学位論文要旨



No 213979
著者(漢字) 濱口,哲也
著者(英字)
著者(カナ) ハマグチ,テツヤ
標題(和) 磁気ディスク・スライダ間の接触負荷低減設計に関する研究
標題(洋)
報告番号 213979
報告番号 乙13979
学位授与日 1998.09.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第13979号
研究科 工学系研究科
専攻 産業機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 畑村,洋太郎
 東京大学 教授 田中,正人
 東京大学 助教授 金子,成彦
 東京大学 助教授 中尾,政之
 東京大学 教授 板生,清
内容要旨 1.はじめに

 磁気ディスク装置の高記録密度化のためには、空気浮上スライダの浮上量の狭小化、ディスクの平滑化、ロード/アンロード機構の採用などの手段が必須である。しかしこれらはそれぞれ、ディスク・スライダ間の衝突力増大、摩擦力増大、動的接触の発生という問題を生じ、ディスク・スライダ間の接触・摺動に関する信頼性を低下させる可能性がある。なお本論文では、ディスクとスライダとの接触によって生じ、ディスクを摩耗させる原因となる接触力や摩擦力などの力学的物理量を"接触負荷"と称する。本研究は、上記手段を用いた高記録密度化と信頼性向上とを両立する設計(これを接触負荷低減設計と称する)を提案してその設計指針を明確にし、接触負荷低減設計指針の有効性を検証することを目的とした。なお信頼性は、接触負荷の他に、それに耐えようとする耐摩耗性、装置の使用環境により決定されるので、信頼性を定量的に設計するのは困難である。そこで接触負荷低減設計は、すでに信頼性に実績のある装置(基準とする装置)よりもさらに信頼性を向上しながら高記録密度化を行うという比較設計とした。

 本設計論を展開するために、(1)主たる設計対象の機能、両立すべき機能および制約条件を設定する、(2)接触・摺動の4つの形態(Contact Start Stop(CSS)動作時、ロード/アンロード(L/UL)動作時、スライダ浮上状態、装置運転停止状態)ごとに接触現象を解明、接触負荷を測定し(1)(2)(3)、接触負荷を低減する設計パラメータを明確化する、(3)接触負荷低減と高記録密度化とで干渉する設計パラメータについて、それを両立する接触負荷低減設計指針を考察する、(4)得られた接触負荷低減設計指針を実際の磁気ディスク装置に適用しその有効性を検証する、という手順で主に実験的アプローチにより研究を行った。

2.設計対象の機能、両立すべき機能および制約条件

 主たる設計対象の機能は接触負荷を低減することであるが、これに対立することが予想される機能もある程度設計の範囲に入れておく必要がある。これを"両立すべき機能"と呼び、本設計の場合、これは高記録密度化のためのスライダの浮上性能向上である。具体的には、浮上量狭小化および浮上追従性能向上であり、これらをどのように設計して接触負荷低減と両立するかも本設計の範囲となる。次に接触負荷低減と対立することが予想されるがそれが必須であるために設計変更できないという類のものを"制約条件"と呼ぶ。本設計の場合、高記録密度化のためのディスク面平滑化、耐摩耗性向上のために潤滑剤を用いること、低価格化のためにある程度の製作・組立誤差を許容し、システムや構造の大幅な変更をしないこと、などを制約条件とした。

3.接触現象の解明および接触負荷の測定3-1.Contact Start Stop(CSS)動作

 潤滑剤を用いることで摩擦力は増大する。摩擦力増大によって生じる支配的な接触負荷は固体接触回数である。スライダが前傾姿勢になること、スライダの弾性変形固有振動数fsに起因するスティックスリップ現象が生じることで固体接触回数は増大する。接触現象の模式図を図1に、fsを定式化して表1に示す。固体接触回数低減にはfsの高域化が有効である。

3-2.ロード/アンロード(L/UL)動作

 サスペンションの加工・組立誤差により、スライダがディスク面に対して傾いた姿勢で接近・離脱してディスクと接触する。接触現象の模式図を図2に示す。この時の接触負荷である相当力積は接触時間に比例し、接触時間を定式化して表1に示す。

3-3.浮上状態

 浮上状態のスライダ・ディスク間の衝突力を測定する方法を開発し、衝突力を力積の形で定量化した。Z(ディスク面に垂直)方向の衝突力積Qzは空気膜剛性に対し線形である(図3)。

3-4.装置運転停止状態

 運転停止状態の装置が外部から加振されてディスク・スライダ間に微小相対振動が生じ、ディスクが摩耗するという、いわゆるフレッティング摩耗の問題を研究対象とした。この微小相対振動を測定する方法を考案し、振幅倍率の形で定量化した。その結果から、この問題はロック機構やロード/アンロード方式の採用という、上位システムでの解決が最も望ましいことが分った。

図表図1 CSS寿命を支配する接触現象 図2 サスペンションの加工・組立誤差によって生じる接触現象図3 Qzと空気膜剛性の関係表1 接触現象および接触負荷低減と高記録密度化の設計パラメータ
4.接触負荷低減設計指針

 これまで述べてきた接触現象、接触負荷の関係式とその低減のために設計パラメータを操作すべき方向、その操作が接触負荷を低減する効果、接触負荷低減と高記録密度化のための浮上設計とで干渉する設計パラメータをまとめて表1に示す。最右欄の干渉するパラメータの欄に"なし"と記したパラメータは、そのまま接触負荷低減設計指針となる。つまり、その設計パラメータは高記録密度化とは干渉しないので、表に示した方向に設計すれば高記録密度化とは無関係に接触負荷が低減される。

 スライダ荷重W、スライダ等価質量m、浮上量h、空気膜剛性k(≒2W/h)に関わる設計パラメータは高記録密度化と干渉する。考察の結果、(1)式を満たすように設計することが接触負荷低減設計指針となり、これにより高記録密度化、すなわち浮上量狭小化および浮上追従性能向上と、接触負荷低減が両立する。

 

 但し、

 スライダ荷重比:We=W2/W1

 浮上量比:H=h2/h1 添字1:基準とする装置における値(基準値)

 スライダ等価質量比:M=m2/m1 添字2:設計する装置における値(設計値)

 (1)式の意味は、We/Hが1より小さいことが空気膜剛性が小さくなり接触負荷が低減されたことを表し、We/HがMより大きいことが浮上追従性能が向上したことを表す。(1)式を成立させるためにはスライダ等価質量を低減することが最も重要であることが分かる。

5.接触負荷低減設計指針の検証と次世代磁気ディスク装置への応用

 近年実用化された装置は、浮上量を狭小化し高記録密度化を達成しながらも故障率は減少している。この事実をもとに接触負荷低減設計指針を検証したのが図4である。薄膜磁気ディスクが実用化された最初の装置であるとともに、スライダの小形化が急激に進展し始めた装置として、1988年に実用化された浮上量150nmの装置を信頼性の基準とした。図4より浮上量130nmの装置で、(1)式を満たさなくなり、浮上追従性能が一旦低下したが、その後は(1)式の関係を満たしていることが分かる。前述したとおり、この関係を満たすために最近の10年間でスライダの小形化が突出して進み、スライダ長は4mmから1.2mmへと小形化された。

 今後数年間は現行の浮上スライダ方式は変更されないことが予想される。その場合、本設計指針が有効で、スライダ等価質量の低減が最重要課題となるが、スライダの小形化は生産技術上限界にきている。図5にスライダ等価質量に占めるサスペンション等価質量の割合を示す。その割合は当初3割程度であったが、スライダが小形・軽量化された結果、現在では9割にも達している。したがって、今後のスライダ等価質量低減にはスライダの小形化は効果が少なく、サスペンションの軽量化が重要かつ効果的である。そこで、加工・組立誤差低減を含む生産技術やコストの問題をも考慮すると、配線一体形の樹脂製射出成形サスペンションの開発が重要であると考える。

図4 We/HとMの変遷図5 スライダ等価質量に占めるサスペンション等価質量の割合
6.おわりに

 接触負荷低減設計を提案して設計指針を明確にし、その有効性を検証した。この結果、1988年〜1998年の10年間に生じた磁気ディスク装置の急激な発達の特徴を捉え、そこで本設計指針が有効であったこと、および次世代の磁気ディスク装置で重要となる技術等を明らかにした。

 本研究を進めるにあたり、東京大学工学部の畑村洋太郎教授、中尾政之助教授に入念なご指導を頂いた。深く謝意を申し上げます。

7.参考文献(1)濱口,松本,スパッタディスクにおけるCSS時のヘッド/ディスク接触現象の解析、日本機械学会第67期全国大会講演会講演概要集,492頁〜493頁.(2)T.Hamaguchi,M.Matsumoto,Measurement of Impulsive Forces Arising from Fliying Head/Disk Collision in Magnetic Disk Storage Systems,JSME International Journal,Series III,Vol.33,No.1,1990,p.29-p.34.(3)濱口,渡辺,清水,ランプロード式磁気ディスク装置におけるロード/アンロード時のスライダとディスクの接触現象,日本機械学会第74期通常総会講演会講演論文集(IV),376頁〜377頁.
審査要旨

 本論文は、「磁気ディスク・スライダ間の接触負荷低減設計に関する研究」と題し、9章からなっている。

 信頼性設計に関する分野であり、磁気ディスク装置の信頼性設計においては、信頼性向上と記録密度向上とを両立させることが重要である。

 本論文は信頼性向上の手法の中で、ディスクとスライダとの接触時に働く力学的な負荷、すなわち接触負荷に着目し、接触負荷を低減しながら記録密度を向上する設計方法について、設計論の考察、接触負荷の測定と解析、設計指針の提案と検証を行ったものである。

 第1章「序論」では、まず現在の信頼性向上設計の手法とその問題点を述べている。その中で、信頼性向上設計には、接触負荷低減設計と耐摩耗性向上設計があるが、従来はこれらがはっきり区別されておらず、結果として不明確な接触負荷のもとでディスクの耐摩耗性向上ばかりが行われてきたことを説明している。次に、この問題をさらに明確にするために、従来の研究を参照しながら、ディスク・スライダ間接触の4つの形態ごとに、本研究で解明すべき接触現象や測定すべき接触負荷を述べている。

 以上の動機付けの次に、本研究の目的が、接触負荷低減設計指針を提案し、その有効性を検証して将来の設計に役立てることであると述べ、研究の位置づけとして、研究の対象や設計指針の適用範囲をも明確に記述している。次に本研究の特徴が、設計思想、工業化、測定技術と解析結果にあることを述べ、その次に本論文の構成を述べている。構成に関して、本研究が対象とする現象や技術、および年代の範囲が広いために論文を設計論で整理したこと、そのために大きな特徴であるにもかかわらず測定技術を付録に配置したことを特筆している。

 第2章「接触負荷低減設計の提言」では、本論文の骨子となる設計論を述べている。まず問題を広く捉え、情報記録装置に要求される機能とそれを実現する機構を論じてる。多くの情報機器が共通の原理や課題のもとでそれぞれが特徴的な機能を実現しており、従って本研究の成果が磁気ディスク装置に留まるものではないことを示唆している。

 接触負荷低減の機能を主たる設計対象の機能とし、それと対立することが予想される記録密度向上の機能を両立すべき機能として、これらの2つの機能を設計の範囲に設定している。さらに、抵触してはならない機能としてディスクの耐摩耗性向上の機能、また工業的に非常に重要である低価格化や構造の簡素化の機能を制約条件として設定している。

 ここで、設計の名称は接触負荷低減設計であるが、その内容は上述のように、制約条件のもとで接触負荷低減と記録密度向上を両立する設計であることを特筆している。以下、第3章から第6章はディスク・スライダ間接触の形態ごとに、接触現象の解明、接触負荷の測定の結果を説明している。

 第3章「CSS動作時の接触現象の解明」では、装置の起動・停止の方式のひとつであるCSS:Contact Start Stop動作時の、ディスク・スライダ間の接触現象を、開発した浮上量センサ、摩擦力センサ、接触センサを用いた実験と、有限要素法を用いた計算により詳細に解析している。その結果、CSS寿命を支配する接触現象は、ディスクとスライダの固体接触現象であり、この時の接触負荷つまり、固体接触の接触回数や接触強度はスライダの弾性変形固有振動に起因するスティックスリップ現象によって増大することを解明している。さらに、スライダの弾性変形固有振動数を定式化し、接触負荷低減つまり、スティックスリップ現象を緩和するにはスライダの弾性変形固有振動数の高域化が有効であり、そのためにスライダ材料の比剛性向上とスライダサイズの小形化が有効であることを解明している。

 第4章「ランプ式ロード/アンロード動作時の接触現象の解明」では、装置の起動・停止のもうひとつの方式であるロード/アンロード動作時の、ディスク・スライダ間の接触現象を、実験と計算により詳細に解析している。その結果、サスペンションの姿勢角誤差が原因となり接触を生じること、この時の接触負荷である相当力積が接触時間に比例することを明らかにし、その接触時間を定式化してロード/アンロード動作時の接触のメカニズムを解明している。さらに、接触負荷低減には、スライダの小形化などが有効であると述べている。

 第5章「浮上状態における衝突力の測定」では、これまで測定が困難とされてきた、浮上状態のスライダとディスクが衝突した際の衝突力を、逆問題法を応用して測定する手法を開発している。この測定法は、衝突直後のスライダの運動と、伝達される力に関して、実測波形と理論波形をフィッティングして、元の衝撃入力を逆演算で求める方法であり、衝突時の2方向の衝突力を測定している。その結果、この時の接触負荷である衝突力積は、スライダが浮上している時の空気膜剛性に線形であることを解明している。接触負荷低減には、空気膜剛性を低減する必要があるが、これは記録密度向上の要求と干渉するので、第7章で考察するとしている。

 第6章「装置運転停止状態における微小振動振幅の測定」では、運転停止状態の磁気ディスク装置が外部から加振された場合、ディスクとスライダとが微小振幅で往復摺動し、それによってフレッティング摩耗が生じるという現象を対象にしている。本研究以前の基礎実験において、ディスクの寿命が振動振幅に反比例することは解明されており、ここではこの場合の接触負荷であり、従来測定が困難であった、実機状態でのディスク・スライダ間の微小振動振幅の測定に重点をおいている。スピンドルモータとボイスコイルモータを発電機として利用し、これらに生じる起電力を積分して振動を測定する手法を開発している。測定の結果、振動現象は解明されたが、防振などの振動工学的手法では仕様を満足するように振幅を低減するのは困難であることを述べている。そこで、ロック機構やロード/アンロード方式の採用など、上位システムで解決することが有効であるという工業的に有益な知見を示している。

 第7章「接触負荷低減設計指針の提案」では、第3章から第6章で説明した接触現象解明あるいは接触負荷測定の結果、得られた接触負荷低減方法を整理し、特に接触負荷低減と記録密度向上とで干渉する設計パラメータについて、これらを両立する設計方法を論じている。その結果、接触負荷低減と記録密度向上を両立する設計指針、つまり接触負荷低減設計指針は次の式が成立するように設計することであると述べている。

 213979f02.gif

 但し、

 スライダ荷重比:We=W2/W1

 浮上量比:H=h2/h1添字1:基準とする装置における値(基準値)

 スライダ等価質量比:M=m2/m1添字2:設計する装置における値(設計値)

 この関係式は、近年生じた磁気ディスク装置の急激な発達の特徴を明確に表し、今後も重要な設計指針となる関係式であることが第8章で検証される。

 第8章「接触負荷低減設計指針の検証と応用」では、これまで実際の磁気ディスク装置が上記関係式を満たすことで信頼性向上と記録密度向上を実現してきたことを検証している。また上記関係式を満たすために、最近の10年間でスライダの小形・軽量化という手段だけが突出して進展してきたこと、この手段が生産技術からもはや限界にきていることを明確に示している。そこで、本設計指針の次世代磁気ディスク装置への応用として、サスペンションの小形・軽量化が重要であり、その生産技術の限界をも超えるためには、樹脂製射出成形のサスペンション製造技術が重要であると述べている。

 第9章「結論」では本研究で得られた結果をまとめて述べている。

 以上のように本論文は、磁気ディスク装置の信頼性向上の手法の中で、ディスク・スライダ間の接触負荷低減に着目した特徴的な設計思想、高度な測定技術により接触現象を解明した点、接触負荷を低減しながら記録密度を向上する設計方法について、設計論の考察、設計指針の提案と検証が十分に行われている点、また多くの実機設計の実績を積んでいる点から、機械工学、特に設計工学の発展に寄与するところが大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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