 教授 坂本,雄三
 東京大学 助教授 加藤,信介
内容要旨

 近年の大都市部における窒素酸化物(Nox)や粒子状物質(SPM)による沿道の大気汚染は、自動車排ガス規制など種々の施策にもかかわらず、昭和60年度以降はむしろ悪化の傾向を示している。大都市における大気汚染の特徴は、市街地の高層化や道路の複層化など、高密度な空間利用による風通しの悪さによって自動車排ガスが滞留し、沿道大気汚染濃度が周辺市街地の濃度より数倍高くなる点にある。更に、大気安定度が市街地の地形影響を増幅し、あるいは弱めて現象を複雑化する。最適な都市計画のためには、市街地低層部の高濃度大気汚染発生メカニズムに対する地形および大気安定度の影響を明らかにする必要がある。

 しかしながら、市街地低層部の凹凸内部の流れ場、汚染濃度場を大気安定度の影響を含め、風洞実験等で詳細に調べた例はほとんどない。このような背景から、測定部内に任意の大気安定度を再現できる温度成層風洞においてレーザー流速計等を用い、自動車排ガスによる市街地沿道の大気汚染濃度と沿道建物や周辺市街地の空間構造との関連、大気安定度との関連、およびストリートキャニオン内部の流れと大気汚染物質の拡散の関連を詳細に調べた。本論文ではこれらの実験結果を中心に述べ、更にストリートキャニオン内部の濃度分布や平均濃度の簡易な推定法に関する提案を行った。本論文の結果は大気安定度の異なるストリートキャニオンにおける汚染物拡散の測定データーベースとして、また、汚染物濃度の推定法は今後の都市環境計画の基礎資料として整備されるものである。

 本論文の主な内容と構成は以下の通りである。

 第1章では「沿道大気汚染と市街地気流および大気安定度との関連」に関する研究の必要性と、既往の研究について概観した。

 第2章では、従来の風洞実験では経験しなかった、温度成層風洞を用いる際の問題、たとえば測定部内外の温度差、高温の気流による障害をはじめとして、高温環境下での可視化実験、拡散実験におけるトレーサーガスの排出方法、濃度分布の測定方法、レーザー流速計を用いる際の流れ場・温度場を乱さないシーディング手法等に関する検討結果を述べた。

 第3章では、市街地低層部における沿道大気汚染濃度分布の概略を把握するためにおこなった拡散実験の結果を示す。通常の幹線道路沿道よりも高濃度が予想される交差点を中心に、数ブロックの街区全体を含む比較的広い範囲の濃度分布と、交差点近傍の建物に囲まれた道路内部の濃度分布を細かく調べる実験の2段階に分け、それぞれに対する街区の高さ、風向、近傍の建物の影響などを調べた。その結果、道路を中心とした広い範囲における平均的な市街地の濃度分布に対しては、第1に建物による凹凸よりも横の広がりが大きいために濃度分布は全体として単調であること。第2に高濃度は交差点など、汚染の発生源を中心とした比較的狭い範囲に発生し、交差点や幹線道路からの距離に反比例して濃度が減少することがわかった。これに対し、交差点や沿道の濃度分布は場所による濃度の差が大きく、近傍の建物のつくりだす複雑な気流分布の影響を受け、交差点内部とほぼ同じ程度の高濃度が一般の幹線沿道の建物周辺にも生じることがわかった。

 こうした濃度の分布はストリートキャニオン内部の流れによる汚染の移流拡散の結果生じるものである。しかし従来から用いられてきた計測手法によってはストリートキャニオン内部の複雑な流れ場の測定は非常に難しく、さらにそれが温度成層流である場合にはほとんど不可能であった。

 第4章では、こうした複雑なストリートキャニオン内部の流れ場と温度場を、レーザードップラー流速計(LDV)と冷線温度計(コールドワイア)によって測定した結果を示す。実験には温度成層風洞を用い、大気安定度や道路幅による流れ場の変化を調べた。その結果、ストリートキャニオン内部には地上で逆流する向きの大きな渦を生じ、風速や乱流統計量の分布は大気安定度の影響を強く受けること。建物高さと道路幅の比が、一般の市街地におけるそれとほぼ等しい1:1〜1:2のときに最も強い渦が形成されることなどがわかり、こうしたストリートキャニオン内部の流れが汚染物質の拡散に大きな影響を与えていることが明らかになった。

 第5章では前章の結果を受け、トレーサー実験によってストリートキャニオン内部における濃度分布を種々の大気安定条件の下で調べ、流れ場や大気安定度と汚染の拡散構造の関連を明らかにした。その結果ストリートキャニオン内の濃度は大気の温度成層条件が安定ほど高く、不安定で低くなること。その増減は大気安定度によらずストリートキャニオン上端の風速の変化に対応していること。Jonsonnらによって提案されたストリートキャニオンモデル中で、経験常数として用いられている係数を、流れ場の測定値から得られる風速比や、乱れ強さから推定し、それらを用いることによって種々の大気安定度におけるストリートキャニオン内部の濃度分布が実用精度で予測可能なことを示した。

 第6章では、各章で得られた知見をまとめ総括的な結論を述べた。

審査要旨

 本研究は温度成層風洞を用い、市街地低層部の気流と大気汚染物質の拡散およびそれらに対する大気安定度の影響を実験的に調べることによって、都市内部における大気汚染物質の拡散メカニズムを明らかにし、汚染物質濃度の簡易予測手法について検討を行ったものである。

 建築・都市環境工学分野における、いわゆる都市キャノピー層内部の流れ場、温度場は、これを構成する現象が複雑なため屋外観測によっても風洞実験によってもこれを解明する事は容易ではない。また、大気安定度の影響を調べようとすれば温度影響をも考慮しなければならない。これらの理由から都市キャノピー層内部の流れ場、温度場を精度良く測定し、分析した例は極めて少ない。

 本論文は、三次元のレーザー流速計と冷線温度計を用いた同時計測によって都市キャノピー層内部の流れ場と温度場を精密に測定し、さらにトレーサー実験によって大気汚染物質の拡散を調べ、流れ場と濃度場の関連を明らかにすると共に、簡易予測手法開発のための貴重な基礎資料を得ている。

 本論文の構成は第一章の序章、温度成層風洞における実験手法の検討結果を解説した第二章、都市模型を用いた流れと拡散に関する実験結果を述べた第三章から第五章、第六章のまとめと全六章からなる。

 第一章では、まず序論として本研究の目的と概要が述べられている。

 第二章では、実験装置としての歴史が浅い温度成層風洞による実験上の問題点をはじめとして、可視化実験、拡散実験におけるトレーサーガスの排出方法、濃度分布の測定方法、レーザー流速計による風速測定方法等に関する新しい検討結果について述べている。

 第三章では、道路近傍の大気汚染濃度分布を実市街地における濃度観測および実市街地の縮尺模型や単純形状の市街地模型を用いた風洞実験によって調べている。その結果、市街地における実測からは沿道大気汚染濃度が大気安定度の影響を強く受ける事を、風洞実験からは交差点内部や幹線道路近傍での濃度が高いほかに、建物に囲まれたいわゆるストリートキャニオン内部特有の流れ場に原因する高濃度が道路空間に生じ易い事を指摘している。

 第四章では、従来からある計測手法によってはほとんど不可能であったストリートキャニオン内部の流れ場と温度場をレーザードップラー流速計と冷線温度計によって精密に測定している。その結果、ストリートキャニオン内部には上空の流れとは逆向きの大きな渦を生じ、風速や乱流統計量の分布は大気安定度の影響を強く受けること、建物高さと道路幅の比が一般の市街地におけるそれとほぼ等しい1:1〜1:2のときに最も強い渦が形成されることなどを明らかにし、こうしたストリートキャニオン内部の流れが汚染物質の拡散に大きな影響を与えていることを示している。

 第五章では、トレーサー実験によってストリートキャニオン内部における濃度分布を種々の大気安定条件の下で調べている。その結果、ストリートキャニオン内の濃度は大気の温度成層条件が安定ほど高く不安定で低くなること、その増減は安定の場合においても不安定の場合においてもストリートキャニオン上端の風速の変化に対応していることを明らかにしている。さらに流れ場の測定から得られた情報を用いてJohnsonらの提案したストリートキャニオン内の濃度予測モデルを発展させ、種々の大気安定度条件に対しても濃度場を簡易に予測できる手法を提示している。

 第六章では、全体のまとめを行っており、本研究の成果と今後の課題が総括されている。

 以上を要約するに、本論文では都市キャノピー層内の大気汚染物質の流れと拡散を温度成層風洞を用いた実験によって調べ、拡散メカニズムを明らかにしている。これにより、市街地における沿道大気汚染の特徴や問題点、濃度予測手法、今後の研究の方向性、発展性が示唆されている。

 本研究成果は、建築・都市環境工学における物理環境予測手法を大いに発展させたものであると同時に数値シミュレーションによる流れ場、濃度場の予測結果検証のためのデータベースとしても活用され、今後のシミュレーション技術の改良に資するものである。これらの成果は機械工学、環境工学、物理学、気象学など理工学他分野でも幅広く利用され、その波及効果は極めて大きいものといえる。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51086