学位論文要旨



No 214012
著者(漢字) 橋爪,利至
著者(英字)
著者(カナ) ハシヅメ,カズナリ
標題(和) フッ素18標識化合物の合成と陽電子崩壊断層診断法への適用
標題(洋)
報告番号 214012
報告番号 乙14012
学位授与日 1998.10.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第14012号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 輕部,征夫
 東京大学 教授 渡辺,公綱
 東京大学 教授 西郷,和彦
 東京大学 教授 小宮山,真
 東京大学 講師 池袋,一典
内容要旨

 本論文はフッ素18標識化合物の合成とこれの陽電子崩壊断層診断法への適用に関するものであり、9章より構成されている。

 近年、理化学の先進的かつ高度な技術が実用化し、これらの技術を生命現象の本質的な解明に利用できるようになってきた。従来、生体中での生理活性物質の動作は、直接観察することが通常不可能であって、in vitroでの多数の実験結果によりこれを推察してきた。ところが、最近加速器の小型化により、医療施設でも大変短い半減期を持つ陽電子崩壊(ポジトロン)核種の生産が可能となってきた。これらの核種は人体への害が少なく人体への投与が可能である。そして、化学的手段によりこの核種で生理活性物質を標識すれば、+線の消滅放射線を陽電子崩壊断層診断法(positron emission tomography,PET)で捕獲しその生体内分布を測定することが可能である。即ち、この非侵襲性の放射性核種で生理活性物質を標識することにより、従来不可能であったin vivoの機能性分子の動作の研究が可能となり、標識生理活性物質の生体内での挙動を速やかに画像情報として得ることが出来る。しかしながら、ここで使用される核種は、生産できる化学量が極めて微量(1nmol〜1pmol)であり、しかも急速に消失していくため、これを標識に用いるためには迅速かつ巧妙な化学的手段が必要である。一般に、従来の化学的手段の多くは、この様な条件を満たしていないので、新たな方法の開発が強く要望されていた。

 本研究では、放射性標識を行うために、半減期が短く分解能の高い陽電子崩壊核種の中で、特に有用な物性を有するフッ素18に着目した。そして、核反応18O(p,n)18Fで生産したフッ素18イオンを原料とした標識化合物の合成法を開発し、それを利用してPET測定による動物実験を実施し、その有効性を確認することを目的とした。

 第1章は緒論であり、本研究の行われた背景について述べ、本研究の目的と意義を明らかにした。

 第2章では、フッ素18による標識反応の系統的研究を行った。フッ素18の+線のエネルギー(0.6MeV)が比較的小さいので生体内飛程は2.1mmと短い。従って、フッ素18の消滅放射線の測定を同時計数するPET測定は、通常使用される核種の中で最も高い分解能を示す。しかしながら、この有用なフッ素18は化学的には活性の低い水溶液の陰イオンとして得られるため、これを生理活性物質に標識するのは容易でない。そこで、フッ素イオンを原料として芳香族有機化合物にフッ素を導入する反応を研究するため、各種の脱離基、即ちハロゲン核種(F,Cl,Br,I)、ニトロ基、トリメチルアンモニオ基を有する標識前駆体を、フッ素18によって標識する反応をアセトフェノン誘導体を用いて系統的に調べた。その結果、フルオロ基の標識効率は極めて高く、クロロ基はニトロ基、トリメチルアンモニオ基とともに実用的な効率を示した。また、ハロゲノ基を脱離基とする標識効率の序列はF>Cl>Br>Iであることをフッ素18を用いて示した。更に、それぞれの前駆体の13C-NMRを測定した。特にハロゲン核種を脱離基とする前駆体のイプソ位の芳香環の炭素の化学シフト値は反応収率と顕著な相関を示した。一般に、13C-NMRの化学シフトはその炭素核の電子密度に反映されるが、ここで示された電子密度の低下と収率上昇の相関は、その原子に対するフッ素アニオンの求核反応が、この種の反応メカニズムでの律速段階であることが示唆される。また、13C-NMRの化学シフトと標識収率とが良い相関を示したため、13C-NMRを放射実験が容易でないフッ素18標識反応収率を予見する手段として利用できると考えられた。

 第3章では、18F標識前駆体(特にニトロ前駆体)と目的フルオロ体を効率よく分離する方法の開発を行った。本研究の目的の18F標識体は極めて微量であり、その前駆体から分離することは、これまで困難であった。そこで、オクタデシルポリマーを担体とする新たなHPLC法を開発し、この問題を解決した。ここで開発された分離法は、一般的に他の多くのフルオロ体とニトロ体もよく分離することが可能であり、更に、クロロ体との分離もより良い結果を示した。

 第4章では、ドーパミンD2レセプターリガンド・ブチロフェノン系向精神薬前駆体の合成を行った。ブチロフェノン系向精神薬は、ドーパミンD2レセプターのリガンドであって脳軸策間の伝達物質と拮抗するため、その標識化合物を投与することにより脳機能評価に利用することが出来る。しかしながら、このブチロフェノン向精神薬を[18F]フッ素アニオンから合成するのは容易ではなく、特に迅速な合成法の開発が望まれていた。そこで、ニトロ基と[18F]フッ素アニオンとの交換反応に着目して、先ず[18F]ブチロフェノン系向精神薬のニトロ前駆体を合成した。

 第5章では、[18F]標識ブチロフェノン系向精神薬の合成を行った。サイクロトロンで生産した[18F]フッ素アニオンを使用して効率的な反応条件を見出し、前章で開発された効率的な分離方法を利用し、代表的な[18F]ブチロフェノン系向精神薬である[18F]ハロペリドールと[18F]スピペロンの合成に成功した。以上の結果、1工程の標識と一本のHPLCカラムによる簡便で迅速な合成法を完成した。また、クロロ基と[18F]フッ素アニオンとの交換反応にも着目し標識を行った。クロロ基を脱離基とするクロロ前駆体の場合、特に標識体と前駆体の分離度が良いので、以後の精製工程はこれを使用した。

 第6章では、非ペプチド性アンギオテンシンII拮抗薬の18F標識を行った。アンギオテンシンは、昇圧作用を有するペプチドであるが、その非ペプチド性の拮抗薬として、フッ素アナログ(Fluoro CV-2198)が開発されている。ニトロ前駆体を使用して、このフッ素18標識化合物[18F]FluoroCV-2198を合成した。

 第7章では、蛋白質ペプチドの18F標識法について3つの方法の開発を行った。蛋白質あるいはペプチドのポジトロン標識は、比較的時間を要することから、短半減期ポジトロン核種の中でも比較的半減期の長い18Fの利用が最も期待されている。

 まず第1にアジド基を有するフルオロフェニルアジド化合物の18F標識を検討し、効率的な18F-19F交換反応を利用してこれを合成した。アジド基は生化学でよく用いられる有用な反応基であり、そのアジド化合物の18F標識が可能となった。更に、この標識化合物を蛋白質(チトクロームC)と紫外部最大吸収波長(252nm)の紫外線照射によるフォトアフィニティ反応を行い、蛋白質の18F標識に成功した。本標識化合物は、19F-18F交換反応の高効率を応用することによって収率良く得られた新規化合物の最初の適用例である。本法を用いることによって、この前駆体の入手は比較的容易であり、本法によるアジド基のフォトアフィニティ反応は、蛋白質等の大きな分子に適している。そこで、次に比較的短いペプチドを標識する方法として、フルオロニトロ化合物に着目した。フルオロニトロ化合物の誘導体を検討し、幾つかの18F標識フルオロニトロ化合物の合成に成功した。更に、この標識化合物を血圧上昇機能を有するペプチド(アンギオテンシンII)の18F標識に適用した。本法は、生化学で普遍性が広く認められている標識反応を新たに18F標識に適用したものであり、標識試薬が1工程の合成で得られ、前駆体の入手は容易である。第3に蛋白質あるいはペプチドの標識法として活性エステルを用いる方法を検討した。しかし、活性エステルの18F標識は、その活性エステル部位が高温で分解するため、特に1工程で標識する方法に簡便な方法は報告されていなかった。そこで、カルボン酸チオエステルに注目し、ジニトロ安息香酸のベンジルチオエステルとヘキシルエステルを前駆体として使用して、18F標識活性エステルの合成を検討した。その結果得られた標識化合物は、HPLCで予想された保持時間で溶出され、目的物と推定された。この方法は、18F標識活性エステルを合成する最も簡便な方法である。これらの化学的標識法により、蛋白質、ペプチド等の生体内の挙動の測定が可能になると考えられる。

 第8章では、標識化合物の動物実験とその生体内空間断層撮影を行った。本研究で合成された[18F]ハロペリドールを用いて、ネコの頭部PET実験を行った。そして、ドーパミンD2レセプターが豊富に存在する脳線条体に[18F]ハロペリドールが集積し、フッ素18の高分解能が反映された鮮明な映像が得られた。この結果により標識化合物の有効性が証明された。また、フッ素18標識アンギオテンシン拮抗薬を用いてネコの腹部PET実験を行った。その結果、アンギオテンシンIIレセプターが豊富に存在する腎臓と肝臓にフッ素18標識化合物が集積した映像が得られた。

 第9章では総括であり、本研究を要約して得られた研究成果をまとめた。

審査要旨

 本論文はフッ素18(18F)標識化合物の合成とこれの陽電子崩壊断層診断法(positron emission tomography;PET)への適用に関するものであり、9章より構成されている。

 第1章は緒論であり、本研究の行われた背景について述べ、本研究の目的と意義を明らかにしている。

 第2章では、18Fによる標識反応の系統的研究を行っている。PETにおいて、18Fは最も高い分解能が得られる核種の一つであるが、サイクロトロンで、化学的に活性の低い18Fアニオンとして得られるので、標識に用いるのが難しかった。そこで、アセトフェノン誘導体を用いて、各種の脱離基、即ちハロゲノ基、ニトロ基、トリメチルアンモニオ基を有する前駆体を、18Fによって標識する反応を系統的に調べている。その結果、フルオロ基の標識効率は極めて高く、クロロ基はニトロ基、トリメチルアンモニオ基とともによい効率を示したと述べている。また、ハロゲノ基を脱離基とする18Fの標識効率の序列はF>Cl>Br>Iであると述べている。更に、それぞれの前駆体の13C-NMRを測定し、ハロゲン核種を脱離基とする前駆体のイプソ位の芳香環の炭素の化学シフト値は反応収率と顕著な相関を示すと述べている。また、この知見から、放射実験が容易でない18F標識反応の収率を予見する手段として13C-NMRが利用できると述べている。

 第3章では、18F標識前駆体と目的の18F標識体を効率よく分離する方法の開発を行っている。極めて微量な18F標識体を前駆体から分離するために、オクタデシルポリマーを担体とする新たなHPLC法を開発している。この分離法により、他の多くのフルオロ体とニトロ体、クロロ体とも効率よく分離できることを示している。

 第4章では、ドーパミンD2レセプターリガンド・ブチロフェノン系向精神薬前駆体の合成を行っている。ブチロフェノン系向精神薬は、ドーパミンD2レセプターのリガンドであり、脳軸策間の神経伝達物質と拮抗するので、その標識化合物は脳機能評価に利用できると述べている。ニトロ基と18Fアニオンとの交換反応に着目し、先ず[18F]ブチロフェノン系向精神薬のニトロ前駆体を合成している。

 第5章では、[18F]標識ブチロフェノン系向精神薬の合成を行っている。第3章で開発された分離法を利用し、代表的な[18F]ブチロフェノン系向精神薬である[18F]ハロペリドールと[18F]スピペロンを、1工程の標識と一本のHPLCカラムによる分離で、調製する方法を開発している。更にこの方法では、ニトロ前駆体よりも、クロロ前駆体のほうが標識体と前駆体の分離度が良いことを明らかにしている。

 第6章では、非ペプチド性アンギオテンシンII拮抗薬の18F標識を行っている。アンギオテンシンは、昇圧作用を有するペプチドで、その非ペプチド性拮抗薬として、フッ素アナログ(Fluoro CV-2198)が開発されている。ニトロ前駆体を使用して、この18F標識化合物[18F]Fluoro CV-2198を合成している。

 第7章では、蛋白質やペプチドの18F標識法について3つの方法を開発している。

 まず第1に、アジド基を有するフルオロフェニルアジド化合物の18F標識を検討している。アジド化合物を18F標識し、更にこの標識化合物を蛋白質(チトクロームC)と反応させることによりタンパク質の18F標識を試みている。18F標識アジド化合物とチトクロームCに252nmの紫外線を照射することにより、チトクロームCの18F標識が可能であると述べている。

 次にペプチドを標識する方法として、フルオロニトロ化合物に着目し、18F標識フルオロニトロ化合物を合成している。更に、この標識化合物を用いてアンギオテンシンIIを18Fで標識している。

 第3に活性エステルを用いる方法を検討している。活性エステル部位が高温で分解するため、カルボン酸チオエステルに注目し、ジニトロ安息香酸のベンジルチオエステルとヘキシルエステルを前駆体として用い、18F標識活性エステルを合成している。これらの化学的標識法により、蛋白質、ペプチド等の生体内の挙動の測定が可能になると述べている。

 第8章では、標識化合物の動物実験とその生体内空間断層撮影を行っている。第5章で合成された[18F]ハロペリドールを用いて、ネコの頭部PET実験を行い、ドーパミンD2レセプターが豊富に存在する脳線条体に[18F]ハロペリドールが集積し、分解能の高い鮮明な映像が得られたと述べている。また、18F標識アンギオテンシン拮抗薬を用いてネコの腹部PET実験を行い、アンギオテンシンIIレセプターが豊富に存在する腎臓と肝臓に18F標識化合物が集積した映像が得られたと述べている。

 第9章は総括であり、本研究を要約して得られた研究成果をまとめている。このように本論文では、これまで陽電子崩壊断層診断法への適用が期待されながら合成が困難であった18F標識化合物の合成法と分離法を検討し、効率的な手法を開発している。更にこれらの化合物を実際に陽電子崩壊断層診断法に適用し、生体内空間断層撮影に有効であることを確認している。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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