学位論文要旨



No 213995
著者(漢字) 水嶋,一樹
著者(英字)
著者(カナ) ミズシマ,カズキ
標題(和) 原子レベルのシミュレーションによるシリコンの結晶安定性と表面成長に関する研究
標題(洋) Atomistic Simulation Study on Crystal Stability and Surface Growth of Silicon
報告番号 213995
報告番号 乙13995
学位授与日 1998.09.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第13995号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩田,修一
 東京大学 教授 矢川,元基
 東京大学 教授 西永,頌
 東京大学 教授 塚田,捷
 東京大学 助教授 関村,直人
 東京大学 助教授 常行,真司
内容要旨

 本論文は、シリコン結晶の応力に対する安定性とSi(001)表面のホモエピタキシャル成長における水素の影響について、分子動力学法とカイネティックモンテカルロ法で調べた結果をまとめたものである。

 計算機の演算速度の飛躍的な向上や計算手法の進歩により、計算機支援による材料設計に対する期待が高まっている。その方法としては、データベースによるアプローチに加え、第一原理計算等の理論計算からのアプローチが重要な方法として認識されるようになった。ただし、現在の計算機の能力は、第一原理計算のみで材料設計を行うには不十分であり、材料設計を達成するためには、理論計算の各手法を適用する新たな方法論が必要とされている。その方法論としては、取り扱いが可能な系の大きさや時間スケールが異なる手法やモデルを連携させながら応用することが重要であると考えられる。その連携においては、特に、原子レベルやメソスコピックと呼ばれるレベルでのシミュレーション技術が重要な役割を担うと考えられる。そこで、本論文では、原子レベルのシミュレーション手法が材料設計・プロセス設計において果たす役割について検討し、特に、分子動力学法とカイネティックモンテカルロ法について具体的なモデルの開発と応用研究を行った結果をまとめた。

 本論文では、(i)原子レベルの構造とバルク材料の機械的な安定性の関係を解析する方法を開発することと、(ii)表面成長プロセスのパラメータと表面構造との関係を解析するシミュレーションモデルを開発することを目的とした。

 本論文の第1章では、以上のような研究の背景と目的を述べた。また、第2章では、原子レベルのシミュレーション手法について概説し、その適応範囲について検討した。第3章以降については、以下に章をおって要約する。

 第3章では、分子動力学法により、シリコン結晶の圧力下での結晶安定性と-Sn構造への相転移の転移圧力を支配している機構について調べた結果をまとめた。

 本研究では、Tersoffポテンシャルを用いたモデルに対して、(1)熱力学に基づく相転移の条件,(2)弾性論に基づく結晶安定性の条件,(3)弾性論に基づく結晶安定性の条件を歪みを考慮して一般化した条件,(4)フォノンモードに基づく格子安定性の条件、をそれぞれ適用し、相転移が起こる圧力を予測した。また、分子動力学シミュレーションを行った。その結果、熱力学条件により予測される転移圧力が第一原理計算や実験の報告値とよく一致していることと、一般化した弾性条件やフォノンモードの条件で予測される転移圧力と分子動力学シミュレーションの結果がよく一致することが分かった。しかし、一般化した弾性条件や分子動力学シミュレーションでは、転移圧力を著しく高く予測してしまうことが分かった。そして、転移による構造の変化が一様に起こると仮定して活性化エネルギーバリアを求め、両者の違いをそのエネルギーバリアで矛盾なく説明できることを示した。

 これらの計算結果から、一般化した弾性条件は欠陥の無い理想的な系を仮定した場合に対応した転移圧力の最大値を与え、一方、熱力学条件は、欠陥を含む系で不均一な構造変化が起こりうる場合に対応した転移圧力の最低値を与えると考えた。欠陥を導入した系の分子動力学シミュレーションでは、欠陥の無い場合に比べ転移圧力が著しく低下することを確認し、その考えを支持する結果を得た。相転移における結晶の変形モードとその結晶が不安定になった条件との相関から、一般化した弾性条件により、不安定になった結晶がどのように変形するかを予測できる可能性があることも示した。

 第4章では、カイネティックモンテカルロ法により、Si(001)表面のMBE成長の核形成における水素の影響について調べた結果をまとめた。

 MBEによるSi(001)表面のホモエピタキシャル成長で、あらかじめ表面にごく少量の水素を堆積しておくと核形成密度が著しく増加し、しかも、島成長の非等方性が抑制される実験結果が報告された。そこで、シリコンと水素の2種類の要素からなる新規のSolid-on-Solidモデルを構築し、その機構を調べた。モデルでは、シリコンの表面拡散のエネルギーバリアを基板からの寄与と横方向の隣接シリコン原子からの寄与,ダイマー形成による寄与の和として表現し、まず、シリコンのみのモデルで島密度の温度依存性と表面モフォロジーの実験結果を再現できるパラメータを決定した。次に、400〜600Kの温度範囲で、水素とシリコンの様々な相互作用を仮定しながら、水素を堆積した後にシリコンの成長を行うシミュレーションを行った。

 その結果、隣接水素によりシリコンの表面拡散が抑制されるモデルで島密度の増加を説明することができるが、このモデルでは、水素が島密度を増加させる効果が温度の上昇とともに小さくなり550K付近でその効果がみられなくなる実験事実を説明できないことが分かった。そこで、シリコンの島のエッジに水素が吸着する効果と、吸着した水素と拡散してきたシリコンが位置を入れ替える交換反応を加えたモデルを提案し、このモデルで水素の効果の温度依存性を定量的に再現できることや表面モフォロジーの実験結果をよく再現できることを示した。

 第5章では、カイネティックモンテカルロ法により、ジシラン(Si2H6)を原料ガスとするSi(001)表面のガスソースMBE成長における水素の影響について調べた結果をまとめた。

 ジシラン等のガスソースを用いるMBE成長では、ソースガスから供給される水素が成長に及ぼす影響を考慮する必要がある。そこで、4種類の原子,分子(Si,H,SiH2,SiH3)を要素とする新規のSolid-on-Solidモデルを構築し、水素が表面成長に及ぼす影響について調べた。構築したモデルでは、ジシランが分解してシリコンが結晶に取り込まれ、水素が分子として脱離するまでの反応経路として4つの化学反応を考慮した。そして、それぞれ化学反応の過程で生成する4種類の原子,分子の表面拡散を考慮した。シミュレーション計算は、300〜600℃の温度範囲で行い、主に、シリコンのみを要素とした固体ソースMBEのモデルとの比較を行った。また、初期表面が平坦な場合と微斜面の場合の比較を行った。

 計算の結果、400℃以下の温度域では、ステップエッジでの水素の脱離が律速し成長が抑制される効果が予測された。一方、600℃以上の温度域では、水素は速やかに脱離し、水素が影響しない成長が予測された。400〜600℃の温度範囲では、温度に応じた表面水素の蓄積が見られ、高密度な島形成とステップ成長端の乱れ、及び、成長の非等方性の抑制が予測された。これらは、水素による成長フロント、特に、SBステップエッジのブロッキング効果と解釈できることを示した。

 第6章では、以上の結果をまとめるとともに、その工学的な応用や更なるモデルの開発の可能性について述べた。つづいて、第7章では、本論文の結論を述べた。すなわち、分子動力学シミュレーションによる研究では、

 (1)一般化した弾性条件でシリコン結晶の圧力誘起相転移の最大圧力を予測でき、その予測は分子動力学シミュレーションと一致することを示した。

 (2)相転移での結晶の変形の仕方とその結晶が不安定になった条件の間に相関を見つけ、一般化した弾性条件で、結晶がどのように変形するかを予測できる可能性を示した。

 (3)欠陥を導入した系の分子動力学シミュレーションで転移圧力が著しく低下することを示し、欠陥を考慮したモデルの開発の重要性を示した。

 カイネティックモンテカルロシミュレーションによる研究では、

 (1)実験で観察された水素堆積量および温度に依存した島密度とモフォロジーの変化は、島のSBエッジにおけるHとSiの交換反応を考慮したモデルで再現できることを示した。

 (2)ジシランを原料としたガスソースMBEにおいて、特に、400〜600℃の温度範囲では、水素によるSBステップエッジのブロッキング効果で、高密度な島形成とステップ成長端の乱れ、および、成長の非等方性の抑制が起こることを示した。

 (3)開発したモデルは、水素を含むプロセスの最適化に活用でき、水素による自己組織化現象の制御や、ヘテロ界面の原子配列の制御プロセスの開発にも役立つと考えられる。

 (4)複数の原子,分子を要素とし、しかも化学反応を取り込んだカイネティックモンテカルロモデルを構築し、そのモデルの有用性を示した。構築したモデルは、化学気相堆積法(CVD)等の実用的なプロセスのモデル化や最適化に結びつくものと考えられれる。

 材料設計の観点においては、取り扱いが可能な系の大きさや時間スケールが異なる手法やモデルを連携させながら応用する手法を確立していくうえで、特に原子レベルのシミュレーションを中心としたモデル間の連携や実験との連携について、その有用性と重要性、また、今後の開発の必要性を示した。

審査要旨

 本論文は、Si結晶の応力に対する安定性とSi(001)表面のホモエピタキシャル成長における水素の影響について、分子動力学法とカイネティックモンテカルロ法で調べた結果をまとめたもので、6章から構成されており、その概要は以下の通りである。

 第1章では、計算科学および情報科学的手法の材料設計への応用についての研究の背景と全体像について提示し、研究目的を述べている。計算機の能力が飛躍的に向上しているが、それでも第一原理計算のみで材料設計を行うには不十分であり、材料設計を達成するためには原子レベルのシミュレーションの各手法を実験結果と関係付けながら相補的に適用する新たな方法論の構築が必要であることを示し、本論文では、(i)原子レベルの構造とバルク材料の機械的な性質の関係を予測する方法を開発すること、(ii)表面の気相成長プロセスのパラメータと薄膜の表面構造との関係を解析するシミュレーションモデルを構築することを通して、原子レベルのシミュレーション手法の材料開発への応用研究を位置付けている。第2章では、本論文で対象とした原子レベルのシミュレーション手法について槻説し、その適用範囲について検討している。

 第3章では、分子動力学法により、シリコン結晶の圧力下での結晶安定性と-Sn構造への構造転移の転移圧力を支配している機構について調べた結果をまとめている。Tersoffポテンシヤルを用いたモデルに対して、(1)熱力学に基づく相転移の条件,(2)弾性論に基づく結晶安定性の条件,(3)従来の弾性論に基づく結晶安定性の条件に歪みを考慮して一般化した条件,(4)フォノンモードに基づく格子安定性の条件、をそれぞれ適用し、構造転移が起こる圧力を予測している。また、分子動力学シミュレーションを行い、転移圧力と等の計算結果から、一般化した弾性論の条件は、欠陥のない理想的な系を坂定した場合に対応した転移圧力の最大値を与え、一方、熱力学条件は、欠陥を含む系で不均一な構造変化が起こりうる場合に対応した転移圧力の最低値を与えると考え、欠陥を導入した系での分子動力学シミュレーションでは、欠陥の無い場合に比べ転移圧力が著しく低下することを確認し、両者の違いを活性化エネルギーバリアの計算により説明している。以上の研究により、圧力に対する結晶の安定性、相転移圧力の予測手法の基本的枠組を提示し、原子レベルの構造と結晶の安定性の関係を解析する方法としての分子動力学的シミュレーションの有用性を示している。

 第4章では、カイネティックモンテカルロ法により、Si(001)のホモエピタキシャル成長の核形成における水素の影響について調べた結果をまとめて紹介している。シリコンと水素の2種類の要素からなる新規のSolid-On-Solidモデルを構築し、シリコンの表面拡散のエネルギーバリアを基板からの寄与と横方向の隣接シリコン原子からの寄与、ダイマー形成による寄与の和、シリコンの島のエッジに水素が吸着する効果、吸着した水素と拡散しているシリコンが位置を入れ替える交換反応を加えたモデルを提案し、水素の効果の温度依存性を定量的に再現できることや表面モフォロジーの実験結果をよく再現できることを示している。第5章では、同様のカイネティックモンテカルロ法により、ジシラン(Si2H6)からのSi(001)面のガスソースによるホモエピタキシャル成長における水素の影響について調べた結果をまとめている。計算の結果、実験に先行して、400℃以下の温度範囲ではステップエッジでの水素の脱離が律速し成長が抑制される効果、600℃以上の温度では水素が速やかに脱離し水素の影響がない成長であることを示し、さらに400〜600℃の温度域では水素によるステップ成長端のブロッキング効果により高密度な島形成とステップ成長端の乱れ及び成長の非等方性による抑制が起こることを予測している。第6章では、以上の結果をまとめるとともに、その工学的な応用や更なる研究開発の可能性について述べている。以上の結果は、計算機支援の材料設計において、原子レベルのシミュレーションが重要な役割を果たし得ることを示している。特に、分子動力学シミュレーションの原子レベルの構造と機械的な特性との関係を解析する道具として有用性、カイネティックモンテカルロシミュレーションのプロセスパラメータと核形成や成長の特性との関係を解析するモデルとしての有用性を示しており、本論文は、システム量子工学、材料工学の発展に寄与するところ大なるものがあると認められる。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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