学位論文要旨



No 213996
著者(漢字) 松田,聡浩
著者(英字)
著者(カナ) マツダ,アキヒロ
標題(和) ニューラルネットワークに基づく感性情報の定量化と満足化設計法
標題(洋)
報告番号 213996
報告番号 乙13996
学位授与日 1998.09.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第13996号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 矢川,元基
 東京大学 教授 宮,健三
 東京大学 教授 岩田,修一
 東京大学 教授 大橋,弘忠
 東京大学 助教授 古田,一雄
 東京大学 助教授 吉村,忍
内容要旨

 20世紀における人間社会の最大の成果の一つは、科学技術の飛躍的な発展であろう。それは工学を通して様々なモノ(人工物)として具現化され、生活レベルの向上に大きく寄与している。その恩恵を、現代人は日常生活のあらゆる場面で実感することができる。たとえば、航空機や船舶、自動車などの輸送機関が発展し普及することによって遠距離間を簡単に快適にしかも高速に移動することができるようになった。また、コンピュータやネットワークに代表される情報技術の飛躍的な発展により、廉価なコストで遠距離間の高度な通信が可能となり、身の回りに溢れる様々な情報化された製品群によって、人間の労働作業は著しく軽減されてきた。

 このような物質的な豊かさは、これまでの一途な品質重視、効率重視のモノ作りによってもたらされたものだが、その一途さが色々な問題を引き起こしている。一つには、大量生産、大量消費、大量廃棄という経済効率優先の行動によって地球温暖化や大気や海・河川の汚染、エネルギー・資源の浪費、廃棄物処理場不足などの重大な環境問題が引き起こされ、人間をはじめ地球上の生物の生存そのものが脅かされ始めている。また、身近かな矛盾としては、本来、生活水準を高めるために作られた人工物であるにも関わらず、人工物の溢れた社会の中で人はますます疎外感を感じるようになってきている。

 そのような課題の根本原因は必ずしも単純ではないが、敢えて一言で言うならば、モノ作りに代表される従来の工学体系が、考慮できることしか考慮して来なかったことに起因すると言えないだろうか。前者の問題点に関して言えば、環境という複合的でグローバルな視点は従来のモノ作りに全く欠如していたし、後者の問題点に関して言えば、真の意味での人間性が考慮されてこなかったからではないだろうか。どのような人工物も本来は人が設計し、生産し、使うものであるから、モノ作りを考える上で人間性、より具体的には人間の「感性(Kansei)」を無視することはできないはずである。

 このような背景のもとで、本研究では、人間の「感性」を工学的に理解すること、すなわち、「感性情報の定量化」とそれに基づく「革新的なモノ作り」の方法論を開発することを目的とする。

 本論文は全7章からなる。

 第1章「序論」では、21世紀の人工物設計における感性情報の取り込みの重要性について述べた後に、現行の感性情報処理と感性的設計法の現状と課題を明らかにし、本論文で提案するニューラルネットワークに基づく手法の位置づけをまとめた。

 第2章「従来の感性情報処理と感性設計法」では、感性情報処理の基本的な方法論を説明し、いくつかの事例を紹介した。ここでは、これまでに様々な研究者達によってなされた感性情報処理へのニューラルネットワークの適用研究についても紹介した。

 第3章「ニューラルネットワーク」では、まず本論文で用いる階層型ニューラルネットワークの基礎理論について述べた。続いて、後章での感性情報処理への適用を念頭に置いて、ニューラルネットワークの効率的な学習法や学習済みネットワークの推定能力(汎化能力)の検証法、感度計算法について述べた。

 第4章から第6章では、具体的な例題として、自動車の操縦性・安定性(操安性)フィーリング評価問題を取り上げ、ニューラルネットワークに基づく感性情報の定量化と満足化設計法を提案した。操安性フィーリング評価とは、自動車の操安性評価について十分な訓練を積んだテストドライバーが、実際に自動車をさまざまな試験条件(速度を一定に保ちながらハンドルをジグザグに切る、高速走行時に車線変更を行うなど)で操縦し、テスト車両の操安性を10点満点で採点する評価法である。

 第4章「感性評価試験:自動車操縦性・安定性フィーリング評価の場合」では、まず本論文で取り扱う感性情報の定義を明らかにし、感性の計測法についてまとめた。次に、自動車の操安性フィーリング評価問題を例に、具体的な計測結果を紹介した。自動車の操安性フィーリング評価には、さまざまな感性が関わっているが、その中でも比較的定量的な取り扱いが容易な感性を「感性情報」と呼び、本論文での取り扱い範囲とした。具体的には、操安性フィーリング評価でテストドライバーが操安性を採点した結果を利用した。

 第5章「ニューラルネットワークに基づく感性情報の定量化」では、ニューラルネットワークに基づく感性情報の定量化手法を提案した。ここでは、ニューラルネットワークを利用した感度解析法と寄与度分析法を用いて、感性情報に主に寄与する設計対象の物理特性(設計パラメータや機能)を絞り込む手法を提案した。

 第6章「感性情報に基づく満足化設計」では、第5章で定量化された感性情報と物理特性の間の多次元非線形関係を人工物の満足化設計に活用する方法を提案した。ここでは特に、多次元デザインウインドウに基づく満足化設計法について説明し、そのデザインウインドウを光造形法によって3次元実体化する手法について述べ、さらに成形されたデザインウィンドウを通して設計空間を理解することの有用性を提案した。

 第7章「まとめと今後の展望」では、本論文で提案したニューラルネットワークに基づく手法をまとめ、それと従来型感性情報処理手法との比較を行った。さらに、感性情報を用いた人工物設計法について今後の展望をまとめた。

 本論文で得られた結果を次にまとめる。

 (1)非線形性を有する人間感性(感性情報)とモノの設計パラメータや応答特性(物理情報)との関係をニューラルネットワークを用いて定量化する手法を提案した。本手法は、(a)感性情報と物理情報の関係をニューラルネットワークに学習させる、(b)感性情報に特に寄与の高い物理情報を寄与度と統計指標を用いて絞り込む、(c)絞り込まれた物理情報と特定の感性情報との関係を(a)で構築したネットワークよりも小規模なネットワークに構築する、という三つのステップから構成される。感性情報を採取するためには、人間とモノが複雑に相互作用している状況下で実験が行われているため、十分なデータ数(サンプル数)を確保することが困難である。したがって本論文では、小数の学習データから効率よく、高い汎化能力を有するニューラルネットワークを構築するため、CV法とAICに基づくネットワーク構成法についても併せて提案した。

 本手法を自動車の操安性フィーリング解析に適用した結果を次にまとめる。

 (a)感性情報(操安性フィーリング評価点)と物理情報(車両応答特性)の対データが30個と少ないにもかかわらず、感性情報に強く影響を与える物理情報を絞り込むことが可能となった。その絞り込み結果は、操安性フィーリング評価の熟練者による結果を十分な精度で表現しており、本絞り込み手法が有効であることが確認された。

 (b)感性情報に寄与の高い物理情報を絞り込み、冗長な物理情報を省いたニューラルネットワークを構築した。その結果、漫然と定量化を行うよりも絞り込んだ物理情報を用いてコンパクトなニューラルネットワークを構築する方が、より的確な定量化を行うことができた。

 (2)定量化された感性情報からニューラルネットワークを用いた満足化設計法を提案した。本研究では、ニューラルネットワークを用いて非線形定量化された感性情報を直接設計に活用するため、ニューラルネットワークに基づくデザインウィンドウ探索手法を導入した。また、従来法では、デザインウィンドウが設計空間内での大域的な設計解の吟味に役立つ概念であるにもかかわらず、設計変数が4個以上のデザインウィンドウを効率よく可視化する表示法がなかった。その解決策として、本論文では多次元デザインウィンドウを効率よく表示する方法を提案した。本手法を用いることにより、多次元設計空間における大局的な解の妥当性の評価・検討が容易に行えるようになった。

 (3)4次元以上の多次元設計空間における大域的な解の妥当性を検討できる多次元デザインウィンドウを光造形法により3次元立体成型した。感性設計者、構造設計者、意匠設計者らの協調設計作業において、立体成形された多次元デザインウィンドウを用いることによって、立場の異なる設計者間の意志疎通を促進させることが可能になると考えられる。また、3次元に実体化された感性情報の多次元デザインウィンドウにより、大局的な定量化情報の把握だけでなく、感性と設計パラメータとの間を定性的に記述する定性的理解のモデルとしても利用できると思われる。

 本論文では、従来からその柔軟な非線形写像生成能力で、機械制御、ロボティクス、画像処理、時系列予測等の種々の分野に用いられてきたニューラルネットワークを感性情報の定量化と満足化設計法の構築に適用した。その結果、従来の線形の多変量解析に基づく手法よりも柔軟かつ効率的に感性情報を定量化し、設計に活用することが可能となった。また、感性設計者、構造設計者、意匠設計者らは従来の設計作業においては、設計を議論する共通のプラットフォームがなかったため、近年、コンカレントエンジニアリングが提唱される中で、設計者間の意志疎通、意図理解等が柔軟に行えなかった。本論文で提案された、定量化された感性情報と人工物設計とを合理的に結びつけるための満足化設計法は、多次元デザインウィンドウの効果的な表示法と光造形法を用いた実体化法により、設計者間において設計対象への協調作業を促進する有効な手法となっていくと考えられる。

 本研究では、本手法の有効性の検討は自動車の操安性フィーリング解析を例題として議論したが、本定量化手法は人間の感性情報量を定量化する一般的な手法である。したがって、今後、人間感性を製品設計に合理的に取り込むとが可能となり、21世紀の人に優しい人工物設計が要求される時代において、必要不可欠な手法となっていくと思われる。

審査要旨

 モノ作りを考える上で、強度や性能とともに人間性、より具体的には人間の「感性」の重要性が高まってきた。

 本論文は、ニューラルネットワークに基づく感性情報の定量化手法、および定量化された感性情報をモノ作りに活用するための満足化設計法を構築し、例題として自動車の操縦性・安定性(操安性)フィーリング評価問題に適用した研究の成果をまとめたものであり、全体で7つの章から構成されている。

 第1章では感性情報処理と感性的設計法の背景、本研究の目的などを述べている。

 第2章では感性情報処理の現状として、官能検査等による感性情報の抽出法、多変量解析を用いた定量化法、およびニューラルネットワークを用いた手法のサーベイを行っている。

 第3章ではニューラルネットワークの基礎理論について述べた後、後章で感性情報処理へ適用することを念頭に置き、クロスバリデーション法とAIC情報量基準を用いた効率的な学習法と汎化能力の検証法、および学習が終了したニューラルネットワークを用いた感度係数の算出法を提案している。

 第4章ではまず本論文で取り扱う感性情報を定義し、感性情報処理の例題として自動車の車両応答特性(物理情報)の計測法と操安性フィーリング(感性情報)の評価法について述べている。続いて、これまで行われてきた線形の多変量解析に基づく操安性フィーリング評価問題の定量化法について述べ、その問題点を明らかにしている。

 第5章ではニューラルネットワークに基づく感性情報の定量化手法を提案し、自動車操安性フィーリング評価問題に適用している。最初のステップでは、すべての車両応答特性(22個)を入力、操安性フィーリング評価項目(3個)を出力として学習させた結果、十分な精度を有することを確認している。続いて感度係数から定義した寄与度と線形相関係数を用いて操安性フィーリング評価項目に強く影響を与えている数個の車両応答特性に絞り込む手法を提案している。結果は熟練技術者の経験的手法によるものと十分な精度で一致した。さらに、5個程度に絞り込まれた車両応答特性と操安性フィーリング評価項目の間を定量化した結果、車両応答特性を大幅に絞り込んだにも関わらず、最初のステップよりも高精度な定量化が可能となったことを述べている。これは本論文で提案された絞り込み手法が問題の本質を捉えた的確なものであったことを示している。

 第6章では第5章で定量化された感性情報を用いた人工物の満足化設計法について述べている。4次元以上の設計空間における満足設計解を直感的に理解できる多次元デザインウインドウ(DW)表示法を新たに提案し、さらには多次元DWを光造形法により3次元実体化する手法について述べている。実体化された多次元DWは、協調設計において複数の設計者間の意志疎通を支援すること、感性を定性的に記述するモデルに成り得ることが述べられている。

 第7章では本論文の主要な結論を示すとともに、感性情報を用いた人工物設計法について今後の展望を述べている。

 以上を要するに、本論文はニューラルネットワークに基づく感性情報の定量化手法とその結果を用いた満足化設計法を構築し、従来の線形の多変量解析に基づく手法よりも柔軟かつ効率的に感性情報を定量化し、人工物の設計に活用できることを示した研究成果をまとめたものであり、感性工学および人工物設計学の発展に寄与するところが大きい。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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